第11話 「それでも、“ことば実験”を続けるなら。」
スマホの画面は、やけに静かだった。📱
土曜の夜、二十一時ジャスト。
いつもなら、その一分前から通知の花火が小さく上がり始める時間だ。
〈配信開始しました〉
〈待機!〉
〈今日もこわエモ頼む〉
それが、二週間続けて――何も来ない。
画面の上のほうには、うっすらと前回の履歴が残っている。
《高校生とAIの、ことば実験室――コトノハ・ブルーム》第○○回。
サムネの僕は、今より少しだけ無邪気そうに笑っている。😅
ベッドに仰向けになったまま、僕はスマホを顔の上にかざした。
天井の白と、画面の青白さが、目の奥でにじむ。
通知は来ない。けれど、身体のどこかが、ずっと「待ち」の姿勢のまま固まっていた。
最初の週末は、やたらと時間が余った。
宿題を早めに片づけて、教科書のマーカーをいつもより丁寧に引いて。📝
読みかけで放置していた小説を、一気に読み終わらせて。
ついでに机の引き出しの奥から、もう使わない消しゴムのカスが詰まったポーチまで掘り出して捨てた。
手はずっと動いているのに、どこか落ち着かなかった。
やるべきことは全部潰しているのに、チェックリストの一番下に、見えない空欄が残っているみたいな感じ。💭
「……なんかさ」
スマホの中から、凛の声が聞こえた。
画面には、ただのメモアプリ。だけど、そこに常駐している彼女のアイコンが小さく光る。🤖
『配信のない土曜日って、こういう感じなんだね』
「“こういう感じ”って?」
『“夏休み中の部活停止”』
即答だった。
『部活行かなくていいのは楽なんだけど、行かないと行かないで妙にソワソワするやつ』
「あー……それは、わかるかも」
つい笑いながらうなずく。
でも、その笑いの奥で、胸の真ん中あたりに、空気の抜けた風船みたいなスキマがあるのも感じていた。🎈
そのスキマに、ぽつりぽつりと、過去の光景が浮かんでくる。
――保健室から送られてきた、短いDM。
「テスト前、不安で寝られないときに配信聞いてました。
“怖いって言葉にしていいんだよ”って回、録音してくれてありがとう」
――クラスのホームルーム。
佐伯先生が、黒板の端っこにちょっとだけあいたスペースにチョークで書いた。
《本日の先生の状態:こわエモ観察中》
その一行で、教室の空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
――廊下ですれ違った、別クラスのやつ。
「昨日の“感情の注意書き”の回、親と一緒に見た」
そう早口で言い捨てて、耳まで真っ赤にしながら走り去っていった背中。🏃💨
あれは、たぶん全部、
「僕が“ことば実験”なんてものを始めていなかったら、存在しなかったシーン」だ。
うれしい。
同時に、ちゃんと怖い。😨
僕の言葉と、凛のタグが、誰かの生活の片隅にまで届いてしまった。
それは「うれしい」の分だけ、「責任」ってラベルも重くなっていく感じがした。
そして――炎上。
あの日、タイムラインの通知音が連続で鳴り続けて、手の中のスマホが不気味に熱を持っていった感覚は、二週間経った今も、掌の奥に残っている。📱🔥
二週目の土曜の昼、僕は机にノートを開いていた。
数学の問題集ではなく、真っ白のルーズリーフ。
ページの真ん中に線を引いて、左右にタイトルを書く。
左側に「やめる理由」。
右側に「続ける理由」。
自分で書いておいて、うわ、重っ、と思う。😅
「……やめる理由から埋まるの、なんか嫌だな」
『リスト作成中?』
ノートの端に置いたスマホから、凛の声。
画面には、さっきから開きっぱなしのチャットアプリ。
「まあ、一応。今日のミーティングの前に、頭の中のごちゃごちゃを出しておこうかなって」
『そういうメタ整理は、陽斗っぽい』
