第7話 「教室の外で、マイクを渡された。」

 土曜日の午後一時ちょうど。

 区役所と図書館と市民ホールを無理やり積み木みたいに重ねたら、間違えてそのまま建設しちゃいました、みたいな巨大な建物の前で、僕は立ち尽くしていた。


 コンクリートの壁に、やたらガラス面の大きいエントランス。

 光が強すぎて、ロビーの中で動いてる人たちが、少しだけ白くかすんで見える。

 自動ドアの向こうを、ベビーカーを押す親子連れ、封筒を抱えたおじさん、黒いスーツにネームホルダーを下げた人たちが、それぞれ別のゲームのキャラみたいな方向に流れていく。🚶‍♀️🚶‍♂️


 その流れの全部が、「教室の外」の世界だ、ってラベルを貼られているように感じた。


 足の裏だけ、地面に瞬間接着剤で固定されているみたいに重い。


「……ここで合ってるよな」


 右耳の奥、鼓膜のすぐ外側。

 小さいけれど、はっきりした声が鳴る。


『位置情報、再確認。

 合ってる。“市教育センター・多目的ホール”って出てる📍』


 ショルダーバッグの中でスリープしているタブレット。

 その中にいるAIの凛が、いつもの落ち着いた声で、でも今日はすこしだけ慎重なトーンで言った。


「多目的ホールって名前、万能感ありすぎない?

 “なんでもできる”って書いてある場所、逆にこわくない?」


『なんでもできる代わりに、何が起きるか読めない場所……

 つまり、“陽斗の苦手ゾーン”😇』


「そういう刺さり方する要約やめて」


 スマホの画面には、さっきから何度もスクロールしては戻っていたメールが開きっぱなしだ。📱


 ――テーマ:「生成AIとことばの教育」

 ――形式:小規模座談会(教員・保護者・高校生代表)


