第5話

高校二年の冬、富士見大太の日常は、極度の緊張状態にあった。東京の大学への進学を決め、美咲と共に秘密裏に進めてきたSNSアカウント『風花』の準備。日々の授業、ストイックなダイエットと声の訓練、そして家政科の課題の傍らで進める衣装製作。全てが「風花」という偶像のための、冷徹なまでの戦略だった。

​精神的な余裕は、ほとんどなかった。

​その日、大太は、数ヶ月間かけて完成させた衣装を前に、力尽きたように床に座り込んでいた。それは、彼が最も熱中しているハンティングアクションゲームの、人気ヒロインが着用する、複雑な装甲と、異様に露出度の高い衣装だった。家政科で培った技術の全てを結集させ、彼は本物と見紛うばかりのクオリティで完成させた。

​「…疲れた」

​ウィッグを被り、完璧なメイクを施し、自作のネイルチップを装着する。鏡の中に現れた「風花」は、非の打ち所がない、戦場に立つ美しきヒロインそのものだった。

​しかし、その完璧な偶像を前に、大太の感情は爆発寸前だった。この数年間の孤独な努力、声へのコンプレックス、未来への不安、そして秘密を守る重圧。

​――誰にも言えない。この衝動を、誰かにぶつけたい。

​それは、美咲と話し合って決めた「公式なSNS投稿」の計画とは全く違う、個人的な、純粋な感情の吐露だった。

​大太は、スマートフォンを手に取った。美咲と作成中だった匿名のSNSアカウントを立ち上げる。彼は、緻密な計算も、美咲の指示も、全てを無視した。ただ、この「完璧に作り上げた今の自分」を、誰かに見てほしいという、表現者としての最も根源的な衝動に突き動かされた。

​『#ハンティングアクション #ヒロイン #自作衣装』

​キャプションは、それだけ。短い動画機能を使って、彼は衣装の細部、そして顔を近づけて、一瞬だけ微笑む風花の姿を撮影し、投稿ボタンを押した。

​それは、東京進学という人生の決断を固めた、高校二年の冬の夜の、衝動的な一撃だった。

​翌朝、目が覚めた大太は、布団の中で後悔に襲われた。冷静さを欠いた投稿は、美咲の計画を台無しにする。恐る恐るスマホを見ると、画面は通知の光で埋め尽くされていた。

​「…え?」

​通知は、既に数万件を超えていた。

​彼の投稿は、美咲の計画を狂わせるどころか、**「完璧すぎる偶然」**として、ネットの渦に吸い込まれていた。

​『何これ!?このゲームのヒロイン、現実にいるの?』

『衣装の金属の質感、どうやって再現したんだ?天才すぎないか?』

『顔が小さくてスタイルがヤバい。あの細さはガチのレイヤーさんだ…』

​特に、彼の中性的な体躯と、家政科で磨き上げた衣装のクオリティが、ハンティングアクションゲームファンの中で爆発的な話題となった。

​大太が最もこだわったネイルアートも、逃さずファンに捕捉されていた。

『指先にまでヒロインのモチーフが入ってる!この人、細部へのこだわりが尋常じゃない!』

​そして、極めつけは、フォロワーのコメントで付けられた新しいタグだった。

​#神の指先を持つアイドル

#二次元からの刺客_風花

​大太は、美咲に電話をかけた。美咲は、怒るどころか、興奮の絶頂だった。

​「あんた!何勝手にやってくれてんの!ええやん!めっちゃ最高やんか! あんたの衝動が、最高のプロモーションになったわ!もう、このままGOや!今日から『風花』、メジャーデビューやで!」

​大太は、震える手で、改めて鏡に映る自分を見た。計画も計算もなかった、ただの感情の吐露が、これほどの熱狂を生んだ。それは、彼のコンプレックスと努力が、もう誰にも隠せない、確固たる「才能」になった瞬間だった。