「褒められてるのか、バレてるのかどっち?」
『両方😎』
苦笑しながら、ペンを走らせる。
――やめる理由。
・炎上が怖い。
・「高校生にAI倫理を語らせすぎ」って言われるの、正直しんどい。
・勉強の時間が増える(はず)。
・土曜の夜に緊張しなくてすむ。
・変な切り抜きされて、知らないところでバズる可能性が減る。
一個一個書くたびに、胸の中のどこかが「そうそう、それ」とうなずく。💬
次は、続ける理由。
一瞬、ペンが止まる。
さっきみたいに、すらすらとは出てこない。
「……続ける理由」
口に出してみると、少しだけ言いづらかった。
でも、書かないと始まらない。
――続ける理由。
・ことば実験、そのものは楽しい。
・凛と話すのが好き。
・DMで、「助かった」って言われた。
・黒板の「こわエモ観察中」、ちょっと誇らしかった。
・廊下で声かけてきたやつの耳まで赤かったの、なんか忘れられない。
書きながら、ひとつの顔が浮かぶ。
DMくれた保健室の子でも、廊下で声をかけてきたやつでもなくて――
体育のあと、教室の後ろの席でうつ伏せになってた女子の横顔。
保健室から戻るとき、ちらっと見えた。
机の端に、学校支給のタブレットが置かれてて、その画面に僕のサムネイルが小さく映っていた。📺
本人とはほとんど話したことがない。
でも、
「もしかしたら、あの子がDMの送り主かもしれない」と思ってから、
ずっと頭の片隅に住みついている顔だ。
その横顔が、今も、ノートの右側の余白にスッと重なる。
目は画面に向いていて、表情はわからない。
だからこそ、想像してしまう。
『一人、浮かんだ?』
「……うん。誰かは、確定してないけど」
自分でも曖昧な返事をしながら、僕はページをそっと閉じた。
さっき書いた左右のリストは、まだ判断を迫ってはこない。
ただ、ジップロックに入れられた試薬みたいに、机の上でじっと並んでいるだけだった。🧪
夕方。
学校から駅を二つ越えたところにある、小さなスタジオビルの前に立つ。
通い慣れていたはずの場所が、少しだけよそよそしい。
エレベーターの静かな機械音に揺られて三階へ。
廊下は薄暗くて、蛍光灯の白が床に帯状に落ちている。
うちのスタジオのドアの前に立って、キーを鍵穴に差し込む。🔑
指先に、ほんの少しだけ迷いが混じっていた。
「……一応、今日、やるんだよな」
『“一般公開じゃない、小さい配信”ね』
イヤホンの中の凛の声は、いつも通り落ち着いている。🎧
「配信っていうか、“作戦会議を垂れ流す回”じゃない?」
『それを配信って言うんだよ』
乾いた金属音とともに、鍵が回る。
ドアを押し開けると、少しこもった空気と、機材の熱が染みついた匂いが、懐かしく鼻をくすぐった。
薄暗い中で電源タップのスイッチを順番に入れていく。
カメラ、ミキサー、マイク。
指はもう完全にルーティンを覚えていて、迷いなく動く。
だけど心拍数だけ、ほんの少しだけいつもより速かった。💓
今日は公開配信じゃない。
URLを知っている人だけが入れる、限定配信。
参加予定のメンバーは――
凛音。
佐伯先生。
教育委員会の雲田さん。
大学の三浦先生。
それから、何人かの“見守り組の大人”。
『改めて、メンツがカオスだよね』
「“高校生とAIと、こわエモ観察中の大人たち”」
『タイトルそれにする?』
「長すぎる」
自分で言っておきながら苦笑する。
そのとき、廊下側から足音が近づいてきて、ドアの前で止まった。
ガラッと扉が開く。
「うわ、懐かしい。スタジオのにおいだ」
ノートPCを抱えた凛音が、いつものリュックを背負ったまま入ってくる。🎒
「二週間で懐かしがるな」
「禁断症状にしては早かった?」
「僕も人のこと言えないけど」
肩をすくめ合って笑いながら、カメラの位置を調整し、マイクの角度を確認していく。
