第10話 素数なんて知らないよ! 喪服。


 瑠璃乃の着替えを待つあいだ、思っていた以上に時間が過ぎていった。


 10分を越えたあたりから、もともと体力が平均より低い永遠とわと博士は、ただ立っているだけでも堪えるようになり、示し合わせたようにトレーラーの外壁に寄りかかって休むことにした。


 特に博士は、息をするだけで膨大なカロリーを消費するかのように、見る間にぐったりしていく。

“3分が限界”は大げさな表現ではなかったのだと永遠は思い知った。


 見かねた永遠は飲み物を取りに立ち上がる。

 体力測定なのだから、弥生ならスポーツドリンクの一本くらい用意してくれているはずだ。

 車内には入れない分、とりあえず後部へ回り込む。


 思った通り、トレーラーの影にクーラーボックスが置かれていた。


 湯飲みや砂糖入れの載ったトレーを、そっとトレーごと脇に浮かせ、蓋を開ける。

 ふわりと冷気が頬に触れ、永遠は小さく震えた。中を覗くと、色とりどりの飲料が横たわっている。


 その中から、永遠は博士向けに“できるだけ甘そうな”苺ミルクオーレを選ぶ。

 蓋を閉じ、トレーを元に戻すと、湯飲みにそそいだ。


 しかしそこで永遠は足を止めた。

 砂糖入れが目に入る。


(……念のため)


 迷いはなかった。

 永遠は角砂糖を10個ほど湯飲みに落とす。

 スプーンやストローは見当たらず、仕方なく手元で小刻みに揺らして攪拌する。

 充分とは言えないが、とりあえず混ざった液体をこぼさないように、博士の元へ持っていった。


「……博士。これ飲みますか?」


 体育座りのまま魂が抜けかけている博士に、永遠はそっと湯飲みを差し出した。


「うむ? ……ああ、すまない。いただこう」


 博士は礼を言い、弱々しい動作ながら一気に飲み干した。


「ああぁ……美味い。助かったぞ、永遠」


 顔色が少し戻ったのを見て、永遠はほっとして博士の隣に膝をつく。


「どういたしまして」


「甘さ控えめで後味の良さが喉と胃に染み渡った」


(あれだけ入れて?)


「……よかったです」


 とにかく一安心だ。

 あと10分くらいはもってくれるだろうと永遠も胸を撫で下ろす。


 だが何よりも。

 早く、瑠璃乃たちが出てきてくれるのが一番なのだ。


 永遠は博士越しにトレーラーのドアを見上げた。


(……女の子の着替えは長いって言うからな。……なんで長いか分からないけど……)


 経験からではないが、そういう“知識”が世間一般に存在することは知っている。


 しかし、それにしても長い。


 普段なら、林本家の前に停めてあるトレーラーへ着替えに行っても3分ほどで戻ってくる。

 だからこそ、今回は何かあったのではと不安にもなる。


 けれど博士が外にいる以上、危険はないはずだ。

 では理由は?


 分からない。

 分からないからこそ、永遠は自由でヨコシマな妄念に捕まってしまいそうになる。


(……車内で着替え中……生着替え……)


 自然と喉が鳴り、ゴクリと生唾を飲む。


 いけない、いけない。

 永遠は慌てて首を振ると、博士の隣に腰を下ろし、空を仰いだ。


(ダメだダメだ! 落ち着こう落ち着こう。……こういう時は素数を数えればいいってゲームで主人公が言ってた……よし!)


 だが次の瞬間、永遠はハッとした。


(素数なんて知らないよ僕!)


 あまりにも教養がなさすぎて、見事に自滅した。

 そしてそのまま体育座りで項垂れる。


(…………僕も、ああいうふうに格好つけても様になる男になりたいよ)


 落ち込むタイミングでは、どうしても自分より優れた相手と比較してしまう。

 その相手とは、ペネトレーターの長身イケメンさんだ。

 スラッとしたモデル体型。

 イケメン。

 礼儀正しく、言動も立ち居振る舞いも洗練されている。


 自己肯定感の低い永遠は、僅かな差でも劣等感を刺激されてしまう。

 なにしろ相手がイケメンなのだから。


(はぁぁぁぁぁ~~……)


 深い溜息が漏れた。


 しかし、そこまで思考が落ち込む前に、瑠璃乃の存在が永遠を引き戻す。

 永遠は分かっていた。

 もし“僕より彼の方が……”などと比較を続けてしまえば、それは瑠璃乃に対して失礼極まることだ。


 気持ちを切り替えるように、永遠は自分の頬を軽く叩いた。


(……キレイ……だったな……)


 そうしたら、アザレアージュのフォルティスを初めて見た時の印象が蘇る。


 華麗で可憐。

 舞うように戦い、ヒラリと翻るドレスは絵画のようだった。

 そしてあの容姿、永遠は思わず頷く。


(……理想像ってやつなのかな……)


瑠璃乃以外のアザレアージュを初めて目にした率直な感想を思った。

 

 アザレアージュの彼女は、正に可憐という言葉がぴったりの容姿だった。

 

 そんな容姿で、華麗に舞い踊るように戦うフォルティスの勇姿が、永遠のまぶたの裏に焼き付いている。

 

