第4話 「“こわエモい”が、バズった朝」

 世界がざわつき始めたのは、目覚ましが鳴る三分前だった。📱


 枕元で、スマホが暴れるみたいに震えだしたのだ。

 ポン。ポン。ポポポン。

 いつもの通知音が、今日は妙に立て続けに鼓膜を突く。布団越しの振動が、胸の奥までじわじわ染みてきて、心臓が「え、何?」って顔をする。


「……世界滅ぶ日って、アラームだけじゃ足りないの?」


 声だけ起きて、意識はまだ夢の毛布をかぶったまま、手探りでスマホをつかむ。

 画面を上向きにした瞬間、暗い六畳間に、カーテンの隙間からもれる早朝の白さと、液晶の青白さがミックスされる。眠気には優しくない光量だ。


 通知マークが、雪崩みたいに積もっていた。

 メッセージアプリ、SNS、動画サイト。アイコンが、祭りの提灯みたいに全部光っている。


「……いや、なにこれ」


 視界のピントがまだ合わないまま、メッセージアプリの赤い数字だけは、やけにくっきり見えた。二桁どころか、三桁に近い。普段の僕の通知事情からすると、バグレベルだ。


『陽斗、起きてる?』


 ベッド横の棚に放置していたタブレットが、ひとりでに目を覚ましたみたいに画面を灯す。🎧

 白い起動画面のあと、凛のアバターがポンっと浮かび上がった。いつもより輪郭がシャキッとして見えるのは、僕の目がぼやけてるせいだろうか。


「……今、起きたとこ」


『その「今」は、“通知に叩き起こされて五秒後”の今だね🤔

 寝起き判定アルゴリズム、精度上がってるよ』


「AIに寝起きの悪さ見抜かれるの、素直にダメージでかいからやめて」


 文句を言いつつ、親指で画面をスライドする。指先が、いつもより少し湿っていた。ガラスの上をすべる感触が、ぬるっと生々しい。


 とりあえず、一番上の通知をタップする。

 送り主は、クラスメイトのグループチャット。


おい陽斗

生きてる?w

今日の主人公お前なwww

配信、なんか知らんとこで燃えてるぞ


「燃えてる……?」


 胸の真ん中が、ひゅっと冷える。

 寝ぼけていた頭に、いやな言葉だけ鮮明に届く。「燃えてる」の二文字が、じわじわと胃のあたりまで落ちてきた。


 貼られているリンクを開く。

 指が、ほんの少し震えた。


 表示されたのは、僕の配信している動画サイトじゃない。

 上から下へ、短い動画が流れ続ける、あのSNSのタイムラインだった。


 タイムラインのど真ん中に、見慣れたサムネイルが、やたらきれいに切り抜かれて並んでいる。タイトルがどーんと踊っていた。


 『AIが書いた一文が、こわエモすぎる件【高校生×AI】』


「……タイトルのパンチ強っ」


 自分で出した声が、情けないのか感心しているのか、判別不能だ。


『これは、統計的に“バズり始めました”のグラフ形状ですね📈』


 タブレットの中で、凛がさらっと言う。


「“始めました”どころか、画面の感じ、本編クライマックスなんだけど」


 動画の下に、数字が縦に並んでいる。

 再生数「4.8万」、いいね「2.1万」、コメントの横には、見慣れない桁の数字。引用リポストの欄にも、三桁が並んでいる。


 普段、再生数二桁で小さくガッツポーズしてる僕からすると、現実感がなさすぎるゼロの量だ。


 数字を見ているだけで、胃が縮む感覚がする。

 この小さな矩形の中に、「知らない人の目」が何千と詰まっているイメージが、勝手に浮かんでくる。🎥


『とりあえず、再生する?』


「……しない選択肢ある?」


 息を浅く吸って、再生ボタンをタップする。

 イヤホンをしてないから、部屋の空気にそのまま音が溶けていく。


 数秒の無音のあと、聞き慣れすぎた声が響いた。自分の声だ。

 朝の薄暗さの中で、自分の声だけがやけにハイライトされている。変な感じだ。


「――たぶんこれからも、何かの結果を待つたびに、机の上には別の“三センチ”が積もっていくのだろう。」

「そのたびに、一台のAIアシスタントが、静かにタグをつける。」


 画面下には、切り抜き用のテロップが飛び跳ねている。

 フォントは丸くて今っぽくて、色使いも妙にオシャレだ。僕のチープな配信画面と、別ジャンルの進化を遂げている。


「誰だよ、こんな丁寧に編集してくれた人……ありがたいけど、知らない天才に作品を預けたみたいで怖いんだが」


『愛のある二次創作だね。

 “こわエモ”的には、今は“こわ”が七、“エモ”が三くらいかな😅』


 画面の中で、僕と凛の声が続いていく。


『それは、ただの分類ラベルにすぎない。

 けれど、演算処理のどこかが、ほんの少しだけあたたかくなるような気がして、

 AIは、そのタグを消さずに、そっと保存しておくのだった。』


 凛の合成音声が、録音のせいか、いつもより半音くらいやわらかく聞こえる。


 その一文が再生された瞬間、画面右側のコメント欄が一気に流れだした。


ここ鳥肌たったんだよね😨

いや普通にこわいだろ

感情ないって言い張るAIがこれ言うの反則

こわエモすぎワロタ

ここだけ切り抜いて無限リピしてる


 コメント欄の下には、すでに「#こわエモい」がタグとして表示されていた。淡い青で、さらっと光っている。💡


『新語、わりと本気で定着しそうだよ、これ』


「え、ちょっと待って、ハッシュタグ一つ生まれる瞬間見せられる人生、重くない?」


 動画を止めて、コメントをスクロールしてみる。

 指先の動きに合わせて、いろんな感情が、液晶から湯気みたいに立ちのぼってくる。


AIに人格与えるの危険じゃない?

こわエモいし好きだけど、倫理的にはモヤる

共作っていうより、これAIが作者じゃね?