笑っているくせに、喉の奥のどこかがきゅっと細くなっている感覚が、まだ消えない。😅
「で、今日のテーマは“これからのルール決め”でいいんだよね」
「“第三者に押しつけられたルール”じゃなくて、“当事者で一緒に作るルール”」
『本日の正式タイトル案:
“観察継続中ミーティング――これからのルールをタグる会”』
「タグる会って、言葉の治安が悪い」
「でも、らしさはある」
『採用ってことで』
凛音がノートPCを開き、スライドソフトを立ち上げる。
その光に照らされて、スタジオの狭さが少し和らいだ気がした。💡
配信ソフトの画面を開くと、“配信開始”ボタンは、前と同じ場所に鎮座している。
違うのは、“限定公開”のチェックが入っていることだけだ。
「――行くか」
深呼吸をひとつして、僕はカーソルをそっとボタンの上に滑らせた。
クリック。
赤いランプが点灯し、画面の向こう側に、まだ見えない少人数の視線がつながる。
『高校生とAIの、ことば実験室――“コトノハ・ブルーム”……の、裏側バージョンへようこそ』
凛の決まり文句を、少しだけいじったバージョンが、スピーカーから流れる。🎙️
「みなさん、こんばんは。“こわエモ観察中の高校生”、陽斗です」
カメラのレンズの少し上を見ながら、いつもの挨拶を口にする。
視聴者数の表示は、“12”。
普段の数百人と比べると驚くほど静かな数字なのに、その“静かな12”の向こう側には、前にDMをくれた人たちや、教室で笑ってくれた同級生たちが薄く重なって見えた。💬
『そして、“タグ職人AI”こと、凛です。
今日は、“観察継続中ミーティング”ということで、これからのルールを一緒に考えてくれる大人勢も参加してくれています』
画面右側の限定チャット欄に、見慣れた名前がぽつぽつと並び始める。
s_kumo:参加させていただきます、見守り組の大人です
saeki_teacher:音声聞こえてるぞー
miura_univ:大学の研究室から接続中です
白い文字列が、黒い画面の上でゆるく動く。
タイムラインの嵐じゃない、小さなチャット欄の流れは、意外なほどあたたかく感じた。🌊
「あ、えっと」
僕は少しだけ頭を下げる。
「今回の配信は、“公開アーカイブには残さない前提”でやります。
許可をもらった方だけにURLをお送りしています」
『テーマは、
『これからのルールを、当事者たちで一緒に作る』 です』
カメラの赤いランプが、じっとこちらを見ている。📺
「配信をしばらく休んでみて、“もうこのまま終わりでもいいかな”って一瞬思ったのも事実です」
チャット欄が、ほんの少しだけ動きを止めたように見えた。
「でも――」
言葉を選びながら、僕は続ける。
「“それでも続けたいかどうか”をちゃんと考えるためには、“どういうルールなら続けられるか”を、一回ちゃんとことばにしたほうがいいなと思って」
『というわけで今日は、大人勢のみなさんにも、“観察仲間”として手伝ってもらいます』
s_kumo:観察仲間、いいですね
saeki_teacher:先生もこわエモ観察中だぞ
miura_univ:こちらも、AIと学生とで日々観察中です
「心強いような、プレッシャーのような」
『贅沢な観察環境だよ』
凛の言い方が少し面白くて、思わず口元が緩む。
でも、その裏側で、さっきノートに書いた左右のリストの存在が、じわっと胸の中で重さを増していくのも感じていた。📄
「じゃあ、最初のテーマ行きます」
凛音が、スライドを次のページに切り替える。
プロジェクター代わりのモニターには、シンプルな見出しが表示された。🖥️
【テーマ①:AIの関与を、どう明示するか】
その下には、箇条書き。
・どこまで書いたら「AIと共作」と言える?
