灰色は薔薇色のように
@ganai_yosetsuka
第1話(前半) 女の子、初めまして
「好きです。付き合ってください」
結末は■■からの告白だった。
「……よろこんで」
これは彼が、彼女と結ばれるまでの――
――高校三年。新年、新学期。
ボーッとしている間に、今年度初のホームルームは既に始まっている。毎年恒例の自己紹介は嫌いではなかった。
これから一年を共にするクラスメイト達に最初にアプローチできるチャンス。勝負は今この時から既に始まっている。
「じゃあ朝霧さん。自己紹介お願いね」
今年の担任はきっと当たりだ。おっとりした素敵な先生で、まだ二十代と年齢も近い。大きな胸が少し目を引いて、視線に困ってしまう。
「あっ、最初に私の自己紹介しておきますね。先生は村津えりかと言います。村津先生でも、えりか先生でも大丈夫ですよ」
にこやかな笑顔が砂漠のような青春に沁みる。今日から毎日えりか先生に会えるというだけで、満足かもしれない。
と言ってもこれまでの高校生活、ほとんど記憶がない。去年の担任がどんな人だったかも上手く思い出せないために、えりか先生の朗らかな印象は希望に満ちていた。
「じゃあ改めて朝霧さん。お願いします」
立ち上がったクールな女の子、切長の瞳に美しい黒髪ロング。絵に描いたような優等生がそこに佇んでいる。
「名前は朝霧凛(あさぎりりん)。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
そっけない挨拶。でも、可愛いと思ってしまう。
学生生活に馴れ合いは必要としない、そんな毅然とした態度の女の子から好かれでもしたら、この灰色の学生生活も薔薇色に変わるかもしれない。
「はいはい!じゃあ次ウチやな、名前は市原朱音(いちはらあかね)。バレー部の部長やらせてもろてます!初めましての人ばっかりやから緊張するけど、仲良くしたいです!」
「ありがとう市原さん。これからよろしくね」
朝霧凛について考えていたこの頭を、市原朱音は上書きした。
気さくな関西弁、砕けたような自己紹介。女の子としてだけではない。彼女はきっと、人としてしっかりしている。
「宇治原ねね、吹奏楽部でフルート吹いてます。ピアノも弾けるんで合唱コンの伴奏は任せてください。お願いします」
「宇治原さんありがとう。よろしくね」
何だか生意気な印象を受ける。低身長のこぢんまりとした少女だ。しかし、あの小さな手でピアノを弾いているだけで応援したくなる気もする。
宇治原ねねと仲良くなるのは恐らく異性慣れしていない俺には難しいと思う。
人に容易く心を開かない猫のようで、関わり方を間違えればあの小さな手の先にある爪が、俺の頬を引っ掻くに違いない。
「じゃあ次……梅浦さん」
自己紹介は続いていく。一人一人喋るたび、それぞれの女の子の良い部分を見つけていた。ハーフなのに日本語がペラペラな小原さんや、ハキハキと喋る天城(てんじょう)さん。自分の番が近づくにつれ、この女の子達にどうアピールするか――ここで俺は一つの不思議に気がついた。
俺の名前は楢崎悠人(ならさきゆうと)。順番が回ってくるまで、俺は全員の自己紹介を聞いていた。
「じゃあ楢崎くん。お願いします」
えりか先生の柔らかい声色に導かれ立ち上がる。そして最後列の席から、周囲をぐるりと改めて見まわした。
「……やっぱり、そうだ」
運なのか。いや――これはもはや何かのバグだ。
「楢崎くん?」
このクラス。俺以外みんな、女の子。
俺以外の全員が女の子のクラス。俺はすぐに全員の名前を覚えることを決意した。
何故、俺しか男がいないのか。そんなことを気にしたって、こんな奇跡はきっと二度と起こらない。俺はこの環境から一年間追い出されないように、上手く適応しなければならない!
