阿吽の夫婦

 登は「それじゃあ」と話を返すように指を回した。


「元味方の誰かが噂を流した、って可能性が今のところ高いって話になっちまうのか。目的はまったく想像つかないが」

「そう、なるのか」


 相馬もあごを撫で、思量に視線を落とす。


「目的はともかく。噂を流しそうな誰かが東京にいるってぇ話は聞いてないのかい。あるいは、うっかり噂になりそうな程度には発言に影響力を持った誰か、とか」


 登の問いかけに、相馬は眉間にぐぐ、と深く皺を寄せた。


「新政府側にも、元幕軍が出仕してはいるらしい。だが、影響力、という意味では……」

「ふうん? 今、誰を思い浮かべたんだい」

「……会津中将様」


 その名前に、登は無意識に背筋を伸ばした。


 会津中将。とっくに隠居されたというし、今はもう会津様でも中将でもないが、相馬や登がそう呼ぶのは、たった一人だ。元会津藩主、松平容保かたもり侯。新選組の結成を許し、それを庇護下に置いた、新選組にとって直属の主君だった方だ。


「会津様は今、東京にいらっしゃるのかい」

「ああ。詳しくは存じ上げないが、東京で蟄居されたと耳にした」


 登は「なるほど」とうなずき、薄く口の端を上げた。


「そこまでわかってるなら話は早い。探る価値は充分すぎるな。後はいったん任せろ」


 動く前に話を聞いて良かった、とあごを引き、改めて腰を上げる。


「じゃあ、俺は出るよ。随分と長居して悪かったな」

「出る? こんな夜更けに? 泊まっていけ」


 慌てた様子で相馬も腰を上げ、踵を返しかけた登の腕を掴み止める。


 登は苦笑交じりに相馬を見返し、「いや、さすがになぁ」と眉尻を下げた。


「いくら俺でも、所帯持ちの家に厄介になるなんざ、落ち着かないよ。飯を食わせてもらえただけで充分だ。後は適当に宿を取って、明日から動くさ」

「こんな夜半では、もう宿も閉まっている。ひと晩だけでも泊まっていけ」


 やはり抑揚はないが、瞳には必死なまでの心配と気遣いが溢れていた。


 ついつい、また溜息がこぼれ出る。


「いや、だからな。そういう気遣いは俺じゃなく、マツさんにしてやれって言ってるんだよ。どう考えたっていきなり泊まり支度なんざ迷惑――」


 返しかけたところで、見計らったように襖の外から「旦那様」と細い声が届いた。


 相馬が「マツ」と答えれば、静かに襖が開く。


 どうやら新しい茶を淹れて持ってきてくれたらしいマツは、登と相馬の体勢を見て、きょとりと目を瞬かせた。


「マツ、中島に――」

「おいコラ、相馬」

「お休みになられますか? 客間に、中島様のお寝間着と夜着は整えてございます」


 二人の会話を知ってか知らずか、マツは何でもないように言って恭しく頭を下げた。


 登は思わず言葉を失い、隣にいた相馬はいっそ朗らかな表情で目をたわめた。


「泊まっていけ」


 駄目押しをされる。


「……わかったよ。すみません、ご厄介になります」


 登は観念してうなずき、マツにぺこりと頭を下げるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る