初めての文通
机に広げた真っ白な便せんを、もう何時間も見つめている。
学校生活が劇的に変化したもう一つ大きな理由。
それは学校にいるときは普段通りの距離感でほぼ接点がない嵐山さんとの文通である。
クラスの誰にも知られていない。いや、知られてはいけない関係が始まろうとしていたのだが。
消しゴムで机の汚れを消してみたり、鉛筆を指ではじいてクルクルと回転させてみたりするが、一向に書き出すことが出来なかった。
(う、う、また緊張して喉が渇いてきた)
手紙を書くことが初めてなのに、相手があの優等生という事も重なって、いざ書き始めようとするが、全然ネタが思い浮かばない。
読書感想文でも苦労するってのに、女子の好きそうな事って一体何なんだ?
その前に挨拶するのが礼儀か?
手紙で挨拶ってなんて書くんだっけ?
上唇に鉛筆を挟んでうなり声を上げ、天を仰ぐしかなかった。
そんな苦悩の日々が続いていた。
――七日後。
「ウーくん、手紙が届いてるけど誰、この嵐山宣子って。クラスの子?」
「え、何で!?」
唐突に母が手紙を見せながら質問してきた。
俺は慌ててその手紙を奪い取ると、一目散に部屋に駆け込んだ。
中から鍵を掛け大きくため息を漏らす。
「ちょっとウーくん、どういう関係? 彼女?」
「うっさいな。これはその、学校の……、じ、実験だよ」
「何それ、どういう事?」
「いいから。もうほっといて!」
心臓が痛く感じるくらい動悸が激しい。
親にも話していない、クラスの誰にも知られていない、嵐山さんからの手紙。
二人だけの秘密の手紙。
別に付き合ってるわけでも無いのに、下駄箱で受けた時の衝撃が蘇る。
便せんを慎重に開くと中からシャンプーのような甘い香りが漂ってきた。
手紙を開くと上質な便せんのすべすべした手触り。
それだけで天にも昇るような夢心地な気分になった。
(ヤバい、俺すっげー感動してる。早く読んで返事書かなきゃ)
気を取り直して手紙に目を通す。
『こんにちは。お元気ですか。と言っても毎日クラスで顔を合わせているので、元気ですよね。文通しようって私から提案した事だったし、迷惑だったら返信してくれなくても結構です。
我ながら突飛な事を言い出してしまって、いま冷静になって考えるとすごく、すごく大胆な提案だったなって。なんでこんなこと言っちゃったんだろうって恥ずかしい気持ちでこの文章を書いています。
普段の何気ない生活や思い出話も、手書きの文章で送りあうってどういう感じか、あのときは本当に知りたくなってしまって、嫌じゃなかったら返信下さい。それでは。
嵐山宣子』
嵐山さんの字は前にも思ったが達筆で綺麗だった。
そしてインクのかすかな匂い。世に言う万年筆という奴だ。
鉛筆で下書きした形跡も無く、余白も完璧。
一つの芸術作品のように
ふと自分の机に置かれた便せんと鉛筆が目に留まり恥ずかしくなってきた。
衝動的に家を飛び出し、近くの文房具店に走る。
そしてレジ前のショーケースに飾られている万年筆を発見し、これ見よがしに指を差して店員に声をかけた。
「すいません! コレ、ください!」
店員は眉をひそめて俺の方を見ると、値踏みするような視線を向け、戸惑いながら衝撃の事実を伝えた。
「十二万六千五百円ですけど、本当に買われるんですか?」
「じ、十二万ー!!!」
俺はそれを聞いて膝から崩れ落ちた。
改めてその万年筆を確かめる。
冷静に見ると並んでいる万年筆はどれも軽く十万円を超える品だった。
「そんな高価なものを使っていたのか、嵐山さん」
そこに店長と呼ばれた小太りの男性が現れた。
店長は話を聞くとおもむろにショーケースの上に並んでいたボールペンを手に取り差し出した。
「万年筆じゃなくても、気持ちは伝わるよ」
俺はその言葉に勇気づけられ奮い立った。
そして店長からボールペンを受け取り代金の百円を支払った。
「どうしたの急に飛び出して」
家に帰ると母が心配そうに駆け寄ってきたので、ボールペンを買ってきたと伝えると、母親はリビングに戻ってある物を持ってきた。
「それなら家にいっぱいあるわよ。十本セットで九百八十円だったから。はい」
そう言ってボールペンを一本手渡された。
さっきのボールペンと見比べると同じメーカーだった。
あの文房具店での気持ちの高揚は、机の前に座るとすでに冷え切っていた。
ボールペンを片手で持ち、指をはじいて回転させる。
二本を比べる。そしてよく回る方。
母から渡されたボールペンで返事を書き始めた。
