【短編 三話構成】たとえ世界が魔王と呼んでも

名ノ桜

前編

 「私はこの世界が好き。動物や植物、そして村の皆やあなた。今を取り巻く全てを私は愛しているの」


 まだ手足も短く、今よりずっと未熟だった頃。


 凍えるほど寒い夜に、僕の家の古い暖炉の前。そこで僕と二人、しゃがんで暖まっていた時に君が見せてくれた優しい笑顔。


 その笑顔を見た時から、僕の中で君はただの幼馴染から大切で特別な幼馴染に変わった。


 そう、この時が僕が君に恋をした瞬間だった。




 僕達は共に育った。


 同じ年に生まれ、同じ村で。そして隣同士の家。


 君とは俗にいう幼馴染。


 衣食住に恵まれているとはいえない環境だったけど、幸せな日々だったことには違いなかった。


 優しい母さんに頼もしい父さん。それに幼馴染の君。


 村の人達もかけがえのない存在ではあったけど、僕の日常には三人が居てくれさえすればそれで充分。


 楽しかった。幸せな時間だった。


 でもその日々は長くは続かない。


 いつもと何ら変わらない満たされた日々の最中、幸せの崩壊は突然訪れた。


 それは幼い僕と幼馴染の君が、ただ無邪気に花畑で追いかけっこをしていたときのこと。


 逃げる君を捕まえようと僕が躍起になって追いかけていたちょうどその時、奥の林からモンスターが現れて、君に襲いかかった。


 追いかけてくる僕を気にして、後ろに顔を向けていた君は、大きな口を開けて君を食べようとするモンスターの存在には気付かない。


 僕は必死になって君の名前を叫んだけれど、遅すぎた。


 僕が名前を叫び終わった頃には、モンスターは君に噛みついてしまったいたんだ。



 

 綺麗な花畑に鮮やかな一滴の血が滴る。


 モンスターは君の肩に強く歯を食い込ませ、両腕をもってして千切ろうとしている。


 モンスターに襲われている君の意識は朦朧としており、今にも消えいってしまいそうになっていた。


 どこかへ行ってしまいそうな喪失感。ここで何かしなければ君がいなくなってしまうと、僕は幼いながらにも分かった……分かったというのに、


 僕はただ見ていることしかできない。


 あんなに大切な人なのに。幼馴染で好きな子なのに……僕は恐怖で、動くことすらできやしない。


 こういう時、男の子は果敢に立ち向かっていかなきゃ駄目なんだと、散々、父さんに言われてきたのに、この時の僕の頭の中は真っ白になっていて、父さんの教えなど忘れてしまっていた。


 僕はただ震えて立っているだけ。


 君の瞳に映る、今にも泣きそうになっている僕自身を見つめているだけ。


 そう、この日。君は僕の目の前で死にかけたんだ。何もしない臆病者の男の子の目前で、モンスターに襲われて瀕死になってしまった。


 それがきっかけだったんだろう。君の中の深い深い深淵の奥底で眠っていた黒い力が、目を覚ましてしまったんだ。


 その力は、君自身では制御しきれない身勝手で凶暴な力。


 出てきたが最後。ドス黒い力が君の中から溢れ返り、辺り一帯の空を真っ黒に染め上げた。


 漆黒の天上。破滅の訪れ。


 もちろん、その中心にいる君に触れていたモンスターは一番最初に、死に蝕まれた。


 花は枯れ、木は灰になる。土は割れ、蝶は消える。


 君の周囲のものは死んでしまった。たった一人……僕だけを残して。




 世界を誰よりも愛する少女に神が与えたのは、世界をいとも簡単に滅ぼせる程の凶悪な力。


 少女が内に秘めていた忌むべき凶悪な力は、この世の何よりも強大であり、どんな者も触れれば最後。抗うことなどできやしない。


 その力は君の命を救い、僕を危機から助けてくれたが、それと同時に僕達の村を葬り、奪い去った。


 村だけじゃない。周辺の町が幾つも地図から消え、数え切れない人達が死んだ。


 その光景を僕はこの目で見ていた。闇が広がり、村が蝕まれるのを。村を蝕んだ後も闇が進んでいく光景を、君と一緒に。


 そんな光景を目の前にして、僕の中に憎しみが沸いた。


 村の人を、僕の両親を殺した君に対して熱い憤りや憎悪が溢れて仕方なかった。


 なぜ?どうして?なんで?


