巨馬

 ムムカ族の集落を出たルイとセリカは木々が生い茂る街道を進んでいた。

 宴の後に約束通り二十万リロの報酬を貰い、討伐したグラソンの毛皮と肉は干し肉などの保存食と交換してもらった。

 旅の準備も万端となり、意気揚々と歩き出したはいいが、二人はあることに気がついたのだった。

「徒歩って遅いですね」

「今更それを言うか」

 氷原を抜けて既に半日が経過しており、徒歩での移動に限界を感じ始めていたのだった。

「ムムカ族の集落で馬でも買っておけばよかったな」

 とルイは後悔したが、セリカはこう返した。

「ムムカ族の移動手段はイヌぞりなので馬はいませんよ。別の部族には馬を育成しているところもあるらしかったのですが……」

 後になって後悔したところで氷原に戻る訳にもいかず、仕方ないので二人は歩き続けるしかなかった。

「看板ですよ、御坊ちゃま」

 長い街道の途中に年季の入ったボロの看板が立っており、そこにはビークランド王国と書いてあった。

「今国境を越えましたね」

「そうなのか……僕はてっきり国境には警備隊が配置されているのかと思ったのだが」

「ピークランドは僻地の小国ですからね。そこまで人員を割けれないのです。ただ警備が緩いということで治安も悪いですけどね」

 ルイは呼び出しの魔法で『ビル・ラギンの世界ぶらり旅』という本を取り出してピークランドについて調べた。

 ……レビュー、星ニ。

 蛮族や海賊がところ構わず暴れ回っており、治安は最悪。

 その上魔族も暴れ回っているので危険この上ない。

「なるほどな……少なくとも退屈はしなさそうだ」

 この程度の前評判で怖気付くルイではなかったが、果たしてこの国で人間の強さについて理解が深まるかどうかが問題であった。

 魔族が人間よりも強いと言われている理由は単純に身体能力が遥かに人間を上回っているからだ。

 そもそも並の人間は単純な力であれば家畜にすら劣っている。

 綱引きで牛には勝てないし徒競走では馬に勝てない。

 だが魔族は何の訓練も受けていない並の魔族であったとしてもそれらを凌駕する身体能力を持っている。

 そして魔族と人間の決定的な差は魔力だ。

 魔族の持つ魔力は量も多ければ質も高い。

 同じ魔法を使っても人間と魔族では威力にかなりの差が出てしまうのだ。

 だがそれだけ生まれながらの力をに差があっても魔族は人間に敗北し、完膚なきまでに叩きのめされた。

 そして現在、魔族は迫害の対象となっているのだ。

 その気になれば単騎で村一つ滅ぼすことなど造作もないはずの魔族が今ではまるで人間に及んでいないのだ。

 その理由をルイは無性に知りたいのだが、今のところその機会に恵まれていなかった。

 やはり勇者か、或いはそれに類する者と対峙しなければそれは分からないのか。

 であるのならばどうすれば彼らと出会うことが出来るのか。

 ルイはそのことで頭を悩ませているのだった。

「御坊ちゃま、人の声が聞こえて来ましたよ」

 あれやこれやと思案していると、セリカがそんなことを言い出した。

「確かに聞こえるな」

 耳を澄ませば確かに誰かが助けを求める声が聞こえてくるではないか。

「行ってみよう、上手くすれば移動手段が手に入るかもしれんぞ」

「だと良いですけれど」

 ルイは声のする方へ駆け出して行き、セリカもそれに従ってついて来た。

 声の主の方まで来てみれば農夫らしき男が魔獣に襲われているではないか。

「ブレイヴンですね。嘴と鉤爪が刃になっている鴉です」

 魔獣の種類を瞬時に判別したセリカはナイフを抜いた。

 ルイもメティス・エペを作り出し、戦闘体制に入る。

「怪我はないか、そのままじっとしていろ。すぐにカタを付ける」

 ルイは華麗な剣術で上空から襲いかかってくるブレイヴンの攻撃をいなして流れる様な動きで反撃し、一撃で仕留めた。

 一方セリカは宙に飛び上がり数合ブレイヴンの刃と切り結んだ後的確に急所を突き、地面に着地したと同時にブレイヴンの死体も地面に落下した。

「今夜は焼き鳥だな」

「駄目ですよ御坊ちゃま。ブレイヴンは肉が臭いので食べられません」

「そうなのか、それは残念だな」

 二人がそんな呑気な会話をしている間に他のブレイヴンが集まって来ていた。

「飛ぶ鳥にはこいつが有効だろう、フルメン」

 ルイが呪文を唱えると、彼の指先から稲光が発生して集まって来たブレイヴンを全て撃ち落とした。

「流石は御坊ちゃまです。鴉どもは内臓までまるこげですよ」

 ブレイヴンが死んだことを確認したセリカは、尻餅をついている男に話しかけた。

「間一髪でしたね」

「あ、ああ……助かったよ。普段は馬で振り切るんだが今日に限って落馬しちまってな」

