第16話 放送室ジャック


 翌日の昼休み、俺と花束は廊下をこっそりと移動していた。

 休み時間が始まって五分ほど経過している。人の移動のピークは終わり、ほとんどの人はどこかで食事をしている頃だろう。


「――春の日差しが暖かな本日、みなさまいかがお過ごしでしょうか? お昼の校内放送の時間です」


 と、スピーカーからは、校内放送が流れている。

 放送部が担当する昼休みの定期放送は、毎日欠かさず行われている。

 内容といえば、雑談だったり、放送部員おすすめの音楽を流したりなど他愛のないもの。

 熱心に聞いている人がどれだけいるかは不明。


 しかし、興味がない人であっても、高確率でこの放送を聞いてはいる。

 なぜならスピーカーは校内のいたるところに設置されており、オフにすることができないからだ。

 イヤホンをして音楽を流すとかしない限り、放送を聞かないことはできない。

 つまり、校内限定ではあるが、強い強制力があるメディアということだ。

 これを利用しない手はない。




 放送が開始されて数分。いつものように、放送委員おすすめの歌が流される。

 そのタイミングで放送室のドアを開け、俺たちは中に入った。

 放送室内には、放送部員の女子がひとりだけいて、機材の前に座っていた。


「えっ? あの、誰ですか?」


 放送部員の女子は、こちらに視線を向け目を丸くしていた。

 表情からは困惑が窺える。なにが起きたのか全然わかっていないようだ。

 まぁこの時点で俺たちの狙いをほんの少しでも理解していたら、勘が良すぎて恐ろしいが。


「図書委員です。委員会からのお報せがあったので来ました。聞いていませんか?」


「聞いていません」


「おかしいですね、連絡ミスでしょうか。そのことは後で確認してもらうとして、とりあえず放送していいでしょうか?」


「えっと…………そうですね。わかりました」


 俺のそれっぽい説明にその女子は納得してくれて、あっさり席を譲ってくれた。

 そのイスに花束が座り、曲が終わるのを待った。

 放送が再開すると同時に、花束は、おそらく本校の校内放送史上初だろうセリフを口にした。


「全校生徒に告ぐ。この放送は我々がジャックした」


★★★★★


「……はぁ!?」


 俺の横で放送部員の女子が素っ頓狂な声を出す。

 俺は唇に手を当て、「しーっ」と小声で注意する。

 これからおもしろいショーが始まるのに、裏方が余計な茶々を入れることは許されない。


「繰り返す――全校生徒に告ぐ、この放送は我々がジャックした。我々とは、羽前花束、村雨奏の両名である」


 と花束がマイクに向かってもう一度話す。

 ゆっくりと、堂々とした話し方だ。

 いつもより声のトーンを落とし威厳ある、しかし透明感のある美しい声で、一音一音しっかりと発音する。


 そこで花束は一度話すのを止めた。

 多くの生徒は、これまでの放送をなんとなく聞き流していただろう。

 その環境で、俺たちの話を届けるのは簡単じゃない。


 まずは注目度を上げる必要がある。

 そのため、聞き慣れない物騒な単語を出すのが友好だ。

 注目させたら、少し間を置く。それが緊張感を高める。

 なにが起こっているのか? と疑問を抱かせ、しかし、すぐには答えを与えない。

 そうすると疑問はだんだん恐怖に変わり、恐怖は情報を求める心理を刺激し、傾聴を促す。


 そこまでに必要な時間は、それほど長くない。数秒もあればいい。

 数回深呼吸するだけの時間を置いてから、花束は話を再開した。


「我々の目的は真実を伝えることである。我々と軽音部との間には争いが起こっていることは、発端となった食堂でのラップは、生徒諸君もよく理解していることだと思う」


 今頃は、食堂でのラップと掲示されたルールのことをみんな思い出しているはずだ。


「昨日、軽音部名義で発表されたルールを、我々は認めていない。軽音部によって流されたデマであり、無効であることをここに宣言する。我々と軽音部はルールに関する話し合いを一切行っていない。さも真実かのごとく吹聴する軽音部は下劣なる詐欺師の集団である。そもそもハーレムを作っている男と、それに群がるビッチどもがまともな思考をしているはずがない」


 ここらで人格否定をひとつまみ。

 ほめられたことではないが、放送ジャックに比べたら些細な問題だ。


「我々は軽音部に対し、あらためてルール設定の場を設けることを要求する。ルールは、生徒会や新聞部を交え、透明性を確保した場で決めることが好ましい。もし要求が受け入れられない場合、我々は文化祭の対決をボイコットする。繰り返す。軽音部が勝手に決めたルールを強制するつもりであるならば、我々は対決をボイコットする」


