#9 天使の落日と■■の文明

コンピュータの承認によって、外征任務は現実のものとなった。任務のリーダー―― 天使長と命名されたその役職には、ルキが指名された。たまにはちゃんと祝ってやるかと、素直に、皮肉抜きで祝ってやったというのに、アイツは「ベルが素直に祝ってくれるなんて、珍しい事もあるもんだな。」なんて抜かしやがる。まあ、就任祝いとして、私への謗りは聞かなかったことにしてやろう。


都市の外は自然の王国だった。どのような状態になっているのか知識としては知っていたが、実際に人類が都市の外に出るのは分裂以来だ。人類が数百年ぶりに出会う手つかずの自然に、植物や動物の知識を持った奴らが興奮していた。藪に隠れた獣に襲われた事は幾度となくあった。知識の上でしか野生を知らないボク達は、自然の驚異に圧倒されて度々足止めを喰らうことになったけど、それでも進み続ける。


幾人も犠牲を出しつつも進み続けて数か月、目的の地点が近づく。増産派閥の人々の拠点のうちの一つにもう少しで辿り着くはずだけど、近づけば近づくほど異臭がする。鼻を刺すような刺激臭。吐き気を催す腐敗臭。街があるはずのその場所に、近づけば近づくほど強くなる。臭いが強烈になるにつれ、天使達の間に不安が広がる。


木々の切れ間から見えた摩天楼は、朽ち果てていた。――おそらく、ボク達が来る前に彼らの街は全滅してしまったのだろう。しかしそれでも歩みは止めない。もし滅んだのだとしても、彼らはきっと記録を残しているはずだから。それを、我々人類の糧とする。そうしてこそ、彼らは救われるというものだろう。その一心で進み続ける。


「な、なんだこれは……!」


街に辿り着いたと同時に、一人の天使が声を上げる。他の天使達も、彼と同じ感情を抱いていただろう。困惑、そして恐怖。辺りにどよめきが広まる。増産派閥の人々が住んでいるはずの街は、かつて多くの人々が過ごしたであろうそこは、ぐずぐずの肉塊達に支配されていた。ボクだけが、静かにそれを見つめていた。


「落ち着いて。別に襲ってくる様子は無いようだ。」


実際冒涜的でグロテスクなそれらは、ボク達に敵意を見せる様子はない。ボク達の事など意に介さず這いずり回ったり、あるいは遠巻きに見つめるように、隠れながらボク達の様子をうかがっていた。ボクの一声で、ようやく部隊は落ち着きを取り戻す。


「キミ達は何者だ?ここに居た人々はどうした?」


警戒させない程度の大声を出して問いかける。声を聴いていたと思われる、付近にいた肉塊が、ごぽごぽと音をたてていた。


数十分ほど観察を続けるが、肉塊達はボク達に何をする様子も見せなかった。ボク達が動かないからか、遠巻きに見ていた肉塊達も興味を失ってたようで、いつの間にかどこかに行ってしまったようだ。このままここでぼーっとしていても仕方ないからと、こういうのって、天使長の仕事じゃないかと思いつつも、この先の方針の提案をしてやる。


「やはり敵意は無いようだね。このままでは埒が明かないし、ひとまず街を探索してみよないか?もしかすると、どこかに人間が避難している可能性もある。それで、何かあったらここに戻って来る事としないか。」


確かにこのままでは仕方ないなと、ルキが同意してくれた。天使長サマの同意のお陰で他の天使達もぼちぼちと探索に向かい始める。


都市の内部はどこもかしこも似たような光景だ。どの建物も朽ち果て蔦が這っており、そこら中に肉塊が徘徊している。襲われることは無いとはいえ、そのどぎつい臭いには少しうんざりする。同行していた天使の一人が、アスファルト上で白く輝く、奴らが這った後が乾いたのが気持ち悪いと言って吐いていた。


朽ち果ててこそいるものの、その建物たちは私達の文明よりも進んでいるように見えた。歴史学者の一人が言っていた。辺りに見える建物は、偉大なる分裂の時期より幾分発展しているように見えると。だから、分裂のすぐ後発展を辞めた私達からすれば、先進的に見えるのか。