 落馬したという割には男に目立った外傷はなさそうだったので上手く受け身を取ったのだろう。

「それは不運でしたね、それはそうとこの先の街で馬を買うことは出来ますか?」

「勿論だ……だが結構高いぞ」

「大体幾らするのですか?」

「そうだな……安くても二十五万リロだろう」

 二人の所持金が二十万リロしかないのでこれでは買いようがなかった。

「足りんではないか。どうする、また魔物でも狩るか」

「そんなに都合よく魔物は発生しませんよ……しかし困りましたね」

 残り五万リロを稼ぐのはそう簡単な話ではない。

 それなりに長い時間生きて来たセリカは余所者が簡単にありつける仕事など有りはしないということを分かっていた。

 そして運良くありつけたとしても日銭を稼ぐ程度にしかならず、とてもではないが短期間で五万リロを貯めることは出来ないだろう。

 金が足りないと悩んでいる姿を見かねたのか助けた男が口を開いてこう言った。

「あの……助けて貰った礼でもないが、俺を振り落として何処かに行った馬でよければ譲るぞ」

「それは本当ですか? しかし乗り手を落馬させてまで逃げ出す様な臆病な馬では……」

 男の申し出にセリカは喜んだが、これから長い間その馬と旅をするとなると臆病な馬ではこの先大丈夫なのかと心配になった。

「臆病なんてとんでもない。あれは凄まじく気性の荒い馬なんだ。俺を振り落としたのも襲って来た魔獣を追いかけて行ったからで……」

 馬の話をしていれば遠くから蹄で地面を蹴る音が近づいて来た。

「ああ、帰ってきたか」

 それは馬というよりも怪物の様だった。

 背の高いルイが見上げなければならない程の体高を持つ巨体であり、威圧感を放つ黒鹿毛の馬なのだが異様なのはこぶの様に盛り上がった筋肉だった。

 ロングボウで放った矢ですら弾いてしまいそうな頑強な肉体を持つ巨馬だが、怪物じみていると感じさせるのはその見た目ではなかった。

 巨馬は驚くべきことにブレイヴンの死体を咥えていたのだ。

「なぁ、これは魔獣なのか」

 とルイが聞くと男は否定した。

「いや、農耕用の普通の品種だ。この馬は獲物を仕留めると自慢げに成果を見せびらかしにくるんだ」

 猫かよと心の中でツッコミを入れつつ、ルイはこの馬を観察した。

 確かにこの馬であればこれから待ち受けているであろう過酷な旅も耐えてくれそうだった。

 バヒヒンと野太い声で鳴いた馬は見せびらかすことが出来て満足したのか咥えていたブレイヴンの死体を離して木々の中に向かって蹴り飛ばした。

 そして馬はルイが自分を観察していることに気がつくと、馬の方もルイを品定めする様にじっと観察し始めた。

「どうですか、御坊ちゃま」

「いい馬だな。力強く生命力に溢れている……だが教育が必要だ」

 馬は急に前足を高く上げると、ルイの脳天を目掛けて振り下ろした。

「危ない!」

 男が叫ぶと同時にルイはさらりと身を躱わす。

 そして馬の首にそっと指を添えた。

「気に入ったぞ、僕のモノになれ」

 その瞬間、馬は全身を身震いさせた。

 それは馬の持つ野生の本能が故の反応か、高い知能を持つ動物だからこそ感じ取ることが出来たのかは分からないが、馬はこの瞬間に己がルイに殺されるイメージを幻視した。

 獣であっても死は恐ろしいものだ。

 この場でルイに従わなければ命は無いと感じた馬は、頭を垂れる様にして足を折って座り込んだ。

「凄い、この馬があっさりと言うことを聞くなんて。何者なんだあんた」

 今まで誰かの言うことも聞かなかった馬が素直に従ったことに驚いた男はルイの素性が気になった。

「旅人だよ。それはそうと本当に貰っていいんだな?」

「勿論さ。その馬は気性が荒いせいで買い手も付かなかったし大喰らいだから餌代も馬鹿にならなかったんだ。だからまぁ、恥ずかしい話だがこの馬を野生に帰そうと思って出てきたらこうなったって訳さ」

「そうか、なら遠慮なく貰うとするよ」

 足を手に入れて満足したのかルイはその場から去ろうと馬を連れて行こうとしたが、男は呼び止めてきた。

「ちょっと待ってくれ……折角の縁だ、俺が街まで案内するよ……俺はオルゼスの街で馬を育てているパウエルだ」

「僕はルイ、あっちのメイドはセリカだ。僕は一向に構わんが、セリカはどうだ」

「御坊ちゃまに従います」

「だそうだ。街までの案内宜しく頼む」

「ああ、任せてくれ。その代わり魔獣が出てきたら守ってくれよな」

 と言うことで馬を手に入れたルイたちはパウエルの後を付いて街まで行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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