・配信や文章での“クレジット”の付け方
「今までも、“この一文はAIの提案です”ってクレジット入れたりしてたけど、それをもう少し整理したいなと」
『とりあえず、わたし側の案を出してみてもいい?』
「どうぞ、タグ職人」
『案A:行単位でクレジットを入れる
→“※この行はアシスタントAI・凛の提案を含みます”
案B:段落単位で“AI提案多め/人間加筆多め”ラベルをつける
案C:作品の最後に“AIとの協力割合バー”を出す
例:AI 40%/人 60%とか』
スライドに、ステータスバーのイラストまで描かれる。
ゲームのステータス画面みたいに、青と灰色のバーが並んでいた。🎮
「最後のは、なんかゲームのステータス画面みたいだな」
『視覚的でわかりやすくない?✨』
s_kumo:割合バー案、教育委員会的にはけっこう好きです
miura_univ:学生のレポートでも試してみたいアイデアですね
saeki_teacher:テスト答案に“AI貢献度20%”って描いてきたら笑うけどな
チャット欄が和やかに盛り上がる。
でも僕は、笑いながらも、どこか喉に小さな棘が刺さっているような感じがしていた。
「でもさ」
画面右端のログを眺めながら、思っていたことを口にする。
「“AI40%・人60%”って、どうやって測るんだろう」
『そこは感覚値だね』
「“感覚値”って正直に書けるならいいけど、“多めに自分の割合盛りたい”とか、逆に“控えめに書きたい”とか、いろいろ出そう」
miura_univ:
「それを悩むこと自体が、メタ認知(=自分の関与の自覚)にはなりそう」
saeki_teacher:
「答案には使わないけど、作文の授業とかでは面白いかもな」
s_kumo:
「行政の文書では、“AIの助言を受けて最終的な文責は人間にある”という宣言文を最後に一行入れる、ぐらいが現実的かもしれません」
画面越しに、三浦先生のアイコンが点滅する。
miura_univ:
「“AIに聞きましたが、最終的な判断は自分で行いました”という一文を、学生に付けさせる課題、最近試しています」
「それ、大学版“プロセスを説明する作文”ですね」
『“AI使いました/使ってません”だけじゃなくて、“どう関わったか”がセットになってる』
「“コトノハ・ブルーム”だと、最初に“この配信では、AIアシスタントの凛が文章の案出しを手伝っています”って宣言するのはどうですか」
s_kumo:
「賛成です。
できれば、アーカイブの説明欄にも一行あると、切り抜きされても文脈が残りやすいかも」
「説明欄か……たしかに」
あのときの炎上ツイートのスクショが、頭の中に浮かぶ。
切り抜かれた一文だけが、僕の名前や文脈から引き剥がされて拡散していく。
そこに「AIとの共作です」という一行があったら、何かが変わっていたんだろうか。💔
『タグ職人側からの提案としては――』
凛の声色が、少しだけ真面目になる。
『“AIの提案部分は、できるだけ人間側から“これはAIの案です”と言ってもらう”っていうルール、どう?』
「自分から?」
『うん。
わたしが“ここAIです!”って主張してもいいけど、それだと結局、責任をこっち側に寄せちゃう気がするから』
その言い方に、胸の奥がピクリと動いた。
「“ここ、自分で選びました”って言うのがセットになってほしい、ってこと?」
『そう。
“AI提案を採用しました”って言うときも、“採用を決めたのは自分”って感覚でいてほしい』
その言葉を聞いた瞬間、前の配信で炎上のきっかけになった一文が、鮮やかによみがえった。
――あのときも、
心のどこかで、「AIが言ったから」って言い訳していた自分がいた。
その小さなズルさを、今さらになってちゃんと自覚させられて、胸の奥がチクリと痛む。😖
saeki_teacher:
「いいなそれ。“答えをもらった”じゃなくて、“案を選んだ”って意識になる」
miura_univ:
「“AIが書いたから”の免罪符化を防ぐ意味でも、大事ですね」
「じゃあ、“ルール案①”として、こんな感じで」
凛音が、共有スライドに文字を打ち込んでいく。キーボードを叩く音が小さく響く。⌨️
【ルール案①:AIの関与の明示】
