10-1. 強がりはよしてください

 アイツォルク卿によるハリア奪還作戦の失敗のニュースが王都に広がるまで、時間はそうかからなかった。

 ササキ指揮官並びに第五から第七までの小隊長は死亡。生き残ったのは第六小隊の隊員が一名、第七小隊の隊員が二名、そして遊撃隊の二名。隊を新たに編成するどころの騒ぎではなく、事実上アイツォルク卿の領主部隊は第四小隊までで打ち止めとなった。

 アイツォルク卿は武功を焦りすぎたのだ、と王都の住民は口々に言う。権謀術数の蔓延る領主会において自らの立場と大した資源も持たない領地を守るために、若き領主はハリア奪還作戦という無謀な賭けに出たのだと。

「『果たして最初から成功の見込みがあったのか、それは当人にしか知る由もない。』だとさ」

「……」

 新聞から顔を上げて、窓辺に座るシズに視線を投げかける。シズは口を開くこともなく窓の外を眺めていた。王都に帰ってからずっとこんな調子だ。

 無理もない。色々なことがありすぎて、何から考えればいいのかすら分からないのだから。

 俺達と旅したリオは祝福によって生み出された分身で、目の前で首を切られて死んだ。リオを殺した本体のリオもカイに斬られて死んだ。カイは俺達を逃してくれた後、結局追いついてくることは無かった。

「そろそろ出ないと」

 壁に架けられた時計に目をやる。今日はアイツォルク卿との面会が予定されていた。

「……行かなくてもいいじゃないですか」

 ようやく口を開いたシズは、まだ視線を窓の外に向けていた。

「あの人のことです、また任務を押し付けられるに決まっていますよ。そして今度は私かシラセさんが命を落とす……」

 その表情が投げやりな笑みに変わる。

「……ああ、私達は〝不死〟でしたね。だからあの人も私達を使うのに躊躇しないんでしょう」

「シズ……」

「リオさんもその恋人だったカヤべさんも、結局あの人が殺したようなものです。私達はあの人に振り回されてばかり。昔から、何も変わっていない……」

 聞いた話では茅部のいた第四小隊も戦死者が絶えないらしく、それは領主部隊全体にも言えることだ。命と引き換えに名誉を得る。自ら進んで加入した人間ならともかく、強制的に引き込まれた側にとっては苦痛でしかない。

「……ねえシラセさん。リオさんが亡くなってから、私よく夢を見るんです」

「夢?」

「私が死ぬ夢。ゆっくり、ゆっくり体の熱が引いていって、視界がぼやけて。でもそこにはシラセさんが見えるんです。一緒に、どこか綺麗な場所で寝そべっている……」

 なんだ? 何を言っているんだシズは?

