#7 天使の白日と人類の救済

「ねえミカせんせー、ベルお姉さんはまだこないの?」


あたたかな日差しが差すプレイルームの中で、私は子供達にせっつかれていた。


あのベルさんが、こうも子供達に人気になるとは思ってもみない事だった。人は変われば変わるものだ。彼女がルキさんに着いて行って以来、彼女の中の凍てついた何かが融けたかのように、立ち居振る舞いが変わった。もっとも、皮肉屋な所だけは変わってないが……。一応、それも子供達の前では出さないようにしているみたいだ。


まあ、変わったという話をするならば、私も人の事は言えないくらいには変わったか。


「ベルお姉さん、お仕事が忙しいんだよ。もうすぐ終わってこっちに来るって言ってたから、私と一緒に遊んで待っていようか。」


子供達は元気よく、素直に返事をすると、今度は鬼ごっこがしたい、かくれんぼがしたいと喧嘩になりかける。私はあわてて子供達を取りなし、間を取ってババ抜きでもやろうかと提案する。全く間を取っていないのだが、未だに運動は苦手なのでこういう場合にはよく提案している。子供達は、じゃあ私がトランプ持ってくる、いや僕がと競って倉庫へ向かって行った。


今の私はこうして、親の居ない子供達の面倒を見るのを新たな使命としている。


エナの死の翌日、怪我の治療をしている私の元にルキさんがやって来た。天使を救いたいと言っていた彼が私に語った方法は、神と天使の再定義。コンピュータを神として、天使をその使いとした宗教を作り上げるというものだった。そうすれば天使は救われる。もうエナ君のような犠牲を出したくない。その為には必要なことなんだと、彼は熱く語っていた。


でも、私は彼の意見に同意できなかった。今思えば、何故そうしなかったのか分からない。エナが死んだ後の私は、彼と同じ様にもう天使の犠牲を出したくないと考えていたはずだ。それでも彼についていかなかった。どうして着いて行かなかったのか、着いて行くべきだったんじゃないかと今でも自問する。


神様、そして天使という言葉の持つ意味が変わり始めたのは、それからしばらく経ってからだった。


ルキさんの周りには、沢山の天使達が集って行った。天使が殺されるのに対して、業腹だった者達がそれほどまでに多かったのだろう。


その頃から、街の中で布教をする天使達をよく見るようになった。


人通りが多いところで、「今の世界を創造し、維持しているコンピュータは神である。」「神によって賢人達から知識を引き継いだ天使達は、神の遣いである。」「神を信じれば来世では天使に生まれ変わることが出来る。」「善行を積めば、来世では天使に生まれ変わることが出来る。」……なんて扇動をしている天使達や、張り紙を見た。他にも色々な内容があったと思う。いずれも私の知る世界の在り様とは異なっていたし、何の根拠もない内容だったので、こんなので効果があるのかと疑問に思っていた。しかし、実際に天使達を信仰する人間は増えていった。私が思っていたよりも、人々は救いと拠り所を求めていたのだろう。彼らの手によって、祈りの手続きが作り出され、神への奉仕が定義され、かくして本当にコンピュータは神となった。今の人々の多くは、天使とコンピュータに祈りながら、日々を過ごしている。


これで、面白くないと考えたのはテロリスト達だ。そもそも天使に特権が与えられていたのが気に食わないのに、更なる特権が天使に与えられる。悪意が増大するのも宜なるかな、彼らによる天使の殺害は、一時的に増加した。しかし、そんな彼らを止めたのもまた人間だ。


神を信仰する人々が、テロリストを殺して回った。善行を積めば、来世では天使に生まれ変わることが出来る。この言葉が人々を動かしていた。神の遣いである天使を殺害するのは、彼らにとって悪である。悪を殺すのは、善である。親から棄てられた子供達がテロリストとなる。そんな言説が広まると、人々は悪いことなど何もしていない子供達まで殺し始めた。その中には、多くの人々と同じように、救いを求めて神を信仰する者も、親から棄てられた事は忘れたかのように、日々を楽しもうとする者もいた。だが、人々は止まらない。一度、自分たちが善だと思った人間は、悪に対して容赦しない。殺して、殺して、殺して、殺しまわった。


このままではまた人口が減少し始めてしまう。そう危惧したコンピュータ、いや、神によって、今後、例え天使の為であっても人を殺したものは悪であり、天使に生まれ変ることはないという声明が出されるまで、徹底的に反天使思想の持ち主や棄て子は迫害され、殺された。