見れば見る程、分かたれた人々は、彼らの目論見通り文明の再興には成功したらしい事が分かる。ならばそれを成し遂げた人々は、どこに行ったのだろうか。肉塊が滅ぼした?改めて街中にいる肉塊を見る。我々の事を気に留める様子は全く無い。一部の天使達は建物に入ってみるが、それを咎める様子すらない。最初思っていたよりも、この肉塊達は知的らしい。弱っている肉塊の移動を助ける個体を見た。ぐにゃぐにゃと形を変え、見せあっていると思しき様子も見た。そう思っていると、時折ごぽごぽとたてている音すらも、彼らにとっての言葉なのではないかと思えてきた。


どうしても、彼らが人を滅ぼしたとは思えなかった。


都市の中央、厳重そうな建物を発見する。厳重そうとは言ったが、当然警備も何もなく、建物自体も朽ち果てており、一部は崩壊している有様なので、造りからかつて厳重であったことが推察されるだけなのだが。この建物の中から、肉塊達が次々と出てくるのを発見した。


「どうします?さっきから何度も肉塊達とすれ違っていますが、やっぱり敵意はないみたいですし、入ってみますか?」


部下の一人がそう提案する。


「……そうだな。肉塊達は建物の中に侵入した天使にも手を出す様子は無い。リスクは低いか。」


意を決して建物の中に入る。光が入り込まないそこは、外よりも幾分気温が低いように感じられた。床は、粘液でぬらぬらとわずかな外の光を跳ね返していた。恐らく、あの肉塊達が分泌した粘液だろう……。滑って転び、口の中に粘液が入った者が吐いていた。


建物の中を進んで行くと、特に厳重そうな部屋を見つける。空いてしまってこそいるが、かつては分厚い鉄扉で守られていたようだった。そんな重要そうな部屋の中に、それはあった。壁一面に、埋め込まれるように球状の装置が設置されていた。


球状の装置にぽっかりと空いた丸い穴の中から、次々肉塊が現れる。彼らは、あそこからやって来たのだ。


部下の一人が装置を触ろうとした。すると、肉塊達が彼の足にまとわりつく。恐慌した部下は払いのけようとするも、肉塊達は何度でも纏わりつく。そうして彼の全身を包み込み、その叫び声すら聞こえなくなって数秒、肉塊達は彼から離れた。いや、離れたという表現はおかしい。もう、そこに彼は居なかったのだから。


他の部下は狂乱していた。何人かは肉塊に攻撃しようとしたが、先ほどの彼同様、肉塊達に飲み込まれる。


腰を抜かしていたボクには、肉塊達は何もする様子を見せなかった。恐らく、装置と彼らに手を出さなければ問題ないのだろう。やめろ、装置に手を出すな。なんとか、絞り出すようにそう叫ぶ。部下達も落ち着きを取り戻したようだ。


部下達の殉職と、装置の事について伝えなければならない。一度、集合場所に戻ることにする。


「これは……人間ですよ。外見は兎も角、遺伝子的には。『ほとんど同じ』ではありません。完全に同じです。」


そう言ったのは、拠点に残っていた遺伝子畑の天使だった。


どういうことだ、とルキが問う。


「どういう事も何も、言った通りです。あれらは遺伝子的に人間と全く同一なんです。人間の、新たな形だとしか思えません。」


あれが人間だと、どういうことだ。周囲がどよめく中、更に発言する天使が居た。


「彼の言う事は、恐らく正しいです。私、研究施設で、データをサルベージ可能な端末を見つけたんです。『人を生み出す装置』の記載がありました。なんでも、最初は上手く行っていたけど、段々と肉塊を生み出すようになって、最終的には肉塊しか出てこなくなったとか……。増産派閥の拠点は、どこも同じ状況のようです。」


「どこも、同じ状況か……。その装置を見つけた者はいないか?」


ルキは、眉間に皺を寄せていた。


「その装置なら見つけたぞ。手を出そうとした部下が肉塊にやられた。絶対に触らないように。」


暫し沈黙が流れる。皆、悩んでいたのだ。同じ内容で。その後、天使達の中で議論が始まった。


「あれは我らが救うべき人間なのか?」と。

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