中編

 それからというもの、俺は強くなるためにどんなこともした。


 君を守るためにどんなことにも手を汚した。


 自身の肉体や技術を限界以上に鍛え、心を無にして、人に手をかけたりもした。


 年齢なんか関係ない。


 ただ寿命を待つだけの老人も、これから輝かしい人生を歩んでいくであろう赤ん坊も、君が生きるための障害になり得る人なら全員。


 世界中から狙われている君はただ俺達二人の家で楽しく暮らしていればいい。


 まだ開拓されていない山の頂に建てた小さな家で君は過ごして、君の知らないところで俺は訪れる人を向かい撃ち、時には俺の方から消しに行く。


 優しい君には血を見せたくないから、防具に付いた血を川で洗い落とすのを忘れずに。


 そしてしばらくしたら住処を変えて暮らすんだ。




 そんな生活を数年送った頃、ふと、俺は自身の穢れに気が付いた。


 いつも君から抱擁してくれるからと今回は俺から抱擁しようと思って手を伸ばした時に、今まで殺してきた人達の姿が頭に浮かんできたんだ。


 俺の振りかざす剣によって死んだ騎士。俺の握りしめたナイフによって死んだ青年や女性。俺の手によって息を引き取った赤ん坊。


 ああ、そうだ。俺の手は血だらけになってしまっている。この両手には色々な人の血が付き、乾いて取れなくなっている。


 洗っても洗っても取れないそれは呪いのようなもの。自身の罪の表れ。


 今の俺の手は、君に触れるには汚れすぎている。どうやら俺が誰かから抱擁の温もりをもらうことを彼らは許してくれないようだ。


 本当は触れたい。抱きしめられたい。抱きしめてあげたい。


 けれど、亡霊がそれを許さない。血塗れた手で君を抱きしめることを俺自身が許せない。

 

 分かってる。俺自身の問題だってことは。


 亡霊なんてものはただの幻覚だ。ただ俺が今まで積み重ねてきた『死』に押し潰されそうになっているだけだ。


 今は勇気が無くて無理だが、いつかはーーーー。




 そうしてまた月日が立ち、何度目かの春が来た頃のこと。


 その頃にもなると、魔王に関する噂は数え切れないほどの量になっていた。


 あの町の力自慢も魔王の手によって殺されただとか。類稀な膨大な魔力を持って生まれた領主の子が殴殺されたとか。


 国王の一番信頼していた騎士が死んだのは魔王の仕業だとか。


 でもそんな噂は全くもって間違っている。


 そんなこと、君はやっていない。


 そもそも君はここ数年間は虫一匹も殺してやいない。誰も殺めてなんかいない。


 それにあの凶悪な力を君は制御できるようになったんだ。


 だから力が暴走する危険はもう無いし、誰かを殺してしまう心配も無い。


 彼女はもう危険じゃないんだ。


 でも、世界は全く耳を傾けてはくれない。


 むしろ魔王に対する恐怖は大きくなり、噂も懸賞金も肥大化していっている。


 もう止められない。


 魔王が死なない限りは止まらない。


 そんな状況下で未だに君は、今まで君の力に呑まれてしまった草木や動物、人に対する謝罪を続けている。


 ここ数年間、毎日欠かさずに一つ一つの墓の前でごめんなさいと呟くのを俺は知っている。




 数年間の鍛錬と実践のおかげで、俺は強くなった。


 今では君に匹敵するくらい強くなっただろう。いや、君の性格を合わせて鑑みると俺は君より強いと思う。


 誰にも負けない実力。世界から君を守れる力。これらが今の俺にはあると実感できる。


 ようやく俺はその昔、臆病で弱虫な幼い少年の抱いた理想そのものになれたのだ。


 けれど、世界に対して俺一人では人数差があり過ぎた。


 俺という個人では、世界からの攻撃に対して完璧に対抗することができなかったんだ。


 俺の身体は少しずつだが、削れていった。


 最初は右目を潰された。


 槍術の達人である老人の巧妙な不意打ち。俺の些細な油断も相まって、俺は片目を失ってしまった。


 次は右手の小指。


 自分の子を何としてでも守ろうとする母親の決死の覚悟が俺の小指を千切った。


 その次は左腕。

 

