第十二話 望まぬ再会
日が頭上から傾き始めた頃、僕は例の森の入り口まで辿り着いた。
奴から聞いた通り、森の入り口は村の南東、そこから行ったところにあった。
そこまで道に沿って柵が立ててあったが、そこだけ森に入れるようにか柵がなく森に向かって道が続いていた。
森の入り口には奥に向かって一つの足跡がうっすらと残っている。よかった、降り出した雪で消えなくて。これがおそらくエメットの進んだ足取りだろう。
足跡が続く先、森の奥のほうへと目を向ける。奥は薄暗くなんだか不気味に見える。足がすくむ。
怖いのは当たり前だ。もしかしたら死ぬかもしれないんだから。いつのまにか足が小刻みに震えていた。これは寒さのせいかはたまた…。
こんなんじゃダメだ。僕は震える足を両手で思いっきり叩いた。痛かったが震えは止まった。
「よし、行くか。」
最後に自分の頬を叩いて気合を入れる。僕は足跡沿って森の中へと足を踏み入れた。
ーーーーーーー
入る前は足がすくむほど恐ろしかったが、いざ森の中に入ってみると少し薄暗いが思ったよりも普通だった。今のところ、獣がいそうな気配もない。
ひとまずほっと胸をなでおろす。
ちょっと進んだところで後ろを振り返る。
僕のいる位置からかなり離れていたが、森の入り口ははっきりと見えた。帰りは自分の進んできた足跡をたどればなんとか帰れそうだ。雪がこれ以上ひどく降らなければの話だが。
あんまり奥に行ってないでくれよ、と心の中で祈る。
森の中を進んでいくうちにだんだんと歩きずらくなってくる。
最初は普通の道のようにきれいに整備されて雪が積もってるだけでなんてことなかったが、今では腰くらいまで背の低い草が道にはみ出して生えており足跡を確認しながら歩くのも一苦労だ。腰からおじさんの狩猟用のナイフを取り出して進路の邪魔な草を切って落としながら進んでいく。
やはり森の中だけあって奥に進んでいくほど木々が生い茂り、その葉によって空からの光が遮られて暗くなってくる。
「はやく見つけないと。」
頭の中で思っていた言葉が自然と口に出る。
このままでは日が暮れて夜になってしまう。
夜は特に獣が活発に動くと聞いたことがある。それに明かりになるものを持ってきていないのでエメットと無事に会えたとしても、帰り道がわからなくなるといった可能性もある。足跡を見落とさないように慎重に歩いていたが内心はとても焦っていた。
足跡に沿って進んでいると急にここまで続いていた跡が途絶えた。あれ、見落としたかと後ろを見るがやはりここで足跡が途切れている。前を向いて顔を上げる。そこは少し開けた場所のようになっていた。
木も生えておらずここだけが周りと比べても明るかった。
「なんなんだ、ここは。」
周りを見渡しながらもその開けた場所に足を踏み入れる。なぜこんな場所があるのだろうか。驚きと疑問が頭に浮かびながらも、エメットの足跡が残っていないか探す。
真ん中あたりに来たときだろうか。奥の木の根元あたりになにか落ちているのが見えた。
あれはなんだろうか。早足で近づいてみる。近づくにつれて形がはっきりと見え、それがなんなのかわかった。
「エメットの帽子だ....」
そこには彼女がいつも被っている大きめの帽子が落ちていた。
足跡が消えているが、彼女の帽子が落ちているということは、エメットはこの辺まで来たことが確実になる。まさかまだこの辺りにいるのだろうか。
森の中で大声を出すのは獣を呼び寄せてしまうのではないかと思ったが、少し考えた後に見つかるならと大きい声で叫ぶ。
「おーい、エメット!」
森の中に僕の声が響く。....反応がない。聞こえてくるのは時折吹く風の音だけだ。
「おーい、エメット!僕だよ、ダニエルだよ。」
さっきより大きい声で誰が呼んでいるかわかるように叫ぶ。
一瞬なにか聞こえたような気がしたが直後に強い風が吹き、木々を揺らした。
なんだ、風の音か。どうやらこの辺には彼女はいないようだ。
そう思ったのもつかの間、今吹いた強い風が彼女の帽子を飛ばした。大きいので空に舞い上がったりはしなかったが、木の根元にあったのが雪の上を滑るようにして森の奥へと飛ばされていく。
たしか、エメットはあの帽子をおとうさんの物だと言っていた。それに彼女はツノを隠すためにいつも被っていた。考えなくてもわかる、大事なものだ。
僕は急いで飛んでいく帽子を追いかけた。
幸い、さっきまで強かった風は多少弱まりなんとか追いつけそうなところまで来た。