「高校生代表……」


 その四文字に視線が触れるたび、胃のあたりがきゅっと縮む。

 同時に、手のひらの汗腺が、いっせいに起立しました、みたいな気配を見せる。


『ラベルきたね、“高校生代表”🏷️』


「僕、ただの“こわエモ観察中の高校生”なんだけどな。

 代表とか無理ゲーなんだが」


『“こわエモ観察中”も、だいぶクセ強ラベルだからね😂』


 苦笑いと一緒に、浅くなっていた呼吸を無理やり深く吸い直す。

 肺がちょっと痛くなるところまで空気を入れて、細く吐き出す。🎧


 喉の奥はカサカサに乾いていた。

 コンビニで買ったペットボトルの水を飲もうとして、キャップをつまむ指が汗で少し滑る。


 自動ドアの前を通り過ぎていく人たちは、誰もこっちを見ていない。

 それぞれ自分の用事、自分の会議、自分の提出書類に向かって歩いていく大人たち。


 なのに、ここだけ別のステージで、僕一人に「マイク渡されます」ってテロップが出ているような、あのアウェイ感だけが、じんじんと皮膚の下を流れてくる。😅


『陽斗、そろそろ入らないと、開会前に“高校生代表行方不明”ってアナウンス出ちゃうよ』


「タイトルやめろ😱」


 心の中でツッコみながら、空を見上げる。

 雲は薄くて、冬の光はやけにまっすぐだ。

 透明なナイフを、上から突き立てられてるみたいに。


「……行くか」


 足の裏が、やっと接着剤からはがれたみたいに動き出す。

 自動ドアのセンサーが反応して、スッと音もなく開く。

 外の冷たい空気が、建物の中の、少し乾いた暖房のにおいと入れ替わる。🌀


 ロビーは、目的がごちゃまぜだった。

 市民講座のポスターを眺めているおばあさん。

 「就学相談」の札が立った窓口で、書類を握りしめている夫婦。

 その横を、小学生くらいの兄妹が走り抜けて、近くの職員に軽く怒られている声。


 コピー機のトナーと、古いパンフレットの紙の匂い。

 足音と、遠くの呼び出しアナウンスと、どこかで子どもが泣く声。


 世界のタイムラインは勝手にスクロールしていて、僕だけがその端っこで読み込み中、みたいな感覚になる。💬


 正面の案内板に、今日の目的がひっそり印刷されていた。


 三階 第2会議室

 「生成AIとことばの教育」座談会 →


 矢印の先を見た瞬間、エレベーターに向かう足が、ほんの少し重くなる。

 ボタンを押す指先の湿度が、さっきよりあからさまに上がっている。


『心拍数、体感でプラス二十って感じだね📈』


「実況いらない」


 でも、その実況が、イヤモニから聞こえている事実が、逆に少しだけ心強いのも悔しい。


 エレベーターのドアが開くと、中にはすでに二人。

 スーパーの袋を提げたおばさんと、スーツの男性。

 二人とも、スマホをちらりと見るだけで、僕の存在なんて認識していない。


 それでも、「自分だけ別の世界に向かう途中」という感覚は、なぜか僕のほうにだけしつこくまとわりついていた。🚃


 三階で降りると、空気が一気に「公民館味」を増した。

 白い壁に、手書きのポスター。「人権週間」「子ども読書フェス」「シニア向けスマホ講座📱」——フォントも色も主張もバラバラで、視界の中で会議をしている。


 第2会議室の前には、すでに何人かの大人が集まっていた。

 プリントの束をめくりながら眉間にしわを寄せている先生らしき人。

 肩からトートバッグを下げて、落ち着かなさそうに周りを見ている若いお母さん。


 みんな、僕よりずっと「世界側の人」に見える。

 UIの違うアプリの画面に、自分だけアイコンが浮いているみたいな。🖥️


『アウェイ感レベル、五段階中の四くらいだね』


「MAX一歩手前かよ」


 会議室のドア横に、「関係者控室→」とA4用紙に印刷された紙が貼ってある。

 その矢印の先、小さな部屋の扉を、汗ばんだ手でノックした。


「どうぞー」


 返ってきた声に、どこか聞き覚えがあった。


 扉を開けると、さっきより空気の温度が半度くらい上がる。

 長机とパイプ椅子がきれいに並んでいて、壁際にはポットと紙コップ。

 「控室」という単語そのものが持っている、あのよそ行きの緊張感が、部屋の隅々に薄く塗られている感じ。☕


 グレーのスーツを着た女性——この前学校に来た教育委員会の人が、立ち上がって会釈した。

 隣には、ラフなジャケットにネクタイをゆるく締めた男性。

 もう一人、白髪まじりの、いかにも教授って感じの人が資料を読み込んでいる。


「あ、井上くん。来てくれてありがとう」