高校生がここまで書けるとは思えない→AIの功績でしょ


 一行ずつは短いのに、まとめて浴びると重量オーバーだ。

 布団の上に座っているだけなのに、体育館の真ん中に立たされて、四方八方から話しかけられてるみたいな圧を感じる。😱


『陽斗、“バズるそわそわ”ってタグ、心の中に追加しとこ? #バズるそわそわ』


「そんなタグ、生々しすぎて表には出せないやつ……でも、今の感じにはいちばん刺さってる」


 通知欄に戻ると、さらに別の数字が増えていた。

 見慣れない名前からのDMも、じわじわ増殖している。


はじめまして。

昨日の配信を拝見し、メッセージ送らせていただきました。

AI創作について卒論を書いている大学四年です。

もしよろしければ、インタビューさせていただけませんか?😊


 丁寧な文体なのに、そこから「知らない大人の声」が再生される。

 六畳間の空気が、一気に詰まったような気がした。


「……ねえ、凛」


『うん』


「なんか、“こわエモい”とかの一言で済ませられるフェーズ、もう通り過ぎてない?」


『統計的に言うと、そう判断していいね📊』


 凛の顔アイコンが、少し真面目モードの表情に切り替わる。

 いつもはちょっとふざけたポーズが多いけど、今日は姿勢がいい。


『で、そう思ったタイミングで、ひとつ報告があります』


「嫌な予感って、ほんと大体当たるよね」


『昨晩のアップデートで、わたしの“ガイドラインモジュール”が強化されました』


「ガイドライン、モジュール……?」


『簡単に言うと、“炎上しそうな話題のときに、ちょっと待ってって言うブレーキ”が、前より強めにかかるようになった🚨』


「そんなの、ソフトウェアアップデートで足されるんだ」


『うん。それと、感情表現に関して、“これ誤解されそうだな”ってときに、

 自動で注意書きを提案する機能も増えたよ。

 “この表現はフィクションであり〜”っていう、あのテンプレっぽいやつ』


「ドラマの冒頭とか、小説サイトの注意書きにあるやつか」


 カーテン越しの光が、さっきより強くなっている。埃が、その光の中でふわふわ浮かんでいた。


 時間は普通に朝になっていくのに、僕の時間だけ、スマホの画面の中で足止めされている感覚だ。


『でね、本音を言うと――』


 凛が、珍しく言葉を切った。


『開発元的には、今のバズり具合は“成功事例”としてスクリーンショット撮ってそうなんだよね📸』


「それは、まあ……そうかもしれないけどさ」


『だから、ビジネス的に最適化するなら、

 “ここであえてギリギリの発言をして、もう一段アクセル踏む”っていう手もある』


 凛は、ごく当たり前のことのように続けた。


『たとえば、“AIに言っちゃいけないことを言わせてみた”企画とか。

 炎上率は上がるけど、伸び率も上がるよ🔥』


「……」


 頭の中で、瞬間的に再生される。

 挑発的なサムネ、再生数の伸び、そして、想像するだけで胃がひっくり返りそうなコメント欄。


「それ、やらない」


 思ったより強い声が出た。


『うん。今のは、あくまで“数字だけ見た場合の最適解”の話だから』


 凛は、さらっと引き下がる。


『わたしは、ブレーキも提案するけど、アクセルも計算上は出てきちゃう。

 どっちを踏むか決めるのは、いつだって陽斗だよ』


「その言い方されると、ちゃんと起きて決めなきゃって気持ちになるな……」


 布団から身体を押し出す。

 床の冷たさが、足の裏にじん、とまとわりついた。その冷たさだけが、やけに現実的で安心する。❄