『こんにちは。お手紙ありがとうございます。こちらこそ、こんな形で嵐山さんとやりとりできるなんて感激です。全然嫌じゃないです。俺の方こそ何を書いたらいいか悩んでいる間に嵐山さんのほうから手紙もらって、めっちゃ驚いたしうれしかったです。
文通の話しを聞いたときは本当にびっくりしてしまって挙動不審な対応をしてしまいましたが、できれば俺も続けていきたいので、改めてよろしくお願いします。
ベタな内容ですけど、嵐山さんの好きな食べ物は何ですか? 俺はカレーとメロンパンが好きです。
一ツ橋美兎』
三度書き直して、やっとまともに感じる便せんを封筒に入れ封をする。
宛名を書いて、その日のうちに切手を貼ってポストへ投函。
一回目のやり取りはそんなドタバタなうちに終わった。
教室では目も合わせない。
表向き、今までと変わらない関係を送っていたが、嵐山さんとの文通は正直楽しかった。
優等生で何でもできると思っていたが、実際にはいろんな苦労をしてきたことや、意外な趣味を持っていたり、同じ店のメロンパンが好きだったりと、どんどん相手への興味が沸いてきていた。
ただ一番驚いた事は俺への評価が高かったことだ。
自分でも嫌になるくらい殻に閉じこもって、嫌われ者だと思っていたが、嵐山さんはそれも個の表現であって、それをどう感じるかは皆それぞれあるんだと教えてくれた。
『対話する事、間接的でもこうやって相手と通じることで、より深く思い、知ることができることもあると思います。美兎くんも決めつけずに相手の気持ちをいくつも想像しながら、日々を健やかにお過ごしください。
追伸、学校では林さんとよくお話されてますね。私の周りでも美兎くんの印象がだいぶ変わったと聞きます。とてもいいことだと思います。いつか私も気兼ねなく話をできるとうれしいです。では、また。
嵐山宣子』
(俺もそう思います)
心の中で呟いていた。
嵐山さんの言葉はいつも胸にジンとくる。感謝しかない。
ふと、自分の言葉はどうだろうと考えた。
今まで返した手紙の内容を思い返す。
(ダメだ!)
いつも自分の話ばかりしているんじゃないか。
嵐山さんはいつも真摯に耳を傾けてくれるけど、本当は退屈なんじゃないだろうか。
そう思ったら急に、自分が文通相手としてふさわしくない、不誠実な人間に思えてきた。
この文通が始まった、本当の理由。
それを隠したまま関係を続けるのは、嵐山さんに失礼だ。
嫌われてしまうかもしれない。でも、今、伝えなければならない気がした。
ボールペンを強く握りしめ、覚悟を決めて、この苦しい胸の内を書き殴った。
『嵐山さんへ。いつも手紙ありがとうございます。
嵐山さんは頭が良くて、みんなから頼りにされてて、すごいなってずっと思ってます。
そんな嵐山さんと文通できて、俺はめちゃくちゃうれしいです。本当に、感謝しかありません。
実は文通の話をしたのは理由があります。もう三ヶ月くらい経ちますが、ある人から手紙をもらいました。今もたまにもらいます。下駄箱に入ってくるんです。
最初はラブレターかと思いました。でも違くて、嵐山さんとしているような何気ない手紙です。
相手が分からないので返事は返せてません。俺は差出人が誰なのか知りたくて、休み時間にこっそり下駄箱を見張ったりしてました。良吾はトイレが近くなったとかバカにしてましたが、あれは誤解です。
もしかして嵐山さんじゃないかって声を掛けたんです。話を聞いて違うことはすぐわかりましたが、やり取りを始めて相手もこんな気持ちで書いてるのかもって思いました。
すごく楽しいです。そして返事をもらうとうれしいです。相手の人はきっと名前を知られたくないんでしょうが、この気持ちに嘘はありません。その人にも感謝しています。
こうやって嵐山さんとつながれたのは、その名無しさんのおかげだから。
いつも俺がって話ばかりしてて急に不安になりました。もし嵐山さんが違う気持ちだったら申し訳ない。差し支えなければ、これからも文通続けたいです。よろしくお願いします。
一ツ橋美兎』
書いた文章を黙読すると、吹っ切れた自分がそこにいた。
嫌われるかもしれない。そういう思いもちょっとあった。
しかし今、心の中ではここイチ決まったという達成感の方が強かった。
いつものように切手を貼り、ポストへ投函する。
そして今まで一週間程度で来ていた返事がこなくなった。
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