あと少しで手が届く。帽子を拾おうと手を伸ばし、指先が触れるか触れないかぐらいの時、それは急に起こった。
続いていると思っていた地面が急に無くなったのだ。帽子を拾おうと踏み込んだ右足があるはずの地面を踏もうとして、宙を切った。
どうやらそこは急斜面のようだった。雪が積もっているせいで斜面が見えず、道が続いていると思ってしまった。なんとか踏みとどまろうとしたがもう遅い。体の半分以上が外に出ている。
僕は崖を勢いよく転がり落ちた。
あまりの痛みと衝撃でしばらく立ち上がれなかった。体全体が痛い。
手を動かそうとする。手のひらを開いたり閉じたりして、肘を曲げてみる。よかった、痛いが動かない訳じゃない。仰向けの体勢からなんとか起き上がろうと手をついて上半身を起こす。
かなりゆっくりだが、なんとか体を起こせた。
全身に転がった時についたであろう雪を払って落とす。
着ていたコートや服は転がり落ちる時に擦ったのか破けて穴が開いているところがあった。でも幸いなことにどこかを切って血が出ているとかはなかった。
周りを見渡す。目の前にはさっき落ちてきた急斜面があった。かなりの高さがあり、今すぐそこを上がるのは難しそうだ。どこか他の道で戻らなければ....。
進めそうな道を探す。僕の近くにエメットの帽子が落ちているのを見つけた。よかった、無くさなくて。立ち上がって帽子の元まで歩く。手に持って歩くわけにはいかないので、とりあえずコートのポケットに入れておくことにする。大きいので少しはみ出してしまうのだが。
上に戻れるような道を探しながら歩く。エメットの足跡も見失って、自分もよくわからない斜面から落ちて戻るのに時間がかかりそう。考えれば考える程最悪な状況なのだが、さっき焦っていたのが不思議なくらい落ち着いている。
今も続いている鈍い痛みが自分を冷静にさせているのだろう。
そういえば、さっきの村の奴らが話していたことを思い出す。普段から僕や彼女に嫌がらせをしているので、あいつらが話したエメットが森に入ったというものも、もしかすると嘘の可能性もあった。森に入る前に一度彼女の家に行って確かめるべきだったな。
あいつらなんて言ってたっけ。確か最初エメットが森の入り口で呟いていたみたいなみたいな感じのことを言っていた気がする。
なんで森の入り口なんかに立っていたんだろう。あの時は怒りで疑問を持ったことも忘れてしまったが、今考えればおかしいのだ。なぜならエメットは森が危険だということを知っていたのだから。
「おかあさんが病気だから教わってなくて知らないんじゃないか。」みたいなことを奴らは言っていたが知らないわけがない。毎回遊ぶ時、僕らは森の近くで遊ぶのを避けてきた。
僕は遊びに行く際、おじさんにしょっちゅう森に近づくなと言われていたおかげでいつも遊ぶ時エメットに
「今、森は獣が多くて危ないんだ。」
と言っていた。毎回同じ話をする僕に彼女はいつも
「そうなんだ、怖いね。」
と答えていた。だからなにか理由がない限りはそんな危険なことしないはずだ。
「おかあさんため、か。」
彼女が呟いたらしい言葉を口に出す。おそらくこれが危険な森に入った理由なのだろう。
病気でもう長くない母親を置いてでも森に入ることが、母親のためになるのか。色々考えてはみたが、結局何なのかわからなかった。
斜面を迂回しながら上に上がる道を探して歩く。しかしまともに歩ける道がなく、歩いているうちに心なしか斜面から離れていっているような気さえした。
森に入った時よりも辺りは暗くなってきている。日が暮れ始めたようだ。さっきまで降っていた雪も今は止んでいる。早くしないと。
ふと生い茂っていた木々が消えて目の前が開けた。
「なんだ?....洞窟?」
目の前には洞窟があった。森の中に洞窟があるなんて聞いたことがない。中に入るべきか。
洞窟に入ったところで上に戻れるかわからない。なんなら戻れない可能性の方が高いだろう。
引き返して別の道を探そうと足を戻した時、何かに肩を叩かれたような気がして僕は立ち止まった。
もう一度、洞窟の方へ振り返る。さっきと何も変わらなかったが、なぜか洞窟の中、先にエメットがいる気がした。理由がある訳じゃないし、ただの直感だけど僕は吸い込まれるようにして洞窟の中に入っていった。
ーーーーーーー
洞窟内はもっと暗いと思っていたが、案外そうではなく歩いている少し先の道まではっきりと見えた。
「壁が光っている....」
光が届かないはずの洞窟で先がはっきり見えたのは洞窟の壁や地面に生えているキノコのようなものが青白く発光しているからだった。