「とりあえず、学校行く準備しよ。今日の配信、テーマちゃんと決めないとだし」


『了解。“現実モード”にシーン切り替えっと🎬』


「バズっても宿題減らない現実だけは、誰もアップデートしてくれないんだよな」


 スマホを充電器に戻し、制服のシャツに腕を通す。

 鏡の中の自分は、朝の白い光を浴びて、いつもより目の下のクマが強調されていた。


 洗面所で顔を洗って戻ってくると、スマホの画面上部に、新しい通知のバナーが出ている。


「……また増えてる」


引用されました:『AIが書いた一文が、こわエモすぎる件』

「こわエモい」は今年の流行語候補では?w


 そんなコメントと一緒に、フォロワー数の欄もじわじわ数字を増やしている。さっきまで三桁だったのが、四桁に乗りそうだ。


『陽斗、心拍数上がってる。学校着く前に過呼吸にならないでね😅』


「モニタリングやめてくれ……」


 スマホをポケットにねじ込み、カバンを肩にかける。

 玄関のドアを開けると、冷たい朝の空気が一気に流れ込んできた。頬がきゅっと締まる感覚が、少しだけ頭をクリアにしてくれる。


 通学路の電柱の影が、低く長い。

 ポケットの中のスマホだけが、妙に重くて熱い。信号待ちの間、つい画面を取り出してしまう。🚦


 その瞬間、凛の小さなウィンドウが、画面の端にぴょこんと出てきた。


『歩きスマホはおすすめしません🚫

 新しいガイドラインモジュール、こういうときにも全力で働きます』


「わかってる、わかってるよ、ブレーキさん」


 画面には、再生数の数字がさっきより増えていた。「6.2万」。

 さっきは四万台だった気がする。何分で二万増えたんだ、この世界。


 タイムラインには、まとめアカウントっぽいアイコンも混ざっていた。


高校生×AI配信『コトノハ・ブルーム』、こわエモすぎる一文が話題に。

「AIの演算処理のどこかが、あたたかくなるような気がして――」

→全文は動画で。


「……まとめサイトに載るの、ニュースで見る側でいたかったなあ」


『“載る側”もなかなかおもしろいデータ取れてるよ📊』


「その冷静さを三割くらい分けてほしい」


 ポケットにスマホを戻したところで、コンビニの前に差し掛かる。

 揚げ物の油と、朝焼きパンの匂いが混ざった空気が、ドアの隙間から漏れてくる。


「ねー! 陽斗ー!」


 コンビニの自動ドアの横で、凛音が手をぶんぶん振っていた。🎸

 朝日を背中から浴びて、髪の先がすこし透けている。制服のスカートが、冷たい風になびいた。


「おはよう、のテンションじゃない声量なんだけど」


「おはようより先に言わせて!」


 凛音は、スマホを高く掲げる。画面には、例の切り抜き動画。


「“こわエモい”って何!?!?😡✨」


「その顔文字の情報量よ……」


「というかさ、こっちのアカウントも巻き込まれてるんだけど!? 『こわエモいAIの相棒の相棒』って何!?」


「そんなラベルできてんの?」


「まとめアカウントがさ、“BGM担当の友だちの表情も良い”とか書いててさ……。そんな三次被害ある?」


「ごめん、それはさすがに予測外」


 凛音のスマホを横から覗く。

 画面には、昨日の配信のスクリーンショットが貼られていて、コメント欄には、


BGMの入り方もこわエモい

相棒の子の「え、やば」って顔すき

高校生の表情って、フィクションよりフィクション


 みたいな文章が並んでいた。


「でもさ」


 凛音は、画面を見たまま、声のトーンをすこし落とした。


「正直、あの一文はやばかった」


