第1話(後半)
藍菜が送ってくれた初めてのスタンプは可愛らしい猫のマスコットキャラクターだった。猫の下にはよろしくと丸文字で描かれている。
【明日が会議だったよね】と送ると、すぐに既読がついては【うん】【どういう話されるんだろうね】と立て続けに送られてきた。
夕焼けの教室で微かにした藍菜の不安そうな匂い。学級委員として立候補したのには何か理由があるのだろうか。
【分からないけど、明日は藍菜ともっと話せたらいいな】と返してスマホを閉じた。一夜漬けで名前を覚えたせいで、今日はやけに眠気が酷い。
まぶたの重みに従って、俺はゆっくり眠りについた――そして寝坊した。
藍菜の繊細な声を聞き取れたこの耳も、目覚まし時計の煩雑なアラームは聞き取ってくれない。遅刻ギリギリの中、簡単に用意を済ませて家を出た。
「遅刻、遅刻しちゃうよー!」
すぐに聞こえた女の子の声、目の前を通過して行ったのは。
「福原さんだよね!」
「あれ、えーっとクラスの男の子だよね!んー名前は……分かんないけど!」
初日に一夜漬けした甲斐があった。身長が低くこぢんまりとした印象を受ける小動物のような彼女は、福原ひまりに間違いない。
「お名前なんて言うの!」
「楢崎悠人だよ」
「悠人くん、急がないと遅刻だよ!」
明るい笑顔の女の子だ。遅刻のピンチだと言うのにそれすらも楽しんでいるように見える。
「ひま近道知ってるから一緒に来て。ほら」
恐ろしいまでの距離感の近さ。福原ひまりは俺の手を優しく握り、引っ張っていく。
――女の子の手。
小さい。柔らかい。それでいて福原さんは力強く引っ張ってくれる。
「よく知ってるね。福原さん」
「ひまでいいよ。みんなそう呼ぶんだ〜」
なんの澱みもない、純粋無垢な笑顔。深く胸に突き刺さる。
「じゃあ、えーっと。ひま」
「なに?」
「これから一年間、よろしくね」
あまりの距離感の近さに驚く俺を一切意に介さぬ福原さん――ひまは、より一層強く手を握ってくれた。
「よろしく悠人くん!」
「おはよう、藍菜」
教室に入ってすぐ藍菜と目が合った。女の子との関わりが少なかった俺のはにかんだ挨拶に、藍菜は優しく微笑みかけてくれた。
「楢崎くん。おはよう」
昨日感じた不安が嘘のように藍菜は朗らかな声色で話してみせる。
「今日の体育祭に向けた会議、ちょっと楽しみだね」
以前の俺なら頷けなかったかもしれない。一人きりだった俺だけど、今は隣に藍菜がいる。縁がないと思っていた学校行事も前向きに取り組める気がした。
「おーい藍菜!」
「あ、珠那ちゃん。おはよう」
一夜漬けで覚えた名簿から名前を探し出す。――珠那、佐伯珠那(さえきしゅな)。仲良いの?と小声で聞くと、同じくらい小さな声で去年同じクラスだったんだと教えてくれた。
佐伯さんの目線がこちらに向く。良い意味で女の子らしくない風格の彼女は、俺なんかより格好よく見える。
「楢崎だっけか。あたしは佐伯珠那。よろしくな」
「楢崎悠人です、よろしくね佐伯さん」
「その呼ばれ方はなんか落ち着かねえな。あんまり畏まらず楽に呼べよ……ってか藍菜、コイツともうそんな仲良くなってんのか?」
「そんなんじゃないから!お互い学級委員だし。ね、楢崎くん」
佐伯さんが俺の顔を訝しむようにじっと見てくる。朱色の鋭い眼光に少し狼狽えながらも、藍菜の言葉に頷いた。
「ふーん……ま、藍菜は良いやつだから仲良くしてやってくれよ。人の為に無理しがちな優しいやつなんだ」
きっと佐伯さんは面倒見の良い人なのだろう。藍菜の声色も、彼女が来てからより一層柔らかくなった。信頼しているのだとすぐに分かる。
「楢崎くん。本当は珠那ちゃんの方が人の為に無理しがちな優しい人なんだよ。もし機会があったら、仲良くしてほしいな」
