第4話
風花は僕の秘密アイドル
第4章 家政科への進学と戦略的選択
中学三年生。富士見大太の身体は、孤独なダイエットと地毛を伸ばす努力によって、完全に「風花仕様」へとチューニングされていた。制服の上からでもわかる、細く中性的な体躯。徹底的な日焼け対策で守られた、透き通るような白い肌。彼の容姿は、周囲の男子とは一線を画す異質な美しさを放っていた。
彼の声は、最後まで変声期を迎えなかった。クラスメイトからは「高音の奇声」「女声」と揶揄されることもあったが、大太にとってそれは、風花という偶像の決定的な武器であり、コンプレックスの源であり続けた。
そして、進路選択の季節がやってきた。
普通科の高校に進み、地味に過ごすこともできた。だが、大太は、もう「普通」という静寂の中に閉じこもることを拒否していた。彼は、風花をSNSのアイドルとして成功させるために、実務的な知識と技術が必要だと理解していた。
「風花を次のレベルへ押し上げるために、必要なものは何だ?」
彼は、風花のコスプレと配信活動に必要な要素をリストアップした。
衣装のクオリティ:既製品では限界がある。複雑なフリルや繊細なレースを自分で縫い上げる技術。
メイクの技術:照明やカメラ映えを計算した、プロ級の立体感と持続力。
スタイリング:ウィッグのセットやヘアアレンジの高度な知識。
表現力:声だけでなく、仕草や立ち振る舞いを含めた総合的な女性らしさ。
これらのスキルを総合的に、そして公式に学べる場所。大太が選んだのは、自宅から自転車で通える距離にある、地元の「家政科高校」だった。
進路希望調査の提出日、担任の山崎先生は、大太が提出した進路先に目を丸くした。
「富士見…君、この『○○家政高校』の家政科というのは、本当に君の本心か?進学コースもあるが、君は裁縫や調理、美容の技術を学ぶ家政科を第一志望にしているが…」
山崎先生は、男子生徒が家政科を選ぶのは珍しいため、戸惑いを隠せない。
大太は、いつものように短く、しかし強い意志を込めて答えた。
「…はい。ここでしか学べない技術があるからです」
この選択は、彼の秘密の活動を「趣味」から「スキル」へと昇華させるための、最も賢明な戦略だった。家政科なら、彼は堂々とメイクや裁縫の技術を身につけることができる。むしろ、男子という珍しさから、周囲の目が技術の習得を邪魔することはないだろう、と計算したのだ。
彼は、自分の進路を誰にも相談しなかった。両親も、大太が選んだ道ならと、静かに見守ってくれた。
高校入学。家政科の教室は、圧倒的に女子生徒が多く、男子は数えるほどしかいない異質な環境だった。
しかし、大太にとって、そこは秘密の訓練の場だった。彼は、周囲に流されることなく、ひたすら技術の習得に没頭した。
被服室でのミシンの操作は、彼にとって至福の時間だった。中学時代に独学で培った裁縫のセンスは、プロの指導によって飛躍的に向上した。彼は、教師からの課題だけでなく、風花の衣装製作に必要な「フリル倍増」「レース貼り」といった、より高度で複雑な技術を自主的に研究し続けた。
メイク実習では、他の生徒が「可愛くなるため」に学ぶのに対し、大太は「理想の偶像を作るため」に学んだ。骨格を完全に変えるシェーディングの技法、カメラのフラッシュに負けない発色の研究、長時間のイベントに耐える化粧崩れ防止テクニック。
家政科は、富士見大太を、単なるコスプレイヤーではなく、衣装、メイク、スタイリングの全てを統括する、完璧な表現者へと変貌させた。
そして、技術の探求は、さらにミクロな領域へと進んだ。
風花の写真や動画では、繊細な小道具を持つ指先、顔にそっと添えられる手元が、たびたび映る。どんなにメイクが完璧でも、指先がおろそかであれば、偶像の美しさは崩壊する。
