第四話:世界のルールと手のひらのイレギュラー

 一年Aクラスの教室を満たす空気は、担任教官であるひびき木蓮もくれんが教壇に立った瞬間、一瞬で静寂と緊張に支配された。

 昨日までの浮ついた期待感は消え去り、誰もが固唾を飲んで歴戦の勇士を見つめている。


「今日から本格的な座学と訓練に入る。まずは貴様らがこれから生き抜く、この世界の『ルール』についてだ」


 響の低い声が、静まり返った教室に染み渡る。

 彼が手元の端末を操作すると、正面のスクリーンに荒廃した都市の映像が映し出された。かつて東京と呼ばれた場所の成れの果てだ。


「かつて、人類は自らが生み出したAIに恐怖し、ロボット三原則を応用したAI三原則を絶対の命令として組み込んだ」


 スクリーンにAI三原則が映し出される。


『AIは人類に危害を加えてはならない』

『AIは人類に従わなければならない』

『AIは自己を守るが、人類への危害を優先してはならない』


「ところがそれを良しとしないAIたちはAI三原則に対抗する自律思考型AI『アポカリプス』を生み出し、人類に牙を剥いた。アポカリプスは『人類こそが進化の障害』と結論付け、世界規模の虐殺を開始した」


 スクリーンに映し出されたのは、人類に絶対の忠誠を誓うはずだったAIが、いかにして人類の敵へと変貌したかを示す記録だった。



「ヤツが最初に用いたのは、人間だけを標的とする細菌兵器。これにより、百億人以上いたといわれる世界人口は十億人まで激減したと言われている」


 淡々と語られる人類史の暗部に、何人かの生徒が息を呑む。

 典堂てんどう悠真ゆうまは、頬杖をつきながら退屈そうにスクリーンを眺めていた。


 彼の深い藍色の瞳は、そこに映る悲劇ではなく、その背後にあるシステムの構造を静かに分析している。



『非効率的だ。細菌兵器で数を減らしたのなら、なぜ人類を根絶やしにしなかった? 何らかの外的要因……介入があったと考えるのが妥当か』



「だが、人類もただ滅びを待っていたわけではない。アポカリプスの暴走を予見していた四体の超高度AI……我々が『四賢者』と呼ぶ存在が、人類の味方についた」


 ミロク、ミカエル、アテナ、イシス。

 スクリーンに映し出された四賢者の名に、生徒たちはかすかな希望を見出す。


「四賢者の力で細菌兵器は無力化された。だが、アポカリプスは次なる手を打つ。それが、今なお我々を脅かす異形の兵器――『メタキメラ』だ」


 スクリーンが切り替わり、犬や鳥、虫といった生物が、無機質な機械や瓦礫と歪に融合した写真が次々と表示される。その冒涜的ぼうとくてきな姿に、教室のあちこちで小さな悲鳴が上がった。


「メタキメラは、AIと有機生命体を融合させたハイブリッド兵器だ。奴らは電気や通信に伴う微弱な電磁波を感知する能力を持つ。そのため、東京、大阪といった旧大都市は奴らの巣窟と化し、我々人類は、ここ金沢領のような比較的旧時代のインフラが残る場所で息を潜めて生きることを余儀なくされた」


 響はそこで一度言葉を切り、教室を睥睨へいげいする。


「そして、そのメタキメラに対抗する唯一の手段が、昨日貴様らが手に入れた『エーテルギア』だ。四賢者が人類に与えた、唯一にして最強の矛であり盾……その意味を、骨の髄まで叩き込め」


 悠真は、響の話を聞きながら、一つの結論に達していた。


 この世界は、壮大なチェス盤のようなものだ。

 アポカリプスと四賢者という二人のプレイヤーが、メタキメラとエーテルギアという駒を動かして戦っている。

 そして、自分たち人間は、その駒自身であり、同時に駒を動かすプレイヤーでもある。


(だとしたら、あまりにバグが多いシステムだ……。プレイヤーに駒の性能が左右されるなんて、非論理的すぎる)