 酷い、辛い、許さない、憎い、悲しい。


 数多の感情が渦となって暴れ狂う。


 でも涙を流す君を見て、それらの感情はすぐに飛んでいった。


 だって、一番心を痛めていたのは君だったから。


 君は今までに見たことのない程の涙を流していたんだ。

 

 僕は今まで、君の落ち込む姿を見たことがあっても、泣いてる姿は見たことなかった。僕の目に映る君は、いつも太陽のような笑顔を振り撒く可愛いらしい少女。


 でも今は違う。


 君は割れた土に手を添え、枯れ死んだ花々をそっと摘み、「ごめんね、ごめんね」と嗚咽を溢す。


 君は呟く。


 動物や花、木々の名前。村の人達や僕の両親の名前。そしてこれから出会うはずだった人達のことを。


 君は責める。


 それら全てを消してしまった自分自身を。


 村の人を一番想い、僕が両親を想う以上に僕の両親を好いていた君だ。隣町に行き、まだ見ぬ人達との出会いを夢見ていた君なんだ。


 きっと今、世界の誰よりも胸が張り裂けそうなんだろう。


 でも僕は思う。君のせいなんかじゃないって。確かに僕も一瞬、君のせいだと憎みそうのになってしまったけれど、そんなことはないよ。


 だって君は今まで、僕が知る誰よりも愛を謳ってきたんだ。君は誰かを生かしたいと思うことがあっても、誰かを殺したいだなんて思わないでしょ?


 君が望んだ訳じゃない。君が願った訳じゃない。


 お願いだから自分を悪魔だなんて言わないで。自分は生きてちゃいけないなんて、そんなこと僕は思わないよ。


 最低だとも思わない。僕から見た君は、ただ優しくて可愛らしい村の女の子だよ。こんなことになってしまった今でもそう思ってる。


 だから、もうそんな顔をしないで。ねえ、頼むよ。




 世界から多くのものが消え去ったこの日から、君は世界から狙われることになってしまった。


 各国の王族に、騎士に。魔法使いに、市民に、冒険者に。


 例外なく、世界中の全員から。


 あの歴史的事件以降、君には多額の懸賞金が懸けられ、大袈裟な噂が瞬く間に広がってしまった。


 人を殺すのを楽しむような奴らしい。自分の親を喰った。自分以外の人をゴミのようにしか思っていないとか。


 どの噂も、君がしてしまったおびただしい『死』という結果は変わらなかったが、そこに至るまでの過程が酷く湾曲させられていた。


 これらの噂は、食料を調達しに僕が町へと降りたときに聞いた噂の数々だ。


 暗い森で待つ君と僕の食料を買い終え、君の元へと帰ろうとしていた時に、路上で大人達がそう言っていたんだ。


 彼らだけじゃない。町中の皆も囁いている。


 ある人は震え、ある人は怒り狂い、ある人は嘲笑している。


 誰も君のことなど知らないのに、まるで知った風に化け物扱いする。


 会ったこともないくせに。


 僕は苛立ちを覚えた。


 腹が煮えくりかえるような感情が増す度に、拳に無意識に力が込もる。


 一秒でも早くここから離れようと、僕は買った食料を抱えて走る。


 あの子はそんな人間じゃない。化け物でもない。優しくて思いやりのある女の子なんだ。


 小さな虫にも思いやりを持って接するし、誰かが怪我をすれば自分のことのように心配する。


 お前らなんかよりも、ずっとずっと優しい子なんだ。


 でも、そんなことは誰も信じちゃくれない。


 老人も大人も子供も。皆、まともに聞いてはくれない。


 どの町でもどの国でも、君は人に仇なす怪物扱い。


 そして一年が経つ頃には、元々大袈裟だった噂が更に膨れ上がり、懸賞金が天にも届く程、膨大になっていた。


 その頃から世界は君のことをこう呼ぶようになった。


 魔王と。


 たとえ世界が君を魔王と蔑んでも、世界が君を敵だと見なしても、僕だけは違う。


 僕は君の味方だ。






 誰も信じれない。誰も信じてはくれない。誰も信用しちゃいけない。


 あの日以降、世界が一丸となって君を殺そうとしてくる。


 一度、ある猟師に助けてもらおうとしたことがあるけど、結局、猟師は君を殺そうとした。


 優しく接してくれたと思ったけど、それも君を殺すためだった。


 食料難だからって他人に猟の方法を教えてもらおうとしなければよかった。お金が底を尽きたからって、他人と関わりを持とうとしなければよかった。


 そうすれば、君が暴走することもなかったし、猟師から君を守ろうと僕が体を張ったばかりに、君が力を使うこともなかったんだ。


 君を守ろうとして猟師に刺されてしまった僕が目を覚ますと、僕をナイフで刺した張本人である猟師はバラバラになっていた。


 僕が意識を失う前まではここは森だったというのに、周りにそびえ立っていた無数の木々は粉々になっており、生き物の気配すら感じれない。


 そんな中で、君は僕を抱えて泣いていた。


 僕が傷付いたのは自分のせいだと、何度も謝ってきた。


 君のせいじゃない。僕が死にかけたのは君のせいじゃないんだ。僕が弱いから死にかけたんだよ。


 僕が弱くなければ、君を殺そうとしたあの猟師を止めることができた筈。僕にもっと力があれば、君を守ろうとした時に怪我を負うこともなかった。


 強く、強くならないと。世界から君を守れるほどに。君を殺そうとする全てをねじ伏せれるように。


 誰よりも強く……君よりも強く。


 だって君はただの少女……いや、心優しい愛くるしい女性。


 僕は君を守るためならどんな手も使ってみせる……僕は、俺は君を守れれば、それでいい。


 そう、君さえ守れさえすれば。

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