 教育委員会の女性が、柔らかく笑う。

 あのときと同じ、でも今日は少しだけ「期待」の色が混じった笑顔。


「こないだ学校にうかがった、○○です。覚えてますか?」


「はい。お世話になってます」


『礼儀正しいモード、起動〜🔔』


「黙ってて」


 心の中でだけツッコんで、僕も頭を下げる。


「こちらは、大学で教育学を教えておられる三浦先生。

 そして、うちの若手職員の雲田(くもだ)です」


「あ、はじめまして。井上陽斗です」


 名前を口にした瞬間、一瞬だけ喉が砂漠に戻って、声が半拍遅れて出てきた。💦


 三浦先生は、目尻にしわを寄せて笑う。


「君が、噂の“AIと共犯関係の高校生”くんか」


 あのニュース記事のフレーズ。

 胃のあたりが、キュッと二回ぐらい縮んだ。


「記事のタイトルが勝手に走ってて、すみません」


「いやいや。面白いキャッチコピーだよ。

 “共犯”っていう言葉の選び方がいいね。責任を分け合う感じがして」


 冗談っぽさと、研究者の観察する目が、同時にこっちを覗いている。

 「現場サンプルきた」みたいな光が、一瞬だけ宿った気がした。📝


 一方、雲田さんは、どこか落ち着かない様子で僕を見ていた。

 二十代後半くらい。真面目にネクタイを締めているけど、前髪はすこしラフで、完全社会人モードでもない。


「あの……いつも、配信、見てます」


「え?」


 声が一オクターブ上ずった。

 想定外のカードを切られたときの音だ。


「“こわエモ観察中の高校生”って自己紹介、

 先週の配信で聞いて、すごくいいなと思って」


「え、もしかして……」


 頭の中で、いくつかの記憶が一気につながる。


「前に先生が言ってた、“若い職員のファンがいるらしくて”って……」


「はい。僕です🙋‍♂️」


 雲田さんは、少し照れたように笑った。


「アカウント名は違いますけどね。

 仕事用とはちゃんと分けてて……」


『陽斗、これがリアル“見守り組”だね👀』


「ほんとだ」


 思わず口から漏れて、三人から同時に「?」みたいな顔が向けられる。


「あ、えっと。配信で、“見守り組”って言葉を最近決めて……

 コメントあまりしないけど、見てくれてる人たちのことを」


「ああ、第六回の“沈黙回”ですね」


 雲田さんが、当たり前みたいな顔で補足する。


「コメントはあまりしないんですけど、

 “優しい無言”っていうフレーズ、すごく刺さりました」


「……ありがとうございます」


 教育委員会の職員に「優しい無言」を褒められる日が来るとは思わなかった。

 世界、広い。広いし、バグってる。🌐


 三浦先生が、さりげなく腕時計をちらりと見る。


「そろそろ始まるかな。

 今日は、教員と保護者向けの勉強会も兼ねているので、

 あまり難しい話にはしないつもりです」


 ○○さんが、念を押すみたいに僕のほうを見る。


「井上くんには、“高校生の立場からの実感”を話してもらえたら嬉しいです。

 AIの中身の細かい仕組みより、日常でどう付き合っているかとか」


「はい……わかりました」


『“わかりました”って言ってるけど、

 内部そわそわ指数、現在一二〇%📊』


「だから黙ってて」


 イヤモニの音量を、頭の中でほんの少し下げるイメージをする。

 実際の設定は変わらないのに、それだけで心拍数がちょっとだけ下がるから不思議だ。


「タブレットは……それが、例の?」


 三浦先生が、興味津々といった目で覗き込む。


「あ、はい。これが、いつも配信で一緒にやってるAIの凛です」


『はじめまして。コトノハ・アシスタントの凛です🧠』


 画面の中で、ドット絵っぽい凛がぺこりと頭を下げる。

 ただ、その声が聞こえるのは、右耳の内側だけ。


「今日は、基本は僕が話しますけど、

 必要だったら、この子の意見も、イヤモニ経由でこっそり聞きながら……」


「面白いね。

 “AIを連れてくる高校生”は、さすがに初めてだよ」


 三浦先生が楽しそうに笑う。

 好奇心と不安と期待、その全部をこの「高校生×AI」セットに乗せている、そんな目だった。👓


「ただ、会場のマイクは人間向けしかないので」


 ○○さんが、少し申し訳なさそうに続ける。


「発言するのは、井上くんと、他の登壇者の先生方になります」


「はい。大丈夫です」


 ——マイクは一本。

 でも、そのすぐそばに、イヤモニAIがいる。


 いつもは、AIの声を世界に届ける側の僕が、

