名無しさんと動物園
学校での生活は変わらず充実していた。
林檎から声を掛けられ、皆が集まり談笑する。その輪の中に俺はいた。
嵐山さんは前列窓際。
一方、俺は最後尾の中央なので基本的に交わることはない。教室を出るときも、授業中も。
班分けをするにも最近は林檎と組むので嵐山さんと一緒になることはない。
返事が来なくなって、嵐山さんとの距離が前より遠くなった気がした。
何がいけなかったのだろう。
たまに視線を送るが、嵐山さんはエリート集団に囲まれ様子を伺うことさえできない。
知ってしまったからこそ一抹の不安が残る。
クラスには大きなグループが三つ存在している。
林檎、桃たちがいる女性中心のグループ。
母体は女子のリーダー的存在、
俺は今、この派生グループに取り込まれている。
そして嵐山さん有するエリート集団。
一年の時から学級委員を務める
もう一つは良吾や謙信が身を寄せるグループ。
ちょい悪が格好いいと思っている集団で、長身でイケメンの
ここには美少女ハーフの
俺や良吾は野良に近いが、徒党を組む時もあるし、禁忌やルールがあるわけでもない。
ただし三人のリーダー格はクラスの柱になっていることは明白で、担任のシオミーも一目置いている。
ある日、下駄箱に便せんが差し込まれていた。
今までとは内容が異なり、かなり切迫した悩みが
『いつもよくしてくれる友人の元気がない。心配で事情を聞くが理由を話したがらない。なんとか力になりたくて、僕は君との関係を告白した。
すると友人は泣き出してしまった。どうしたらいいんだろう。何がいけなかったんだろう。後悔しても友人は元気にならない。何をすればいいんだろう。僕には何ができるんだろう。この苦しみを誰かに知ってほしくて、わがままな僕を許して』
名無しさんも苦しんでいる。
友人の力になれない無力さを悲しんでいる。
こういう時にこそ手紙を送って勇気づけてあげたい。
いや、それが迷惑かもしれない。
人はそれぞれ自分の価値観を持っている。そこまでしてほしいのか。
沈黙することで、時間が解決してくれるのではないか。
いつの間にか名無しさんの悩みが自分の悩みとリンクしていた。
ミウリもその解決方法を知りたい。
どうしたら友人を助けられるのか、どうしたら嵐山さんに気持ちが伝わるのか。
この
『嵐山さん、突然ごめんなさい。どうしても聞いてほしいことがあって手紙を書きました。
先日話した名無しさんから手紙をもらいました。とても悩んでいる手紙でした。それを読んで俺は胸が締め付けられました。落ち込んだ友人を元気にさせたいけどできなかったと言っています。すごく自分は無力だと。
俺はこの名無しさんもその友人も助けてあげたい。悩みがあるなら助けになりたい。元気づけてあげたい。でも俺はバカだから、その方法が全く思いつきません。
嵐山さん、何かいい方法はないでしょうか。こんなことを頼むのはおこがましいとは思いますが、今の俺には嵐山さんの言葉が必要なんです。
どうか知恵を貸してください。見返りに何でもします。俺ができること、時間がかかっても必ずします。だからどうか、どうか俺に力を、もう一度だけチャンスを下さい。
一ツ橋美兎』
書き終えた手紙に念を込め、切手を貼ってポストへ投函する。
この手紙に返信がきますように。
そう願いながらポストへ向かって柏手を打ち、深々とお辞儀をして家に戻った。
――日曜の昼過ぎ。
良吾が家に突然やってきた。
と言っても小学校の頃からの腐れ縁だ、当然両親も彼を知っているので母は何の疑いもなく迎え入れた。
良吾は部屋に入るなり、腕を頭の後ろに抱えると、そのまま寝そべりため息をついた。
「どうしたんだよ、急に来たくせに黙りこくって。今度は何があった?」
願い空しくまだ手紙の返事がこない状況で、今度は良吾に何かあったらしい。
悩み事がある時はいつもこうなるからもう慣れた。
俺は机の椅子を反転させ腰を下ろした。
「聞いてくれよー、ミウリー」
「はいはい」
良吾は起き上がりこぼしのように反動を付けて上体を起こすと、鼻を指でつまみ、徹子さんのような半音高い声を出した。
「ケンチンニバレタ」
「は? なんて?」
鼻をつまんでるせいで、よく聞こえない。
けんちんニラレバ? 意味不明だ。
耳に手を当て聞き返す。
「謙信にバレたの!」
良吾は逆ギレしたようにがなり声で言い放った。
(謙信にバレた?)