大太は、コスプレの合間にネイルアートに没頭し始めた。家政科の美容技術の授業で、爪の手入れや、ジェルの扱い方を学ぶ機会が増えたことがきっかけだった。
放課後、人通りの途絶えた教室の隅や、自室で、彼は自分の指先に細心の注意を払った。ベースカラーを均一に塗り、極細の筆を使って、衣装に合わせたモチーフを爪の小さなキャンバスに描く。
「この指先が、風花の魂の細部だ」
ネイルアートは、彼の極端な繊細さと器用さが最も活かせる作業だった。ラメの配置、ラインの引き方、ストーンの固定。それは、裁縫と同じく、何時間でも没頭できる孤独な作業だった。
彼は、ネイルチップではなく、自らの爪を磨き続けた。指先まで徹底的に手入れされた白い手は、風花の繊細な表現をさらに引き立てる、完璧なアクセサリーとなった。
家政科は、富士見大太を、単なるコスプレイヤーではなく、衣装、メイク、スタイリング、そしてネイルアートの全てを統括する、完璧な表現者へと変貌させた。
美咲視点___
うち、桜井美咲。家政科の中でも、メイクとファッションに命かけてる、まあ、賑やかな方やな。ウチの高校、家政科は女子ばっかりやけど、男子もポツポツおる。その中でも、特に異質なのが、富士見大太――みんなが**「空気」**って呼んでる、あの男の子やった。
大太は、とにかく存在感が薄い。背はスラッと高いけど、中学時代からダイエットしてるんやろな、細すぎて影みたいやし、髪は地毛なのに長いから、いつも俯いてるせいで顔が全然見えへん。声も聞かんし、まるで教室の隅に生息するレアな植物みたいやったわ。
でも、うち、彼のことが気になって仕方なかった。なんでって? あの技術、あれはちゃうねん!
被服室での実習のときや。うちが課題のスカートのフリルで四苦八苦してるとき、ふと隣を見たら、大太が黙々と作業しとった。彼が作ってたのは、課題とは関係ない、とんでもなく複雑な、ゴシック風のレースとフリルの塊やった。
ミシンの扱いがプロ級なんよ。寸分の狂いもない縫い目。特に、生地をギャザー寄せる技術とか、うちらが手縫いで諦めるような細かすぎるビーズ付けとか、全部パーフェクト。まるで、彼の指先には高性能なコンピューターでも入ってるみたいやったわ。
「え、ちょっと待って。あんた、それ、趣味でやってるん?」
思わず声をかけたけど、大太はビクッと体を震わせて、いつもの癖で顔を隠すみたいに俯いた。
「…ち、違…います」
相変わらず、か細い、少年みたいな声。コンプレックス丸出しの、震えた声やった。
うち、諦めへんかった。だって、彼の才能がキラキラ光っとるんやもん。
「嘘つけ!こんなん、普通にやってたらできへんやろ!あんた、絶対何か隠してるわ!」
彼が焦って道具を片付けようとした、その瞬間。うちの視線は、彼の指先に釘付けになった。
真っ白で、無駄な肉が一切ない、繊細な手。そして、その爪!
男子なのに、綺麗に形が整えられて、ほんのり光るトップコートが塗られてるんよ。しかも、一本の爪の端っこに、衣装の色に合わせた極小のラインストーンが、完璧な配置で埋め込まれとった。
「な…!あんた、ネイルまでやってるんか!」
うち、声上げてもうた。メイクやファッションに情熱を注ぐうちから見ても、その指先の美意識は異常やった。普通のオタク男子がやるレベルちゃう。それは、完璧な「美」を求める表現者のこだわりやった。
大太は、顔を真っ赤にして、手のひらで爪を隠した。
「…そ、それは…コスプレの…」
その一言で、うちの頭の中で全部が繋がった。このストイックなまでの技術の習得、異常なダイエット、そしてこの指先の美意識。彼は、自分自身を「作品」にしようとしてるんや。
うち、なぜか涙が出そうになった。こんなにも才能と情熱があるのに、声のコンプレックスで、自分を隠して生きているなんて。もったいなさすぎる!
