3 視力二・〇の危機察知


 大広間に集められたのは、全国から選りすぐられた数十人の娘たちであった。

 豪華な衣装や装飾品を身に纏っている様子から、良家の娘たちであることがわかる。家柄や先ほど披露した芸事の習熟度から、おそらく似たような位の妃候補たちが集められたのだろう。


 梅鈴の見立てが間違っていなければ、これから行われる「謁見の儀」さえ乗り越えれば中級妃は堅い。


 今日の梅鈴の衣装は、亡き母の形見の着物を自分で仕立て直したものだ。古臭い柄ではあるものの、そこは「由緒正しい古典柄」と言い張る。

 髪飾りは、骨董市で投げ売りされていたガラクタの中で見つけた真鍮を磨き上げたもの。金メッキが剥がれかけているのが難点だが、遠目に見ればアンティークに見えなくもない。


 元手はほぼ皆無。計画がうまくいきさえすれば、その利益率は無限大だ。


「次は、周家の娘、梅鈴!」


 宦官の甲高い声が響く。梅鈴は表情を引き締め、しずしずと前に進み出た。

 三歩進んで跪き、額を床につける。完璧な礼儀作法だ。これだけで家庭教師代に銀貨五枚もかかったのだから、元を取らねばならない。


「面を上げよ」


n御簾の向こうから、冷ややかな声が降ってくる。梅鈴がゆっくりと顔を上げると、そこには豪奢な椅子に座る一人の男の姿があった。

 皇帝ではない。今回の選定を取り仕切る最高責任者の官吏だ。


「周家……。父君の噂は聞いている。稀代の蔵書家だとか。其方も書を読むのか?」


「はい。幼き頃より父の書庫で、古今の教えに触れてまいりました」


 漆黒の官服。無駄な装飾を削ぎ落とした、洗練された意匠。艶やかな黒髪はまるで生娘のようで、整った顔立ちは彫刻のように美しい。−−しかし、梅鈴を見下ろすその瞳には、一切の温度がなかった。


 まるで氷でできた刃物のような男。


(……この男が、噂の)


 白連《ハクレン》。

 弱冠二十四歳にして御史台ぎょしだいの高官・御史ぎょしを務める切れ者。

 御史とは、皇帝の代理として官僚の不正を暴き、弾劾する権限を持つ監察官のことである。その権限は大きく、又の名を「皇帝の目」とも呼ばれる。


 若くして御史として名を挙げた優秀な高官がいるとの話は、事前に予習済みであった。

 腐敗した貴族たちを容赦なく弾劾し、粛清の嵐を巻き起こしたことからついたあだ名は、「氷の御史」。


 彼の手には、一冊の分厚い帳簿が握られていた。梅鈴の視力は二・〇相当。白蓮との会話をこなしながらも、一瞬だけ見えた表紙に書かれた文字を見逃さなかった。


(……は?)


『後宮維持費 削減案』。


 梅鈴の思考が一瞬停止する。


 削減案? 後宮維持費の?


(待って。それってつまり……、人件費削減!?)


 梅鈴の背筋に冷たいものが走った。

 後宮において、最も手っ取り早く金銭を生み出すには人員削減をすることだ。皇帝に差し出す娘たちに粗末な衣服や食事を与えるわけにも、必要以上の節約を説くわけにもいかないため。


 つまり、維持費削減案と書かれたあれは、すなわち人員整理の計画書だ、と梅鈴は考える。……もしや、今日選ばれる妃の数を減らそうとしているのではないか? いや、たとえ合格をもらっても、いつ首を切られるかわからない。

 それは、「中級妃で安定生活」を目指す梅鈴にとって脅威である。


(なんてこと……! ここに来て最大の敵が、審査員席にいるなんて!)


 梅鈴が戦慄していると、ふと、白連と目が合った気がした。彼は梅鈴を一瞥すると、すぐに興味なさげに視線を逸らした。

まるで、「取るに足らない装飾品の一つ」とでも言うように。

 その目には、女性に対する関心も、情欲も、慈しみもない。あるのはただ、事務的な処理能力だけ。


(……嫌な男)


 第一印象は最悪だった。

 だが、同時に奇妙な親近感も覚えた。あの目は、知っている。

 借金取りと対峙し、利息を一文単位で値切るときの、自分自身の目と同じだ。感情を排し、損得だけで世界を見ている目。


(負けないわよ、御史閣下。私は何が何でも、この後宮という名の年金機構にしがみついてみせる!)


 梅鈴は心の中で毒づきながらも、表面上は可憐な文学少女を演じきった。幼い頃から借金取りと戦ってきた梅鈴にとって、この程度の演技は造作もない。いくつかの問答を終えて、白連は小さく頷く。


「よろしい。下がってよい」


 とりあえず、第一関門は突破だ。梅鈴は恭しく一礼し、後退りした。

 去り際、白蓮が手元の帳簿に何やら書き込んでいるのが見えた。やり取りには自信があったが、その冷たい表情からは合否の結果はわからない。


(できることは全部やったわ。不合格でないことを祈るのみね)


 −−かくして、結果は合格。狙い通り、梅鈴は才人として後宮へ入ることを許された。

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