10-2. その成れの果てさね
どうしようもない脱力感が体を襲い、頭を抱えて大きなため息をついた。
「あぁ……、なんなんだもう」
「光の門がアイツォルク領にあるなんて……。そんな話、一度も聞いたことがありません」
シズも参ったようにこめかみを抑えている。
「知りながら黙っていたんだろう。悪趣味すぎてここにいたらぶっ叩いてやりたい気分だよ」
「フューシー坊やのことだからね、記憶を詰め込みすぎて忘れてんのかもしれないさ」
「そういえば最近は来ていないんでしたっけ」
「七年ぐらいかねえ。最後に来た時は確か……そうそう、おんなじように迷人について知りたいとかって言っていたね」
「それって……」
七年前といえば、ちょうどシズがアイツォルク卿の元で働いていた頃。つまりシズが迷人を処刑した頃だ。
アイツォルク卿がここに来たこととシズによる迷人の処刑の因果関係は分からない。もしアイツォルク卿が迷人を元の世界に帰そうと考えていた中で、処刑が断行されたのだとしたら。
……だとしても、今の俺にはどうすることもできない。
「シズ、光帰ってのはなんだ?」
話題を変えるために、記憶に出てきた魔術についてシズに尋ねる。
「儀礼用の光術です。もっぱら神様に光の魔力を捧げるためのもので、特別な効果は無いのですが……。まさか迷人のためにあったなんて」
「はるか昔には光の門以外の神域でも迷人を送ることができたのさ。儀礼で使われているのはその名残だね」
「なるほど……」
「シラセさん、どうしたんです? せっかく帰る方法が分かったのに」
「……いや、本当に帰っていいのかと思って」
世界を見て回ることがシズの旅の目的だったとしても、このまま光の門から俺が帰って全てがハッピーエンドで終わるわけがない。それほど俺とシズには色々あったのだから。
「気にせずとも大丈夫ですよ。私のことは私でなんとかします」
弱々しく微笑むシズの回答に、俺はかぶりを振る。
「……やっぱり駄目だ、せめてこれだけはケリをつけないと」
そう言って老婆に向き直り、
「すみません、もう一つ記憶を見せてもらうことはできませんか?」
「一つぐらいなら構わないよ。それで、何を見たいんだい?」
「……祝福を、消す方法です」
「ほ〜お?」
老婆が物珍しそうな顔をする。
「訳ありみたいだね。差し支えなきゃこの老いぼれに理由を教えてもらえないかね?」
「それは……」
「誰にも話しゃしないから安心しな。あんたらの抱えている問題もここじゃ普通のことさ」
老婆を信用してもいいものか躊躇いつつ、一度シズに目で合図してから、
「〝不死〟なんです、俺達の祝福。こいつのせいで何度も大変な目に巻き込まれてきました。無茶を言っているのは分かっています。でもせめて何か……」
理屈もクソも無い俺の訴えに老婆はニタニタと笑う。
「普通は無いさね、そんなもの」
「やっぱり……」
「でも〝不死〟は普通じゃないね。あれは呪いさ」
肩を落とす俺に老婆は意味深な言葉を投げかけてくる。
「それはただの例え話じゃないんですか?」
「性質を考えれば呪いって表現するのは間違いじゃないさ。〝不死〟以外にも呪いと呼ばれてる祝福はあるからね。でもあれは違うねえ」
老婆がまたプールもどきの方に振り返り、同じ憶子の呪文を唱える。すると今度は歪んだ形のシャボン玉が近寄ってきた。
「これが〝不死〟の憶子だよ。訊いてごらんな、本当のことを」
俺達の前でシャボン玉がパチンと弾けて。
記憶の波濤が押し寄せる。
***
むかしむかし、あるところに神様がいました。
神様はひとりぼっちでした。ずっと前には友達がいたのですが、ケンカしていなくなってしまったのでした。
神様は退屈だったので庭あそびをすることにしました。山を作ったり穴に水を流したり、生き物だって作りました。
そのうち神様は自分であそぶよりも庭を見ている方が楽しいことに気が付きました。なので山も水も生き物もぜんぶ自分たちで動くようにしました。
神様の思いつきは大成功でした。庭は神様が見守るなか、どんどん大きくなっていきました。
それでも神様は満足しませんでした。神様がほんとうにほしかったのは、神様と遊んでくれる友達だったのです。
神様は山と遊ぼうとしました。しかし、山は神様と一緒に歩くことはできません。
神様は水と遊ぼうとしました。しかし、水は神様と手をつなぐことはできません。
神様は生き物と遊ぼうとしました。しかし、神様とおしゃべりできる生き物はいません。
みんな、神様の友達にはなれませんでした。
困った神様は他のところにいる別の神様に相談しました。すると別の神様はこう言いました。
「おまえの友達には中身がないよ。わたしのところの友達をちょっと分けてあげよう」
別の神様からもらった友達のおかげで、神様は退屈ではなくなりました。
めでたしめでたし……ではありませんでした。