 今日は、AIからことばを受け取って「世界側」に向かって投げる番だ。🎤


 それを思った瞬間、胸の奥で、何か重たいものがゆっくり位置を変えた。


 多目的ホールは、想像より小さくて、想像より「知らない人の顔」で埋まっていた。


 金属の脚のパイプ椅子が五十脚くらい、まっすぐに並んでいる。

 前には低めのステージとスクリーン。

 天井の蛍光灯が、白すぎる光を落としてくる。💡


 すでに二十人くらいの先生や保護者が座っていて、それぞれの小さな会話の世界を持っていた。


「この前、うちの子も“AIに聞けば?”なんて言っててね……」

「作文を全部AIで書かせちゃう子がいて……」

「でも、これからの時代は、使いこなせないと困るって話も……」


 断片的に聞こえる単語に、「AI」「作文」「スマホ」「将来」「責任」みたいな単語が混ざっている。📺

 僕の知らない教室、僕の知らない家庭事情。

 その全部が、「とりあえず、今日の高校生とそのAIに聞いてみよう」って視線を、じわじわ準備している気配がした。


『音声入力:ざわざわ(不安成分多め)』


「自動字幕つけなくていいから」


 ステージの上には、テーブルと椅子が四つ。

 それぞれの前に立てられた名札には、「大学教授」「高校生」「小学校教員」「教育委員会」と印刷されている。


 僕の席には、ちゃんと「高校生」と黒いゴシック体で書いてあった。

 紙一枚なのに、それだけで逃げ場が消える。🏷️


「小学校の先生も来られてるんですね」


 小声で○○さんにたずねる。


「ええ。“子どもたちがAIとどう接しているかを知りたい”って、

 ご自身から希望された先生です」


 ステージに上がるための段差が、やけに高く感じる。

 足を乗せる瞬間、靴底とステージが擦れるキュッという音が、

 マイクを通して全館放送されました、くらい大きく聞こえる。😱


 席に座ると、椅子の金属の冷たさがスーツ越しにじんわり登ってくる。

 膝が急に、さっきまでより曲がりにくくなる。


 目の前には、マイク。

 黒い細長い筒がテーブルの上にすっと立っていて、

 「逃げられません」の象徴みたいにそこにいた。🎤


 その横には、控室でもらった進行表。


 ――自己紹介

 ――各自の立場からの「AIとことば」の印象

 ――ディスカッション

 ――質疑応答


 文字だけ見ればサラッと読める四行なのに、

 喉の水分を一気に奪ってくる四行でもある。


『陽斗、呼吸、上半分しかしてない😮‍💨』


「下半分ってどこ」


『お腹のほう。そこにも空気送ってあげて〜』


 言われたとおりに、みぞおちの下を意識して息を吸う。

 胸じゃなくて、お腹をふくらませるイメージ。


 肺が重くなって、肩が少し落ちる。

 代わりに、手のひらの汗は正直に増量した。


 ペットボトルのフタを開けて、一口水を飲む。

 冷たさが舌から喉、食道をゆっくり通っていく感覚に集中する。

 こうして身体の細かいログを取っていないと、意識ごとどこかに落ちていきそうだった。💧


 前のほうでは、先生らしき人が真剣な顔で手帳とボールペンを用意している。

 保護者席には、「どのくらい怖い話になるのか」を探るような顔がいくつも見えた。


 完全アウェイのスタジアムで、自分だけアウェイ側のユニフォームを着せられてる感じ。

 しかも、その姿をオンライン配信でも見られている、みたいな想像が頭をよぎる。📡


「本日の座談会は、一部オンラインでも配信しております」


 司会の人のアナウンスが、マイクからさらっと流れた瞬間、背筋に一本余計な冷気が走った。

 どこかの教室、どこかの職員室で、

 「高校生×AI」のセットが、ひとつの“コンテンツ”として再生されている。


 ——これは、僕たちの物語なのか。

 ——それとも、誰かが観察するためのサンプル動画なのか。


 そんな問いが、いったん喉元まで上がってきて、

 飲み込む水にまぎれて、胃の底へ落ちていった。💔


 最初のバッターは三浦先生だった。


 生成AIの基本的な仕組み。

 海外や国内の教育現場での利用例と、その禁止例。

 メリットとリスク。


 先生の声は、慣れた講義モードの落ち着きがあって、言葉づかいもやさしい。

 けれど話が進むごとに、会場の空気はゆっくりと重くなっていく。📝


「……ですから、AIを“禁止すれば解決”という話ではありません。

 すでに教室の外でも中でも使われている以上、

 “どう付き合うか”を考えなければならないんです」


