第14話 ニクイあんちくしょう
「永遠、わたし、おなか空いちゃった♪」
左右に小さく揺れる頭のまま、弾んだ声が飛んでくる。永遠は思わず笑った。ここへ来た第一の目的を、ようやく思い出す。
「この間のフードコートでいい?」
「く~とこ~ろ?」
きょとんと首を傾げる。
「あ~……食べ物屋さんがいっぱいあって、瑠璃乃が野菜いっぱいもらってきてくれたとこだよ」
「あ~! うん、そこにしよう♪」
思い出した途端、ぱあっと笑顔が戻り、再び歩き出す……が、すぐに足が止まった。
瑠璃乃は前ではなく、横を向いて固まっている。永遠もつられて視線を向ける。
モールの入り口近くにあるベーカリーショップ。『できたてほやほやメロンパン』の看板と垂れ幕とノボリ。
湯気を立てる山盛りのメロンパンに、甘い匂いまで漂ってくる。
誘惑に足を止められ、瑠璃乃は口を開け、目をきらきらさせていた。
「……パンってのもいいかもね。行こっか?」
「でも……」
フードコートの話をしたばかりで気が引けているのだろう。
迷う横顔を見て、永遠は笑いかけた。
「また、いつでも来られるから。ね?」
遠慮はいらない、と目で伝える。
その一言で、瑠璃乃は弾けるように喜び、鼻をフガフガ鳴らしてはしゃいだ。
何度も小さく跳ね、その勢いのまま永遠の手をぶんぶん振る。
少し気恥ずかしくなりながらも、今度は永遠が彼女の手を引いて店へ向かう。
その事実がたまらなく嬉しいのか、入り口に差しかかる頃には、瑠璃乃の顔は蕩けきったエビス顔になっていた。
店内に入る寸前で、永遠はそっと手を放す。
ほっと息をつくが、エビス顔が一転、あからさまにしょんぼり顔になったのが視界の端に映り、胸がちくりと痛む。
しかし、手をつないだままでは身が持たないし、通路も狭い。
行動は間違っていない、と自分に言い聞かせて、永遠は素早くトレーを取りに向かった。
「はい。これをもってね……それでこれね」
差し出したトレーを受け取ると、もう瑠璃乃の興味はそちらに移っていた。
名残惜しさが消えたのを見て、永遠は安堵する。
トングも握らせて説明した。
「よし。これで好きなパンを選んで、このオボンに乗せてレジに持っていくんだよ。そうしたら食べられるからね」
「は~い♪」
上機嫌にトングをカチッと鳴らし、やる気満々……かと思いきや、視線はトレーではなく手元のトングへ。
「……ウンコ挟むやつって、なんて言うんだっけ?」
「ウンッ⁉」
全力で止めなければと思ったが、遅かった。
「オブツばさみだ!」
「こんな所で言わないのっ!」
思わず声が大きくなる。
店内の客が一斉に振り向き、永遠は四方に向かって慌てて頭を下げた。
瑠璃乃は状況が分からないまま、目を丸くしてオブツばさみ――もといトングをカチッと鳴らしている。
逃げ出したいが、逃げるわけにもいかない。
永遠は、全力で彼女の興味をパンへ向ける。
「さっ、さぁ、瑠璃乃! 何でも好きなパンを選んでいいからね!」
彼には似合わない大げさなボディランゲージで棚を示す。
「あ、これ知ってる! くろわさんだね」
「そうだね」
「日本人だね」
「え?」
「こっちの長いのはフランスパン! フランス人だね」
「……そう言われればそうなのかなぁ?」
「この亀のぬいぐるみみたいなのはメロンパン! すいかの親戚だから、きっと日本人だと思う」
「……そうなんだ」
「それでこの焦げ茶色のはカレーパンだね!」
「……そうそう」
「インド人だね!」
「そうなんだろうね」
「でも待ってよ? カレーはインド人だけど、カレーライスは日本人ぽいし……分かった! 君はきっとハーフだね! 辛さ半分のニクイあんちくしょうだ!」
(……褒めてるんだろう、きっと)