 俺から仲間を逃すために自身の命を投げ捨てながらも向かってきた青年の一振りが、俺の左腕を斬り飛ばした。


 最後は右腕。


 双子の仲睦まじい頭のイかれた少女二人が、一つの街に住む民全員の命を代償に、俺の右腕を持っていった。


 大掛かりな魔術によって手に入れた俺の腕に頬擦りをして、幸せそうな表情を浮かべる二人のことを俺はきっと忘れないだろう。


 こうしたことが起こり、俺は片目両腕を失った。


 誰にも負けはしなかったが無傷とはいかなかったんだ。


 どれも些細な失敗。四桁にも及ぶ戦闘の内、たった四回の失態。


 そのせいで、以前より弱くなってしまった。


 でも足を失くすことがなかったのは幸いだと俺は思う。足まで失っていたら君を守ることができなくなっていたから。


 良かった。まだ君を守れる。


 でも、俺が油断さえしなければ。俺がもっと冷徹であれば……躊躇なんてしなければ。


 いつか俺から君を抱きしめることができたのに。


 もう君の温もりを包むことは俺にはできない。それでも俺は世界から君を守るために戦い続ける。


 君の代わりに、君のために。




 それからも俺は、君を狙う輩との戦いに明け暮れる日々を過ごした。


 戦っては時期を見て、その場から離れる。その繰り返し。


 俺と君は街を転々と移動し、国を出る。大陸を渡り、追っ手から逃れる為に歩き続ける。


 その最中に偶然見つけた古城。


 強力な魔獣がうじゃうじゃいる森に佇んでいたその古城は、俺達が身を置くには最適な場所だった。


 この古城に辿り着くことができるのは道中の強い魔獣を倒せる者だけ。限られた強者のみ。


 俺達は、これからはここに住むことを決めたのだった。




 古城に住んでからというもの、追っ手は激減した。来ても一ヶ月に一人来るか来ないか。


 君にとって十数年振りの平穏な日常の日々。


 君と交わす言葉が増え、以前よりも明るくなった君を見ているだけで俺はこれまでにない程の幸せを感じていた。


 二人の時間が多い日々。俺にとっては幸せの絶頂。


 もうこのまま寿命が訪れるその日まで君とずっと過ごしていたい。


 温かな陽だまりの中、遊び疲れて眠りに入った君を見て、本気でそう思うほどに満たされた時間。


 できることなら世界が君を忘れ、君と俺でこうして生きていられたらいいな。


 でも、世界はそんなことを許してくれる訳がなかった。




 平和な日々が続いたある日のこと。


 古城内で君と食事を楽しんでいると、それは突然起こった。


 恐ろしくも色鮮やかな周りの森全てが一瞬にして灰となったのだ。


 国一つに匹敵するほどの広さを持つ森全てを燃やし尽くせる程、広範囲で強力な魔法。

 

 俺の横で君が声の出ない悲鳴を上げる中、古城の正面に、勇者と名乗る青年とその四人の仲間がやってきた。


 招かれざる五人の客人を見下ろす俺に対し、若い勇者は純粋な瞳と微かに輝きを放つ剣を向けて、こう言った。


 魔王よ。その命、貰いに来た……と。




 その宣言を皮切りに、俺と勇者一行の戦いが始まった。


 並外れた剣技と魔法を扱う勇者。長く湾曲した風変わりな剣を使う男。人の理を外れた魔法を涼しい顔で連発する女性。見たことのない術を展開する冷静な青年。致命傷を一瞬で回復する修道女。


 一人一人が達人以上の域に達している強者の中の強者。


 彼らとの戦いは三日三晩、続いたのだった。




 そして三日目の夜が明け、綺麗な朝日が顔を出した頃、遂に勝負が決した。


 勝利したのは勇者一行。


 満身創痍の五人の前で俺は地面に膝をつく。

 

 とっくに限界は超えており、体中、悲鳴を上げている。


 勇者は強かった。いや、勇者一行は強かった。個々の力は片目両腕を失った俺よりも遥かに低かったが、彼らの団結力は俺の力をも上回った。


 もし俺に右目があれば。もし俺に両の腕があれば。


 そうであれば、俺が勝っていただろう。


 そんなことを思いながら、最後の悪あがきをしようと試みるも、もう足の指一本も動かない。


 身体は言うことを聞かない。魔力も底をついている。


 これ以上無い程の敗北。


 そんな俺へと勇者がゆっくりと近づいてくる。


 認めたくはないが、認めざるおえない。


 俺は負けたのだ。


 死ぬことは別に怖くない。俺自身、数え切れないほどの命をこの手で散らしてきた。いつか自分が殺される日が訪れるのだということくらい覚悟していた。


 それよりも、君を一人にしてしまうことが心残りだ。


 これから君は上手く生きていけるだろうか。君は強いから、きっと生き延びることができるだろうけど、今まで俺は君を過保護にしすぎたから、君一人でやっていけるか心配になってしまう。


 でも、きっと君ならなんとかするのだろう。愛情深くしっかり者の君のことだ。そうだ……もう大丈夫……俺が居なくてもうーーーー。


 朧げな意識の中、何かが俺の身体に刺さった。


 そう、勇者の剣が俺の心臓を貫いたのだ。


 致命傷。魔法では癒せない部位。


 剣が引き抜かれると同時に俺は地面に倒れる。


 段々と冷たくなっていく身体。一気に押し寄せてくる睡魔。


 このまま眠気に抗うことなく目を閉じようとしたその時、霞む視界の中で古城で顔を覗かせる君と目が合った。


 綺麗な顔を歪めて、大粒の涙を流す君。


 そんな君に俺は優しく笑ってみせる。


 そんなに泣くなよ。君はもう、あの凶悪な力を制御してる……暴走することなんてない。そうだろ?ここ十年、君は誰も傷つけなかった。それに誰にも君の顔を見られていない。もう大丈夫なんだ。


 今の君は化け物でも魔王なんかでもない。ただの美しくて太陽のように明るく、それでいて愛に満ち溢れた女性。


 そう、どこにでも……いる……それでいて唯一無二の俺の……いや『僕』の愛する……女の子だ。


 だか……ら、だいじょ…………い……ないよ。


 意識が暗闇に沈む中、勇者の声が聞こえた。


 「ーーーー!僕達がーーーーに、魔王を打ち取ったんだ!」


 その勇者の言葉を聞いたのが最期。


 僕は僕としての人生を終えたのだった。

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