第13話 就任の日の夕暮れ

 リズがふたたび私の使用人になってくれたその日の夕方。

 無事、大聖女に就任するための儀式を終えた私たちは朝と同じようにアルメー公爵家の馬車に揺られていた。


 行きと違って、今度はリズも一緒に乗っている……のはよいのだけれど。


「昨日から気になっていたのですが」

「? 何か」

「どうして進行方向を向いて座らないのですか?」


 馬車の中は相変わらず、一番身分が高いはずのターラル様がなぜか進行方向とは逆に座っているという、不思議空間になっていた。


「私は鍛えているから無問題だ。大聖女の君に何かあったら私の責任問題になる」

「なるほど」

「お待ちください。お二人はご婚約なさっているのでは?」


 リズから痛い指摘が飛んでくる。

 でも、私たちは本当の婚約者ではないのでこのような形になっているのだ。たぶん。


 ……だなんて言ったら「お嬢様の評価に傷がつくことなど言語道断!」と言われてしまいそうなのよね。どうするべきなのかしら。


「それはそう、なのだけれどね。ところでちょっと聞いてくれない?」

「? いかがなさいましたか?」


 こういう時は話題を逸らすに限るわね。


「貴女を辞めさせてしまった後なのだけれどね──」

「──それは許せませんね」

「え?」

「こちらの話ですから、お嬢様はお気になさらず」


 そんなこんなで、リズにこれ以上追求させないために彼女が辞めてからの二年間の我が家の話をしていたら、いつの間にか彼女がご立腹していた。


 話題選びって難しいものね。

 そんな風に反省していたら、あっという間にアルメー公爵邸に到着した。




 そうして着替えを終えて夕焼けの中、子爵家への帰路についた時のことだ。


「お嬢様、本日は本当にお疲れ様でした。大聖女への就任おめでとうございます」

「ありがとうリズ。貴女も一晩中、掃除をしてくれていたのでしょう? 疲れたのではないかしら」

「いえ全く。お嬢様に再びお仕えできるという喜びに満ち溢れておりますので!」


 ふんすっと語気をつよめてそう言うリズに、思わず笑みがこぼれる。

 そんな私たちに、正面からまっすぐと飛んでくる視線。顔をそちらに向ければ、ターラル様は難しそうな顔をしていた。


「いかがなさいました? やっぱり逆方向に座るのはお辛いとかでしたら、後ほど我が家に向かう時からでも代わりますので」

「気にするな。私がやわな男に見えるか?」

「そういうわけではないんですけど、眉間みけんにシワが寄っていますし。何か思うところがある時の顔ですよそれ」


 私は自身の眉間みけんを指さして、身を乗り出すと今度は彼のそこに指をあてる。


 私の取った行動が予想外だったようで、ターラル様は少しの間目をしばたたいていた。

 昼間の仕返しの気持ちを込めてみたのだけれど、彼は気づいていないみたいだ。


 ……って、いくら何でもおさわりは厳禁なのでは⁉ と気づいたが時すでに遅し。

 家に帰ったら反省会を開くしかないわ。


 でもターラル様もされるがままで指摘してくれないし、やめ時がわからない。

 恥ずかしいけれど、ここで俯くともっと恥ずかしいことになるだけだから、頑張って平静を保つ。


 しばらくして気を取り戻したのか、彼は私の手首をさっと軽く掴んで、私の真横まで導びいた。両手がだらんと脱力する。


 そうして、ターラル様の手はひと仕事終えたと言わんばかりに、彼のもとへと帰っていった。


「そういうのは人前だけでいい」

「どういうことですかお嬢様⁉」


 ターラル様が曖昧あいまいな返事をしたから、リズがぐっと私の方に身を乗り出してきた。

 それに合わせるように、私もカーテンを背にだらりともたれかかる。


「その、ね。リズ」

「聞いたかもしれないが、俺とアビーは婚約することになった」

「えっ⁉ それはおめでとうございます!」


 リズも知っているかと思いきや、婚約者のふりをするという話は知らなかったらしい。


 これは……リズにも偽の婚約だということは決してバレてはいけないということね。

 そもそも私たちが婚約者のフリをしているだけと知られてしまったら「そんな男、捨ててしまえばいいんです!」と言いかねない。


 仮に気づかれてしまったら、我が家ではお給金も払えないのに、再会してしまったからという理由でタダ働きしようとしかねない。……頭が痛いわ。


「つまり私はアルメー公爵家で勤めていれば、いずれは貧しい婚約者のためなどという理由ではなく、何の後腐れもなくお嬢様にお仕えできるということですね」

「そういうことだ。彼女のことは頼んだぞ」

「──っ勿論でございます!」


 馬車の中にリズの歓喜に満ちた声が響く。

 長年彼女と一緒にいた私以上に、どう言いくるめれば納得するかを理解しているターラル様。


 さすが次期公爵となる方は人の扱いも慣れているのだわ、と心の底から感嘆かんたんしてしまった……のだけれど。


「それでは本日より不肖ふしょうリズ、お嬢様の御身おんみを二十四時間、三百六十五日、休むことなくお守りすると誓います」