神様はもらった友達と遊んでいるうちに、もっとたくさん友達が欲しくなりました。神様はよくばりだったのです。
それから神様は、別の神様の庭からこっそり友達をつれてくることにしました。
もちろんそれはいけないことです。そのせいで、つれてきた友達はとつぜん赤ちゃんになったり、お年寄りになったり、別の生き物になったりしました。
その中には、いつまでも動くふしぎな友達もまざっていました。神様はそのふしぎな友達のことがきらいでした。見ているとなんだかすごくいやな気持ちになるのです。
なので、ほかの友達になんとかしてとお願いしました。他の友達はちんぷんかんぷんでしたが、神様が言うことなのでがんばることにしました。
それでも、神様がこっそり友達をつれてくることはやめません。
神様はたくさんの友達を見て、最初の友達とけんかしなきゃよかったな、と思いました。
***
沙織へ
君がこの手紙を読んでいる頃には僕はもう死んでいると思う。
情けない僕でごめん。言いたいことはたくさんあるけど時間が無くて伝えきれない。
あいつのせいで君が辛い目に遭っていたことは知ってる。あいつがアパートで君を殺したことも忘れてない。
だから安心して。あいつはまた僕が殺したから。
君が幸せになるのなら僕は何度でもあいつを殺すよ。
君のことが大好きだから。
愛しているよ。
正志郎
***
「湖畔の魔女が死んだらしいぜ。朝に配達員が行ったら籐椅子に座ってぽっくりだってよ」
「へぇ! そりゃびっくりだな。湖畔の魔女って言やぁわしらが生まれる前から住んどったっちゅう話だろ?」
「そんだそんだ。死んでも死ねねえって聞いとったぞ」
「んなもんおらに聞かれたってなぁ。別に悪い人じゃなかったし寂しいっちゃ寂しいねぇ」
「んだなぁ……、わしらも気ぃ付けんと」
「おめさんがいっちゃん先にくたばりそうだね」
「あんだって!?」
「まぁまぁ冗談だすけ落ち着け。ここはひとまず湖畔の魔女に乾杯しようさ」
「そりゃいいね。じゃその湖畔の魔女に……って、名前はなんだっけか?」
「おめさんは歳より呆けの心配すれっちゃ。あれだよほら。サー……サオ……サオリさんだ」
***
祝研第五二四号
神歴七十五年期祝福研究所検証報告(概要)
対象の祝福
不死
目的
祝福の発動条件の検証
被検体
一体(二十九歳男性、コンノ領出身)
検証内容
別紙に記載の方法により被検体を殺害。
検証結果
検証内容に記載の全ての殺害方法において対象の祝福の発動を確認。
検証後の被検体の健康状態は良好。ただし重篤な精神障害が発生し意思疎通は困難。
被検体については精神障害の回復を待つことなく次の検証に移行。
結果分析
祝福の発動に殺害方法は無関係と推察。
衰弱など時間の経過を要するものは更なる検証が必要。
祝福の発動時に闇属性の魔力計の反応を確認。因果関係については不明。
備考
祝福の発動後に被検体が顔を歪めて狂ったように笑う様は見るに堪えない。
快楽物質でも分泌されているのか?
***
「今日の注目は不死身のびっくり人間! どんなに酷い目に遭っても笑いながら復活するその様は、さながら死に方を忘れた道化でございっ!」
「試し斬りにちょうどいい女がいてねぇ。どんなに斬っても死なないから最高なんだよねぇ」
「これじゃ人なんだか土塊なんだか分からんね。本当に生きとるんか?」
正志郎、あなたのせいで私の祝福は消えてしまうの。ほんと最悪。死ねばいいのに。
「……っく、くはっ。あっはははは」
「たずけでぇ! もうじにだぐないぃぃ‼︎」「神様の唯一の失敗、それが〝不死〟です」「家畜の餌にするってのはどうだ?」「大規模な〝不死〟狩りを敢行をするのですわ‼︎」「つまんな、まだ七死じゃん」「生まれ混じっても見た目で判断がつかんからね」結果分析被検体については精神障害の回復を待つことなく次の検証に移行。「次は毒を飲ませてみようか!」「お前さえ死ねば呪いが解け」「これじゃ咎人の方がマシだな」「ほら落ーちーろ、落ーちーろ!」「あっはははははははははははははははは」「ケッ、歳を取らなきゃ永遠に売女で使ってやれたのに」「二度も同じ奴に殺されるってどんな気分なの?」「二千万で落札で〜すっ‼︎」「バイデュシルは禁忌の魔術だ。それを〝不死〟如きがなぜ」精神障害の回復を待つことなく次の検証に移行。「燃やして暖を取るかのぉ」「あははは、ひひひ」「ころして」次の検証に移行。
***
「……っはぐっ!?」
強烈な記憶の濁流に、息を吸い込むのが精一杯だった。
「はぁーっ、はぁーっ……はは、ははは……」
肺が空気で満たされると乾いた笑いが口から漏れる。モザイク無しの〝不死〟の末路。死なないことを免罪符に暴虐のかぎりを尽くすカナタの人間達。悲惨という言葉では足りない記憶の数々。こんなもの、笑うしかない。
「シズ、大丈——」