キノコ一つの明かりはそれほど明るくないのだが、それが複数本、壁や地面など様々な場所に生えていることによって光の届かない洞窟内部を照らしているのだ。
時折、天井から雪解け水が垂れて地面に落ちる音が聞こえてくる。
道はさっきまで歩いていた森よりも岩や石がむき出しなのもあって歩きにくかったが、幅は広かった。
「ん?、どっちだ。」
しばらく進むと広かった道が狭くなり二つの分かれ道が姿を現した。はたしてどちらに進むべきだろうか。どちらとも同じくらいの道幅であり、ぱっとみではどちらが正しいのかわからない。
右側の道の先を覗いていた時だった。奥から強い風が吹いて僕の顔に当たって通り過ぎた。
外では風が吹いていたのに洞窟に入ってからはほぼ無風だった。それがこの奥からは風が来たということは、もしかすると外に通じているのかもしれない。
それにこの風になんだか呼ばれてる気もした。
僕は右の道に進むことにした。
進む毎に道はどんどん下の奥深くへと続いているような気がする。
分かれ道を右に進んですぐだった。
さっきまでずっと下り坂だったのが広い場所に出た。洞窟の上は穴が空いており、そこからは空が見えた。
上の穴から風が入ってきていたのだろう。穴の真下には雪が少し積もっている。
「なんだ、ここ。」
不思議な空間だった。もう一度天井の穴を見た。曇っていた空はいつのまにか晴れていて月が上っていた。
最近は日が暮れて月が上るのが早いとはいえ、もう夕方ぐらいだろう。早くしないとまずい。
進むべき先を見る。ふと穴の真下の雪が積もっている場所に誰か人が倒れてるのが見えた。
「エメット!」
近づかなくても髪形や服装で分かった。とっさに声を掛けたが彼女は僕の声に反応しなかった。
急いで彼女の元に走る。なんであんなところに倒れているのか。もしかしてあの穴から落ちたのか。
様々な不安が頭の中を駆け巡る。
倒れている彼女のそばに駆け寄って肩を揺する。見た感じ大きな怪我はなさそうだ。
「エメット、エメット、大丈夫?」
何度か肩を揺らすと彼女は少し反応した。生きてる、よかった。
「...ん、あれ、ダニエル?...どこ、ここ?」
どうやらまだ記憶がはっきりしないらしい。でもとりあえず一安心だ、合流することができた。
「よかった、無事で。森に一人で入ったって聞いて心配したよ。」
「森?…そうだ、ボクは森の入り口で、雪玉を投げられてそれで...」
「無事だったからよかったけど森に入ったら危ないっていつも話してたじゃないか。まぁあいつらが全部悪いんだけどね。」
「もしかして、ボクを探しに来てくれたの?」
エメットは申し訳なさそうに僕に聞いてきた。
「それは、まぁ、うん。」
助けに来たのはそうなのだが、実際本人から直接聞かれると少し気恥ずかしい。
「それにしてもなんでこんなところで倒れてたの?、森の入り口にいたのもなにか理由があるの?」
再会して少し落ち着いたのか僕は矢継ぎ早に彼女に質問した。
「えぇと、どこから話せばいいのかな。」
エメットは近くの岩に腰かけて話始めた。
「...ボクが森の入り口にいたのは、森に..入ろうと考えてたからなんだ。」
自分から入ろうと考えていた?なんでだ。
「なんでよ。森が危ないのはエメットもわかってたはずじゃない、それにおかあさんも病気で...」
心配していたのに、自分から森に入ろうと考えていたと聞いて少し怒りが湧いた。それでいつもより強く発した言葉は最後になるにつれて小さくなっていった。
彼女は黙り込んだ後
「…だから入ったんだよ。」
と小さい声で言った。だから?どういうことだ。彼女の続きの言葉を待つ。
「…おかさん、前から体が良くなかったんだけど、…もう長くないんだ。」
彼女は絞り出すような声で言った。
「最近は特に酷くなって寝てることが多くなったんだ。それで寝てるときにいつもおかあさんはおとうさんの名前を呟くんだよ。」
「エメットのお父さんって…」
エメットからお父さんの話は聞いたことがなかった。村ではお母さんと二人で暮らしてるって言ってたし。
「うん、おとうさんはいないんだ。でも、あかあさんに何とかしてあげれないかなって考えてて。それで前におかあさんからおとうさんとの出会いについて聞いたことを思い出したんだ。」
エメットの話はこうだった。彼女の母親はこの洞窟で迷った時に彼女の父親と出会ったらしい。それから恋に落ちて結婚して彼女が生まれたということだ。その出会いの話を母親は元気な時にいつも彼女に楽しそうに話していたそうだ。