「よく言った」

「え? まってまってまって!」


 感動のあアビー目から涙がこぼれているリズの両手をぎゅっと握りしめる。


 彼女の口から感嘆かんたんの声がもれた気がしたけれど、聞かなかったことにしましょう。

 きっと、彼女の手を包み込んでいる私の手が光っているせいよね。ええ。


 休むことなく誰かに仕えるなんて、普通の人なら決してやりたがらないはずのことなのだ。

 でも、リズにとってはそれがこの上ないご褒美らしいのよね……。


 昔「その気持ちの九割と言わずとも八割ぐらいは神様に向けるべきだと思うの」と言ったのだけれど、恍惚こうこつとした表情で「お嬢様こそ私にとっての神様です」と返された始末。


 あの時の衝撃といったら、忘れられるわけがない。

 私も推しと崇めるターラル様に面と向かってそこまで言ったりしない。負担になるだけだから。


「あっ」

「お嬢様、いかがなさいました?」


 いいことを思いついたかもしれない。


 明らかに不穏なことを言ったリズを止めるどころか、よく言ったと背中を押すターラル様のことをぎっとにらみつけて牽制けんせいする。


 いくら相手が推しとはいえ、言っていいことと悪いことがある。

 推しが道を踏み外しそうになった時は、それとなく指摘するのも私の仕事だ。


 でも彼は挑戦的な笑みを浮かべるばかりで、ちっとも反省していないみたいなのが問題よね。

 今、ターラル様の心の中はきっと「どんなことをして楽しませてくれるのだろう?」みたいな気持ちでいっぱいだと思う。


 もちろん全力でお応えする所存ではある。

 推しに認知されたからには、恩返しできることがあるならせめて楽しませるのがフェアだもの。


「リズ、貴女の気持ちは嬉しいけれど二十四時間、三百六十五日はさすがに言いすぎよ」

「お嬢様のお側にいられるのが私の幸せですから」

「これでも長らく一緒にいたのだから、貴女の気持ちは分かっているつもり。でもね、」


 そこで一度言葉を切った私は、まっすぐリズのことを見る。

 対するリズは、今にも捨てられそうな子犬のような瞳でこちらを見てくる。


 私がずっと働き続けるのを禁止したら、彼女は渋々ながら従ってくれるだろう。

 ずっと働いていたら身体を壊してしまうから。けれど、彼女の気持ちは? そう思えば、主人としてリズに伝えるべき言葉が自然と口から出ていた。


「人は働きすぎては身体を壊してしまうわ。どんなに屈強な騎士様でもそうよ。けれど、私には貴女が必要なの。だから、身体を壊してしまいそうなぐらい働いていると聞いたら、そうね。──貴女には私のお給金で上位貴族の方々が御用達ごようたしのホテルに泊まってもらうおうかしら」


 ポカンとした表情を浮かべるリズ。

 一方の原因を作ったターラル様が、相変わらず見世物小屋の動物を見ている子供みたいに楽しそうなのがちょっと理解に苦しむけれど、今はリズの説得が最優先よ。


「リズも知ってのとおり、今のカトラ子爵家にはお金はほとんどないの。だからターラル様にお金を支払ってもらっているのは知っているわ」

「ですから、いくら働いても──」

「それではターラル様が人でなしということになってしまうわ。それに私付きとなると、貴女が一日中働いていて体調を崩したら、それは監督不届きということにも他ならないのだから、主人である私も罰を受けないと」

「……それだけはおやめください! その場合、悪いのは──」

「だから、働きすぎないでほしいわ。お願いリズ」


 豆鉄砲を食らったように固まったリズはその後すぐに「お嬢様はどこまで慈悲深いのですか……!」と時々むせ返りながら感動していた。


 そんなお花畑になっている右隣とは異なり、向かい側の席から聞こえてきたのは乾いた拍手だった。


「ここまで人心掌握じんしんしょうあくに長けているとは。さすがは私の婚約者だ」

「それは──」


 無言で人差し指を押し当てられる。

 ちょっと冷静になれということかしら。儀式の最中にうっかり心の声をもらしてしまったのを見ていたら、それも仕方がないわよね。


 私たちの婚約が見せかけのものだというのは、リズも知らなかったのだ。

 たしかに、彼女の正確だと私たちの婚約が嘘のものだと知ってしまったら、ターラル様に対する怒りが収まらなくなりそうだもの。適切な判断ね。


「それは?」


 彼の指が去っていくと、再び先ほどの話の続きを促される。

 もちろん、私の言うことは決まっている。


「貴方の方が何倍も上手うわてでしょう?」

「どうだか」


 彼には私以外にも無数のファンがついているのだ。

 彼ほどまでに人心掌握じんしんしょうあくに長けているという言葉が似合う方は、この国に王家の皆さまを除いていらっしゃるのだろうか。



 カーテンの向こう側を見透かしているかのように、遠くを見つめる視線のターラル様に、感動のあまり声にならない声しか上げないリズ。

 ちぐはぐな空間は、子爵邸への到着を御者が告げるまで続いた。

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