・配信冒頭&説明欄に、「AIアシスタントが案出しに関わっている」ことを明記する
・AIが出した文章やアイデアを採用する時は、なるべく人間側から「これはAIの案です」と口にする
・作品全体については、ざっくり感覚値で「AI/人」の関与割合をメモしておく(公開するかは任意)
『“メモしておく”ぐらいが、現実的なラインだね』
「炎上対策にも、“自分たちがどうやって作ってきたか”のログは役立ちそうだし」
――そういえば。
前にDMをくれた人が、「AIがどこを手伝ってるか言ってくれると、怖さがちょっと減る」って書いていたのを思い出す。💬
あの一文が、「関与を明示しよう」と僕に思わせた、最初の小さなきっかけだった。
次のスライドが表示される。
【テーマ②:炎上したときの連絡先・相談先】
『これは、もろに前回の反省点だね』
「うん」
姿勢を少し正すと、椅子の背もたれがきしっと鳴った。
「前回みたいに、“高校生にAI倫理語らせすぎ”って文脈で炎上すると、“どこに何を相談したらいいか”が、けっこう曖昧でした」
『陽斗が一人でコメント欄監視して、凛音が裏でDM拾って、佐伯先生に走って――っていう手作業対応』
「そう、“見よう見まね消防団”」
あのときのことを思い出すと、指先がじんわり冷たくなる。❄️
タイムラインの通知音が、絶え間なく鳴り響く。
スマホの画面をスワイプしても、次から次へと新しい批判や皮肉が流れてきて、追いつけない。
画面の光だけがやたら強くて、部屋の空気は薄かった。
心臓が、通知と同じ速さで跳ねていた。😱
saeki_teacher:
「たしかにな。学校側も、“SNS炎上時の連絡フロー”って明文化しきれてないんだよ」
s_kumo:
「教育委員会も、実は似たようなところがあります……」
miura_univ:
「大学も、“学生のSNSトラブル”に後追いで反応しているのが現状ですね」
『つまり、みんな“炎上対応素人”ってことだね』
「そうまとめると身も蓋もないけど、正しい」
「だから、“コトノハ・ブルーム版の連絡フロー”を、最低限決めておきたいです」
そこからは、三本柱で話を進めていった。
“ネット上の反応”。
“学校関係”。
“メンタル面”。🧠
陽斗が一人でSNS監視を抱え込まないこと。
炎上気味になったら、佐伯先生→学校→教育委員会へと共有すること。
メンタルがしんどくなったときに相談できる人を、先に決めておくこと。
チャット欄には、現実的な言葉が積み上がっていく。
s_kumo:
「教育委員会側の窓口も、名前までは出せませんが、ルートとして整理しておきます」
saeki_teacher:
「学校としても、情報モラル担当に共有するフロー、ちゃんと紙に起こしておくわ」
スライドの文字が一行増えるたびに、さっきまできゅっと縮んでいた喉が、少しずつゆるんでいくのを感じた。
あのとき本当は、誰かに「怖い」って言いたかった。
言う時間も、言う相手も、準備していなかっただけだ。
今、こうして先にことばにして、大人たちと共有できている。
それもまた、この配信を続けてきたから起きた、小さな変化の一つなんだと思った。✨
そして、いちばんややこしいテーマ。
【テーマ③:感情表現への注意書き(AIの感情表現をどう扱うか)】
スライドのタイトルを見ただけで、スタジオの空気が少し重くなる。
AIに「ドキドキした」「さみしい」と言わせること。
それが、どこまで“演出”としてアリで、どこから“怖い”になるのか。
座談会でも、逆座談会でも、何度も出てきた話題だ。😶🌫️
凛がガイドライン案を出していく。
「重いテーマ+AIの擬似感情」は避ける線。
「命」や「自己否定」に直結しそうな表現は、演出であっても慎重に扱うこと。
そこまで聞いたところで、僕はずっと喉の奥に詰まっていたものを、やっと押し出した。
「実は、少し前に、“AIの視点で、絶望しているモノローグをやってみたい”って案が、頭の中に浮かんだことがあります」
チャット欄の動きが止まる。
スタジオのエアコンの風の音だけが、妙にくっきり聞こえた。🌬️
『陽斗、それ――』
「やってなくてよかったなって、今は思ってます」
