第一章第二節
光が爆ぜた直後、すべての音が一瞬だけ消えた。
耳が水の底に沈んだように、世界がぼやける。
ルカの《上級・烈火破衝》が放つ熱は、訓練場をゆらゆらと揺らし、周囲の空気すら歪ませていた。
対してアレンの六属性同時魔法は、ひたすらに“織り合わせる”ことで、かろうじてその一撃を相殺していた。
――これが、全力だ。
アレンは自分の両手が震えていることに気づく。
魔力の糸が切れかけ、同時展開していた六つの魔法陣が、まるで息絶えかけた蛍のように脈動している。
だが、その光はまだ消えていない。
「……っは……!」
アレンは息を吐きながら踏みとどまった。
土煙の向こう側でルカが目を見開いている。
信じられない――そんな顔。
「お前……マジかよ……本気で受け止めやがった……?」
周囲の見物していた少年少女たちも、口を開けたまま固まっていた。
「嘘、だろ……? ルカの上級魔法を……」
「いや、相殺はしてない……でも、まともにぶつかったのに……アレンがまだ立ってる……?」
「中級魔法で……?」
ざわめきが、ゆっくりとアレンの皮膚に触れるように広がる。
冷たいはずの視線に、わずかな温度が混じっていた。
――そんなこと、初めてだった。
◆
土煙が晴れていく。
互いの魔法が放った熱と風が、訓練場の地面に無数のひび割れを残していた。
その中央で、二人は向かい合っていた。
ルカは額の汗を拭いながら、悔しげに歯を鳴らす。
「ちっ……ふざけんなよ……お前、中級しか使えないんだろ……? なんで……」
アレンは答えられなかった。
魔力が切れ、膝が震えている。
でも――言わなければならない気がした。
「……俺は……上級魔法は使えない。それは本当だよ」
「じゃあ……何でこんな戦いができるんだよ」
ルカの声は怒りだけじゃない。
“理解できないものへの戸惑い”がそこにあった。
「俺は、魔法を“同時に使う”のが得意なんだ。
一つ一つが弱くても……重ねて、繋げて……工夫すれば……強い相手とも渡り合えるかもしれないって、思ってる」
言葉にしながら、自分自身にも言い聞かせていた。
努力が無駄じゃなかったのだと。
ルカはしばらく黙ってアレンを見つめた。
その瞳に宿っているのは、軽蔑でも嘲笑でもない。
――評価の色。
「……はっ。
そうかよ。
そういう戦い方もある……ってわけか」
ルカは肩で息をしながら、アレンに歩み寄り、ぽんと肩を叩いた。
それは仲間への労りの仕草ではなく、“認めざるを得ない”者への苦い敬意だった。
「……次は負けねぇからな。アレン」
その言葉は、アレンの胸を熱くさせた。
ルカが去っていったあと、訓練場はまだざわめきの余韻に包まれていた。
「アレンって……あんなに強かったんだ……?」
「いやいや、中級だぞ? でも……今の見たろ……」
「本気であいつ、化けるんじゃないか?」
アレンは視線を落とす。
褒められ慣れていないせいで、胸がざわつく。
手のひらが熱い。
――これが、認められるってことなのか?
よく分からない。
けれど、心の奥の火種が確かに揺れた。
◆
その夜。
村に帰り、いつものようにひとり夕食をとる。
机は古く、椅子は軋む。
父が使っていた木皿はもう欠けていた。
静かな家。
その静けさに包まれながら、アレンは今日の戦いを思い返す。
――俺は、本当に強くなれているのか?
相殺したとは言え、まだルカには敵わない。
今日の勝負も、あくまで“粘った”だけだ。
それでも、胸の奥に少しだけ温かさが残っている。
(もし父さんが生きてたら……今の俺を、褒めてくれるかな……)
そんなことを考えながら、眠りにつこうとした――その時だった。
──ドンッ!!
轟くような音が村全体に響き渡る。
何事かと窓を開けると、遠くの空が赤く染まっていた。
焦げた匂いが風に乗って運ばれてくる。
村の中央に集まる人々の叫び声が、夜を切り裂いた。
「国境の砦が……落ちた!!」
「まさか……魔王軍が……!?」
「嘘だろ……まだ大陸南部にいるはずじゃ……!」
アレンの心臓が脈打つ。
魔王軍。
人類の敵。
大陸をいくつも滅ぼし、国を飲み込む闇。
それが――
自分たちの国に向かっている。
村の中央へと走るアレンの耳に、怒号と悲鳴が入り交じった声が次々に届く。
「王都まで道が繋がってる! この村も通り道だぞ!」
「逃げる準備を……!!」
アレンは立ち止まり、夜空を見上げた。
蒼い瞳に映る赤い炎。
その光は、まるで世界が自分を試しているようだった。
(……俺は……どうすればいい?)
怖い。
震えるほどに怖い。
中級魔法しか使えない自分には、魔王軍なんて到底相手にできない。
だけど――
耳の奥で、父の声がする。
『アレン……魔法は“質”だけじゃない。使い方なんだ』
その言葉が、脆く揺れる心を支える。
(……逃げるのか? それとも……)
迷いの霧が胸で渦を巻く。
その混沌こそが、アレンの“人間らしさ”だった。
夜空が再び赤く揺らめく。
遠雷のような爆音。
村の上空を、黒い影が飛び越えていった。
その姿を見た瞬間、アレンは息を呑む。
魔王軍の偵察兵――初めて見る“本物の魔物”だった。
そして、彼の運命の歯車は静かに回り始めた。
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