うちの心は、もう決まっとった。
「あんたさ、写真、撮らせてくれへん? もっとちゃんとメイクしたら、絶対ヤバいことになるって! ええやん!めっちゃ可愛いで〜! 誰にも文句言わせへん、最高の『作品』を一緒に作ろや!」
うちの情熱的な関西弁に、大太は固まったままやったけど、彼の目の奥に、あの時見た炎みたいな熱意が、はっきりと燃えているのが見えた。
そうして、うちと大太の、秘密の共同作業が始まった。大太の秘密を知る最初の人間として、うちの人生は、一気にアイドルプロデュースゲームみたいに、面白くなっていったんや。
高校二年の秋。家政科高校の文化祭は、大太にとって、それまでの秘密の活動の全てを試される、最初の公の場となった。
発端は、美咲の情熱的な提案だった。
「おおた、あんた、いつまで隠しとるつもりなん? この最高の衣装、この完璧なメイク技術、誰にも見せへんとか、罪やで!」
美咲は、大太が被服室の隅で作り上げた、ため息が出るほど繊細なフリルと刺繍のドレスを前に、興奮気味に言った。
美咲のプランはこうだ。文化祭の目玉であるファッションショーの合間に、シークレットアクトとして大太が「自作の衣装をまとった謎のモデル」として登場する。そして、美咲のアイディアで、ただ歩くだけでなく、**「声」**を使ったパフォーマンスを加えることになった。
「写真だけじゃもったいない!あんたの声の技術、ここで発揮せな。短くてもええから、風花の『声』をみんなに聞かせたったらええやん!」
大太は震えた。学校という、最も日常的で、最も安全なはずの場所が、一瞬にして**「秘密の崩壊現場」**へと変わる恐怖を感じた。もし、あのコンプレックスの源である声が、教師やクラスメイトに届いてしまったら――。
「…無理だ。美咲、俺の声は、プロの会場と違って、ここでは…」
「何言うとるん!大丈夫や。あんたは、この学校で誰よりもストイックに技術を磨いてきたやろ。その自信を、あの声に乗せりゃええだけや。誰にも文句言わせへん、最高の作品を見せてやろうやないか!」
美咲の情熱に、大太は抗えなかった。彼が家政科で身につけた技術(裁縫、メイク、そしてネイルアート)は、全てこの一瞬のために存在していたのだ。
文化祭当日。大太は、朝から被服室の隅に設けられた「秘密の楽屋」に籠もっていた。
美咲はプロ級のテクニックで、大太の顔にシェーディングを施し、骨格を徹底的に女性的なものに変えていく。大太は、昨夜、何時間もかけて仕上げたネイルチップを装着した。深紅のドレスに合わせた、繊細な金のラインストーンが輝く爪。指先まで気を抜かない、風花の美意識の結晶だ。
メイクが終わり、ウィッグを被った瞬間、鏡の中にいたのは、もう無口な富士見大太ではなかった。そこにいるのは、透き通るような肌と、細く研ぎ澄まされた肢体を持つ、**偶像「風花」**だった。
美咲が、最終チェックをしながら、興奮を抑えきれない様子で耳元で囁く。
「完璧や。あんたのこの美意識、世界に誇れるわ。さあ、いこか」
ステージ袖。ファッションショーの賑やかな音楽が響き渡る中、大太は極度の緊張で呼吸が浅くなるのを感じていた。観客席には、担任の山崎先生や、美咲の友達、そして顔見知りのクラスメイトたちがいる。
(失敗したらどうなる?笑われたら?)