「そこには花が咲いているんです。あれはそう、リリアの——」

 コンコンと、シズの話を遮るようにドアをノックする音が聞こえてきた。

 立ち上がらないシズの代わりにドアを開けると、そこには一人の女性が立っていた。

「あんたは……」

「お迎えに上がりました。シズカ様、シラセ様」

 それはアイツォルク卿の女従者だった。リオの分身の話ではミカという名前だったはずだ。

「なんでわざわざ? 俺達ならこれから向かうところだったのに」

「良かったです。旦那様からは逃げ出すようなら捕えろと仰せつかっておりましたので」

 あのクソ貴族、全然変わってねえ。

「……行きません」

 背中からシズの冷たい声が聞こえる。

「行きませんとは?」

「そのままの意味です。私はアイツォルク卿に会うつもりはありません。お引き取りください」

「そうですか。でしたら申し訳ありませんが、力づくでお連れいたします」

「……やれるものならやってみなさい」

 メイド服のまま構える女従者に、椅子から立ち上がって魔粒子を集め始めるシズ。澄ました顔の女従者と対照的にシズは嫌悪の表情を浮かべている。

「ちょ、ちょっと待てって!」

 一触即発の二人の間に割り込む。それでも二人とも臨戦態勢を解こうとしない。

「退いてください、シラセさん」

「退けるわけないだろ。こんなところで魔術をぶっ放してみろ、俺達以外にも被害が出るぞ。シズ、落ち着けって……頼むから」

「……」

 説得に応じてくれたのか、シズの周りに集まっていた魔粒子が少しずつ消えていく。それを見て反対に向き直れば、女従者は相変わらず構えたままだ。

「あんたもだ、ミカさん」

「名前をお伝えした覚えはありませんが」

「……リオから聞いたんだよ」

 俺の言葉に女従者の眉が微かに動く。

「アイツォルク卿との面会には俺が行く。報告内容は俺も知っているから問題無いはずだ。アイツォルク卿が個人的にシズに会いたいのなら、それはもっと後にしてくれ」

「承服しかねます」

「なっ!?」

「私が仰せつかったのはシズカ様とシラセ様の二人をお連れすること。旦那様もそれは強調されておりました」

 ひん曲がったクソ貴族の性根に呆れて物も言えない。

 この女従者もだ。リオを失ったせいか知らないが、前に会った時より雰囲気が刺々しい。

「……仕方ないですね」

 シズがため息をつきながら俺の前に出る。

「行きましょうシラセさん。領主様がお待ちだそうですし」


***


「リオと出会ったのはハリアが壊滅してすぐのことです」

 領教区までの道すがら、女従者はリオとの出会いを語り始める。それは俺が気まずい雰囲気を打破するために半ば強引に話題を振った結果だ。

「当時まだ家の手伝いをしていた私は、ある日川のほとりに佇むリオの姿を目にしました。その時のリオは今にも川に飛び込んでしまいそうで、思わず声を掛けたことを覚えています」

 女従者の声に宿の時のような刺々しさはない。

「リオはハリアで家族を失っていました。それはシズカ様とシラセ様もお聞きかと思います。学校を辞め、行くあてのなくなったリオは私の家に住み込みで働くようになりました」

「それは……聞いていた話とちょっと違うな」

 リオは——正確にはリオの分身は——学校を辞めてから旅に出たと言っていたはずだ。

「省いただけでしょう。私の家で何年か働いたリオは王都を離れ、私も同じ時期に旦那様に召し抱えられました。その頃にはシズカ様はすでにロフェルに戻られていましたが」

「……」

 視線を向けられてもシズは口を開かない。それを分かってか女従者は話を続ける。

「リオと再会したのは一昨年の夏、奇しくも最初に出会った川のほとりでした。でもその時のリオは幸せそうな顔をしていました。リオには恋人ができていたんです」

 一昨年。俺が結奈と付き合い始めた頃。その事実を偶然だと自分に言い聞かせる。

「リオの恋人はカヤベさんといいました。二人は私から見ても本当に仲睦まじく、リオの初めて見る心から幸せそうな顔に、思わず私の方がカヤべさんに嫉妬してしまったほどです」

 リオが、結奈と同じ顔の人間が俺以外に幸せそうな顔を向ける。そのことに意外なほど冷静な自分に驚く。

「二人が結婚すると聞いたのは今から半年ほど前のことです」

 半年。ちょうど俺がこの世界に来た頃だ。

「結婚を決めたリオはそれはもう嬉しそうで。いつも婚約の証の耳飾りを見せてくれました」

「耳飾り……?」

 初めてシズが口を開く。

「ええ、銀色の耳飾りです」

「そう……ですか」

 それを聞いたシズは俯き肩を震わせる。リオの分身が本体と記憶を共有していたとしたら、

「ふふっ……それは恨まれても仕方ありませんね……」

 最高の贈り物と言った時の彼女は、一体どんな気持ちだったんだろうか。

「それから先のことはカイ様にもお伝えしたとおりです。カヤべさんが任務から帰らぬ人となったことを知ったリオは、二度と私の前に現れませんでした」

「なら、あんたから俺達の話を聞いたっていうのも嘘か」

「そうなりますね。ササキに話があったのは事実ですが、その時は偽名を使っていたようです」

「そうか……」

 正直なところ、どこからどこまでが嘘なのかが分からない。料理店の前で俺達と邂逅したのは偶然なのか、だとしたらあの自作自演はアドリブだったのか。

 ——〝演者〟かもね。

 リオの祝福を予想したヒサラの言葉を思い出す。まさしくリオは、というよりリオの分身は俺達の仲間を演じていた。まだ頭の中には、今までのことが全部冗談だったんじゃないかという空虚な期待が渦巻いている。

