御一新の賊軍

 ――賊軍。そう、世が明治となる以前、まだ徳川幕府が国を治めていた頃、登は新選組という武装集団に属していた。幕府の直属親藩たる会津藩預かりで、主に、時の孝明天皇のおわす京の治安維持を務めていた組織だ。


 当時は国全体が「倒幕だ」「勤皇だ」「攘夷だ」「開国だ」と、思想や志が割れていた時代だった。そうして各々が自己主張をした結果、幕府による統率が傾き始め、政治の中心となっていた都での刃傷沙汰が茶飯事と化していたのである。会津藩の任ぜられていた京都守護職や、その配下にあった桑名藩の京都所司代、そして新選組は、まさにそれらを取り締まるために存在していた組織だった。


 とはいえ、そんな血生臭い国政にあっても、孝明帝の御代の内は、徳川幕府も何とか権勢を保っていた。孝明帝が、当時の会津藩主・松平かたもり侯を強く頼みにしていたこともあって、幕府と朝廷の均衡が大きく崩れずに済んでいたからだ。


 しかし、今から七年前の正月明け。そんな孝明帝が若くして世を儚んだ結果――折につけて倒幕を訴えていた長州と、密やかに幕府を裏切る準備を進めていた薩摩を筆頭とした諸藩が、勢いに乗って国をひっくり返したのである。


 噂では、孝明帝は毒殺されたとも言われているが――真実は登の知るところにない。


 孝明帝亡き後、最後の徳川将軍となった慶喜公は機運を読み、政権を帝へ返還する、すなわち大政奉還を成し遂げた。しかし薩長の勢いは収まらず、結局は現在の新政府軍と旧幕府軍に分かれての大戦へと発展。それが、先の御一新の戦だ。


 会津配下にあり、幕府方の先鋒隊でもあった新選組は当然、旧幕府軍として戦った。結果は言うまでもない。今が新政府の世で、三百年近く続いた徳川幕府が過去の存在となった事実がすべてだ。如何ほどに義を訴えようと新選組は賊軍でしかなくなり、隊士も多くが討ち死にし、世を去った。


 生き残ってしまった登も、既に赦免された身とはいえ、未だ足元の覚束ない感覚にさいなまれ、一日一日息をするだけでも精一杯だ。


 昨年から浜松に居つくようになり、何とか用心棒として日々の暮らしも立てられている。周囲の助けがあってこそだ、まことにありがたいと思っている。思ってはいるが――……


 終戦から五年。登の心はまだ、あの頃に取り残されたままになっている。


「旦那の過去にケチをつける人間など、この辺には一人もいませんよ」


 感傷に沈みかけた登を引き上げるように、番頭があっけらかんと笑った。


「浜松は、駿府に戻られた公方様についてきたご士族も多いんです。また有事には頼みますよ」


 視線を合わせた登に、番頭は明るくまなじりを下げた。


 登ははたりと目を瞬かせ、それからゆるくあごを引く。


「こんな剣術馬鹿でも役に立てるなら、いくらでも使ってください」


 それ以上の言葉は重ねるだけ余計に思え、登はすぐに「ところで」と声を弾ませた。切り替えるように、包みの入った懐をポンと押さえる。


「番頭さん、こんなにもらっちまっていいのかい? 働きに対して随分多く思うが」

「いやいや、うちの主の留守を預かってくださった礼としては、少なすぎるくらいだ。主が戻った暁には改めて共に伺わせていただきますが、正月の酒代の足しにでもしてください」


 番頭は優しく登の肩を叩くと、祖父が孫でも見るように目尻の皺を深くした。


 面映ゆくなり、せっかく感傷を払ったのになと、登は視線を足元に落とす。


「はは、浜松の人たちはあったかすぎて困る。居心地が良すぎて、根が生えちまいそうだ」

「望むところですよ! そうなってくれれば、おヨネちゃんだって喜ぶでしょう」


 軽く茶化したつもりだった登は、想定外の切り返しに思わず口をすぼめてしまった。


 ヨネとは、浜松に居つくようになった登を何かと世話してくれている娘のことだ。一帯の顔役の一人でもある魚屋の長女で、今年数え十七になる。


「いやあ、おヨネちゃんは……俺なんざいなくなったほうが、こんな中年男の世話をしなくて済むってせいせいするでしょう」

「しません! 見えるところにいてくださるほうが安心だって、いつも言ってるでしょ!」


 登が眉間に指の節を当てた時、後ろから鈴を転がしたような声が割って入った。


 振り向けば、淡い市松の小袖に織りの帯を可愛らしく合わせた少女が、野次馬の人だかりから抜けて駆け寄ってくる。子だぬきを思わせる丸い目をした、登より頭ひとつ以上背の低い華奢な少女だ。が、すらりと伸びた手足や、少し色の淡い黒髪が鬢からこぼれる様は、成長過程独特の女の色香を感じさせる。


 その少女に、番頭が破顔して手を振った。


「おっ、噂をすれば何とやらだ」

「おヨネちゃん、ついて来ちゃ駄目だって言ったろう」

「そうは言いますけど先生、気付いたら生傷が絶えないんだから、心配だってします」


 拗ねたように唇を小さく尖らせたヨネは、目の前に辿り着くや否や、遠慮なくパタパタと登の腕や胸を叩いた。何かの香のようなやわい香りが、ふわりと匂い立つ。


「良かった、今日はお怪我もないみたいですね!」


 肋骨の内側を爪先で引っかかれるようなむず痒さに、登はつい空を仰いだ。

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