美咲が、ステージに出る直前、大太の背中を力強く叩いた。
「緊張しすぎや!あんた、声出すんやろ? 呼吸、呼吸! 腹の底から、ゆっくり息吸うて!」
大太は、美咲の言葉に従い、ゆっくりと腹式呼吸を始めた。肺の中の空気を、声帯の共鳴点へと慎重に導く。
そして、司会者が風花を紹介した。
「さあ、お待たせいたしました!こちらは、家政科二年の富士見くん…の自作の衣装をまとい、特別出演してくれるシークレットモデルです!」
大太は、光の当たったステージへと、一歩踏み出した。
歓声が上がった。それは、モデルとしての風花の美しさと、衣装のクオリティに対する、純粋な賞賛の歓声だった。
風花は、スポットライトの下で、教えられた通り、しなやかにポーズを決める。彼の動きには、中学時代に培ったダイエットと筋力コントロールによる、優雅な美しさがあった。
そして、パフォーマンスのクライマックス。風花は、観客に向かって、マイクを握りしめた。
「…皆さん。この衣装は、私の、心です」
マイクを通して会場に響き渡ったのは、コンプレックスを乗り越えて磨き上げた、透明感のある、美しい女声だった。それは、彼の高くて細い地声を、技術で昇華させた、風花の「共鳴の音色」だった。
観客は息を飲んだ。その声の美しさに、クラスメイトたちは、目の前のモデルが、普段の「無口な大太」と結びつくことすらできなかった。ただ、美しすぎる存在が、そこに立っている。
パフォーマンスは成功に終わった。大太は楽屋に戻る途中、観客席の隅で、担任の山崎先生が、驚きと感動の入り混じった表情で立ち尽くしているのを見た。
「…すごかよ」
その日、文化祭に遊びに来ていた弟の悠斗が、ステージ裏で兄を抱きしめた。
大太は、初めて公衆の面前で「風花」を演じきり、そして、その声が誰にも笑われず、感動として受け入れられたことを知った。この成功体験が、彼を「SNSのトップアイドル」へと押し上げる、決定的な自信となったのだ。
【文化祭速報】あの謎のモデルは何者!?家政科高校のシークレットアクトがヤバすぎると話題に
スレッド作成者:名無しのフリル中毒 (投稿日時:X年Y月Z日 20:15)
今日、地元の○○家政科高校の文化祭に行ってきました。ファッションショーの合間にシークレットアクトがあったんですが、とんでもないものを見てしまったかもしれません…。
自作のドレスを着た、超絶美形のモデルさんが登場したんですが、マジで次元が違いました。衣装のクオリティがプロレベル。そして何より、たった一言だけマイクを通して挨拶した声が、透明すぎて鳥肌モノ。
これは絶対、ただの高校生じゃない。誰かこのモデルさん、知ってる人いませんか!?
寄せられたコメント (全 389 件中 一部抜粋)
ID: AngelVoice (20:19)
見た!私もあの場にいた!あのドレス、袖のフリルとか刺繍が信じられないくらい細かかったですよね。しかも、モデルさんのスタイルが良すぎて、非現実的。
ID: MakeupGeek (20:25)
待って、私も動画撮ったけど、顔の立体感が異常。特にシェーディングとハイライトの使い方が、照明計算してるプロの技。高校生のレベルじゃない。
ID: 謎の考察班 (20:30)
スレ主へ
司会が「家政科二年の富士見くんの自作衣装」って言ってましたよね?でもモデルは「シークレット」扱いだった。衣装を作った人とモデルは別人?
そしてあの声…加工じゃなくて生声っぽかったけど、声質が完全に二次元。
ID: HiToneLover (20:41)
【超重要】 私、声優オタクなんですけど、あの声、高音なのに全く震えてないんですよ。しかも、息遣いが女性特有の柔らかさを持ってる。あれは素人じゃない、徹底的に訓練してる人。ボイストレーニングのレベルが段違い。あの声で歌ってほしい。
ID: ReplayGuru (20:55)
動画をスロー再生してみたけど、モデルさんの指先まで綺麗すぎる。ネイルが深紅のドレスに合わせてあって、ラインストーンまで乗せてる。指先まで気を抜かない美意識を感じる。マジで何者??
ID: 風花のファン予備軍 (21:10)
今日からこのモデルさんを**「風花(ふうか)」**って呼ぶことにします!透き通るような声と、風に舞うようなフリルが合ってる!