「人気者はつらいからね。ニクまれもするね、きっと」
和やかに言うと、
「そんなことないよ! きっと人気者のあんちくしょうだよ、きっと!」
「そ、そうなんだね……」
「うん! ……ところで、あんちくしょうって何なんだろうね? へんなの! くふふっ♪」
「……あははっ」
(まぁ、楽しいなら何よりだね。うん)
ヘンテコな会話を挟みつつ、何個までいいか、永遠は何を選ぶのか……そんなやりとりを繰り返しながら、瑠璃乃はいくつかのパンを解説付きでトレーに載せていく。
鼻歌まじりのその様子に当てられ、永遠の胸にも、むず痒い多幸感が広がった。
やがて選び終えた瑠璃乃が、期待に胸を弾ませて永遠を見る。
今すぐかぶりつきたいという気持ちが、目だけで伝わってくる。
永遠は笑って頷き、レジへと先導したが、会計前で急に足が重くなる。
誰が払うのか。
初めてのお会計。
瑠璃乃は、きっとやりたがる。
実際、後ろでソワソワしている気配がする。
一方で「こういう時は男が払うべきだ」という偏った知識が、永遠の耳元で囁いてくる。
考える時間は1秒あるかないか。
それでも決めきれないうちに――
「どうぞ~」
ニコニコスマイルの店員が、トレーをレジカウンターのカメラ下に置くよう促してきた。
「あ、はい……」
気の抜けた返事をして、言われるままにトレーを置く。
「どうぞ~」
「は~い♪」
瑠璃乃も元気よく応じる。
レジのボタンが押され、画面に金額が表示される。
初めての体験に、瑠璃乃は興奮気味に鼻の穴を広げた。
そして、当然のようにポケットへ手を突っ込む。
……が、すぐにワナワナし始める。
「と、永遠……ど、どどどどうしよう……っ⁉」
青ざめた顔で振り向き、今にも泣きそうに訴える。
「ど、どうしたの⁉」
「……わたし……お金持ってない……」
沈黙。店員の笑顔がじわじわ薄くなっていく。
(そう言えば、そもそも瑠璃乃、スマホとか財布持ってないじゃん……)
一週間一緒にいて、一度も彼女がスマホを触っているところを見たことがない。
持ち物もほとんどない。
買い物自体、これが初めてだ。
ようやく腑に落ちて、永遠はひとつ息を吐いた。
選択肢は実質ひとつだ。
「じゃあ、僕が払うね?」
「それはダメだよ!」
即答で否定され、永遠は目を丸くする。
「最初のデートはワリカンが基本だって弥生さんが言ってた! 特にカイショウナシの男の子に奢らせるのは別れ話にハッテンすることがあるから要注意だって……」
「うぐッ‼」
見えない何かに貫かれたような衝撃に、永遠はよろめいた。
「ところでカイショウナシって何? 永遠、どこか痒いの?」
「……今度、教えてあげるね……今度……」
胸を押さえながら、かろうじてそう返す。
悲しいかな事実だが、うずくまっている場合ではない。永遠は姿勢を正した。
「……じゃあさ、二人で一緒に払おうよ?」
「いっしょに?」
「いっしょ」という言葉に、瑠璃乃の瞳がぱっと輝く。
「今、このスマホに入ってるお金は、僕だけのものじゃないんだよ? 瑠璃乃が一緒に頑張ってくれたおかげで貰えたお金が入ってるんだ。だから二人のものだと思うんだ。だから……ね?」
数拍おいて、瑠璃乃の顔がぱあっと華やぐ。
「うんっ♪」
弾む返事に、永遠も照れながら笑った。
スマホの端をつまむように持って、読み取り機の前へ差し出す。
その前に、同じように持つよう瑠璃乃に促す。
嬉しそうに応じた彼女と二人で、ひとつの端末をかざす。
ピッ、と支払い完了の音が鳴り、
「また、初めてのキョウドウサギョウだね」
「あ、あはは……」
こそばゆさをごまかすように笑う。
背後で店員が大きめの声で「ありがとうございました~」と告げる。