​この予期せぬ成功を追い風に、富士見大太は美咲と共に、秘密のアイドル『風花』を、東京という巨大な舞台で、本格的に活動させることを決意する。彼の地味な大学生活は、裏側で、二重生活というスリリングな物語として幕を開けるのだった。


コスプレファンから見た風花の初投稿の衝撃

​――コスプレウォッチャー・アキラのモノローグ

​夜中の2時。今日も眠気まなこでSNSを徘徊するのが、社会人オタクのルーティンだ。新しいタグ、新しいアカウント、新しい才能。コスプレ界隈は常に流れが速い。俺は、誰よりも早く「次に来る逸材」を見つけるのが趣味みたいなものだった。

​その日もいつものように、新着のハッシュタグをチェックしていたときだ。

​『#ハンティングアクション #ヒロイン #自作衣装』

​そんなありふれたタグの中に、埋もれかけているたった数十秒の短い動画があった。投稿者は、アカウント名もプロフィールも設定していない、名前のないアカウント。

​「どうせ、素人の自慢か…」と冷めた目でタップした、その瞬間。

​ドゴォン! 脳内に、まるでゲームの「会心の一撃」を受けたような衝撃が走った。

​画面に映っていたのは、あの人気ゲームの複雑すぎるヒロインの衣装をまとった、非現実的な美少女だった。

​一瞬で目を奪われたのは、そのクオリティの高さだ。衣装の装甲部分の質感、縫製されたフリルや刺繍の細かさは、もはや趣味のレベルを超えている。家政科で磨き上げられたあの技術は、プロの工房で作られたと断言できるレベルだった。

​「待て、この衣装、自作? 高校生が作るもんじゃねぇだろ…」

​そして、彼女の身体そのものの美しさ。徹底的に管理されたのだろう、無駄な肉が一切ない、しなやかで中性的な体躯。白い肌は照明を弾くように光り、日本の学生が持つ日焼けの痕跡が全くない。まるで、二次元の世界からそのまま召喚されたような「透明感」に満ちていた。

​俺は、一気に動画をスロー再生した。そして気づいた。

​彼女が小道具を握る指先。

​その爪に、衣装のモチーフを凝らした極細のネイルアートが施されている。その繊細さ、その完璧主義。普通のレイヤーは、ここまでの細部にまで神経を注がない。これは、「身体の全てを表現のキャンバスにしている」という、異常なまでの美意識だ。

​動画の最後、カメラに顔を近づけて、一瞬だけ微笑む彼女の表情。それは、無口な大太が孤独な訓練の果てに生み出した、あのコンプレックスを昇華させた、純粋な歓喜の笑顔だった。

​「…ヤバい。これは、本物だ」

​俺は、直感した。この子は、「コスプレ」という枠を超えて、「自己表現の偶像」になれる。この才能と情熱を、このまま埋もれさせてはいけない。

​スマホを持つ手が震えた。俺は、その衝動に従って、すぐに動画を引用リツイートした。

​『【緊急】誰かこのレイヤーさん知ってますか!?!? 衣装の再現度、美意識、スタイルが桁違い。特に指先を見てくれ。二次元からの刺客すぎる。この逸材を世界に届けないと、コスプレ界の損失だ!! #神の指先を持つアイドル #風花』

​俺のフォロワーはそこそこいた。俺の興奮が伝播したのか、そのツイートは瞬く間に拡散され始めた。フォロワーがさらに拡散し、それが巨大なコミュニティの渦へと巻き込まれていく。

​翌朝、俺がチェックしたときには、あの名もなきアカウントは既に数万のフォロワーを獲得し、「風花」という名前と共に、コスプレ界のシンデレラとしてネットのトレンドを席巻していた。

​その日、俺は確信した。あの富士見大太という地味な男の子が、自らのコンプレックスを乗り越えて生み出した「風花」という秘密のアイドルは、もう、誰にも止められない時代の寵児になるだろうと。俺は、その最初の目撃者になれたことを誇りに思った。

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