「……うん。俺でよければいくらでも」
二年間過ごしてきた高校でも、入ったことない教室は結構あるらしい。体育祭の会議が開かれる第二会議室に立ち入るのは俺にとって初のことだった。
藍菜もどうやらここに来るのは初めてらしく、少し肩に力が入って緊張している。励まそうとしたその時、生徒会役員が座る席に見覚えのある女の子を見つけた。確かウチのクラスの――。
「それでは会議を始めます。まずは生徒会長・天城水羽(てんじょうすずは)より挨拶です」
そうだ。白いリボンのバレッタで茶色の髪を束ねる、印象的なオーラを放つ彼女。自己紹介の時に生徒会長だと言っていたような気がする。
「お集まりいただきありがとうございます、生徒会長の天城水羽です。今日は体育祭について各クラスに要綱をお配りしますが……今年度初の会議ですから、まずは役員の自己紹介を少しだけ」
ね、ね。藍菜が耳打ちする。
「天城さんの隣の……あの人もうちのクラスの人だよね」
「確かに。月岡さん、だっけ」
ウチのクラスには二人も生徒会役員がいるらしい。
月岡さんは少し気が強く生真面目そうな見た目をしている。常に力が入っているというか、力の抜き方を知らなさそうな印象を受ける。
「生徒会会計・月岡萌(つきおかめい)です。これから半年の間、よろしくお願いします」
今度は俺が耳打ちする。半年?
藍那が答える。生徒会は秋に任期が終わるから、実質あと半年なんだよ。
学校行事に疎すぎてそんなことも知らなかった。藍菜に驚かれていないかと不安になったが、そんなことは微塵も思っていない優しい表情をしていた。
「今年の体育祭のテーマは全員活躍、です。本校の生徒が一人残らず楽しむことのできる行事を作って参ります。どうか学級委員の皆様、ご協力お願いします」
天城さんはきっと良く出来た人なのだろう。絵に描いたようなリーダー気質で、生徒会、ひいてはこの学校を牽引しているに違いない。
「……そういえばウチのクラスって男の子は楢崎くんだけだよね。なんか不利じゃない?」
「確かにそうだな……せっかくだし後で天城さん達に聞いてみるか」
「どうせならやっぱり勝ちたいよね。ハンデとかあるのかな」
「――残念ですが、どのクラスにもハンデ等のルールが追加されることはありません」
心苦しそうに答えた天城さんを見ていると、何故だかこちらまで苦しくなってくる。
「男子の競技とかは俺だけでやるのか?」
「……それが、今年は男子女子で競技が分けられていないんです。わたくしも何故だか分かりませんが、生徒会には先生方が決めたことに逆らう権利まではないので……」
困惑した様子の中、藍菜が言葉を挟む。
「全部の種目が男女混合ってこと?」
「……学級委員のお二人にはお願いしたいことがありました。わたくし達のクラスにおいて、今のままでは全員活躍は難しいでしょう――そこでお二人がクラスの、体育祭必勝へのモチベーションを上げていただきたいのです」
「体育祭必勝へのモチベーション?」
「もちろんわたくしも手伝います。ですが、学校の全員が楽しむには女子ばかりのわたくし達のクラスが楽しめなければ意味がありません。生徒会長という立場上自由に動くこともできませんから……お願いできませんか?」
育ちが良いのだろう。お辞儀をするにも、とてもお淑やかに腰を曲げている。
「任せてください。天城さん」
「うん、私も大丈夫」
「ありがとうございます。といってもまだ何の策もなく……お二人に任せきりになってしまうもしれませんが」
今年度の学校行事――体育祭。俺がこのクラスに馴染む為、藍菜や生徒会長として奮闘する天城さんの為。
クラス全員を――必ずやる気にさせる!
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