『敵を憎むのはやめなさい。我々にとって、天使を憎む者も、棄てられた子供も、救うべき存在なのだ。それを怠り、死を以て我らの思想を押し通すのは、救い難き悪である。再び彼らが私に祈りを捧げる時を、共に静かに待とうではないか。』


『全能の神』による声明は効果覿面で、迫害はぴたりと止まる事となる。しかし、その頃にはもう天使を殺そうという者などほとんどいなかった。以降、天使が殺されたという話は、少なくとも私の耳には入っていない。


続いて、ルキさん達は天使に新たな使命を与えた。親の暖かさを知らない人々の親となる。友の居ない者の友となる。困っている人を助ける。そういったことをするよう、天使達に命じた。ルキさんに同調していなかったはずの私も、いつの間にか巻き込まれていた。


あれから十年。当時は新たな使命だなんて余り気乗りしていなかったのだが、結果を見れば新たな使命を引き受けてよかったのだと思う。当時、まだエナの死で負った心の傷が癒えていなかった私は、新たにやって来た仕事に忙殺されることになる。子供の頃から大人か、大人並の知識を持った子供としか接してこなかった私にとって、年相応な、純真な子供達と接する時間は新鮮だった。そうしているうちに、いつの間にか傷は癒えていた。辛い記憶が消えたわけではなかったが、未来に目を向けられるようになった。


かつてエナに、使命を失ってどう生きるべきか相談していた私は今では前を向くことができ、満たされている。子供達の面倒を見るのは大変だけど、楽しくもある。着いて行かなかったにも拘わらず、気にかけて、新たな使命を与えてくれたルキさんには感謝してもしきれない。


しかし同時に、彼らがこのまま先に進んで行ってもいいのか、間違っていないのか、どうしてもその不安を拭い去る事が出来なかった。


ある時から、人類を救うことを、最初から使命として持った天使達が生まれてくるようになった。老齢の天使達の使命を引き継いだのだろうか、あるいは天使の支援者達の使命を引き継いだのだろうか。


彼らは、天使が殺される事が無くなり、人類も信仰の元に安寧を享受するようになったと判断すると、こう主張し始めた。「我らの世界の人間はもう救いました。次は、かつて分かたれた人を救います。」


分かたれた人というのは、『偉大なる分裂』で私達とは違う道を選んだ人々のことだ。私達が分かたれてから、派閥間で交流は一度もなかった。彼らが今、どうなっているのかは誰も知らない。故に、本当に救うべきなのかどうかの議論が行われている。ベルさんが遅れているのも、その議論が長引いているという事なのだろう。でも、前に聞いた話からすると――


「お待たせ、ミカ君。やっと一区切りついたよ。」


やっと、ベルさんがやって来た。つい先ほどまで私と遊んでいた子供達は、直ぐに彼女の元へ向かってしまう。ちょっと納得いかないような感情を抱くが、そういった感情がエナを殺すことになったのだと、頭の中から必死に追い出す。


「遊ぶのはちょっと待ってくれ。ミカ先生に話があるんだ。なに、話が終わればいくらでも遊んであげるさ。」


ベルさんは子供達を宥め賺して、私の方への道を作る。昔のベルさんだったら手で払うか、最悪蹴飛ばすくらいはしていただろう。やっぱり、この人も変わったな。


必死で子供達を振り払い、応接室へ彼女を通す。


用意する飲み物は、私の分は紅茶、彼女の分はコーヒーだ。

まだコーヒーは飲めないのか、そう笑ってくるベルさんに、聖なる天使にそんな黒い飲み物は似合いませんのでと答える。いつものやり取りだ。


「お忙しいのに、いつも子供達の面倒を見てくださって、ありがとうございます。」

「構わないさ。ルキですら君と同じ様に誰かを助けているのに、ボクだけが、他の任務があるからとそれを出来ていない。大事な妹分の手伝いくらいしないと、罪悪感でつぶれてしまうよ。」


ベルさんは、ここ数年私の事を妹分扱いして来る。妹の親友だった私に対してそうすることで、妹が亡くなった悲しみ埋めようとしているのだろう。別に、妹扱いのついでに面倒ごとを押し付けられる訳でもないし、かつてのベルさんなら兎も角、今の彼女にそのように扱われても悪い気はしない。