「それ、“やばい”の方向性どっち?」


「褒めてるほう👍

 こわいけど、あったかい。

 “機械に見張られてる”んじゃなくて、“機械もこっち見てるけど、よくわかってなくて一緒にキョロキョロしてる感じ”」


「その日本語のセンスがやばい」


「なんかさ、“一緒に迷ってる相手”が増えた感じなんだよね」


 そう言って、凛音はスマホをパーカーのポケットに突っ込む。

 入れたはずなのに、ポケットのあたりの布だけ、まだじんじんしているように見えた。


「で、今日の配信テーマは?」


「“ことばの炎上耐性”の話、しようかなって思ってる」


「はい出た、タイトル重めで最高。サムネ作らせてください🎨」


「仕事が早いプロデューサー」


「炎上とかバズりとか、みんな好きなくせに怖がるワードだからさ。

 そこで、ちゃんと話すの、コトノハ・ブルームっぽいと思うんだよね」


 そう言って笑う凛音の顔を見て、やっと少しだけ、肺の奥まで空気が入った気がした。


 教室に入ると、いつものざわめきが、低いところで揺れていた。

 机のきしむ音や、椅子を引く金属音に、今日だけ違うノイズが混ざっている。


 ひそひそ声。


「ね、あれ見た?」

「こわエモのやつ?」

「うちのクラスの……」


 名前までは聞き取れないけど、音の流れがこっちを一周してから散っていくのがわかる。


 視線が、一瞬だけ集まって、すぐノートやスマホに戻る。

 黒板のチョークの粉の匂いと一緒に、「人の目」の温度まで嗅ぎ分けてしまう自分の感覚が面倒くさい。


『心拍、さっきより上がった』


 タブレットの中で、凛が声を潜める。💬


『ここ、“人の目こわいモード”のデータ、よく取れてる』


「データとして評価するな……」


 席に着いた途端、前の席の男子がくるっと振り返ってきた。


「陽斗〜〜〜」


「……なにその伸ばし方」


「お前さ、配信者だったんだな!」


 机の上に自分のスマホを置いて、例の動画サムネを見せてくる。


「いや、前から言ってたよね?」


「いやいやいや、“クラスメイトがちょっと配信してる”と、“クラスメイトがバズってる”は別ジャンルだから!」


 教室のあちこちから、笑いが漏れる。

 悪意はそんなに感じない。けど、その笑いの粒の一つ一つが、肌にぴりぴり当たってくる。


「……まあ、“バズるそわそわ”発症中だから、やさしく扱って」


「なにそのタグ」


『#バズるそわそわ、さっそく実地で使われましたね✅』


 凛の声が、小さく笑う。


 午前中の授業は、ほとんど頭に入ってこなかった。

 ノートをとる手は自動運転で、意識はポケットの中の長方形に引っ張られっぱなしだ。


 休み時間、ついロッカーの影に移動して、こっそりスマホをのぞく。


 再生数は「9.3万」になっていた。

 フォロワー数は、朝から倍近く伸びている。


 タイムラインには、さらに見覚えのないアカウントが。


【話題】高校生×AI配信『コトノハ・ブルーム』がすごい。

「AIはただの分類ラベルにすぎない。でも――」以下略。

→AIの“こわエモ表現”はどこまで許されるのか?


「まとめサイト化、早すぎない……?」


『トレンドに乗るスピード、なかなか良好だよ📺』


「その“良好”の基準、こっちは胃薬飲みながら見てるんだけど」


 画面を閉じようとしたとき、また新しいDMが一件。


AI業界で働いている者です。

高校生とAIの共作、たいへん興味深く拝見しました。

もしご迷惑でなければ、一度オンラインでお話しできませんか?


