第17話 ターラル様の呼び名
「おつとめ頑張ってね」
「はいっ」
「ター君のこともよろしく頼むわよ」
「……たーくん?」
手際がよすぎるリズたちに着替えさせてもらったあと。
ジェーン様の
あれ? つまり昨日のは聞き間違いではなかったということなのかしら……?
「母上、その呼び方は──」
「?」
私たちの会話にすっと入ってきたターラル様は、声に焦りが混じっているような気がする。
冷静を装っているみたいだったけれど、私にはお見通しだ。
「あっ『ター君』ってターラル様のことだったのね。かわいい」
「昔はそう呼ばれていた、が」
そこで言葉を切ったターラル様が意味深にくるりと私の方を向いたので、私もターラル様の方に向き直れば。
突然ターラル様の指が私の
ルビーのように純粋な赤色の瞳に、いつもの何倍も着飾った私の姿が映っていた。
えっ推しをこの距離で正面から眺めていいとかここは天国ですか? もしかして今日が私の命日になってしまうんですか?
「アビー、『かわいい』とは君のような人物に使う言葉だ」
「……え?」
ターラル様が「かわいい」って言った。
聞き間違いではない、わよね? 遅れてそれが現実のものだと理解した私は、身体が一気に熱を帯びていく感覚を覚えた。反射的に口がパクパクする。
「これは演技これは演技これは──」
「私の婚約者は大聖女様なのだから、『縁起』がよいことが起こるべきだろう。でなくては、我が国は苦難の道を歩んでいたに違いない」
「そ、ソウデスネー」
あははと笑って誤魔化す。
私たちの婚約がお金のやり取りを伴う偽のものだということはリズやジェーン様にも秘密だったのよね。
ターラル様が機転の利いた言い回しで返してくれたからよかったけれど、気づかれてしまっていたら私のお給金はどうなっていたことやら。
でも仕方がないと思うの。まさか「偽の婚約者」をしているだけのターラル様から「かわいい」と言われるなんて覚悟はしていなかったのだから。
もちろん、油断していた私が悪いのだということは自覚しているつもりだけれど──。
「何を考えている」
「ひゃい!」
今度は両頬からひんやりとした棒でふにふにとつつかれた──と思ったらターラル様の指だった。
イタズラ成功とばかりに、若干口角が上がっている。
もちろん正直に自分の不注意をターラル様のせいにしようとしていました、なんて言えるわけがなく。
あまりにも気まずすぎて下を向いてしまった。
「ター君、アビーちゃんがいくら可愛いからって、あんまりいじめてはダメよ。そんなでは逃げられてしまうわよ」
「私よりも母上の方が彼女のことを気に入っていますよね?」
そうターラル様に問い詰められたジェーン様は、曖昧にほほえんだ。
というわけでジェーン様に挨拶をしてアルメー公爵家をあとにした私たちは、いつも通りターラル様の馬車に三人で乗っている。
もちろんカーテンが閉まっているので暗いのだけれど、私が光っているせいか車内はきちんと見える。
少しの間だけれど、先ほどの屋敷での一幕が気になっていたらしい私の口からは、自然と疑問がこぼれていた。
「公爵家は家族仲がよいのですね」
「普通だと思うが」
「我が家もこんなふうだったらなぁ、と羨ましいぐらいだわ」
昨夜のことを思い出したのか、ターラル様が苦笑した。
それにそもそも、私にはお兄様がいるけれど夜遅くまで帰ってこないので、家族団らんなんて時間はほとんどない。
ジェーン様は優しくしてくれているけれど、私たちの婚約はお金ありきのもの。いつかは解消されるものだ。
両親が死んでしまった今では、このような夢も叶わないのかしら。
この婚約が解消されなければ──。手放したくないという気持ちに駆られて、はたと思い出す。
ダメよ。そう、きっと領地にはこうした仲のよい家族がたくさんいるのだから。私自身がそのような家族関係を築けなくても、彼らの幸せこそが私の幸せなのよ。
推しも幸せ。領民たちも幸せ。みんなハッピー。
「アビー、どうした?」
「え! いえ、何でもありません」
「
「はい?」
「こちらの話だ」
成人の儀の時もちらりと聞こえてきた「薄幸令嬢」は
両親を亡くして以来社交に全く顔を出さなくなったし、資金繰りも大変なことになっていたのと、儚く見えるらしい容姿のせいでそう呼ばれているのだとか。
でも、今のターラル様の言い方にはどこか含みがある気がするのよね。
……などと考えている間に、無慈悲にも馬車はゆっくりになる。
外から扉を開いた御者さんが、大聖堂への到着を告げたのだった。
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