「いつもと君は言ったが、最近は余り来られなかっただろう。出来るだけ時間を割こうとはしていたんだが……。子供達に、変わりはないか?」


「ないですよ。みんな、相変わらずいい子です。最近、私の知識を教えているんですが、皆驚くほど吸収してくれますよ。いずれ、歴史に残る発見をしてくれるかもしれませんね。もしかしたら、彼らの知識が次代の天使に引き継がれる事になるかも。」


ちょっと親バカが入っていたかな、頭を掻いて照れていた私にベルさんは笑いながら答える。


「そうなれば、皆を棄てた親達を見返せるな。天使でこそなかったが、天使に受け継がれる程の発見をしたんだぞ、ってね。」


「そうなってくれれば、いいですね。」


「きっとなるさ。」


ベルさんの目は、真剣だった。


そうしていくらか子供達の話をしたのち、ベルさんはぱんと手を叩く。


「あまり子供達を待たせてもいけないね。そろそろ本題に入ろうか。」


「そうですね……。じゃあ単刀直入に聞きます。ベルさん、本当に天使部隊は外征を実施するつもりなんですか?」


彼女は、少しの間目を閉じ俯いていた。その後、残っていたコーヒーを飲み干し、一気に答える。


「ああ。ルキが今日決定した。我々は、かつて分かたれた人々も救うとね。無論、天使部隊の中でも議論はあったよ。我らが救うべきは我らの世界の人々であり、分かたれた人々を救うのは彼ら自身であるべきだって意見もあった。でも、天使の本能なのかな。我々は常に使命を求めてしまうんだ。分かたれた人々を救うという大きな使命を、我々は求めてしまった。」


少し考えてから、私は問う。


「彼らはそもそも、偉大なる分裂で我々の思想と衝突し、結果として分かたれた人々です。我々とは思想が違うんです。彼らには、我々のいう救いなんて必要なんでしょうか。」


分からない。飾ること無く、彼女は答えた。


「キミの言う通りだ。我々の思想は、彼らにとって毒かもしれない。他の思想が毒になるかもしれないからこそ、かつての人々は分かれたんだからね。それ以前に、彼らが我々よりも優れた文明を築いているかもしれない。救いたいなんて言うのは我々の傲慢でしかない。」


「そう思っているなら、どうして――」


言いかけた私の言葉を遮り、彼女は続ける。


「そもそも、ボクは自分が今やっている事が正しいかどうかなんて分かっていないんだ。ルキに連れ出された日、ボクは彼にこう言った。『もしボクが間違っているというのなら。キミが正しいというのなら。……ボクをこの停滞した部屋から連れ出してくれ。』と。それ以来、彼が正しいというからボクは彼の言う通りに動いている。これでいいのかって、自分でも疑問に思う事も何度もあった。でも、もう止まれないんだ。」


「間違っているかもしれなくても、止まれないんですか?」


「ああ。一度自分の意思決定を他人に委ねてしまったなら、それについて自分の意志で動くことはもう出来ないんだ。間違っているかもしれなくても、彼らと行動を共にするしかない。だから―― だから、もしボクが間違っているなら、キミが止めてくれないか。」


彼女の眼には、諦めと期待が籠っている。そんな気がした。


「私が……ですか。」


「ああ。ボクの知る限り、キミは天使の中でも理性的に動いている方だ。エナの死の直後でも、ルキの甘言に耳を貸さなかった。……ボクは貸してしまったというのに。」


「私だって、なんでルキさんに着いて行かなかったのか、今でも分かっていないんです。そんな有様なのに、理性的だなんてとても言えません。」


本心だ。精神が限界を迎えている状況で逃避してしまった私よりも、例え他人に頼っての事であれ、同じ状況で道を切り開こうとした彼女の方が理性的に思えていた。


「まあ、理性的かどうかなんてのは方便さ。どうだっていいんだ。――ボクは、キミに頼みたいんだ。大事な妹分にね。」


私が悩んでいる様子を見せると、彼女は立ち上がった。


「まあ、考えておいてくれ。あんまり子供達を待たせても彼らに悪いね。ほら、キミも、一緒に行こう。」


ベルさんは私の手を引き、子供達の方に連れて行った。ベルさんが姿を現すと、子供達は彼女の周りに集まり、あれがしたい、これがしたいと喧嘩になりかける。喧嘩する子とは遊んであげないぞ、彼女がそういうとすぐに喧嘩は収まった。


ベルさん、違うんです。私が間違っているかもしれないとか、私が理性的でないとか、全部どうだっていいんです。


私は、あなたが間違っているかもしれないなんて考えたくなかった。ただそれだけなんです。

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