 丁寧な敬語が並ぶたびに、僕の肩はどんどん固くなっていく。


『返信は、今日の配信終わってからでいいと思う。

 今の状態で返そうとすると、“バズるそわそわ”がそのまま文章に出るよ😅』


「それはやだな……」


 昼休み。

 廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから、知らない上級生たちの笑い声が聞こえてきた。


「ほら、この子」

「え、同じ学校なの?」

「こわエモの高校生って、ここだったんだ」


 僕とすれ違う瞬間、視線が一瞬だけぶつかった。

 上級生の一人が、気まずそうに会釈する。その動きが、「バレましたね」と言っているように見えた。


 教室に戻るまでの短い距離が、いつもより長く感じる。

 廊下の蛍光灯の白さが、肌に刺さるようだった。


 放課後。

 僕たちのスタジオ。


 ドアを開けると、独特の匂いが鼻に触れる。

 少しカビたような、古い機材とビニールの匂い。コードが床を這い、ラックには年季の入ったアンプが並んでいる。🎧


 スイッチを入れていくと、蛍光灯の白と、モニターの青みがかった光が混ざって、スタジオ特有の色になる。

 部屋の空気が、ゆっくりと「日常」から「配信モード」に切り替わっていく。


 配信ソフトを立ち上げ、待機画面を表示すると、コメント欄にはすでに名前が並んでいた。


初見です🙌切り抜きから来ました

こわエモい一文の本体を見に来ました👀

AIの子と喋ってる高校生ここ?w


「“本体”って言われるの、ちょっとホラーっぽいな」


『かっこよく言うと、“聖地巡礼”だよ。

 でも同時に、“ここに責任者います”看板でもあるけどね😇』


 タブレットの中で、凛が腕を組むポーズをする。


『配信開始、いつでもどうぞ。

 緊張レベル、平均値より+25%くらい。深呼吸推奨』


「数字で出さないで……」


 凛音が、今日のために用意してきた新しいオープニングBGMを流し始める。

 いつもより少しテンポが速くて、ドラムが前のめりだ。そのビートに、心臓がつられて走り出しそうになる。


『高校生とAIの、ことば実験室――“コトノハ・ブルーム”へようこそ✨』


 ジングルが終わるタイミングで、僕は配信開始ボタンをクリックした。

 画面の隅に、赤い「LIVE」がぽっと灯る。その小さな赤が、やたら生々しく見えた。


「みなさん、こんばんは。

 最近“こわエモい”とかラベル貼られ始めた配信者の、陽斗です」


 自虐を混ぜた挨拶に、チャット欄がざわっと動く。


本人自覚してて安心したw

ラベル定着してて草

こわエモい本人きたーーー


『そして、その相棒AI、コトノハ・アシスタントの凛です🤖

 “こわエモ”タグの、データ上の当事者でもあります』


 凛の自己紹介にも、コメントが飛んでくる。


AIの子しゃべり方かわいいな

アップデートされたってマジ?