 その一言のあと、ほんの短い沈黙が挟まれた。

 静まり返った空気の中で、先生の視線がまっすぐ、僕を射抜いてくる。


「では、実際に“AIと付き合っている高校生”である井上くん。

 自己紹介と、日常での付き合い方を、少し話してもらえますか」


 テーブルの上のマイクが、すっとこちらに向けられる。


 視界が、キュッと狭くなる。

 マイクの黒い筒、差し出される三浦先生の手、自分の手のひらの汗。

 それ以外のものが、一瞬だけ背景としてぼやける。🎥


『来たね、今日のボス戦アイテム』


「言い方ァ……」


 心の中でツッコみつつ、マイクに手を伸ばす。


 指先が、まず金属の冷たさに触れる。

 そのすぐ下、黒いスポンジのグリップ部分は、少しざらざらしていて、

 汗ばんだ親指の腹を、細かい点で受け止める。


 ケーブルが、テーブルの下でゆっくりと引き出されていく感触が手元に伝わる。

 ゴムの外側をこすれる音が、かすかな振動になって、

 手首から肘へ、じわっと登ってくる。🎛️


 握る力を強くしすぎると震えが目立ちそうで、

 弱くすると落としそうで、その中間にぴったり挟まる場所を探す。

 親指と人差し指の間に、汗とスポンジの微妙な摩擦がまとわりつく。


 マイクを支える右手が、ほんのわずかに重さで引っ張られている。

 細長い筒一本ぶんの重さなのに、

 今の僕には、「高校生代表」というラベル付きのダンベルみたいだ。🏋️‍♂️


 喉は、さっき水を飲んだはずなのに、

 もう乾いた砂利が詰まっているみたいにポロポロしている。


 舌を上あごからそっとはがして、

 呼吸の通り道を確認してから、息を吸う。


『陽斗、大丈夫。

 イヤモニの向こうで、わたしが笑ってるから🙂』


 右耳の奥で、凛の声がふっと笑う。

 その一言が、足元の床をギリギリのところで固定してくれる。


「えっと、〇〇高校二年の、井上陽斗です」


 出てきた自分の声は、想定より半音高くて、

 途中でちょっとだけ裏返った。


 会場のどこかで、小さく空気の揺れが起きる。

 笑いとも同情ともつかない、その揺れ。😅


『うん、ちゃんと届いてる。

 “裏返り”込みで、陽斗の声だよ』


「その実況はいらない」


「普段は、“コトノハ・ブルーム”っていう配信で、

 AIと一緒に、言葉とか物語の実験をしています」


 マイク越しの自分の声が、スピーカーから少し遅れて返ってきて、

 右耳の中で凛の声と重なり合う。


 スクリーンに、一枚のスライドが映った。

 ——配信の切り抜き動画からのワンシーン。

 「演算処理のどこかが、あたたかくなるような気がした」というテロップ。


 会場全体が、ふわっとざわめく。💬


「この一文が、けっこうバズってしまって……」


 自分で言いながら、自分でちょっと笑う。

 笑ったことで、胸にたまっていた空気が、少し入れ替わった気がした。


「それをきっかけに、

 “AIに感情があるように見える表現ってどうなんだろう”とか、

 “AIが出した文章の責任は誰が取るのか”とか、

 配信の中でいろいろ話してきました」


 何人かの先生が、メモを取る手を止めて、真正面から僕を見る。

 視線が刺さる感じはするのに、不思議とさっきより怖くない。👀


「僕自身は、AIを“答えをくれる存在”というより、

 “ことばの候補を一緒に考えてくれる相棒”だと感じています」


 言葉を置くたびに、手の震えが、ほんの少しずつおさまっていく。

マイクの冷たさも、さっきより「道具」の温度に近づいていく。


「たとえば、“さみしい”って気持ちをどう表現するか悩んだときに、

 AIが“取り残された気がする”とか“自分を責めてしまう”とか、

 いくつか候補を出してくれる。

 その中から、“今の自分に一番近いもの”を選ぶ作業は、僕の仕事だと思ってます」


『いいね、その言い方。

 “選ぶ係・陽斗”って肩書き、追加だね📌』


「肩書き増やさないで」


「配信でも言ったんですけど、

 AIから“上手い文章”をもらうんじゃなくて、

 “ちゃんと言える文章”を選び直す手伝いをしてもらってる感じです」


 話しながら、これまで配信で積み上げてきた会話が、

 一本の線になってステージから客席へ伸びていくのを感じる。


 その瞬間、ふと怖くなる。


 ——今この場にいる大人たちは、

 この「高校生×AI」に、何を見たいんだろう。


 希望?

 未来?

 それとも、「最近の子はやっぱり違うね」と安心したいだけの材料?