しかし何がバレたかわからない。
顎をしゃくり続きを話せと目線で合図を送る。
「俺が、桃と付き合ってるのがバレて怒らせた」
良吾は吐き捨てるように言った。
俺は相づちをうち頷いたが、確か謙信はリン親衛隊だったはずだ。
何度か問いただすと、話はちょっと複雑になっていた。
謙信はリン親衛隊の発起人になるくらい、林檎のことが好きだった。
ただしいつも桃が邪魔してくる。
桃は窓口のように矢面に立って、謙信とやり合っていた。
そしていつしか桃とあーだこーだ話をすることが、ルーティーンのようになっていった。
そうなると何がどーしたのか桃が気になる存在に思えてきた。
その事は良吾も相談を受けたと言う。
そこで良吾は後押しした。
謙信もその気になって、いつしか桃と話すために林檎にアプローチするようになっていった。
だがしかし、良吾が最近、桃と付き合うことになった。
学校でそういったそぶりは見せない。
いつもは学校が終わってから待ち合わせしてデートしていたが、先日グループの一人にその姿を目撃されてしまい、謙信に話が伝わって問いただされ、本当のことを話したらトラブルになった。
更にグループ全員にその事が知れわたり、グループにも居づらい状況になっているそうだ。なんて哀れだ。
元々、俺も良吾もクラスでは野良だし、いいんじゃないかと言ってはみたが、謙信とは今後もうまくやっていきたいらしい。
さてどうしたものか。
「それにミウリはどうなんだ? 結局まだ付き合ってないって聞いたぜ。何迷ってんだよ。謙信に言わせれば、お前は何様だって話だぞ」
良吾の意見はごもっとも。
ここは男らしく付き合った方がいいのかもしれない。
だが心の隅で付き合わなくてもいいんじゃないかとも思っていた。
「何で? お前のモテ期、もうこないぞ」
「なにおぅ」
「それほどのことだぞ。謙信にとっても」
「謙信はいい。あんな奴知らん」
良吾は頭を抱えた。
そこへ母がやってきた。
「はい、ジュースでも飲んで。あと、これ彼女からの手紙、来たわよ」
「うわぁ!」
なんとも最悪のタイミング。
これじゃ良吾にカミングアウトしたようなもんだ。
嬉しいのに悲しい。
嵐山さんとの二人だけの秘密が音を立てて崩れ去っていく。
「ごゆっくり」
母は素知らぬ顔でジュースと手紙を置いて部屋を出た。
良吾は便せんをじっと見つめる。
そして目が合うと、続きを話せと顎を引いて目線で合図してきた。
(マジ最悪……)
まず手紙の中身を良吾に絶対見られないように部屋の隅に背を向けて確認する。
「誰から?」
「誰からの手紙?」
「彼女って、林檎ちゃん?」
矢継ぎ早に飛んでくる良吾の質問を無視して、息を殺し一気に手紙に目を通す。
その内容に頭の中が真っ白になり、力無くへたり込んだ。
このままいっそ眠りたい。
「何だ、どうした? ミウリ?」
俺は答える気力も起きず黙っていると、良吾は手元から手紙を奪った。
そして食い入るようにその手紙を見ていた。
『ありがとう。美兎くんの気持ちは伝わりました。その名無しさんも、友人の方もきっと元気になるでしょう。これからも文通するかどうかは、正直まだ答えられませんが、本気なら今度の日曜日の午前十時、森の小町動物園に来て下さい。
追伸、手紙、私もうれしかったです。
嵐山宣子』
良吾は絶句し、その場に座り込むと、しばらく無言のまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「で、説明はなし?」
良吾はジュースを飲み干すと、勢いよくテーブルを叩いた。
そして置かれた手紙をリズミカルに人差し指で叩いてみせる。
「なんていうか、実験? みたいなやつ?」
母にはそれで押し通しているが、良吾は腕を組んで首を横に振った。
納得するわけが無い。
「ホント。文通を試してくれるっていうから俺はその提案に乗ったって言うだけだから」
まず文通が謎だと言われた。
「それにここ。名無しさんと友人さん。誰? 合コンでもしてんの?」
中学生が合コンなんてするかと言ったら、俺はしてると真顔で論破された。
なんて時代だ、ぐうの音も出ない。
俺は降参して、はじめから順に説明していった。
良吾は驚いていたが、嵐山さんのイメージに文通はありかもと納得していた。
「だから付き合うとかじゃなく、ただの文通相手として手紙でのやりとりをだな」
言いながらハッとした。来週の日曜日に森の小町動物園。
当然良吾も読んだだろう。
(なんてこった!)
