Chapters2 星月夜

 七月七日。


 夏に似つかわしくない、よく晴れた日だった。きっと夜は星が綺麗に見えるはず。

「じゃあ、勉強頑張ってきてね。」

「ああ。いってきます。」

 ドアを開けようとすると、例によって可愛らしい影が現れる。

「コスモ!約束忘れないでね!」

「わかった。すぐ帰ってくるから。」

 満面の笑みで手を振る小さな天使を、時間が許すまでずっと見ていた。扉を閉ざす。目に焼きついていた笑顔が、残像を残して消える。

 俺が歩く隣で犬が吠える。男の子がシャボン玉を追いかけている。お腹の大きな主婦がお使いメモを片手に鼻歌を歌う。

 これは、当たり前の光景だった。



「なあ、青木さあ。」

「お?」

 仲の良いクラスメイトに話しかけられる。

「九州あたりで『兵器』が現れたって聞いたか?」

「ああ………うん、聞いたけど。」

 出没したのは、かなり近くだ。安全メールが今日届き、細心の注意を払って登校した。既に処分されたのだとホームルームで聞いたのだが。

「………え、でも、それはもう駆除されたんじゃ。」

「いや、でもネットで………」

 スマホの画面を突きつけられる(俺はスマホを持っていない)。黒い何かが、闇の中で蠢いている。「関節」が鳴る音がノイズと共に聞こえる。そして、その「目」がこちらを「見る」。

 ………砂嵐が走った。

「やべえだろ、これ。今日の朝の映像なんだよ。」

「………」

「大丈夫なんかな………」

 なんとなく、校舎の窓から外を眺めた。そして、すぐ異変に気づいた。

 外のシャッター街。殺風景な光景の中で、何かが「動いた」。

 ………なんだ、あれ。

「おーい、席につけー。」

「あ。」

 チャイムが鳴っていた。びっくりしてその影は見逃した。

 ………気のせいだよな。

 そして、日常に戻った。


 それが全ての失態だった。



「青木くん、今日、お昼一緒に食べませんか?」

「いいけど………ごめん、俺君と話したことあるっけ。」

「いえ………隣のクラスで、えっと」

「お前のことが気になるんだってよぉ、青木。俺も混ぜろよ。」

「え………」

 結局、俺を誘ってきた女子二人と、俺を含めた男子三人で昼食を取る。無論、恋愛にはあまり興味がない。何度か付き合ったことはあるが、妹以上に好きな女子に会ったことはない。よって会話も弾まず、すぐに飽きられるのがお決まりだ。

 庭に出た。もうすっかり暑い。

「日陰に入ろっか。あそこの………」

 一人の女子が声を上げて、全員が驚愕した。人影があった。「人影」ではないのかもしれない。黒い、何かが。項垂れているように見えた。………そして。

「目」があった。

「………なあ、あいつ」

 声を発し終わる前に、「何か」がこちらに向かってくる。反射的に後ずさった。


 悲鳴。


 血が、噴き出る音がした。


「………は。」

 何が起こったのか、わからなかった。「何か」が女子の首に噛みついて。真っ黒な血が吹き出して。痙攣して、動かなくなる。


 俯瞰するどこかの自我が、理解した。


 化物だ。


「………逃げろおおおおおお!!」

 誰かが叫び、俺は身を翻した。人間を、「見捨てた」。

 校舎に入る時、最後尾の人がドアを閉め忘れたらしい。化物が校舎に入ってきて。また、人が死ぬ。逃げる。死ぬ。

「みんな、落ち着いてください!今、消防が………!」

「化物が、外に!」

「いやだ、食われてたまるかよ!」

「助けて助けて助けて。」

 校舎のドアを突き破る、化物たち。

「いやああああ!」

「近寄るな、狙われるだろ!」

「おかあさあああああん。」

 逃げるのに必死だった。だけど、なぜか不意に大切な人たちの顔が浮かんだ。

 お父さん、お母さん、ヒカリ。何も考えず、窓から外へ飛び出る。走る。走る。

「………うっ。」

 路上で、妊婦の死体を見つけた。思わずその悪臭に鼻を覆ったが、もうどうでも良くなった。芥川の「羅生門」の一節が、なんの根拠もなくストンと落ちる。

「………かあ、さん。」

『コスモ!』

 自分の名前が呼ばれるのを聞いた。けど、幻聴だった。俺の母親は、家の前で息絶えていた。もう、戻らない。死んだ。

「ヒ、カリ。ヒカリ、ヒカリぃ………」

 名前を呼んだ。震える声で。答えない。家の中に入って、階段を上がる。血と、ガソリンの匂いがする。荒れ放題の家の中。音がする。ヒカリの部屋。一番血の匂いが濃い場所で。

 あの化物がいた。何かを「食べて」いる。捕食対象を見て、目の前が真っ黒になった。そして、わけもなく笑った。笑って、苦しかった。息を吐く。吸うのを忘れて。

「………どう、でもいい。」

 もう、全てがどうでもいい。化物の「標準機」を見る。襲ってきた。何もしなければよかった。だけど、俺の生存本能が動いた。

 俺は、化物の「心臓部」をシャープペンシルで刺したらしい。動きが止まる。どうでもいい。刺し続けた。刺して。刺して。刺して。

 笑った。



 とても、星の綺麗な夜だった。

 綺麗すぎる星空を見て、俺は泣き叫んだ。


 全てを失った、この日。

 日本が滅亡した。

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