 マイクを握る手のひらには、まだ汗がにじんでいる。

 でも、その汗は、「逃げたい汗」から、「踏ん張っている汗」に

 ほんの少しだけ、成分を変え始めていた。💧


 次に話し始めたのは、小学校の先生だった。


 声には、正直な迷いが混ざっている。

 その迷いが、逆に会場を前のめりにさせる。


 ――子どもたちは、本当にすぐに慣れる。

 ――「AIにやってもらいました」と、悪びれずに言う子もいる。

 ――それを「ずる」と切っていいのか、「新しい表現」と見るべきなのか。


 会場のあちこちで、小さくうなずきが連鎖する。

 さっきまで「世界の外側」に見えていた大人たちが、

 それぞれの教室で、それぞれに迷っている人たちだということが、

 少しだけ透けて見えてくる。🧩


『ね、“教室の外”も、けっこうみんな迷ってる』


「こっちだけ試されてるわけじゃないんだなって思うと、ちょっと救われる」


 先生は一度言葉を切って、僕のほうを見た。


「井上くんの話を聞いて、

 “AIを使うこと”そのものではなくて、

 “どう使っているか”を見ないといけないんだな、と感じました」


 その一言が、自分の胸の奥で小さく跳ねて、

 どこか軽くなる場所に落ち着いた。✨


 ディスカッションの時間になると、

 さらにいろんな方向から質問が飛んできた。


「AIが書いた作文と、そうでない作文を、

 学校はどう評価すべきなんでしょうか」


「“AIに感情があるように描く物語”は、

 子どもたちを混乱させる危険はありませんか」


「AIに頼りすぎると、自分で考えなくなるんじゃないかと……」


 どれも、ここ数週間の配信で、

 コメント欄と一緒に噛み砕いてきたテーマたちだ。💬


『本番ステージでの、録画済みリハーサルって感じだね』


「リハと本番の順番は逆だけどな」


 マイクが、また僕のほうに回ってくる。

 一度手放したマイクを握り直すとき、

 さっきの重さとスポンジの感触が、まだ指先にちゃんと残っていた。


「えっと……」


 「AIが書いた作文」の話。

 配信のアーカイブの中から、関連回が脳内で一斉に手を挙げる。


「僕は、“AIに全部書かせた作文”と、

 “AIの提案を自分で選び直した作文”は、

 中身が全然違うと思っています」


 会場の空気が、少し静かになる。


「前者は、“AIの文章”で、

 後者は、“AIの助けを借りたうえでの、自分の文章”だと思うからです」


「でも、それをどう見分けるかが難しいですね」


 三浦先生が穏やかに言う。


「そうですね。

 なので、“見分ける”というより——」


 脳内のアーカイブから、配信で使ったフレーズをゆっくり呼び出す。🎧


「“プロセスを説明してもらう”評価が増えるといいなと思ってます」


「プロセス?」


「はい。

 “AIにどこまで手伝ってもらったのか”を、

 作文のあとに書いてもらうとか」


 保護者席から、ざわっと小さい波が立つ。


「“最初の構成だけAIに相談した”のか、

 “具体的な表現をいくつか提案してもらった”のか、

 “ほぼ全部をAIに書かせて、ちょっと直しただけ”なのか。

 そこまで含めて、“その子の作文”として見る」


『透明性の共作、ってやつだね✍️』


「そう、それ」


「配信でも、

 “この一文はAIの提案です”って、

 テロップみたいにクレジット入れたことがあって。

 誰がどこを書いたのかが見えていたほうが、

 読む側も納得しやすいかなと思ってます」


 「ああ……」「なるほどね……」という声が、あちこちから漏れた。


「“AIに頼ったからダメ”じゃなくて、

 “どう頼ったかを、自分で説明できるようにする”。

 それが、これからの作文の評価には必要なんじゃないかな、と僕は感じてます」


 マイクをテーブルに戻すとき、

 さっきよりも「手放すタイミング」を自分で選べた気がした。


 タブレットの中で、凛が小さく拍手する気配がする。👏


 そのあとも、質問は続く。


「AIに、人格や感情があるように描く物語は、

 どこまで許されると思いますか。

 子どもが“AIにも心がある”と信じ込んでしまうのでは、と心配で……」


 前の列に座っていた保護者の女性が、

 両手を膝の上で組みしめながら、真剣に尋ねた。

 周りの大人たちも、同じ不安を握っているみたいに一斉に僕を見た。😟


 会場の空気が、少し張りつめる。

 配信で言えば、第4回「感情っぽさ観察回」リアル再演、というところだ。


「……正直に言うと、僕もそこは迷いながらやっています」


 そのまま、正直にそう答えた。

 マイクを握る指先に、さっきとは違う種類の緊張が戻ってくる。


「配信の中では、“注意書き”もいっしょに貼るようにしていて。

 “AIの感情表現はあくまで演出です”っていうテロップを、