「行くのか?」
そう問われても良吾の前で、はっきり行くとは言いづらい。
「なんで? 行かねーよ」
本当は行くべきだが、あえて否定してみる。
「行けよ」
(え? 行って良いの?)
まさか良吾から行けと言われるとは思わなかった。
ただの文通相手と動物園で待ち合わせという、突っ込みどころにどう対応しようか迷っていると先に良吾が真顔で言った。
「行けって」
(良吾……)
それだけなら感動したかもしれないが、ニヤリと笑いながら「ミウリのモテ期は最後だから」と続けたことに腹が立った。
「まだそれを言うか!」
良吾はヘラヘラしながら謝った。いつもの良吾だ。
――次の日。学校の休み時間。
いつもと変わらない教室で、林檎に初めてミウリから話しかけた。
「林さん、ちょっと今日の帰り時間ある?」
悲鳴にも似たどよめきが、クラスをザワつかせた。
林檎は驚きながらも大丈夫と言って笑いかけてくれた。
学校帰りのファーストフード店。
他校の学生も多かった。
俺は周囲を警戒し、クラスメイトがいないことをよーく確かめる。
「何、何、どうしたの?」
林檎はおどけて見せるが少し顔が赤らんでいるように見える。
熱でもあるのか尋ねたが大丈夫とハンカチを取り出し顔の前でパタパタし始める。
「実は良吾の事で相談があるんだけど……」
言った途端に林檎は固まってしまった。
しばらくすると何事も無かったように笑っていたが、明らかに態度が変わった。焦っているようだ。
「田崎さんにもお願いできるかな?」
「うん、ちょっと相談してみるね。話ってそれだけ? じゃあ私、帰るね」
林檎は返事も聞かず、荷物をまとめると慌ただしく店を出て行った。
(なんだ用事があったのか、悪いことをしたな)
俺は黙って林檎の去って行く後ろ姿を見送った。
――約束の日。
天気は良好。絶好の行楽日和となった。
俺は何度も頭の中でシミュレーションを繰り返してきた。
電車に乗るタイミング、バスの出発時刻、動物園入口のどこで待つか。
順路はどう進むか。そこで何を話すか。
考えうることは全て書き出し、計画していた。
(順番通り。自身を持て俺!)
午前十時になった。
結局三十分以上前についてしまったし、異様に汗をかいている。
こんなに緊張したのはいつぶりだろう。
ああ汗でセットした髪型は崩れてないだろうか、この動物園で合ってるだろうか。
今のうちにトイレに寄っておくべきか。
不安ばかりが頭をよぎる。しかしその心配は徒労に終わった。
バス停に滑り込んできたバスから、見慣れた姿が降りてきた。嵐山さんだ。
心臓が大きく跳ね、強張っていた全身の力がふっと抜ける。
来てくれた。それだけで、今日ここに来た価値があった。
しかし、安心は一瞬で
彼女の隣には、知らない男子が立っていた。クラスメイトだろうか?
いや、それよりも問題は、二人が楽しそうに談笑しながらこっちへ歩いてくることだ。
まるで、それが当たり前みたいに。頭の中で警報が鳴り響く。
(なんだ、これはどういう状況だ?)