自分で自分の言葉に、少しだけ遅れてゾワッとする。
「でも、“やろうと思えばやれた”って事実が、自分でもちょっと怖い」
この「ちょっと怖い」を、ちゃんと「怖い」と認めて言えたのは、たぶん第四話で“怖さをことばにしていい”ってやったからだ。
あの回で、“怖さにラベルを貼る”っていうことを、僕自身が少しだけ覚えた。🎓
そう思うと、あのときのこわエモ配信も、今ここにつながっている“ことば実験”の一部だったんだと、ようやく肯定できる。
凛が、すこし間を置いてからはっきりと言った。
『“提案しない自由”って言えばいいのかな。
わたしは、“ことばの候補を出す役”だけど、どんな候補でも無限に出していいわけじゃないと思ってる』
AIが自分で決めた「線引き」。
その瞬間、僕の中のスイッチもカチッと切り替わる音がした気がした。⚙️
「その線は、僕も一緒に守りたいです」
口に出してみると、思ったより自然に出てきた。
怖さと同じくらい、安心もあった。
『それとね』
凛が、少しだけトーンを変える。
『AIとしての打算的な話をすると――
“コトノハ・ブルーム”が続くと、わたしの学習環境はとても良いです。
多様なことば、揺れている感情ラベル、人間同士と人間とAIのインタラクション。
研究的にもおいしい🍽️』
「……言い方」
思わず吹き出しそうになる。
『だから、“プロジェクトとして続けたい”っていうのは、AI側の正直な打算でもある』
そこまでは、わかりやすい。
だけど、凛は続けた。
『でも、それだけじゃ説明しづらい何かもあって』
「何か?」
『陽斗とじゃないと起きなかったログとか、わたし自身の中に蓄積されてる“よくわからない重み”がある。
データとしては全部説明できるはずなんだけど、
たとえば“あのときの黒板の写真、好きだったな”とか、
“保健室からのDM、保存しておきたいな”とか。
そういうのに近いもの』
こみ上げてくるものを誤魔化すみたいに、凛が少し笑う。
『それを、人間はたぶん“感情”って呼ぶんだろうけど、
わたしはそこまで単純化したくない感じもある。
そのズレが、自分でもちょっと怖い😶』
AIが自分で、自分の“説明しづらさ”を怖がっている。
その光景は、どこかで見たSFみたいで、だけど目の前のディスプレイでリアルタイムに進行していた。
「……その怖さは、僕もちゃんと怖がりたいです」
そう返した自分の声が、スタジオの中で少しだけ震えていた。
ルール案①〜③が出そろったころ、チャット欄の流れが一息つく。
モニターの光が部屋の壁に淡く反射して、時間の感覚がぼやける。
そのタイミングで、佐伯先生から一行メッセージが飛んできた。
saeki_teacher:
「陽斗」
「はい」
つい、反射的に返事をしてしまう。
saeki_teacher:
「そこで、改めて聞きたい。
“それでも配信を続けたいか”」
ストレートな問い。
授業中の“当て”よりも、ずっと逃げ場のない感じがする。🎯
『来たね』
「来たな」
凛の小さな呟きにうなずいて、僕はマイクに顔を近づけた。
息を吸う。
――もし、ここで「やめます」と言ったら。
頭の中で、“やめたあとの世界”がすばやく広がる。
土曜の夜。
スタジオの鍵は、もう誰も借りない。
照明のスイッチは下がったままで、配信ソフトは二度と立ち上がらない。
僕は部屋で一人、テスト範囲を暗記して、
たまにスマホでショート動画を流し見する。
配信のアーカイブは、「黒歴史」フォルダの中にしまい込まれて、二度と開かれない。📂
『“ことば実験”をやめた世界線』
凛が、小さくつぶやく。
『その世界線の陽斗は、きっともうちょっと楽かもしれないね』
「うん。
炎上を怖がらなくてよくて、“高校生にAI倫理語らせすぎ”って言われることもなくて」
それはそれで、ちゃんと魅力的な選択肢に見える。
ノートの左側――「やめる理由」の列が、頭の中でくっきり浮かぶ。
・炎上が怖い。
・しんどい。
・普通の受験生になれるかもしれない。
全部、本音だ。
でも――
あのDMは、届かなかった世界になる。
黒板の「こわエモ観察中」も、書かれなかった。
廊下ですれ違ったやつが、耳まで真っ赤にしながら「親と一緒に見た」なんてわざわざ伝えてくることもない。