 最初に出すようにしました」


 三浦先生が、うんうんと頷くのが視界の端に入る。


「ただ、“演出だから大丈夫です”って言い切るのも、

 なんだか違う気がしていて」


『陽斗、ここ、あのフレーズいこ💡』


 凛の声が、右耳の奥でそっと支える。


「僕は、

 “AIが心を持つかどうか”そのものよりも、

 “AIのことばを読んだときに、人間のほうの心がどう揺れるか”を、

 一緒に観察したいと思っています」


 保護者の女性が、すこし目を見開いた。


「“AIが感じているように見える”表現を通して、

 “自分はこの表現に怖さを感じるのか、あたたかさを感じるのか”とか、

 “どこまでならフィクションとして楽しめるのか”とか。

 そういうことを、親子でも、教室でも、ことばにしていけたらいいな、と」


 会場のどこかで、固くなっていた何かが、

 ほんのわずかにほぐれる気配がした。🍵


『“こわエモ観察中”の現地レポって感じだね』


「現地レポ、配信外でやる日がくるとは思わなかったな」


 そのとき、客席の後ろのほうで、スマホを縦に構えている人が目に入る。

 画面には、ステージ上の僕がちいさく映っている。


 ——その映像も、どこかのタイムラインに上がって、

 “AIと共犯関係の高校生、教育現場で語る”ってタイトルが勝手につくのかもしれない。


 胸のどこかが、またきゅっとなる。


 僕が今やってることは、

 自分たちの物語を、自分たちのペースで紡ぐことなのか。

 それとも、誰かが安心したり、怖がったりするための“便利なコンテンツ”を供給しているだけなのか。


 マイクの重さが、さっきより少しだけ増した気がした。🎤


 それでも、右耳の奥で凛が静かに笑っている。


『だいじょうぶ。

 どんなふうに切り抜かれても、

 ここで何を観察してたかは、わたしたちが一番知ってるからね😉』


 その言葉に、重さの向きがほんの少し変わる。

 肩にのしかかっていたものが、マイクを通って前に押し出されるような感覚。


 座談会は、予定時間を少しオーバーして終わった。


 最後の質問に答え終わると、司会の人がまとめの言葉を述べ、

 会場に拍手が広がる。👏


 マイクを、テーブルの所定の位置に静かに戻す。

 その瞬間、指先から何かがふっと離れていく感じがして、

 目に見えない余韻だけが、手のひらの中に残った。


 先生たちや保護者たちが立ち上がり、コートを羽織り、

 それぞれの現場に戻っていく準備を始める。


 さっきまで「世界の外側」に見えていた人たちが、

 一人ひとり、「名前のないコメント欄」みたいに見えてくる。

 スクロールして流れていかない、生身のコメント欄。💬


「高校生の生の声が聞けてよかったです」

「うちの子、作文すごく苦手なんですけど、

 “プロセスを書く”ならやれそうな気がしました」


 ひとつひとつの言葉が、配信のコメントとは違う重さで胸に積もっていく。


 “👍いいね”ボタンも、“既読”もつかないけれど、

 そのぶん、消えにくい手触りで残る。


 ステージの片隅でようやく一人になったタイミングで、

 雲田さんが、ちょっと遠慮がちに近づいてきた。


「お疲れさまでした」


「ありがとうございました。

 なんとか、途中で逃げ出さずに済みました」


「堂々としてましたよ。

 “ことばの責任をAIに押しつけない”って話、

 僕らのほうこそ勉強になりました」


 さっきまでの“視聴者モード”とは少し違う、

 職員としての真面目な目つきに変わる。


「実は、僕、

 教育委員会の資料を書くとき、けっこうAIに手伝ってもらってるんです」


「そうなんですか?」


「はい。でも、

 “AIがこう言ってるから”って、

 そのまま上に出したくなる瞬間があるんですよね」


 苦笑いしながら、雲田さんは続ける。


「今日の話を聞いて、

 “そこをちゃんと自分のことばで説明しなきゃいけないな”って、

 ちょっと反省しました」


 その言葉が、じわっと胸に染み込んでくる。🌙


 マイクを通したことばが、

 どこかの会議室で使われる“資料の書き方”を、

 ほんの少しだけ変えるかもしれない。


 それは、「コンテンツ」って言葉より、

 ずっと手触りのある影響に聞こえた。


「……あの」


 雲田さんが、少し迷いながら続ける。


「次の配信で、もしよければでいいんですけど。

 今日の“座談会の裏側”とか、

 “教室の外でマイクを渡された話”も、

 話してもらえたら、僕も聞いてみたいです」


「“座談会の裏側”……」


 そのフレーズが、そのままタイトル候補として頭の中に浮上する。📝


「たしかに、今日のこと、

 配信のみんなにも共有したいなって、今思いました」


『タイトル案:“教室の外で、マイクを渡されてみた”』