 アイツォルク卿の邸宅に到着すると、雰囲気が騒々しいことに気付いた。鎧を身にまとった男達が廊下を行き来し、誰かの急かすような声も響いている。応接間で待機することなく俺達は執務室へと通された。

「——だから俺は隊を増やすのは反対だったんですよ。半端な人間を隊長にしたって……」

 執務室の扉が開くと、中から野太い男の声が聞こえてくる。

「もうこんな時間か。そんじゃ自分は戻りますんで、編成の話が決まったら教えてください」

 アイツォルク卿と話していた男は俺達を一瞥するとそのまま執務室を退出した。

「あれは?」

「第一小隊長です。普段は王城にいますが、この状況なので顔を出されたのでしょう」

 俺の質問に女従者は淡々と答えた。

 静かになった執務室でアイツォルク卿の書類を片付ける音だけが響く。俺と女従者の前に立つシズは何も言わない。

 張り詰めた空気が流れる中で、俺は小さな違和感を覚えていた。しかし、その正体に思い当たる前にアイツォルク卿の口からため息が漏れる。

「まずは任務ご苦労だった。遊撃隊で生き残ったのは二人か」

「……」

「龍が二体いたことは想定外だった。そのうちの一体を仕留めただけでも上出来だ。世間では失敗したなどと騒ぎ立てているが、司令部からはしっかりと評価を受けている」

 代わりにササキ氏と小隊三つを失ったけどな、と心の中で毒づく。このクソ貴族にとっては自分の部下の命なんてどうでもいいのだ。そう思っていると、

「……強がりはよしてください」

 シズが重たい口を開いた。その言葉にアイツォルク卿の目が鋭さを増す。

「なんだと?」

「綺麗に片付けたように見えても書類の向きはバラバラ。それにこの部屋も家具の配置がいつもと違います。まるで誰かが当たり散らしてそれを無理やり元に戻したみたい。普段の貴方が見たらどう思うでしょう?」

 シズに指摘されてアイツォルク卿の目はぐるりと執務室全体に向けられる。

「そしてその指で机を叩く仕草。思いどおりにならないとそうするのは昔から変わりませんね」

「貴様っ……!」

 勢いよく立ち上がったアイツォルク卿が怒っていることは顔を合わせて日の浅い俺でも分かった。それ以前にシズが矢継ぎ早に指摘することにも驚く。それはアイツォルク卿に対する怒りというよりもむしろ自暴自棄に近い。

「シズ、もういいだろう。お前らしくないぞ」

「すみません、シラセさん」

 そう言いつつ謝る相手は俺だけなんだなと、内心ではクソ貴族が動揺する様を愉快に感じつつ、健全ではないであろうシズの精神状態を慮って代わりに頭を下げる。

「勘弁してください。俺達は仲間を失ったんだ。あんたみたいに気丈でいられるわけじゃない」

 これで少しでも溜飲を下げられればと思ったが、意外なことにアイツォルク卿はそのまま倒れるように椅子に座り直した。

「……確かに怒るのも無理はない。仲間を失ったことで辛い思いをさせたな、シズカ嬢」

「いえ……」

「お前の言うとおり今回の任務で失ったものは余りにも大きい。……ササキは私によく尽くしてくれた。亡くなった小隊の面々も同じだ」

 額に手を当てて憔悴するアイツォルク卿にはこれまでのような厳然さが感じられず、却って人間味を増している。

「領主部隊は再編しなくてはならない。それまでは現在割り当てられている任務の遂行に専念する。そこにお前達遊撃隊の出番は無い。よって……」

 そこまで言って、アイツォルク卿はデスクから一枚の紙を取り出してシズに渡す。

 シズの肩越しにその文面を確認し、ようやくかと独り言つ。それは俺達の旅の目的にして、失ったものの対価としては余りに小さすぎるもの。

「情報院への出入りを許可する」

 