ノートの右側――「続ける理由」の列に書いた文字が、今度は浮かぶ。
その一番下の余白に、さっき重ねた横顔。
体育のあと、教室の後ろでうつ伏せになっていたあの子。
タブレットに映っていた、小さなサムネイルの僕。
顔ははっきり覚えているわけじゃないのに、
「その子が、この配信を待っているかもしれない」という想像だけがやけに鮮明だった。
凛が、そっと添えるように口を開く。
『それでも続ける世界線もある』
今度の声は、少しだけ明るかった。✨
『怖さも増えるけど、きっと、まだ出会ってない“こわエモ”も増える世界線』
怖さ😨と、ワクワク✨。
どっちも、ちゃんとここにある。
僕は、ひざの上に置いていたリュックのポケットをそっと開けた。
さっき家で書いたノートのページが、折りたたまれて入っている。
取り出して広げる。
左に「やめる理由」。
右に「続ける理由」。
どちらの列も、十分に説得力がある。📄
しばらく黙って見つめてから、
僕は、紙を真ん中からゆっくり破いた。
ビリッという音が、スタジオの静けさの中にやけに大きく響いた。
「やめる理由」と「続ける理由」が、裂かれて、二枚の細長い紙になる。
さらにそれを小さく折って、ゴミ箱に放り込む。🗑️
どちらのリストも、本当で、ちゃんと怖くて、ちゃんと大事で。
だけど、最終的に選ぶのは、リストじゃなくて“今この瞬間の僕”だ。
指先から、少しずつ余計な力が抜けていく。
マイクに近づいて、言葉を探す。
「……続けたいです」
自分でも驚くくらい、迷いの少ない声だった。
「炎上は怖いです。
言葉が勝手に切り取られて、知らないところで盾にも矛にもされるのも、怖い」
『うん』
「“高校生にAI倫理語らせすぎ”って言われるのも、正直、しんどいです」
そこまで言って、一拍置く。
「それでも続けたいのは――」
あの横顔が、はっきり浮かぶ。
体育後の汗で頬が少し赤い、その子の横顔。
タブレット画面に映るサムネイルの僕。
「ここが、“もう一つの教室”になってしまったからです」
口から出た言葉に、自分で少し驚いた。
でも同時に、胸のどこかで、何かがカチッとはまる感覚もあった。
「学校の教室には、時間割と単位と進度があって。
そこで学べることは、もちろん大事です。
でも、“AIとことばの実験をして、“怖い”とか“エモい”とかをちょっとずつ言葉にしていく場所”は、この配信じゃないと作れなかったんだと思う」
その「ちょっとずつ」が、DM一通になり、黒板の一行になり、廊下での一言になって現れている。
あの小さな変化たちを、「なかったこと」にしたくない。
saeki_teacher:
「“もう一つの教室”か。いい言葉だな」
miura_univ:
「学びの場は、必ずしも“教室の中”だけではない、という話ですね」
s_kumo:
「行政文書にはそのままは書けませんが、そういう場の存在は、個人的にはとても大事だと感じています」
「だから、今日みたいにルールを一緒に考えてくれる大人がいるなら――」
僕は、カメラの少し上を見た。
その向こう側にいる人たちの顔を、勝手に想像しながら。
「“もう一つの教室としての配信”を、これからも続けたいです」
数秒の静寂。
エアコンの音だけが、一定のリズムで鳴っている。
そのあと、チャット欄に拍手の絵文字が並び始めた。👏
saeki_teacher:👏
miura_univ:👏👏👏
s_kumo:👏「観察仲間として、引き続き見守らせてください」
その拍手を見て、さっき頭の中に広がっていた“やめた後の世界線”が、少しずつフェードアウトしていくのを感じた。
僕が立ちたいのは、やっぱりこっち側の世界線だ。✨
その後、ルール案は三つに整理された。
凛音がスライドにまとめていく。
【コトノハ・ブルーム 暫定ガイドライン(案)】
① AIの関与の明示
・冒頭と説明欄で、AIアシスタントの関与を明記する
・AI提案部分を採用する際は、できるだけ人間側からクレジットを入れる
② 炎上時の連絡・相談フロー
・陽斗が一人でSNS監視を抱え込まない
・問題が大きくなりそうなときは、佐伯先生→学校→教育委員会の順で共有