悠人はえりか先生が発行した初めての学級通信と睨めっこする。そこには名簿が記されており、席順と名前が分かりやすく表として載っている。
新品のノートを取り出し広げた。暗い部屋に橙のランプを灯し、写経の如く名簿を書き写していく。
正直、少し……モテたい。しかしただそれだけじゃない。
悠人は微かに怯えている。少しでも馴染む努力をしなければ、女性だらけのこの場所では居ないものとして扱われてしまうのではないか、と。
まず名前を覚える一歩から。これまで二年間もサボり続けた努力、今年は惜しんではいけない。
「朝霧凛。市原朱音。宇治原ねね……」
梅浦百合(うめはらゆり)。音無こより(おとなしこより)。小原アリス(おはらアリス)。
葛城なずな(かつらぎなずな)。久留米手毬(くるめてまり)。小早川莉愛(こばやかわりあ)。
佐伯珠那(さえきしゅな)。椎名椎奈(しいなしいな)。新谷侑李(しんたにゆうり)。鈴原りる(すずはらりる)。
竜田潤愛(たつたうるあ)。月岡萌(つきおかめい)。天城水羽(てんじょうすずは)。
永瀬初音(ながせはつね)。二階堂菜穂(にかいどうなほ)。沼淵舞衣(ぬまぶちまい)。能瀬唯波(のせゆいな)。
波多野凪(はたのなぎ)。長谷川和香(はせがわのどか)。福原ひまり(ふくはらひまり)。辺見寿々穂(へんみすずほ)。堀内彩綾(ほりうちさあや)。
真白梨子(ましろりこ)。三浦藍菜(みうらあいな)。桃井花のん(ももいはのん)。
八乙女永美留(やおとめえみる)。矢吹伊乃里(やぶきいのり)。雪白牡丹(ゆきしろぼたん)。
礼堂いろは(らいどういろは)。六郷若葉(りくごうわかば)。
和泉心(わいずみこころ)。渡邉梨央南(わたなべりおな)。
「一日じゃ覚えられる気がしない……」
千里の道も一歩から。そう唱えながら、俺は一晩をクラスメイトの名前を覚えるために費やした。
努力の成果もあり、翌朝にはクラスメイトの顔と名前の大半が一致していた。それぞれが持つ名前の華やかさや可愛らしさに思いを馳せながら、ホームルームをぼんやりと過ごす。
今日もえりか先生が朗らかに微笑んでいる。
「このクラスの学級委員を二人、決めたいんですが……」
ふと、目が合った。えりか先生が申し訳なさそうにこちらを向いている。
「全クラス原則として男女一人ずつとなってまして。唯一の男子だから、とりあえず楢崎くんには学級委員をお願いしたいんですが……どうかな?」
「やります!やらせてください」即答。
学級委員になれるなんて願ってもないチャンス――何より、朗らかな先生に頼りにされるのが嬉しい。
「ありがとう、楢崎くん。そうしたらもう一人女の子からは……誰か立候補いますか?」
「はい。私、やります」
落ち着いた声色の女の子――三浦藍菜が手を挙げた。肩まで伸びた濃い青髪が目を惹く。
「ありがとう三浦さん、では学級委員はこの二人に任せたいと思います。二人は終礼終わり少しだけ残ってくださいね」
先生が急ぎ足で学級委員を決めたのには理由があった。三年生に入ってすぐに行われる体育祭、クラス代表として生徒会が執り行う会議に参加しなくてはならないらしい。
「私も担任なんて初めてで……体育祭のことは任せても良いですか?」
可愛らしい先生の頼みには二つ返事で了承する。それは楢崎悠人だけでなく、女子で立候補してくれた三浦藍菜も同じだった。
先生が出て行った放課後の教室。夕暮れの教室で、三浦さんと二人きりになる。
「楢崎くん、大変だよね。クラスで男子が一人なんて」
先生の背中を見送る三浦さんがこちらに目を向ける。深い藍色の瞳が、悠人を吸い込むように見つめている。
「正直言ってびっくりだよ。女の子ばっかりの中に馴染めるか心配で心配で」
「だよね。私がその立場なら不安だな」
橙と藍のコントラストが美しい。斜陽と三浦さんはとても相性が良く、お互いを引き立たせるように光っている。
「ホント、三浦さんが立候補してくれて良かった」
「……うん。自分から頑張って役に立たないとね」
一瞬、三浦さんの表情が陰に呑まれた気がした。生粋の学級委員――みたいなタイプではないのかもしれない。
「俺からしたらそこにいてくれるだけで助かるよ。三浦さんはきっと、知らないうちに沢山の人を助けてるんだろうね」
机の横にかけた鞄を手に取る。勢いよく肩にかけ、扉を指差した。
「帰ろっか。三浦さん」
「藍菜でいいよ」
――思考が止まる。出会ったばかりの男になぜ、名前呼びを許すことができたのか。
いや、それ以上に。
何故か潤んだ瞳をしている三浦さん――藍菜は不安そうな震える声をしていた。胸に突き刺さる可愛らしい表情に、悠人は激しく動揺する。
「……初めてかも。私のこと、そんな風に言ってくれた人」
「そ、そんな大したことは」
「藍菜って呼んで。でも私はまだ楢崎くんって呼ぶね」
(――やばい。可愛い)
女の涙より恐ろしいものはないと聞くが、それは本当のことだと今ここで悟る。
「さ、帰ろっか」
これから一年間、こんなに可愛い女の子と学級委員を務めることができる。それだけで枯れ果てていた青春という名の世界が一変した。
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