「おかあさんはボクにいつもおとうさんとの出会いの話をしててね。その時の洞窟の美しい水晶を元気になったら、もう一度見てみたいって言ってたんだ。だから...。」
「おかあさんに水晶を見せてあげたくて森に入って洞窟の水晶を取りに来たのか。」
「うん。...危ないのはわかってたけどどうしても最後におかあさんに喜んでほしくて。」
大体理由はわかった。でも僕はまだ納得してなかった。
「わかったけど、なんで相談してくれないの。相談してくれたならおじさんに頼むとかしてもっと安全に取りに行けたよ。おじさんがとってきてくれなくても僕が協力したよ、友達なんだから。」
「....そうだね、ごめん。」
「うん、それでその水晶は取れたの?」
「それがまだなんだ…。ここまで来たけど水晶が見つからなくて....。帽子は洞窟に入る途中で風に束されたし、この道も行き止まりでどうしようか悩んでるうちに疲れで雪の上で寝ちゃったんだと思う。」
獣のいる森の洞窟で眠れるなんて、抜けているのか度胸があるのか。僕は苦笑いをする。
「なるほど、じゃあこの道に来る前のもう一つの分かれ道に戻って行ってみよう。もしかしたらそっちにあるのかもしれない。」
「一緒に探してくれるの?」
「ここまで来たなら僕も手伝うよ。早く帰らないと危ないし早く見つけよう。」
「うん!ありがとう。」
僕はエメットと合流して洞窟で水晶を探すことにした。
さっきの分かれ道まで二人で戻る。
「そういえばエメット、帽子落としたって言ってたよね。」
「…うん。」
「ごめん、ちょっと色々あって汚れたりしてるけど。」
そう言って僕はコートのポケットから彼女の帽子を取り出して手渡す。
「ボクの、ありがとう。」
彼女は驚いたようにその帽子を受け取った後、いつものようにかぶり直した。
やっぱり大事な帽子だったのかその姿は嬉しそうだった。
分かれ道まで戻り、もう一つの道を下っていく。しばらく歩いていくとさっきと同じように開けた空間があった。
「うわぁ。」
僕とエメットはほとんど同時に声をあげた。
その空間には壁のいたるところに水晶があった。水晶は周りに生えているキノコの光を反射してキラキラと薄い緑のような光を放っている。僕らはその光景に圧倒された。
「きれいだね、見つけられてよかった。」
「うん、探すの手伝ってくれてありがとう。」
エメットは周りを眺めながら言った。この光景はきっと忘れないだろう。それくらいずっと眺めていたいと思った。
しばらく僕らはその景色を眺めていたが、我に返った。早く戻らなければならない。近くに落ちていた小さめの水晶の欠片を拾ってエメットに渡す。
「よし、帰ろう。」
こうして僕とエメットは洞窟の出口へと向かった。
入った時は、長いように思えた洞窟も道を覚えていたからか戻る時はなんだか短く感じた。
洞窟を出る。外はもう真っ暗だった。でも幸いにも雲一つなく、月明かりが森を照らしていた。
「そういえば、エメットはこの洞窟にどうやってきたの?僕は斜面を滑り落ちてたまたまたどり着いたんだけど。」
「滑り落ちたって大丈夫なの?」
「少し痛いけど平気だよ。」
「大丈夫ならよかった....。ここまではその斜面を迂回して来れる道があるんだ。こっち。」
そう言ってエメットは僕の前を案内するように歩き出した。一人だと不安だった森の中が二人で歩いているとなぜかいつもと変わらないような気がした。
どれくらい歩いただろうか。坂を上るとそこは僕が斜面を落ちる前の開けた場所に出た。
「よかった、戻ってこれた。」
ここまで来れればもう道もわかる。一人だったら帰ってこれなかっただろう。
開けた場所を抜けて村への道に戻ろうとした時、不意に頭上からなにか音がした。
「エメットなんか聞こえなかった?」
「…わかんない。」
僕らは足を止めた。しばらくそのままでいるとやっぱりなにか音がした。風や水の音のような自然の音じゃなく、もっと生き物が出すような音が。そう唸り声だ。
気づいた時にはもう遅かった。僕らが進もうとしていた道のそばの木の上から今度は聞き間違えではない獣の唸り声が聞こえた。
ゆっくりと後ずさる。獣は僕らに気付いていて、やがて木の上から結構な巨体ながらも音もなく地面に降り立った。
一匹の飢えた獣の目はまっすぐに僕らを睨んでいた。
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