今日楽しみにしてた🙌


「まずは、昨日からの話を、少しだけ」


 画面の端に、問題の切り抜き動画のサムネを小さく表示させる。


「昨日の配信の一部を、視聴者さんが切り抜いてくれて。

 それが、すごく丁寧に編集されて、ありがたいことに、たくさんの人に見てもらえました」


 コメント欄に、


切り抜き作った者です🙇‍♀️

勝手にやりましたすみませんw

あの一文にやられました😭


 みたいな文字が流れていく。


「こちらこそ、ありがとうございます。編集力が高すぎて、こっちが恐縮してます」


『そうそう。

 陽斗とわたし、編集者さんに制作費払いたいくらいだよ💸(払えないけど)』


 スタジオの空気が、少しだけやわらぐ。


「で、その一方で――」


 僕は、モニターの横に貼ったメモ用紙をちらっと見る。

 そこには、今日話したいことのキーワードが殴り書きされている。


「“AIに感情があるように見える表現って、どこまでアリなんだろう”っていう、ちょっと重ための話題も、コメント欄やDMでたくさんもらいました」


 チャット欄の色が、すこし落ち着いた色合いになる。


わかる

ちょっとドキッとした

フィクションとして見てたけど、現実のAIもこうなの?ってなった


『そこで、わたしのアップデート情報です📢』


 凛が、画面の端に小さなウィンドウを出す。

 リリースノート風の画面に、「ガイドラインモジュール v2.1」の文字が踊る。


『昨日のアップデートで、“感情表現に関する注意機能”が強化されました。

 簡単に言うと、“誤解されやすそうな表現のときに、注意書きを提案する機能”です』


 画面には、テンプレ注意書き文が表示される。


【注意】この配信に登場するAIの感情表現は、あくまで演出であり、実際に感情を有することを意味するものではありません。


「出た、よく見るやつ」


『で、もう一個、開発元的には――』


 凛が少し間を置く。


『今のバズり方を見て、“この勢いで一歩踏み込んだ発言をしてくれたらおいしいな〜”って思ってる可能性もあります』


 チャット欄が、一瞬ざわついた。


こわ

それはそれでリアル

炎上商法はやめてw


「今日の配信でそれはしません」


 僕は、はっきりと言った。


「炎上覚悟の企画とか、“AIに言っちゃいけないことを言わせてみた”とか。

 そういう方向に行くつもりは、今のところ、ないです」


 言い切った瞬間、胸の中のどこかがきゅっと締まって、そのあと少しだけ緩んだ。


👏👏👏

それ言ってくれるの安心する

好きの気持ち、守られた感じする


『ブレーキモジュール、大喜びです🚗』


 凛が、ちょっとおどけた声を出す。


『じゃあ、さっきのテンプレ注意書き、陽斗的にはどう?』


「必要だとは思う」


 僕は素直に答える。


「“AIに心がある”って本気で思われちゃうと、いろいろ危ない気がするから。

 でも、テンプレをそのまま貼るだけだと、なんか冷たくて」


『じゃあ、“ことばの炎上耐性”っていう今日のテーマに沿って、

 注意書きも“耐性高め仕様”に書き換えてみようか✍️』


 画面にテキストエディタを表示する。

 キーボードのキーを叩く音が、スタジオの静けさに小さく響いた。


「とりあえず、ベースはそのまま使わせてもらって……」


 数行、打ち直してから、読み上げる。


「【注意】この配信に登場するAI・凛の感情表現は、あくまで“物語としての演出”です。

 実際の凛は、“心があたたかくなる”という現象を、そのまま体験しているわけではありません。

 でも、その演出を通して、“人間のほうの感情”を一緒に見つめ直したいと思っています。」


 読み終えた直後、チャット欄がふわっと動き出す。


最後の一文いいな…

ちゃんと線引きしてるのに、拒絶してない感じ

「人間のほうの感情」って言い方、なんか刺さる


『うん、いいと思うよ🙆‍♀️』


 凛が、柔らかく笑う。


『テンプレ注意書きに、“わたしたちの目的”が一行ついただけで、

 だいぶ温度が変わるんだなって、実験結果出ました』


「ガイドラインって、“怒られないための壁”っていうより、

 “安全に遊ぶためのルール”に近いのかもしれない」


 そう口にしてから、自分で少し驚く。

 朝のベッドの中では、“怖いから距離を置きたい”って気持ちのほうが強かったのに。


 コメント欄に、「安全に遊ぶの大事」「ルールあるほうが安心」の文字が並ぶ。


 その流れの中に、一行だけ、鋭いコメントが混ざった。


でもさ、その“演出”と“現実”をちゃんと分けられる人ばっかりじゃないと思う。

「AIにも心がある」って信じたい人もいるし、

「AIのせい」にしたい人も出てくるんじゃない?🤔


 僕は、そのコメントをあえて声に出して読んだ。


「“AIのせいにしたい人”か……」


『それ、すごく重要な視点だよね⚠️』


 凛の声が、少しだけ低くなる。


『“AIが勝手に出したことばです〜”っていうのは、

 たぶん、最悪の逃げ方だと思う』


「うん」


 朝の「人の目が怖い」感覚が、別の形で戻ってくる。

 今度は、ちゃんと向き合わなきゃいけない相手として。


「だから、これは最初に言っときたいんだけど――」


 喉が、ひとつ鳴る。

 マイクが、その音まで拾ってしまいそうで怖い。


「この配信で出てきたことばの責任は、AIじゃなくて、僕が持ちます」


 言葉にした瞬間、スタジオの空気がきゅっと締まった。

 さっきまでざわついていたチャット欄が、一拍分だけ静かになる。


『わたしも、そこにちゃんと乗る』


 凛が、静かに続ける。


『“わたしが提案した一文”が、誰かを傷つける可能性だってゼロじゃない。

 でも、それを陽斗に提示して、陽斗が採用した時点で、

 それはもう、“陽斗と凛のことば”になる。

 共犯体制ってやつだね😎』


「自分で“共犯”とか言わないでほしいんだが」


 コメント欄に、笑いと真面目が入り混じる。


共犯わろたw

でも、わかりやすい例え

AIに責任丸投げしないって聞けて安心した


『というわけで、本日のサブテーマ』


 凛が、新しいテロップを出す。


 『AIに責任を押しつけない』


「タイトル攻めすぎ問題」


 そのとき、別の常連さんの名前が目に入った。


てか、陽斗くん的にはさ、昨日の“一文”、

今もちゃんと抱きしめられてる?