その「早くどうぞ」のニュアンスを敏感に察し、永遠はますますバツが悪くなった。
「こ、ここで食べていきますから失礼しますっ!」
深々と会釈し、パンの載ったトレーを手に取って、イートインコーナーへ退散した。
最奥の席まで来てから、永遠はようやく肩の力を抜く。
「永遠、どうしたの?」
「な、何でもないよ? ちょっと飲み物買ってくるからここで待ってて」
「は~い♪」
素直に腰掛ける瑠璃乃に苦笑してから、永遠は自販機へ向かう。
野菜ジュースと、飲み放題のオレンジジュースを一本ずつ手に、すぐ戻ってきた。
「お待たせ」
「待ってないよ。ありがとね」
満面の笑顔でジュースを受け取る。
その期待に満ちた目が、次はパンを見つめる。
「さ、召し上がれだね」
「いい? いい?」
「どうぞどうぞ」
胸が温かくなって、永遠も笑みを浮かべる。
だが、すぐにそれどころではなくなった。
背骨をうねらせるように溜めを作り……。
永遠は予感する。
あれが来る。
家ならともかく、ここではまずい。
手を打ち鳴らす爆撃のような音が店内に響き渡る前に、人差し指を口の前に当てて「シッ」とジェスチャーを送る。
すぐ察した瑠璃乃は、テヘヘと笑い、合わさる直前の手をそっと重ねて、
「いただきます!」
元気で張りのある声で宣言した。
永遠は困り顔のまま笑い、「どうぞ」ともう一度勧める。
「どれにしようかな~……よし、やっぱり一目惚れしたメロンパンからだね!」
嬉しい迷いは一瞬で消え、原因たるメロンパンに両手を伸ばす。
その仕草にふと異性を感じて、永遠は少し照れくさくなった……のも束の間。
まるでカバのように大きく口を開いたかと思うと、一般的な1.5倍はあろうかというメロンパンが、一瞬でその中へ消えた。
両頬をぱんぱんに膨らませ、ゆっくり咀嚼する。飲み込むまでしばらく動かないので、永遠が声を掛けようとしたその瞬間。
「……っおいしぃ~~~~♪」
椅子ごと跳ね上がりそうな歓声が飛び出した。
「すごいね! サクってしてたら柔らかくて甘くて、口の中にニチャニチャ張り付いて、でもだんだん溶けてきて美味しくて……すごいねっ!」
「……そっかそっか。よかった」
口の周りに付いた欠片には目をつぶることにして、永遠は頬を緩める。
「次は、じゃあ……カレーパン! タワシみたいなあんちくしょうにするね」
カレーパンに手が伸びるのを見て、永遠の胸に緊張が走る。
(この子、辛いの平気なんだろうか? 食事初心者にいきなり刺激物とか大丈夫かな……甘口だったっけ辛口だったっけ――)
諸々の不安を抱えているうちに、カレーパンもまた一瞬で口の中へ消えた。
最悪の場合に備えてオレンジジュースを構え、腰を浮かせたその時――
「っこれもおいしぃ~~~~♪」
今度は衣の欠片も追加された口元で、満面の笑み。
杞憂だった。永遠は胸を撫で下ろす。
「パンとカレーをいっしょにしてカレーパンだなんて、考えた人すごいね! まさに奇跡の、こがおねーちゃんだね!」
「こ、こがお……ねーちゃん? …………あ、コラボレーションか」
「そうそう、こらぼねーちゃん!」
「……そうだね。普通、カレーにはご飯だもんね。最初に考えた人はアイデアマンだね」
「うん! きっと金メダルをもらってるはずだよ!」
うんうんと頷きながら、永遠は無意識にナプキンで彼女の口元を拭ってやる。
瑠璃乃は嬉しそうに笑い、次のパンへと手を伸ばした。
自分のしたことに遅れて照れが込み上げ、永遠は視線を落とす。
その前で、パンを頬ばるたびに「美味しい」「楽しい」が全身から零れ落ちてくるような瑠璃乃は、今、とても大きな幸せを噛み締めていた。
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