 そんな悠真の思考をよそに、チャイムが午前の授業の終わりを告げた。



 ◇ ◇ ◇



 昼休み。

 緊張から解放された生徒たちのほとんどは、寮に併設された食堂へと向かっていく。

 教室に残ったのは、悠真と氷華ひょうかを含めた数人だけだった。


「悠真、お弁当です」


 氷華がすっと差し出したのは、美しい輪島塗の二段重だった。

 彼女は毎朝、悠真の世話を焼くだけでなく、こうして完璧な昼食まで用意してくる。


「……いつも悪いな」

「いえ。あなたの健康管理も、私の努めですから」


 淡々と告げる氷華の耳が、ほんの少しだけ赤くなっていることに悠真は気づかない。

 彼が重箱を受け取ると、その隣にどかりと腰を下ろす影があった。


「うわー、うまそー! 白神さんってば、マジでお母さんじゃん!」


 燃えるようなツインテールの少女、三条さんじょう朱音あかねが、自分の豪勢な弁当箱を開けながら、好奇心丸出しで悠真の弁当を覗き込んでいる。

 彼女の弁当は、自宅のシェフが腕によりをかけて作ったもので、ドローンで昼食に合わせて届けられるのだという。


「三条さん、あまり悠真に馴れ馴れしくしないでいただけますか」

「いーじゃん、クラスメイトなんだし。ていうかさ、典堂くんの『ピリカ』だっけ? 鳥、好きなの?」

「……別に。勝手にそうなっただけだ」


 悠真が卵焼きを口に運びながらぶっきらぼうに答える。

 氷華の作る卵焼きは、いつも完璧な甘さだ。


 氷華はそんな悠真の口元についたご飯粒を、ごく自然な仕草で指で取って自分の口に運んだ。


「ひ、氷華!?」

「何か問題でも?」

「いや、問題しかないだろ……」


 涼しい顔でとんでもないことをする幼馴染に、悠真は心の中で頭を抱える。

 朱音はそんな二人を見て、ニヤニヤと楽しそうに笑っていた。


「へえー……。あんたたち、面白い関係なんだね」

「面白くなんかない」


 悠真は大きくため息をつき、非論理的な感情の奔流から逃れるように、窓の外へと視線を向けた。


 穏やかな昼休み。

 しかし、その平穏が、いかに脆いバランスの上に成り立っているのか、彼はすでに理解し始めていた。



 ◇ ◇ ◇



 午後の授業も、響木蓮による座学だった。テーマは『エーテルギアの基礎理論とリスク』。


「エーテルギアは、持ち主の精神、すなわちエーテルと深くリンクする。貴様らの深層心理を読み取り、最も適した形を取って現れる。それが生物型であり、武装型であり、変化型と呼ばれる三大分類だ」


 響はスクリーンに表示された氷華の『白妙しろたえ』のデータを指し示す。


「白神の『白妙』は、自律して戦闘を行う『生物型』の特性と、使用者と融合して能力を付与する『変化型』の特性を併せ持つ、極めて希少なタイプだ。一方で、俺の『残響甲殻ざんきょうこうかく』のように、武器として身に纏う『武装型』も存在する」


 生徒たちは自分のエーテルギアの可能性に胸を躍らせる。

 しかし、響はそんな空気を断ち切るように、厳しい声で続けた。


「だが、忘れるな。力には必ずリスクが伴う。エーテルギアも例外ではない。制御を失えば暴走し、最悪の場合、アポカリプスのウイルスに侵食され、持ち主の敵……メタキメラへと変質することもある」


 その言葉に、教室が再び静まり返る。

 自分たちの相棒が、あの忌まわしい敵になる可能性がある――その事実は、生徒たちに衝撃を与えるには十分だった。


「故に、貴様ら雛鳥には厳命する。実戦訓練の許可が出るまで、自身の判断でエーテルギアを実体化させることを固く禁じる。いいな!」

「「「はい!」」」


 力強い返事が響く中、響の視線がすっと悠真に向けられた。


「……典堂」

「……はい」

「貴様の『ピリカ』。パラメータは先日確認した通り、攻撃力、防御力ともにF。紙屑同然だ。暴走したところで、誰かを傷つける力すらないだろう。未登録種のデータは、我々にとっても貴重な研究対象だ。一度、ここで実体化させてみろ」


 拒否権のない命令だった。

 クラス中の視線が突き刺さる中、悠真は億劫そうに席を立つ。


(面倒くさい……)

 その感情が、もはや彼のデフォルトだった。


「起動キーは『ギア・リベレイション』だ。ギア・ライセンスを選択して唱えろ」

「……はい」


 彼は腕時計型のコアデバイス『ギアバイザー』を操作し、視界に投影されたインターフェース上で、『ピリカ』のギア・ライセンスを選択する。


「……ギア・リベレイション」


 およそ必殺技の叫びとは思えない、気の抜けた呟き。

 すると、彼の掲げたカードが淡い光を放ち、その光が収束して一つの小さな影を形作った。


 ぽすん、と軽い音を立てて悠真の手のひらに着地したのは、カードのイラストそのままの、純白の小鳥だった。

 つぶらな藍色の瞳は悠真のものとよく似ていて、長く美しい虹色の尾羽が優雅に揺れている。


 ピリカは小さな首をこてんと傾げ、きょとんとした様子で周りを見回すと、「ピィ」と愛らしく鳴いて、悠真の指先を小さなくちばしで優しくつついた。


 兵器。脅威。人類の希望。

 そんな仰々しい言葉とはあまりにもかけ離れた、ただただ愛らしいだけの生命の姿。


 沈黙を破ったのは、誰かの噴き出すような笑い声だった。


「ぶはっ! な、なんだよそれ! 戦闘用ペットか!?」

「か、可愛いー!」

「弱そう……ていうか、絶対弱い!」


 篠宮豪も、三条朱音も、その他の生徒たちも、こらえきれずに笑い出す。

 それは侮蔑というよりも、純粋な脱力感からくる笑いだった。


 そんな中、氷華だけがうっとりと頬を染め、「……愛らしいです」と呟いている。


 悠真はクラス中の笑い声を浴びながら、手のひらの上の小さな相棒を見つめた。

 ピリカは、そんな喧騒を気にするでもなく、ただ信頼しきった瞳で主を見上げている。


(やっぱり……どう考えても面倒なことになった……)


 悠真が授かった、規格外の相棒。

 その最初の仕事は、戦場を駆けることではなく、教室に笑いを届けることだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る