#風花 #シークレットアイドル
ID: AntiSkeptic (21:35)
正直、声はマイクで調整してるでしょ。あんな綺麗な高音が長時間出るわけない。ただ、衣装の完成度がエグいのは認める。制作者の富士見くんって人がすごいんじゃない?モデルさん、顔はいいけどさ。
ID: 悠斗の兄ちゃん推し (21:50)
AntiSkeptic
いや、あの声は本物。あの「心です」って言ったときの感情の乗り方がヤバかった。あと、モデルさんの動き、特にポーズの決まり方がしなやかで、ただのモデルじゃない。多分、衣装製作者とモデルは、どちらも天才。
ID: プロの目 (22:05)
ReplayGuru
ネイルに注目してる人いて嬉しい。あの爪の形と手入れ具合は、コスプレというより美を追求する職人のもの。身体全体をキャンバスにしてる。この人がSNSとかで活動始めたら、絶対トップになる。
ID: Kansen (22:45)
風花って名前、めっちゃいいじゃん!誰か、あのモデルさんにSNS始めてって伝えてくれ!このまま謎のまま終わるのは耐えられない!あの声を、もっと聞きたい!!
スレッド総括: 圧倒的な美意識とプロ級の技術、そしてコンプレックスを昇華させた声が、一瞬でネットを熱狂させた。この日、富士見大太は、まだ匿名のまま、「風花」という偶像を誕生させた。
文化祭から一週間。富士見大太の日常は、何も変わっていなかった。学校では相変わらず無口で、周囲からは「存在しない」に等しい扱いを受けている。しかし、彼の心の中は、あのステージでの熱狂の残響で満たされていた。
放課後、人通りの途絶えた被服室の隅。美咲は興奮で顔を紅潮させ、大太にスマートフォンを突きつけた。画面には、文化祭での風花の動画や写真が大量にアップロードされ、コメントが雪崩のように流れ込んでいる。
「おおた!見てみ!これ!あんたが一晩で作り上げたドレスの動画が、もうバズりにバズっとるで!」
美咲の声は、心なしかいつもより甲高い。
「『#風花』ってタグ、もう何万件も投稿されとる!みんな、あんたの衣装のクオリティと、あの声に、熱狂しとるんや!特に、あの『心です』って言ったところの動画が、再生数えらいことになっとるわ!」
大太は、差し出されたスマホの画面を、直視できなかった。何万もの視線が、自分の秘密の偶像に向けられている。それは、彼にとって、承認欲求を満たす喜びであると同時に、秘密が崩壊する極度の恐怖でもあった。
「…美咲。すぐ、消して。誰かに特定されたら…」
大太は震える声で懇願したが、美咲は即座に首を横に振った。
「何言ってんの!消すなんて、もったいなさすぎるわ! 見てみい、このコメント!」
美咲が読み上げたのは、ネットユーザーたちの熱い要望だった。
「このクオリティはプロ!もっと衣装の制作過程が見たい!」
「風花さんの日常を知りたい。あの指先はどうやって手入れしてるの?」
「謎のまま終わるには惜しすぎる。SNSアカウント作って!」
美咲はスマホを大太から少し離し、真剣な眼差しを向けた。
「おおた、あんたの才能は、この学校だけで終わらせたらあかん。あの舞台で、あんたがどれだけ輝いたか、このネットの反応が証明してるやろ!」
「でも…SNSなんて、俺には無理だ。俺の日常なんて、地味だし、もしバレたら…」
「地味でええねん!」美咲は机を叩いた。「あんたの地味な日常こそが、風花を神格化する燃料になるんや!」
美咲の主張は、明確で論理的だった。
「風花をアイドルとして確立させるには、神秘性だけじゃアカン。ファンは『彼女』がどうやって完璧な偶像を維持しているか、裏側の努力が見たいんや。毎日どれだけストイックに身体を維持してるか、どれだけ時間をかけて衣装を縫ってるか、あの完璧なネイルアートをどうやって仕上げてるか…『富士見大太』の努力を、『風花』の日常として投稿するんや!」
「匿名のままでええ。顔出しも声出しも、ライブ以外は写真とテキストでええ。ファンは、あんたの『声』と『技術』に惚れたんや。さあ、腹を括りい!あんたのコンプレックスを昇華させた努力を、世界に見せてやろうやないか!」