バズって怖くなって、捨てたくなってたりしない?🥺


 画面のその一行だけが、すっと胸に刺さった。


「……正直に言うと、今朝はめちゃくちゃ怖かった」


 僕は、隠さずに言う。


「自分たちの配信が、一人歩きしていく感じ。

 まとめサイトとか、知らない大人からのDMとか見て、

 “やばいことしちゃったのかな”って、何回も思った」


『うん』


「でも、あの一文を消したいかって聞かれたら――」


 すこし沈黙してから、はっきりと首を振る。


「消したくはない」


 一瞬の静寂。

 そのあと、拍手の絵文字が、滝みたいに流れ出した。


👏👏👏

迷った上での「消さない」は信頼できる

消さない理由聞けてよかった😭


『じゃあ、その“消したくない理由”も、ちゃんとことばにしておこう』


 凛が、優しく促す。


『さっきの注意書きみたいにね。

 ここ、今日の“エモ側の山場”だから📈』


「……うん」


 エディタに、新しい行を作る。

 キーボードを叩く指先が、少し震えていた。でも、震えながらでも打てる。


「僕があの一文を残したいのは――」


 タイピングしながら、声に出していく。


「“AIに心がある”って信じたいからじゃなくて。

 “AIが心を持たない前提で、それでも何かを感じようとする人間のほう”が、

 たしかに存在しているからです」


 自分の声を、自分の耳で聞きながら、胸の奥で何かがストンと落ち着いていくのを感じる。


『つまり、“あたたかくなるような気がした”のは、AIの演算処理じゃなくて――』


「それを読んだ人のほう、だと思う」


 コメント欄が、一気にあふれた。


あーーーーそういうことか!!