同じ記憶を共有したはずのシズの顔色を伺おうとして絶句する。
「……これで、分かりましたね」
シズは狼狽えることも体調を崩すこともなく、困ったように静かに笑っていた。その声には一切の濁りが無く、容易く砕け散ってしまいそうなほど透き通っている。
「分かったって、何が……」
「シラセさんがこの世界に残らなくてもいいことが、です。……無理ですよ、私を殺した人を探すなんて。だって私、自分が死んだ記憶なんて無いんですから」
流れ込む記憶から知った真実。
〝不死〟の呪いを持つ人間は、カナタの外からやってくる。
〝不死〟の呪いを解くためには、自分を殺した人間をカナタで殺すしかない。
自分を殺した人間? そんなもの、カナタで生まれたシズが分かるわけがない。
「シズも、迷人なのか?」
「〝不死〟を持つというのはそういうことさね」
俺の質問に、シズではなく老婆が答える。
「記憶のことはどうなる? シズにはこの世界で育った記憶しかないんだ」
「記憶なんて曖昧なものさ。上書きされたり消えたりする。だからここに集めておくんだよ」
「そんな——」
そんな曖昧な回答で満足するか、そう言おうとした矢先に視界がぐらつく。
「シラセさん! 鼻から血が……」
シズに言われて鼻を拭うと、手のひらがべっとりと赤く汚れていた。
「記憶の入れすぎさ。ひっひっひ、素人に二つはちょっと厳しかったかね」
悠長な物言いの老婆を睨みながら鼻血を止めるために顔を上げる。薄暗い情報院の天井に、ある光景が浮かぶ。
それは俺を苛む白い記憶。結奈と俺と茅部の姿。
俺が〝不死〟だということは、俺は元の世界で殺されたことになる。
エサンで再会した時の茅部の態度、あれは普段のあいつとは全く違っていた。もしも俺を殺したのが茅部だとしたら……。
「シラセさん?」
「お……? あ、ほへん」
鼻を抑えながら顔を戻すと、鼻血はすでに止まっていた。
「さあさ、今日はもうお帰りな。これ以上ここにいたらあんたらも記憶と同化しちまうよ」
「でも、私達が許可証を使えるのは今日だけなんです」
「一度に三つは無理さね。それとも、あんたらもあんな風になりたいかい?」
老婆が指し示す先、そこには不規則に変形を繰り返すシャボン玉がいくつも集まっていた。それは時折人の形に変わり、すぐにまた歪み戻る。
「あれってまさか……」
「ひっひっひ、そうさ」
老婆の嗤い声が情報院に響く。
「記憶に喰われた欲張り者。その成れの果てさね」
***
情報院を後にした俺達の足取りは重い。
王城を過ぎ、アイツォルク卿の邸宅を過ぎ、領教区を出ても俺とシズは言葉を交わさなかった。情報院の薄暗い屋内から一転して空は晴れ渡っているのに、俺達二人の間には息詰まるような空気が漂っていた。
途中で何度もシズに話を振ろうとした。しかし、その度に流し込まれた記憶が脳裏にチラつき、声は喉から出てこなかった。
市街区の中心に近付きようやく周囲に喧騒が満ちた頃、消え入りそうな声でシズは呟いた。
「光の門へ行きましょう。シラセさんを、元の世界にお返しします」
「いや……」
「言ったはずですよ、私のことは私でなんとかしますと。シラセさんが帰った後に〝不死〟を解くために頑張ります」
それがシズの本心でないことは俺でも分かる。〝不死〟をアイツォルク卿に知られている以上、今後もシズには災難が降りかかるに決まっている。
「なあ、シズ」
見過ごすわけにはいかない。シズが迷人であれば、〝不死〟を解く以外に手はこれしかない。
「俺と一緒に、あっちの世界に行かないか?」
「……」
「シズが俺と同じなら光の門から一緒に行けるはずだ。あっちなら祝福も存在しない。衣食住は俺がなんとかする。魔力は無いけど便利なものが沢山あるから生活には困らない。だから……」
矢継ぎ早に説得材料を並べてもシズは弱々しく笑みを湛えるだけだ。そして俺が二の句を継げなくなると、その顔をゆっくりと横に振った。
「私はカナタの人間です。家族を、ロフェルのみんなを置いていくわけにはいきません。それに私がシラセさんとそちらの世界に行ったら、結奈さんに怒られてしまいますよ」
「そう、か……」
断られてしまえば、それ以上踏み込むことはできない。
このままシズに自己犠牲を強いるのか? いや、まだだ。シズが〝不死〟だと知っているクソ貴族をぶっ殺してシズを領主にすればいい。それなら情報院への出入りも自由だ。落ち着いてからゆっくりシズを殺した奴を探せば——
「シラセさんは」
俺の奸計を見透かすようにシズは言い放った。その姿に、その顔に、周囲の風景がぼやける。
「貴方はちゃんと、元の世界に帰るべきです。最愛の方が待っているんですから」
シズの顔は、いつの日か見たものと同じように寂しげだった。
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