第一章第二節

 光が爆ぜた直後、すべての音が一瞬だけ消えた。

 耳が水の底に沈んだように、世界がぼやける。


 ルカの《上級・烈火破衝》が放つ熱は、訓練場をゆらゆらと揺らし、周囲の空気すら歪ませていた。

 対してアレンの六属性同時魔法は、ひたすらに“織り合わせる”ことで、かろうじてその一撃を相殺していた。


 ――これが、全力だ。


 アレンは自分の両手が震えていることに気づく。

 魔力の糸が切れかけ、同時展開していた六つの魔法陣が、まるで息絶えかけた蛍のように脈動している。


 だが、その光はまだ消えていない。


「……っは……!」


 アレンは息を吐きながら踏みとどまった。

 土煙の向こう側でルカが目を見開いている。

 信じられない――そんな顔。


「お前……マジかよ……本気で受け止めやがった……?」


 周囲の見物していた少年少女たちも、口を開けたまま固まっていた。


「嘘、だろ……? ルカの上級魔法を……」


「いや、相殺はしてない……でも、まともにぶつかったのに……アレンがまだ立ってる……?」


「中級魔法で……?」


 ざわめきが、ゆっくりとアレンの皮膚に触れるように広がる。

 冷たいはずの視線に、わずかな温度が混じっていた。


 ――そんなこと、初めてだった。



 土煙が晴れていく。

 互いの魔法が放った熱と風が、訓練場の地面に無数のひび割れを残していた。

 その中央で、二人は向かい合っていた。


 ルカは額の汗を拭いながら、悔しげに歯を鳴らす。


「ちっ……ふざけんなよ……お前、中級しか使えないんだろ……? なんで……」


 アレンは答えられなかった。

 魔力が切れ、膝が震えている。

 でも――言わなければならない気がした。


「……俺は……上級魔法は使えない。それは本当だよ」


「じゃあ……何でこんな戦いができるんだよ」


 ルカの声は怒りだけじゃない。

 “理解できないものへの戸惑い”がそこにあった。


「俺は、魔法を“同時に使う”のが得意なんだ。

 一つ一つが弱くても……重ねて、繋げて……工夫すれば……強い相手とも渡り合えるかもしれないって、思ってる」


 言葉にしながら、自分自身にも言い聞かせていた。

 努力が無駄じゃなかったのだと。


 ルカはしばらく黙ってアレンを見つめた。

 その瞳に宿っているのは、軽蔑でも嘲笑でもない。


 ――評価の色。


「……はっ。

 そうかよ。

 そういう戦い方もある……ってわけか」


 ルカは肩で息をしながら、アレンに歩み寄り、ぽんと肩を叩いた。

 それは仲間への労りの仕草ではなく、“認めざるを得ない”者への苦い敬意だった。


「……次は負けねぇからな。アレン」


 その言葉は、アレンの胸を熱くさせた。

 ルカが去っていったあと、訓練場はまだざわめきの余韻に包まれていた。


「アレンって……あんなに強かったんだ……?」


「いやいや、中級だぞ? でも……今の見たろ……」


「本気であいつ、化けるんじゃないか?」


 アレンは視線を落とす。

 褒められ慣れていないせいで、胸がざわつく。

 手のひらが熱い。


 ――これが、認められるってことなのか?


 よく分からない。

 けれど、心の奥の火種が確かに揺れた。



 その夜。

 村に帰り、いつものようにひとり夕食をとる。

 机は古く、椅子は軋む。

 父が使っていた木皿はもう欠けていた。


 静かな家。

 その静けさに包まれながら、アレンは今日の戦いを思い返す。


 ――俺は、本当に強くなれているのか?


 相殺したとは言え、まだルカには敵わない。

 今日の勝負も、あくまで“粘った”だけだ。


 それでも、胸の奥に少しだけ温かさが残っている。


(もし父さんが生きてたら……今の俺を、褒めてくれるかな……)


 そんなことを考えながら、眠りにつこうとした――その時だった。


 ──ドンッ!!


 轟くような音が村全体に響き渡る。


 何事かと窓を開けると、遠くの空が赤く染まっていた。

 焦げた匂いが風に乗って運ばれてくる。


 村の中央に集まる人々の叫び声が、夜を切り裂いた。


「国境の砦が……落ちた!!」


「まさか……魔王軍が……!?」


「嘘だろ……まだ大陸南部にいるはずじゃ……!」


 アレンの心臓が脈打つ。


 魔王軍。

 人類の敵。

 大陸をいくつも滅ぼし、国を飲み込む闇。


 それが――


 自分たちの国に向かっている。


 村の中央へと走るアレンの耳に、怒号と悲鳴が入り交じった声が次々に届く。


「王都まで道が繋がってる! この村も通り道だぞ!」


「逃げる準備を……!!」


 アレンは立ち止まり、夜空を見上げた。


 蒼い瞳に映る赤い炎。

 その光は、まるで世界が自分を試しているようだった。


(……俺は……どうすればいい?)


 怖い。

 震えるほどに怖い。

 中級魔法しか使えない自分には、魔王軍なんて到底相手にできない。


 だけど――


 耳の奥で、父の声がする。


『アレン……魔法は“質”だけじゃない。使い方なんだ』


 その言葉が、脆く揺れる心を支える。


(……逃げるのか? それとも……)


 迷いの霧が胸で渦を巻く。

 その混沌こそが、アレンの“人間らしさ”だった。


 夜空が再び赤く揺らめく。

 遠雷のような爆音。


 村の上空を、黒い影が飛び越えていった。


 その姿を見た瞬間、アレンは息を呑む。


 魔王軍の偵察兵――初めて見る“本物の魔物”だった。


 そして、彼の運命の歯車は静かに回り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る