こちらに気づいた嵐山さんが、ふわりと笑って手を振ってくれる。
その笑顔に、隣の男の存在が影を落とす。
俺はぎこちなく手を振り返しながら、必死で平静を
心の中は、期待と不安がごちゃ混ぜになった嵐が吹き荒れている。
目の前に立った嵐山さんの私服姿は、想像していたよりもずっと可憐で、心臓がうるさかった。
けれど、それ以上に、隣に立つ浜谷と名乗った男の存在が、喉に刺さった小骨のように気になって仕方がなかった。
「あ、こちらは、
「あの、一応同じクラスで、廊下側の前列に座ってます。気軽にサトルって呼んで下さい」
(浜谷くん? だめだ、全然思い出せない!)
俺はテンパって何故か握手を求めるように、浜谷くんに手を差し出していた。
「知ってるよ。話すのは初めて、かな。嵐山さんと話すのも実際初めて、だよね」
「そういえば、そうだね。えへへ」
ぎこちない挨拶になったが、間を笑顔で埋めようと必死だった。
「とりあえず、入ろうか」
「うん」
「行きましょう」
色々質問したいが、ここで言い合いになって気まずくなるのが怖い。
平常心を装いながら動物園の入場券売り場へ向かった。
「ミウリくん、生徒手帳持ってきてないの?」
「忘れた」
中学生以下は小人料金で入れる。
但し証明が必要だと今、気がついた。
二人はしっかり持参していた。
俺の計画は家を出た時、既に
「あんたたち友達同士だろ。中学生かい。なら小人料金ね。」
天の救いか、入場券売り場のおばさんが俺も中学生と認定してくれた。
うれしくて涙が出そうだ。
皆が財布からお金を取り出しているのを見て、俺もポケットから財布を引き抜いたその時。
チャリーン。チャリーン。
(クソ、マジかよ! 今日は厄日か)
小銭がその勢いでアスファルトを転がった。
硬貨は意思があるかのように右へ左へ蛇行しながら突き進む。
「ああ、待ってぇ」
情けない声を上げながらお金を追いかけ、側にいた他人の足下に転がった。
「すみません。……あ、あれ? 何で?」
拾ってくれたのは、私服姿の林檎だった。
それだけではない。桃と良吾、謙信までいる。
俺はその組み合わせに、え? え? と繰り返すしかなかった。
「なに遊んでんだよ。ミウリー」
良吾が呆れるように言い放つ。
「
謙信は格好つけながらポーズを決める。
「フフッ」
林檎は口元を隠して含み笑いをする。
「バッカみたい!」
桃は突き放すように胸を抉ってくる。
この散々の言われよう。しかし言い返す余裕もない。
そこに入場券を買った嵐山さんと浜谷くんが駆け寄ってきた。
「やあ、嵐山さん、と浜谷くん?」
良吾は爽やかな笑顔を見せて、浜谷くんの名前を言い当てた。
二人は驚きながらも挨拶を交わす。
(俺の計画が……)
全てが最初から想定外なことだらけだった。
意気消沈する俺とは正反対に、元気な声が降ってきた。
「やー、何か誰かさんが俺っちのために、サプラーイズな事をしてくれるって聞いて来たら。ほら、林檎ちゃんと桃ちゃんがデートしてくれるって言うじゃない。いやー最高、マジ感謝」
謙信は終始嬉しそうに自慢している。
林檎はすかさず小声で俺に、「今日だけね」と補足してくれた。
先日俺が林檎に相談した件――二人が一日デートする事で解決してくれた。
これで良吾は謙信と仲直り、更に桃と付き合うことができる。
それは大変喜ばしいことだが、何故ここにいるんだ、しかもこの時間に。
「たまたま桃が動物園に行きたいっていうから、じゃあいくかって話で、そっちとかち合ったのは偶然。全くの偶然だよう、ミウリくーん」
良吾は悪そーな顔で、俺に当てつけるように全く信じられない理由を口にした。
(お前は知ってただろーが。お前が首謀者か!)
キッと睨みつけると、「キャー怖ーい」っておまえは乙女か!
ふつふつと湧き上がる負の感情が爆発しそうになったが、良吾は近づいて肩に手を乗せ耳元で囁いた。
「ありがとな」
(ちくしょう。何なんだコイツは!)