 それにしても、花束の堂々っぷりはすごいな。

 こんなことをしているのに、声にわずかな震えもない。

 それどころか、笑みさえ浮かべている。なんたる余裕、クソ度胸。

 小学校の頃、氷柱さんがギターを抱えて放送室をジャックし、全校生徒に自分の演奏を聴かせたことがあった。あの時の氷柱さんと、今の花束はそっくりだ。

 これが天性のショーマン気質なのかもしれないな。


 ヴヴッ――と俺のスマホがポケットの中で振動する。

 友人たちからのメッセージが届いたようだ。


≪すごいことやってるな、お前ら≫

≪いいぞ、もっとやれ≫

≪鏡花ちゃん泣いてそう≫

≪ラップまだ?≫


 お、励ましのメッセージの中に、リスナーからのリクエストが含まれてる。

 これは応えてやらないとな。


 俺は花束の肩をつつき、ふり返った彼女にスマホの画面を見せた。

 花束は「その手があったか」という表情をして、邪悪な笑みを浮かべた。


【チキンの翔太に翼はナッシング でも逃げ足だけは超一流

 こちとらド派手に放送ジャック お前らドタマに相当ショック

 勝手に決めるなおかしなルール キチンと決めようまともなゴール

 話し合おうぜツラ突き合わせて 今度会おうぜ生徒会室!】


 ラップが終わると、花束はマイクのボリュームを落とした。

 これにて俺たちの目的は達成。

 ゲリラの基本は神出鬼没。闇の中から突然現れ攻撃を加え、それが終わったら速やかに現場を離れるのが鉄則だ。


「お騒がせ失礼しました。機材と場所を貸してくれてありがとう」


 放送部員の女子にお礼を言って、すぐに放送室のドアを開け、外に出た。


「こら、お前たち!」


 廊下の向こうから教師が走ってくる。

 ジャックしたから、教師に追われるのは覚悟していた。

 だが、思ったより来るのが早い。ここから離れる時間くらいはあると思っていたのだが。


「花束、乗って」


 俺は花束に背中を向け、上体を少し丸めた。

 背中に乗れ、という意味なのは伝わったようだ。


「でも――」


 花束は乗ってくれない。

 おんぶされるのが恥ずかしいのか、それとも自分の足で歩けないと言われたようで気に食わないのか。


「ここで捕まるわけにはいかない。今捕まったら、このまま放送室に戻されて謝罪放送させられるかもしれない。そうしたら全部台無しだ」


 俺たちは全校放送を使い、やつらに反論させずに一方的にこちらの主張を伝えることに成功した。

 放送室ジャックなんて過激なことをしたのだから、俺たちのことは必ず話題になる。

 軽音部を揶揄する声はこれまでも存在したが、これで一気に強くなるだろう。

 プライドの高い翼は、きっとそれに耐えられない。

 交渉のテーブルに着くはずだ。


 だが、そのためには謝罪放送だけはしてはいけない。

 そんなことをすれば、俺たちはただのピエロになってしまう。

 戦わずに軽音部に負けてしまう。


「……うん、そうだね」


 花束も覚悟が決まったらしく、俺の背中に飛び乗った。

 スカート越しに触れた花束の太もも。その左右の太さの違いにおどろいた。

 考えてみれば、移動のほぼすべてを担う左脚と、ほとんど動かない右脚とで大きな差があるのは当然だ。だが、花束はスカートを長くして太ももを見えないようにしているから、これまでそのことを意識することはなかった。


 おんぶされることが恥ずかしいのではなく、アシンメトリーな脚を知られるのが恥ずかしかったのかもしれない。

 少し悪いことをした気になったが、今はそのことについて考えてい場合じゃない。

 とにかく走らないと。


 走ってくる教師とは別の方向に向かって駆け出し、廊下の角を曲がり、通用口から外に出た。

 そのまま物陰に隠れ、息をひそめる。

 追いかけて来た教師は別の場所に行ったようだ。なんとか急場をしのげたみたいだ。


「こういうさ、ちょっと悪いことして逃げ出す、っていう青春っぽいことしてみたかったんだよねぇ」


 と、花束はずいぶんと軽い調子で言った。


「まぁ青春っぽいかもしれないけど、これってちょっと悪いことでは済まないかもしれないぞ。せっかくこれまで積み上げた花束の優等生イメージが崩れるかもしれない」


「別にいいよ。っていうか、この前の学食の一件で優等生イメージなんて崩れてるし。そもそも、わたしはおとなしい性格なんかじゃない。おとなしいと思ってた人も少なくないみたいだけど、それは物理的な理由で暴れられなかったから。一緒に悪さしてくれる仲間がいれば、本当は前からこういうことがしたかったんだよ」


「以外とわんぱくだなぁ」


「小五の時に車に轢かれてこうなったけど、それまでは男子と殴り合いのケンカしてたぐらいだからね」


「氷柱さんでも五年生の頃には殴り合いはしてなかったと思うけど」


「じゃあわたしの勝ちだ!」


「言うほど勝ちか?」


 話をしながら隠れ続け、午後の授業が始まってから少し遅れて教室に戻った。

 すると「お前たちは授業の前に職員室に行け」と教科担当の教師に言われ、揃って職員室へ。そこでたっぷり怒られ「反省文を明日まで書いてくるように」と言われたが、親の呼び出しまではされなかった。


 正直、割とほっとした。

 子どものケンカに親が入ってくるのはロックじゃないからな。




 軽音部から「ルール設定の会議を行いたい」という申し出があったのは、その二日後だった。

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