美咲の熱意は、大太の心の奥底に封印されていた「風花を完璧にしたい」という切実な欲望を揺さぶった。彼は、無言で目を閉じ、五歳の夏にハルカお姉さんからもらった「解放感」を思い出した。
SNSは、彼にとって最大の恐怖であると同時に、最大の表現の場だ。
長く伸ばした地毛を指で弄りながら、大太はゆっくりと口を開いた。その声は、震えていたが、強い決意を秘めていた。
「…分かった。美咲。手伝ってくれるか?俺には、やり方がわからない…」
「当たり前やろ! うちがプロデューサーや!」美咲は満面の笑みを浮かべ、大太の白い手を力強く握った。「最高のアイドル、一緒に作り上げたろうやないか!」
こうして、高校卒業後の大学生としての本格的な活動を見据え、富士見大太は美咲の協力を得て、匿名コスプレアイドル『風花』としてのSNSアカウント開設を決意した。世界が彼の「秘密の偶像」に気づくのは、もう間もなくだった。
高校二年生の冬。周囲のクラスメイトが本格的に受験勉強を始める中、富士見大太の頭の中を占めていたのは、学問の追求ではなかった。彼の関心は、ただ一点、「風花をいかにしてSNSのトップアイドルにするか」に集中していた。
美咲に背中を押され、匿名のSNSアカウント『風花』の準備はほぼ完了していた。残る最大の障壁は、「場所」と「時間」だ。
大太の住む地方都市では、大規模なコスプレイベントや、プロのカメラマンによる撮影会はほとんど開催されない。コンテンツの質と量を維持し、将来的にプロのオファーを受けるためには、日本のエンタメの中心地である東京への移住は必須だった。
彼は、受験雑誌やインターネットの情報ではなく、コスプレ業界のトレンドやイベント開催地、そして都内のシェアハウスの賃貸情報ばかりを調べていた。
「風花の活動時間を最大化しなければならない」
大太は、自身の学力と時間配分を冷静に分析した。難関大学に進学すれば、学業に時間を取られ、ストイックな体型維持や、衣装制作、声の訓練がおろそかになる。それは、風花という偶像のクオリティ低下に直結する。
そこで彼が選んだのは、学業のプレッシャーが少なく、出席単位の取得が比較的容易な、東京にある「底辺大学」**だった。
進路希望調査の個人面談。担任の山崎先生は、驚きを隠せない様子で大太の記入用紙を見つめた。
「富士見、君の学力なら、地元で推薦をもらえる大学も十分あるだろう。なぜ、わざわざ東京のこの私立大学を…?正直に言って、ここはあまり学習環境が充実しているとは言えないぞ」
大太は、いつものように短く、しかし明確なロジックを持って答えた。
「…東京でしか、できないことがあります。そして、時間を確保したいのです」
彼は、学業の時間を最小限に抑え、風花の活動に全てを投じるという、人生最大の賭けに出ようとしていた。家政科で培った技術は、既に一般的な高校生のレベルを遥かに超えている。彼にとって、大学のブランドや専攻は重要ではなかった。重要なのは、風花のための「活動拠点」と「自由時間」の確保だった。
その日の放課後、大太は美咲にこの決断を告げた。被服室の隅で、彼は自作のネイルチップを磨きながら言った。
「俺は、東京の大学に行く。そこで、風花の活動を本格化させる」
美咲は、大太のストイックな決断を聞いて、一瞬驚いた顔をした後、すぐに笑い飛ばした。
「ええやん!さすがうちのプロデュース対象! 考えることが合理的やわ!」
美咲もまた、高校卒業後の進路として、東京の専門学校でメイクアップとスタイリングを学ぶことを決めていた。
「東京はコスプレのイベントも多いし、ウチが写真やメイクで全面サポートできる。あんたが『時間』を確保してくれたら、ウチが『質』を高めるわ。地味な大学生活こそ、最高のカモフラージュになるやろ!」
美咲は、大太の冷徹なまでの戦略を瞬時に理解し、喜んでその共犯者になることを選んだ。二人は、大学進学を、風花という秘密のアイドルを「メジャーデビュー」させるための、戦略的な第一歩と位置づけた。
この決断によって、無口で地味な富士見大太の人生は、故郷を離れ、秘密の偶像「風花」と共に、東京という巨大な舞台へと飛び出すことになったのだった。
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