それ以上もう何も言えなくなっちまった。
「あ、心配しないで。こっちはこっちでやってるから。そっちはそっちで、クラスにも言いふらしたりしないから」
嵐山さんに向かって良吾は宣言すると、返事を待たず歩き出した。
謙信は全身で喜びを表しながら、一目散に入場券売り場へ向かっていった。
その時、嵐山さんが一際大きな声で皆を呼び止めた。
「あの! よかったらみんなで回りませんか?」
「え?」
俺は意外と大きな声が出る嵐山さんに驚いた。皆も驚いた表情をしている。
「だめかな? ミウリくん」
またそんな困り顔をされたら、世の男たちに拒否権なんてない。
「俺は別にいいけど……」
なんとも頼りない声で答えると、良吾はバッと素早く女子たちから聞こえないくらいの距離に俺を誘導してから、「ホントにいいのかよ」と小声で是非を問いかけてきた。
「それにほら、浜谷くん? 何でいんの? 偶然?」
「わからない。今日はもうダメな結末にしかならない気がする」
肩を落としてうなだれる俺に良吾は喝を入れた。
小声で会話する俺らとは対照的に、林檎は明るく嵐山さんの提案に乗ってきた。
「いーじゃん、行こ。嵐山さんてこーゆーとこ好きなの?」
「はい、今はあまり行けないんですけど、実は大好きで」
「意外! でもせっかくだから色々話しよーよ。桃もいいよね」
「リンがいいなら問題ない。嵐山さんて真面目で優等生ってイメージ強いから、アニマル好きって可愛いとこあんじゃん」
「じゃあ、あの。リンさん、桃さん。よろしくお願いします。あ、私のことは嵐山さんでいいですよ。その方が話しやすいし」
「ノブコウね、オッケー。じゃあ、そこの辛気くさい二人はほっといて行きましょ。ノブコウ。浜谷くんもね。行こ!」
「あ、サトルでいいです。僕もリンさんて呼んでいいですか?」
「オーケーオーケー、じゃあ皆でゴリラ見に行こー」
「多分、順路決まってるから、ゴリラは最後の方ね」
「えー、まいっか。レッツゴリラー」
「ゴリラ推しすぎ」
良吾との密談は、あえなく賛成多数で同意するしかなくなった。
何も知らない謙信は、皆の分の入場券を買って合流すると、同行することに驚いたがノリノリの林檎と桃の様子を見て、控えめに歩く浜谷くんと肩を掴んで意気揚々と入場した。
(青いなー、青春だなー)
「はい、これ」
嵐山さんは俺たちに入場券を渡すと、はにかみながら踵を返し、林檎たちの元へ走って行った。
その姿に思わず良吾と顔を見合わせると、観念するように後を追いかけた。
「マジか、これマジか」
謙信は叫ぶゴリラに興奮していた。
いや、両脇には林檎と桃がいる。たぶんそっちに興奮しているんだろう。
両手に花とはこのことだ。
嵐山さんと浜谷くんも三人とは少し距離を置いて、別のゴリラを観察している。
時折指を指しながら談笑している様子は、とても自然でカップルのように見えた。
その様子を俺は良吾と遠目で眺めていた。
情けないことに中学生でありながらスタミナ切れで、売店前にあるこのパラソル付きのガーデンベンチで休んでいたのだ。
「で?」
良吾はまだ元気が残っていたのか、顔を近づけコソコソとさっきの疑問の説明を求める。
なぜ浜谷くんが一緒なのか。それは俺も教えて欲しいくらいだ。
嵐山さんの手紙の内容。まるで解決したように書かれていたのが気になっていた。
名無しさんへの助言を求めた手紙に対して、アドバイスはなく元気になると書かれていた。
もし嵐山さんが名無しさんを知っていたらどうだろう。
名無しさんへ直接対応して、結果を報告したと言うことになる。
すると名無しさんは返信のできない俺になぜ苦悩する手紙をよこしたのかという疑問が残る。
少し手紙をやりとりしただけで、嵐山さんの凄さは感じていた。
知り合いなら嵐山さんに相談すればよかったんじゃないか。