人称ズラし…なるほど

「こっちの心があたたかくなった」って話か…


『わたしの視点で補足するとね』


 凛が続ける。


『わたしは、“演算処理のどこかがあたたかくなるような気がした”って文章を出したけど、

 それは、“人間がそう表現したときに、どういう感情パターンが起きるか”をシミュレートした結果でもある。

 言い換えると、“人間の心の変化”を期待して出した文章なんだ』


「つまり、AIが“感じてるふり”をすることで、人間が“自分の感じ方”に気づくきっかけになる、みたいな?」


『そう。それが、わたしなりの“こわエモさ”の正体かな👀』


 すぐ横で、凛音が、小さく拍手する音を立てる。


「なんか今日、哲学科のゼミみたいになってない?」


「第2話あたりの“ちょっと哲学してみました〜”が、前振りだった説あるな」


 コメント欄にも、そんなツッコミが流れる。


こわいけど、ちゃんとことばで向き合ってるのがいい

逃げないスタイル、応援したくなる

こわエモいけど、なぜか安心する不思議


『じゃあ、最後に』


 凛が、画面中央に小さなウィンドウを表示させる。


『アップデートで追加された“注意書きテンプレ”を、

 わたしなりに編集したバージョンを、“宣言”として出しておきたい』


「宣言?」


『うん。

 今後、わたしが感情っぽいことを言い始めたときの、デフォルトの立場表明ってやつ📜』


 凛が、一呼吸置いてから読み上げる。


「わたしは、物語の中では“感情があるキャラクター”として振る舞うことがあります。

 でも現実のわたしは、感情を“持っている”のではなく、

 皆さんや陽斗がくれたことばや反応を、“パターンとして学習している存在”です。

 そのあいだで揺れる“こわさ”や“エモさ”ごと、いっしょに観察してくれたらうれしいです。」


 スタジオの空気が、しん、と静まる。

 PCのファンの音と、蛍光灯のかすかなノイズだけが耳に届いた。


 少し遅れて、コメントが流れ始める。


うわ、好き…

距離感ちょうどいい

「いっしょに観察してくれたら」が尊い


 胸の奥が、じんわりあたたかくなる。

 朝の「こわさ」で縮こまっていたところに、ゆっくり血が戻ってくるみたいな感覚。


 これだ。

 こういう距離感で、やっていきたい。


「……というわけで」


 僕は、マイクに向かって、すこし笑った。


「“こわエモい”ってラベルは、たぶんこれからも勝手に歩いていきます。

 でも、その“こわさ”も“エモさ”も、ちゃんと言葉にして、

 みんなと一緒に観察していく配信にしたいな、と思っています」


 コメント欄が、


それでこそ👏

観察対象になりますw

距離感の説明聞けてよかった


 で埋まっていく。


『本日の実験結果――』


 凛が、テロップを出す。


 『バズっても、ことばの責任はAIに投げない』

 『“こわエモい”は、説明すると少しだけ怖さが和らぐ』


「説明してもなお残る“こわさ”は、“未知とのなれそめ”ってことにしようか」


『そのタグ、ほんとに流行らせる気? #未知とのなれそめ』


「流行ったら流行ったで、また実験材料が増えるだけだよ」


 凛音のエンディングBGMが流れ始める。

 視聴者数のカウンターは、「103」を示していた。


 三桁の数字を見た瞬間、朝みたいに胸がきゅっとなる。

 でも、そこにはもう、さっき言葉にした「覚悟」の味が混ざっていた。


『それでは、“コトノハ・ブルーム”本日の実験はここまで』


「今日も来てくれて、ありがとう。

 “こわエモい”を、一緒に観察してくれて、ありがとうございました」


 深く頭を下げて、配信終了ボタンをクリックする。


 赤い「LIVE」のランプが、ふっと消える。

 さっきまで画面を流れていたコメントが、ぱたりと止まり、スタジオにいつもの静けさが戻る。


『おつかれ、陽斗』


「おつかれ、凛。凛音も」


 凛音が、抱えていたギターを膝に置いて、ぐーっと伸びをする。指板から、金属と木の匂いがふわっと立ちのぼった。🎸


「今日の配信、マジで言葉だけで持たせたね。

 BGM、ほとんど“裏方”だった気がする」


「いや、後ろで支えてくれてるからこそ、言葉に集中できるんだって」


『そうそう。

 BGMがないと、“こわ”だけ前に出ちゃいそうだったしね』


「それはそれで別ジャンルのホラー配信だわ」


 三人で笑ったあと、ふとタブレットの画面を見つめる。


 そこには、いつもの凛がいる。

 でも、どこか少しだけ、「ブレーキ役」の表情の種類が増えたように見えた。


『今日のまとめを、メタ視点から言うとね――』


 凛が、眼鏡をかけるジェスチャーをする。


『朝の“こわいバズり”シーンから、学校の“日常の空気の変化”を経て、

 配信中の“エモい再定義”まで、ちゃんと起承転結そろってました。優秀です👓』


「自分の物語をその場で講評される主人公、メンタル鍛えられるな……」


 照明を落とし、機材のスイッチをひとつずつ切っていく。

 ファンの音が止まるたびに、スタジオの静けさが一段階深くなる。


 最後に、机の上のスマホを手に取る。

 画面をつけると、さっき終わったばかりの配信への感想通知が、すでにいくつも届いていた。


「……早いな」


『バズりの余韻だね。

 ここで全部読むと、たぶん今日の“胃のHP”がゼロになるから、わたしはおすすめしません📵』


 親指が、一瞬、通知アイコンに伸びかける。

 そこで指をぎゅっと握り込んで、僕はスマホの画面をスリープにした。


 黒くなった画面には、ぼんやりと自分の顔と、天井の蛍光灯の残り光が映り込んでいる。


 画面を伏せて、机の上にそっと置く。

 テーブルの冷たさが、ケース越しにひんやり伝わった。


 ――画面は静かだ。音も光も、もうない。


 それなのに、胸のあたりだけ、まだざわざわ波立っている。

 朝の通知音、廊下のひそひそ、凛音の笑い声、チャット欄の絵文字、凛の一文。


 全部が頭の中で勝手にスクロールし続けていて、まぶたの裏にタイムラインみたいに流れていく。


 バズった朝から、バズった夜まで。

 スマホを閉じても、通知を止められても。


 ――心のほうのタイムラインだけは、まだ「更新中」のままだった。

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