第3話 狂気の真相と生贄の儀式

3.1 探求心の代償


――音もなく、銀が唸った。


地下室の扉を背にした黒崎の背後で、

銀色の閃光が、稲妻のように走った。


「あなたの探求心が、 物語を完成させるのよ――黒崎!」


月影紗代の声は、理性の欠片をすでに失っていた。

その手に握られたのは、晩餐に使われた銀のナイフ。

もはや凶器ではなく、儀式の道具として輝いている。


黒崎は振り返ることなく、気配と風圧だけで動いた。

証拠品ケースを瞬時に引き抜き、銀刃を受け止める。


ガキィンッ!


甲高い音が、地下室の空気を裂いた。

火花のような霧が散り、硫黄めいた匂いが鼻を刺す。


「探求心、か……お前が『夜の主催者』か?」


黒崎の低い声に、

月影は床に押さえつけられながら笑った。

その笑みは、喜劇の幕が下りる直前の役者のようだった。


「違うわ、探偵。私は――『記述する者』。

 赤城の《罪》、新庄の《正義》、


 そしてあなたの《真実への渇望》。

 三つが揃えば、“彼”が顕れるの!」


彼女の言葉とともに、

壁に刻まれた『深淵の落書き』が脈動を始めた。

青白い光が、壁の中で蠢く血管のように明滅する。


美咲が駆け寄る。

「月影さん、もうやめて! その言葉はあなたを壊す!」


「違う、壊れるのはこの世界の方よ……」

月影の瞳は、光を失いながらもどこか恍惚としていた。


彼女の唇が、濡れた音を立てながら開く。


「クウァ……イア……クトゥ……フフ……」


湿った音。人の声ではない。

まるで、海の底で誰かが泡を吐いているような囁きだった。


「やばいっす! 異界語だ!

 精神構造が上書きされてる!」松原が叫ぶ。


黒崎は一瞬のためらいもなく、手刀を振るった。

月影はその場に崩れ落ち、静寂が戻る。


だがその足元。コンクリートの床に、

黒い煤のような第三の落書きが滲み出ていた。


三つ目の供物が揃った瞬間、黄昏館の奥底が呻き声をあげた。


――ゴゴゴゴゴ……。


空気が震え、光が歪み、時空が悲鳴を上げる。



3.2 儀式の間と主催者の正体


「間に合わなかったっす! 

 三つ目の供物が捧げられた!」松原が絶叫した。


壁の文様が光を放ち、地下室全体が液体のように揺らぎ始める。


「このままじゃ飲み込まれる!」美咲が叫ぶ。


黒崎は、冷たい眼差しで周囲を見回した。

「儀式の発動源を探せ。止められるのは今しかない」


狂信的な笑い声が、背後から響いた。


「ハハハハ! 見事だ、黒崎探偵!」


オカルト研究家・水元雅人だった。

彼の目は理性を手放し、異界の光を映していた。


「この館こそ、召喚の祭壇なのだ!

 私は長年探し求めていた、『彼』の棲処を!」


杖で壁を叩く。

腐敗臭が爆ぜるように広がり、奥の壁がずれた。


開かれたその奥は、

地下の更に地下――『儀式の間』。


青黒い石で作られた空間の中央には、

血にまみれた石台と古代文字のような文様が、

びっしりと刻まれていた。


松原が、床に散らばった古びた紙束を拾い上げた。


「これ、設計図じゃないっす! 旧華族の私邸の……」


彼の目が拡大し、息を飲む。


「所長! 主催者は灰原伯爵っす!

 『深きもの』を崇めてた狂信者! この館自体が召喚装置だ!」


美咲の声が震えた。

「じゃあ、私たちは……

 儀式の中に閉じ込められてる……?」


黒崎は頷く。

「推理劇の『報酬』とは、供物になることだったんだ」


沈黙。


その間にも、水元は嗤いながら台座に近づいていく。


「報酬だとも! 知識と一体化する栄誉だ!」


黒崎は即座に彼の腕を掴む。

「それは『消滅』の別名だ、水元」


だが遅かった。

儀式の間が再び震え、蒼い閃光が走った。



3.3 神話的存在の接近


――世界が、泡立った。


石の台座の上から、青白い光が噴き出す。

それは音ではなく、思考の波。耳の奥に直接響く『存在の叫び』。


松原がうずくまり、モニターを抱えながら絶叫した。

「データが逆流してるっす! 

 『彼』が、現実を書き換えてる!」


壁の文様が、脈打つ臓器のように動き出す。

生温かい粘液が滴り、匂いが脳を侵す。


松原がうずくまり、モニターを抱えながら絶叫した。

「やめて! 『深淵の落書き』が……僕のOSを、

 自己解体させてるっす!」


美咲が震えながら呟く。

「黒崎さん……来る……『彼』が……!」


闇の奥から、影が姿を現した。

それは形を持たぬ形、色を持たぬ色。


触手のような何かが空間を撫で、

時間が水面のように波打った。


水元が狂気の声をあげた。

「ああ……ついに……古きものよ……!」


次の瞬間、影から放たれた蒼光が彼を呑み込む。

水元の肉体は、声を上げる暇もなく、

塵のように分解され、空気に溶けた。


黒崎はその光景を見ても眉一つ動かさない。


「観測者も、供物も、

 記述者も消えた……残るは俺たちだ。」


松原が震える声で問う。

「所長、どうするんすか!? 抗う手段なんて……!」


黒崎は、儀式の台座下を見つめた。

「まだだ。儀式は未完成――この『顕現』は仮のもの」


床には、半ば泥に埋もれた円形の溝。

そこに刻まれた幾何学が、他の落書きと繋がっていた。


「松原、解析を続けろ。『彼』を止めるには、

 真の言葉――『逆召喚』のキーが必要だ」


美咲の瞳が見開かれる。

「……この円は、『逆転の呪文』を刻むための場所!」


黒崎は静かに拳銃を手にした。


「最後の供物は――俺たち自身の『存在』だ」



3.4 忘却の言葉


美咲が三つの供物を再構築するように呟く。


「罪、正義、探求心……灰原伯爵は、

 人間の感情を供物として捧げた……」


松原の指が震える。

「でも、灰原蓮は違ったんす! あの落書き……

 彼は赤城への復讐を果たした後、


 自ら『観測者』として、

 この儀式を止めるために仕込んでたんす!」


黒崎の瞳に確信が宿る。

「――彼の『真の言葉』が、ここに眠っている」


松原の画面に、最後のルーンが浮かび上がる。


「出たっす! 三つの供物を否定する、四つ目の文字!

 その意味は――《忘却(アムネジア)》!」


美咲が息を呑む。

「……供物の記憶そのものを、消し去る……」


黒崎は頷き、銃口を円形の溝に向けた。


儀式を解くには、

探偵の仕事とは真逆の行為が必要だ。

観測した真実を、自ら否定する。


「美咲。俺の『忘却』を観測してくれ」


そして、引き金が引かれた。


轟音。


青白い光が爆ぜ、世界が反転する。

コンクリートの破片がルーンの溝を埋め尽くし、

光の導線を絶った。


『彼』の影が、泡のように崩れ落ち――

空間そのものが、一瞬だけ沈黙した。


――だが。


その沈黙の中に、かすかな囁きが残った。


「キミタチハ……オボエタ。

 ワタシヲ……『忘レタ』ノダナ……」


誰もいないはずの空間に、湿った声が響く。

その声は、まるで海の底から、

まだ『誰か』が這い上がってくるかのようだった。



第4話「夜明けの結末と深淵の残滓」へ続く

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