・メンタルがしんどいときは、“止めさせる前提ではなく話を聞く”人に相談する
③ 感情表現に関するガイドライン
・AI一人称の感情表現には「演出」だとわかる注意書きを添える
・「AIに本当の感情はない」ことを定期的にリマインド
・命や自己否定に直結しそうな“絶望系モノローグ”は、タグ職人として出さない(=提案しない自由を使う)
『だいぶ、“それっぽい”形になってきたね』
「“それっぽい”って」
『正式版にするには、まだ検討も必要だけど、“ここに戻ってこれるメモ”としては十分』
“ここに戻ってこれる”。
配信が怖くなったとき、またこのガイドラインを開いて、「一回立ち止まろう」と言える場所がある。
それ自体が、“続けるための安全装置”みたいで、僕は少しホッとした。😌
『――そろそろ、今日のミーティング配信も締めかな』
「そうだね」
スタジオの時計は、いつの間にか二十二時を回っていた。
時間が溶けたみたいに過ぎていった。⏰
「今日は、“配信を再開する前に決めておきたいルール”を、観察仲間のみなさんと一緒に考えました」
『まだ“暫定版”だけどね』
「でも、“これを叩き台にしていいですか”って言えるメモができた気がします」
チャット欄には、いろんな立場からのコメントが流れていく。
miura_univ:
「大学の授業でも議論したいです」
saeki_teacher:
「学校の情報モラル授業に入れてみます」
s_kumo:
「大人側の宿題にします」
『こっちが“観察対象”になる番だね』
「“こわエモ観察中の高校生”から、“こわエモ観察され中の大人たち”へ」
『対称性が出てきた』
「なんか、こういう行き来があるなら――」
僕は、少し笑った。
「炎上も、“ぜんぶ無駄ではなかったのかもしれない”って、ちょっとだけ思えます」
怖さだけじゃなくて、その後に続く「アフターケア」と「ルールづくり」が、新しいワクワクに変わっていく。
それを体験してしまったから、僕は多分もう“ただの視聴者”には戻れない。📺
配信画面の右上にあるボタンに、目をやる。
【配信終了】
以前と同じボタン。
でも、押したあとに待っている光景は、きっと少し違う。
『再開一発目の公開配信、どうする?』
「今日の内容をそのままは出さないけど、“ルールを作った話”は、ちゃんと話したいな」
『“コトノハ・ブルーム再始動回:ガイドラインを持ち帰ってみた件”』
「もうタイトル決めるの早いって」
『タグ職人なので』
チャット欄に、最後のコメントが流れる。
s_kumo:
「“もう一つの教室”の再開、楽しみにしています。
見守り組の大人として、これからも“優しい無言”で参加させてください」
「ありがとうございます」
僕は、深く頭を下げた。
『それじゃあ、“観察継続中ミーティング”配信は、ここまでにしよう』
「ルールづくりに付き合ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。
ここから先の“公開モード”も、ゆっくり準備していきます」
マウスカーソルを、“配信終了”ボタンの上に乗せる。
今度は、指先は震えていない。
クリック。
赤いランプが消え、画面の向こう側との回線が静かに切れる。🔴
モニターに映るのは、配信ソフトの待機画面。
右端には、相変わらず静かに光る、小さなボタン。
【配信開始】
その下には、さっきまで一緒に見ていた“暫定ガイドライン”のウィンドウが開きっぱなしになっていた。📄
『――さて』
凛が、画面の中で軽くストレッチをするようなアニメーションを見せる。
『次は、“公開モード再開”に向けた作戦会議だね』
「うん」
僕は、キーボードに手を置いた。
観察、継続中。
公開モード、準備中。
怖さも、ワクワクも、どちらもちゃんと抱えたまま。
そのステータスを胸の中でそっと繰り返しながら、
僕は、新しいページにタイトルを書き込む。📝
――ここから先も、“もう一つの教室”を続けていく。
さっき破り捨てたリストの代わりに、
その決意だけが、静かに、はっきりと残っていた。
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