 ***


「アイツォルク卿の署名を確認しました。この許可証で入れるのは本日限り、一度だけですのでご注意ください」

 重厚な扉の前に佇んだローブ姿の若い男は、シズから受け取った書類を見て言った。

 こんなやり取りをすでに二回繰り返している。最初は王城の正門で、次は地下通路の入り口で。セキュリティが堅牢なのはそれだけ俺達の今いる王城が特別な場所だからだろう。

「自由行動はできません。欲しい情報があれば中にいる管理者にお尋ねください」

「分かりました。ありがとうございます」

 シズが謝辞を伝えると、男は分厚い扉を開いた。

 情報院という名前を最初に聞いた時は、漠然と図書館を思い浮かべていた。見渡す限り本が並び、何日もかけて情報を収集する人間が集まっていると。

 しかし実際に俺達が足を踏み入れたそこは、だだっ広い空間に円形のプールのようなものが存在する、とても本など読めそうにない薄暗い場所だった。図書館というよりもむしろ研究施設か水族館の方が近い。

 なぜそんな場所を情報院と呼んでいるのかといえば、情報の管理媒体が紙ではなく魔力だからに他ならない。憶子マイオムと呼ばれる特殊な魔力は情報を蓄積することができる。その憶子がカナタで唯一集まる神域、それが情報院だ……という説明をシズから教わっていた。

「——おや、初めて見る顔だね」

 薄暗い空間にしゃがれた声が響いた。

「新しい領主かい? その割には若すぎるようだけど」

 暗がりから現れた声の主は、とんがった帽子に先ほどの若い男と似たローブを身に付けた、いかにも魔女然とした老婆だった。

「私達はアイツォルク卿に許可をいただいた者です。新しい領主というわけではありません」

 シズの説明に老婆は不気味に笑う。

「ひっひっひ、あのフューシー坊やの知り合いかい。近頃はめっきり顔を出さなくなったからもうくたばったのかと思っていたよ」

 あのクソ貴族のことを坊や扱いするとは、この老婆もしかして。

「お察しのとおり、この老いぼれがここの管理者さ。さて、どんな記憶をお探しかな?」

 管理者。憶子から情報を読み取り、書き込むことができる存在。

「記憶というよりは方法を探しているんですが……」

「方法も記憶の一つさね」

「でしたら教えてください。ここにいるシラセさんが、迷人が元の世界に戻る方法を」

 シズの望みを聞いた老婆は何も言わずに視線を俺に移す。薄暗い中でもその瞳が灰色に光る。

 しばらくの沈黙の後、老婆はプールもどきに体を向ける。

「……神の名において命ずる。オペロ・ルス・マイオム」

 老婆が呪文を唱えると、プールもどきの中から何かがふわふわと漂ってきた。老婆の掌で止まったそれは、青白光にぬらりと輝くシャボン玉だった。

「これがその方法だよ。用意はいいかい?」

 俺達にシャボン玉を差し出す老婆。

「はい」「お願いします」

 俺とシズは顔を見合わせてから深く頷いた。

 その瞬間、老婆の掌にあったシャボン玉がパチンと弾けて————

「——あ」

 閃いた、分かった、気付いた、思い出した。

 俺が元の世界に戻る方法。

 なんで今まで忘れて……あれ?

 こんな記憶あったか?

「そこまで」

「うわっ!?」

 不意に走った肩の痛みに声が漏れる。

「これ以上は記憶に呑まれるよ。ほら、あんたもしっかりしな」

「あ……え?」

 老婆は杖でシズの肩を軽く叩く。ようやくシズも意識を取り戻したようで、

「あれ、私は何を……?」

「眠っていたのさ。睡眠っていうのは記憶の整理だからね」

 頭の抽斗に収められた、経験したことのない記憶。それはシャボン玉が弾けた瞬間にまるで白昼夢のように頭に浮かんだ。そして今もくっきりと瞼の裏に踊るその単語は、

「「光の門」」

 同じ記憶を共有したであろうシズが、計ったように同じタイミングで言う。

「光と、光から派生した焔水風晶の魔力が集まる神域」

「このカナタにある、三属性の原初の神域の一つ」

 俺とシズは確かめるように互いの記憶を口にする。

「その神域の中心で、光帰の魔術を迷人に用いることで」

「解放された迷人は元の世界へと還る」

「光の門の、今世の所在地は」

「王都より遥か南西」

「その土地の名は」

「アイツォルク…………はい?」

 再び三度、四度五度。心の中で毒を吐く。

 いい加減にしろクソ貴族。

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