 ただ、改めて冷静に思い返せば、非の打ち所のない中二でもあった。

 

 行使する力、言動と立ち居振る舞い、全部が洗練されていたために格好いいと感じた。

 徹頭徹尾そうなのだから、たぶん本物なのだろう。

 

 ペネトレーターの彼が見せた礼儀正しい振る舞いを見るに、おそらく彼の方は中二と現実を両立させているのではないだろうか。

 

 器用な人だ。

 永遠は感心する。

 上質なフィクションを冷めた目で見られないものと通ずるところがあった。

 

 そして何よりあの容姿。

 どんな理屈より説得力がある。

 

(ペネトレーターが無意識に持ってる理想像……アニマルだか何だかから影響を受けて、その容姿で生まれてくるのがアザレアージュ……だったかな? って言うことは、あのイケメンさんは、ああいう子が好みなんだな。……なるほど)

 

 自分の理想像とは違うが、多分に理解できる。

 一般的な感性を持つならば間違いなくフォルティスは可愛らしいのだからと、永遠は返事もないのに我が意を得たりといった様子で強く頷いている。


 永遠は滑稽なくらいデレデレと記憶を反芻し、気持ち悪いほどの笑みを浮かべた。

 慌てて博士の方を見るが、博士は省エネモードで前方を見つめたまま動かない。


 変態と思われずに済んだことに、永遠は心底ほっとする。


 だが、その束の間。


 トレーラーの扉が、開いた。


 永遠の全身が跳ね、心臓が凍りつく。


 見透かされた?

 怒られる?

 呆れられる?

 捨てられる?


 永遠は嫌な汗をだらだら流しながら、ゆっくりと扉を凝視した。


「おまたせ♪」


 現れたのは弥生だった。

 いつも以上に柔らかな笑みでタラップを降りてくる。


「いやっ、は……ぜんぜんっ、待ってないですよ……⁉」


 平静を装いたいのに、声は裏返り、汗は滝のよう。

 怪しさの教科書のような挙動不審ぶりだった。


 弥生は小悪魔めいた表情で永遠を一瞥すると、再びドアを見上げる。


「ほら、瑠璃乃ちゃん。出てらっしゃい」


「……やっぱりおかしくないかな?」


「中で何回も言ったでしょう? ぜったい大丈夫だから。むしろ大好きだと思うから安心してお披露目してあげて」


 弥生の声に励まされ、ひとつ深呼吸してから、


「……うん」


 瑠璃乃が姿を現した。


 その瞬間、永遠の世界が止まった。


 俯きながらゆっくりとタラップを降りてくる瑠璃乃。

 まず見えた横顔が、いつもよりずっと奥ゆかしい。

 そして、全身が「黒」。


(喪服?)


 思わずそんな連想をしてしまうほど、黒の比率が高い。

 けれど、袖や上着、スカートの縁には白いラインが映え、どこか上品な印象を纏っていた。


 タイトなシルエットが華奢な体を際立たせ、黒の締まった印象がさらに艶を増す。

 ストッキングで隠れてしまった太ももも、却って脚線美を強調していた。


 そして、永遠の視線がもう一つの変化を捉える。


 ツーサイドアップ。

 黒いリボンを左右に結わえた髪型。


 タラップを降りきると、瑠璃乃は一度うつむき、意を決して顔を上げ、永遠に向き直った。


 二人の視線が合う。

 すぐに逸らしたのは永遠ではなく、瑠璃乃だった。


 頬を赤らめ、指先をすり合わせ、身体をくねらせる。

 こんな瑠璃乃は見たことがない。


 服装のギャップも相まって、永遠の胸は一気に掴まれた。


 だが永遠も緊張に縛られ、口は開けていても言葉は出てこない。


 と、その背後で博士が体を起こし、


「誰か亡くなったのか⁉」


 と真顔で言った。

 弥生がすぐさま肩を押さえて押しとどめ、口をつぐむようにジェスチャーを送る。


 永遠は心の中で葛藤していた。

 褒めたい。

 でも口にするのが怖い。

“可愛い”なんて言って許されるのはイケメンだけだという先入観が邪魔をしていた。


 どうしようと迷っていると、弥生が永遠にガッツポーズを送ってきた。


 行け、と。


 分かっている。分かっているのに……、


「……来たときと違う……?」


 それしか言えなかった。


 弥生は大きな、分かりやすい落胆の溜息を吐き、肩を落とした。


 永遠は心の中で土下座したい気持ちでいっぱいだった。


 恐る恐る瑠璃乃を見ると、意外にも反応は落胆ではなかった。


 頬を赤く染めたまま、ゆっくりと頷いた。


(ヘタレって思われた⁉ 思ってるけど言わないでいてくれた⁉ あぁ、詫びたい! 全身全霊で土下座したい!)


 永遠の混乱はピークに達し、まるで子鹿のように固まった。


 だが瑠璃乃の鼓動の高鳴りにかき消され、永遠の動揺は伝わっていない。


 彼女は震える気持ちを押し殺しながら、永遠の方へと歩み寄り、


「永遠はっ!」


「うひゃいっ⁉」


 決意の声が弾けた瞬間、永遠の口から情けない悲鳴が飛び出した。


「……永遠は……く、黒いのが好きなの?」

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