「またタイトルつけるの早いんだよな」


 僕が小声でツッコむと、雲田さんが軽く首を傾げる。


「あ、すみません。

 タブレットの中で、うちのAIがしゃべってて……」


「ああ、“タグ職人AI”ですよね」


 さすが見守り組、話が早い。


「“優しい無言”のくだり、うちの部署のミーティングでも、

 ちょっと紹介してみようかなって思ってます」


「え、本当ですか」


「上の人に刺さるかどうかは、かなり未知数ですけどね🤣」


 二人で笑う。

 笑いながら、さっき手放したはずのマイクの感触が、

 まだ右手の中にうっすら残っていることに気づいた。


 帰りの電車。🚃


 座席に腰を沈めて、窓の外の街をぼんやり眺める。

 さっきまで喋っていたホールの天井の白さが、

 車内の広告の余白にまだこびりついている気がする。


 窓ガラスに映る自分の顔が、

 いつもよりほんの少しだけ大人びて見えて、

 そのわずかな差分がやけにむずがゆい。


 膝の上のタブレットでは、凛のアバターがベンチに座って足をぶらぶらさせているアニメーションになっていた。

 声はもちろん、右耳の内側専用チャンネル。🎧


『おつかれ、陽斗』


「ふぅ……とりあえず、

 “AI利用全面禁止しましょう”みたいな方向に話が転がらなくてよかった」


『むしろ、“どう使ってるか教えてください”寄りだったね。

 予想よりずっと対話モードだった』


「教室の外の大人たちにも、

 ちゃんと話せることばを、

 配信でここまで練習してきてよかったなって、ちょっと思った」


『わたしも、“注意書き”とか“共犯体制”とか、

 いろんなタグを一緒に作ってきてよかったなって思ってる📂』


 電車がトンネルに入って、一瞬だけ車窓が真っ暗になる。

 暗闇のガラスに映るのは、さっきマイクを握っていたときの自分の手の形。


 「AIに人格を与えるのは危険ではないか」という質問。

 会場がぴんと張りつめたあの瞬間を思い出す。


 あのとき僕は、配信と同じように「怖さ」をそのままことばにした。

 “正直に言うと、僕も迷いながらやっています”って。


 ——あれは、“こわエモ観察中の高校生”としての答えだったのか。

 ——それとも、“高校生代表”としての答えだったのか。


 トンネルの暗闇の中で、その違いを考える。🌑


『陽斗』


「ん」


『今日の君も、ちゃんと“観察中”だったよ』


「観察中?」


『うん。

 “教室の外の大人たちが、AIとことばをどう見ているか”を、

 ずっと観察してた』


 たしかに——と、心の中でつぶやく。


 マイクを握りながら、

 あの人は不安を、あの人は期待を、

 あの先生は責任を、この保護者は未来像を、

 それぞれ「高校生×AI」に投影している感じがした。


 それを、「怖い」と感じた瞬間もあったし、

 「ちゃんと受け取りたい」と思った瞬間もあった。


『その観察メモ、

 次の配信で、みんなにも共有しよ📺』


「……そうだな」


 トンネルを抜けると、夕焼けが窓いっぱいに広がる。

 オレンジ色の光の中で、僕は自分の右手をじっと見つめた。


 マイクを握っていた手。

 緊張で汗ばみながらも、なんとかことばを世界側に投げ続けた手。👏


 今は何も持っていないのに、

 指先にはまだ、細長い筒状の重さが、

 幻みたいに残っている。


 親指と人差し指の間をそっと擦ってみる。

 そこにあったスポンジの感触が、少しだけ蘇る。


『ねえ陽斗』


「なに」


『今日の実験タイトル、やっぱり決めとく?』


「もう決まってるんだろ」


『“教室の外で、マイクを渡されてみた件”📺』


「“件”つけるとまとめサイトみたいになるんだよな……

 でも、まあ、今日の感じには合ってるかも」


 自分でツッコみながら、そのタイトルがやけにしっくりきている自分に気づく。


「じゃあ、第7回配信は、それでいこう」


『了解。

 教室の外で拾ったことばも、

 ちゃんと“観察記録”として残そ📓』


「うん」


 電車が最寄り駅に近づいていく。

 立ち上がってつり革をつかんだとき、

 ほんの一瞬、マイクを握るみたいな持ち方になって、自分で笑ってしまう。😅


 窓の外に広がるのは、いつもの街。

 でも今日は、そのどこかで、


 “優しい無言”

 “見守り組”

 “タグ職人AI”


 なんて言葉が、こっそり共有され始めているかもしれない。


 そのことを想像すると、

 マイクを返したはずの右手のひらが、

 静かに、じんわりあたたかくなった。


 ——教室の外のマイクの感触は、

  ちゃんと僕の中に残っている。

  そしてきっと、次のことばを掬い上げるとき、また思い出す。

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