名無しさんの手紙には俺との関係を話したら友人が泣きだしたと書いてあったな。
なぜ俺と名無しさんの関係を知って泣いたのだろう。
一つの点と点が繋がったとき、全ての謎は解明するというが……そんなこと、凡人が分かるわけないだろ。
謙信たちがゴリラを満喫して、俺たちの座るガーデンベンチへやってきた。
「何だ君たち、その疲れようは。楽しみはこれからだってのに。ねー林檎ちゃん、桃ちゃん」
「ゴリラ最高、まじサイコー」
「ゴリラ推しすぎ、私疲れた」
林檎は興奮し、桃は少しやつれていた。
謙信は二人がスルーしても全然気にせず上機嫌だった。
笑いながら皆のジュース買って来てやるとか言って売店へ向かった。
この勢いだととんでもない飲み物を買ってくる気がする。
「じゃー俺、謙信見張ってるから、いくぞ桃ッチ」
良吾は桃の手を引っ張って謙信の後を追いかけていった。
桃は不満を口にしながらもあっさり従った。
二人きりになったら林檎は、急に黙って手をパタパタさせながら下を向いた。
それは俺も同じ事で緊張して、何も言葉が出なくなった。
そこへ嵐山さんと浜谷くんがやってきた。
さっきまでの楽しそうな顔は消え、思い詰めたように嵐山さんが話しかけてきた。
「あの、リンさん。ミウリくんちょっとお借りしていいですか?」
「え、ああ、ああ、別に、私ここで桃たち待ってるよ。うん、いってらっしゃい」
そう言って林檎は桃たちが向かった売店の方へ顔を向けた。
俺は黙って腰を上げると、導かれるように二人の後をついて歩いた。
少し離れたカバの展示エリアに到着した。
一匹は沼の中で頭と背中だけだして沈んでいた。耳がピクピクとせわしなく回転している。
もう一匹は木の陰でグッタリしている。おそらく寝ているんだと思う。
ここからだと林檎たちに話が聞こえることはない。
きっと今日の目的を告げるためだ。
すると浜谷くんは持ってきたバックを開き、一通の封筒を取り出した。
俺は驚愕した。その封筒は黒く、キツネのシールが貼られている。
そして宛名の文字は丸みを帯びていた。
「それ、なんで浜谷くんが……」
俺は一瞬バレたと思ったがそうじゃない。
嵐山さんが連れてきた理由はこれだったんだ。
「ゴメンナサイ。僕がこの手紙を書いてました」
浜谷くんは封筒を手に持ったまま思いっきり頭を下げた。
一緒に嵐山さんも頭を下げる。
そんな二人を見て俺は胸が熱くなった。
「アリガトウ」
頭を下げる二人に自然と頭が下がっていた。
二人は驚いた声を上げるが、再び頭を下げて謝った。
それに対してもう一度お礼を言った。
その行為は何度も続けられ、周囲の注目を浴びることとなった。
「何してんの? なんかのゲームか? 俺にもやらせろ」
事情を知らない謙信が、俺たちの行動を見て割って入ってきた。
新しい遊びかなにかと勘違いしている?
「アリガトウ」
「ゴメンナサイ」
「いーや、アリガトウ」
互いが謝り、互いが感謝する。
そんな掛け合いをしているうちに、だんだん楽しくなってきた。
それを見ていた家族連れの子供がマネを始めると、その輪が広がり他の子供たち、カップル、家族たちがお互いにお辞儀をしながら、感謝と謝罪を口にする。
挙げ句、カバたちも陽気に騒ぎ出した。
口を大きく開け首を縦に振る。
対になったカバたちは交互に声を上げる。
――楽しいひとときはあっという間に過ぎ去った。
浜谷くんから封筒を受け取り、後で読んでほしいと頼まれた。
謙信は最後までアリガトウを繰り返していた。
最後はみんな、アリガトウと言って笑顔で別れた。
家に帰った俺は風呂につかり、清々しい気分で布団に潜った。
そして楽しい思い出と共にすぐに意識が夢の中へ落ちていった。
浜谷くんからの手紙はテーブルの上に置いたまま。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます