8-5. ヒサにわりーから
「ッッ!」
雪を巻き上げたカイが一瞬で包帯の女に間合いを詰める。しかし振り下ろした木刀は虚しく空を切った。
「ああ!?」
「退いて‼︎」「リオさん‼︎」
突如として消えた包帯の女の姿を苛立ちながら探すカイ。それを押し退けてヒサラとシズがリオを抱え込む。俺は無様にリオに駆け寄って声を上げることしかできない。
「ああああリオ‼︎ なんで、なんでこんな……」
「邪魔だから下がって‼︎ シズ姉はすぐ止血して‼︎ あたしが治すから‼︎」
「はい‼︎ うぅ……」
「どこ行きやがったッ! 隠れてねーで出て来いや!」
嘘だろ? 冗談だよな? なんだよ、助けてくれたんじゃないのかよ。意味分かんねえよ。なんで結奈が。なんでリオが。
頭の片隅がチリチリと焦げる。フラッシュバックする光景。床に倒れた教主、光の降り注ぐ花園、死んだ結奈、黒クロ黒く。頭がぐちゃぐちゃに混ざる。どこかで雪の落ちる音がする。
「そこかッ! ぶっ殺してやる!」
「カイくん!?」
「あの馬鹿……‼︎」
舞い上がる雪と共にカイの姿が消えた。
「う……っく……」
「リオ!? 大丈夫か!? 返事しろ‼︎」
「大声出さないで‼︎ ……リオさんも無理に喋っちゃだめ。大丈夫、大丈夫だから……!」
ヒサラの神聖術がリオの体を包んでも、胸を貫いた傷はなかなか消えることがない。シズのおかげで辛うじて血が止まっている状態だ。
「シ……ラセくん……」
「なんだ!? どうしたリオ‼︎」
「お……追って、カイくんを……」
「なっ!?」
カイを追う? こんな状態のリオを残して? また包帯の女が戻ってくるかもしれないのに?
「そんなこと出来るわけ……」
「お願い……‼︎」
口を真っ赤に染めるリオが俺の袖を掴む。その懇願する姿が結奈と重なって、頭がさらに攪拌される。理性が叫ぶ、ここに残れと。本能が命じる、リオの願いを叶えろと。
「っ…………分かった」
立ち上がった俺にリオは笑みを浮かべた。
「ヒサラ、リオを頼む。シズ、何かあったらすぐに叫んでくれ。俺じゃなくてもカイなら聞きつけてくれるはずだ」
「任せて。あの馬鹿なら黒示教の聖堂の方へ行ったわ」
「わかり……ました」
二人の返事を聞くとすぐに雪面を蹴って走り出す。シズの不安そうな表情に後ろ髪を引かれながら、それでもリオの願いを優先して。
ヒサラに言われたとおり新聖堂に向かう。途中でクロセドの住民がキャンプファイヤーを囲むように火刑に処した黒示教徒を眺めており、得体の知れない気持ち悪さを感じた。
新聖堂に入ってすぐにカイがいることに気付いた。広間の中央でカイが叫んでいたからだ。その足元に転がっている教主の亡骸には目もくれずに。
「さっさと出てきやがれッ!」
「カイ落ち着け‼︎」
「なんだてめー……ってシラセじゃねーか! ヒサたちはどーしたんだよ!?」
「置いてきたよ、お前を追うためにな」
「はあ!?」
「とにかく戻るぞ。お前まで何かあったらどうするんだ」
「てめー、オレが負けると思ってんのか……?」
カイの焦燥が伝わってくる。それに当てられてこっちまで落ち着きを失ってしまう。
「絶対に勝てるなんて分からないだろ‼︎ お前の強さは知ってる‼︎ でもお前は刺されたら死ぬ……お前は〝不死〟じゃないんだぞ‼︎」
肩を掴んで至近距離からカイと向き合う。こんなことをするのは初めてだ。いつも怒るのはカイで俺は宥める役なのに。
「……なに熱くなってんだ。シラセの方が落ち着けよ」
「あ……悪い」
「お前の言うとーりだ。オレが突っ走ったらまたヒサに怒られる。さっさと戻ろーぜ」
「そうだな、お前が先に……っ!?」
俺の言葉を遮るように扉の軋む音が広間に響く。
「あ? なんで閉まってんだ?」
カイの視線は俺の背後に向けられていた。振り向けば確かに入口の扉が閉ざされている。すぐに二人で扉を動かしてみるも開く気配が全く無い。何かがつっかえているのか、鍵がかけられたのか。いずれにしても、
「嫌な予感がする……」
このタイミングで俺とカイが隔離されたことを偶然と考えるのは難しい。
「二階に行くぞシラセ!」
カイが飛び出すのを追いかけて、俺達が最初に侵入した二階の奥の部屋を目指す。〝剣舞〟のカイのスピードは凄まじくすぐに距離を開けられる。
「先にシズ達のところに行け‼︎」
「わーってるよ!」
姿の見えなくなったカイの声と扉がぶち破られる音が通路に反響する。焦燥感に駆られながら壁伝いに先へと進む。残響と暗闇が感情を苛む。
俺が離れなきゃよかったんじゃないのか?
じゃあ結奈の願いを無視するのか?
結奈じゃないって言っているだろ。
分からない、何も分からないんだ。
ようやく突き当たりまで来た時にはすでにカイの姿はなく、扉の残骸が部屋の中に転がっていた。窓は全開で外から冷たい風が入り込み、火照った頬を撫でる。
窓から下を覗き込めば確かに足場が崩れ去っていた。着地の仕方も考えず、窓枠に足をかけて勢いよく残骸のない場所に飛び出す。雪があるとはいえ下は石畳だったらしく衝撃が足を襲う。痛みに耐えながら聖堂跡へと走る。
遠くに見えた黒示教徒のキャンプファイヤーはすでに下火になっているようだった。今日、俺は何度二つの聖堂を行き来したのだろうか。どちらが神教でどちらが黒示教なのか、もはやどうでもよくなってくる。いや元からどうでもいいのか。俺はただ……。
王都の夜空に咲いた花火と、それを眺める仲間の顔が脳裏にチラつく。
聖堂跡に戻ると、声が聞こえることに気付いた。
その声は聞き慣れたもので、繰り返されるその言葉、その名前も聞き慣れたものだった。
カイが、ヒサラの名前を繰り返している。
かつて身廊だった場所を、足を引き摺るように進む。動悸が激しい。頭に血がのぼりすぎて何も理解できない。近付くのが怖い。何が起こったのかを確認するのが、怖い。
雪の上に、誰かがいる。
一人は腹這いに伏せり、一人は石柱に凭れて座っている。
「リオ……シズ……」
吐いた息が白く空気を染める。
カイが、ヒサラの名前を繰り返している。
その背中に、ゆっくりと近付く。
「ヒサ……ラ……」
「ヒサ‼︎ おいヒサッ‼︎」
カイに抱かれた腕の中で。
ヒサラが、静かに息絶えていた。
***
ふざけんな。
何が神よ、何が信仰よ。
ずっとずっと、生まれた時からあたしを見下して。
気まぐれに咎人なんかにして。
気持ち悪い祝福を押し付けて。
あたしを……。
あたしを、憐れむな。
***
二日後、ウアル領クロセド近郊。街を見下ろす小高い丘の上。
朝から降り続く雨が少しずつ雪を溶かし、水気を含んだ地面は裾を泥で汚す。
掘り返した穴には棺が収められている。木の板を張り合わせた簡素なその棺は、すでに雨で濡れそぼっている。
同じような棺がいくつもある。それはフィルレ氏はじめ第四小隊の隊員のものだ。
第四小隊は俺達が出て行った後、黒示教徒に本部を襲撃された。情報を漏らしたのはカイの予想したとおり隊員の一人だった。内情を探っていたところを黒示教徒に見つかり〝教化〟されていたらしい。結果的に残ったのはウォルター隊長と二人の隊員だけ。ウォルター隊長はまるで別人のように、淡々と激減した小隊をまとめていた。
ただ、小隊の有様なんてどうでもよかった。こっちだって大切な仲間を失ったのだから。
ヒサラの入った棺を、降り続く雨に濡れながらカイと一緒に埋めた。
埋葬の間、シズはずっと泣いていた。シズの肩を抱いて慰めるリオも、悲痛な顔で謝罪を繰り返していた。
シズとリオは無事だった。だが、二人から聞けることは少なかった。
泣きながら、シズは自分が最後に見た光景を話してくれた。俺がカイを追った後、なんの気配もなく包帯の女が現れたと。気付いた時には石柱に蹴り飛ばされ、薄れゆく意識の中でヒサラがリオを庇う姿が見えたと。
リオも目元を赤くしながらその後のことを語り継いでくれた。自分を庇ってくれたヒサラが包帯の女に首を掴まれ、自分は傷を抉られて気を失ってしまったと。
だからそれ以降のことは二人にも分からない。ヒサラの最期も、包帯の女の行方も。
埋葬までに必死に考えた。祝福なんて便利なものがあるんだから、人を生き返らせるぐらいはできるよな。〝不死〟があるなら〝蘇生〟だって。〝復活〟なら。〝降霊〟でもいい。循環? 呪い? うるせえ、んなもんクソ喰らえだ。
だが、そんなものは存在しないとリオに諭されて、それでも食い下がったところでシズに頬を叩かれて、カイに止められて、結局は己の無力さを思い知った。
俺よりも喚き散らすと思っていたカイは「ヒサにわりーから」と静かなまま、ヒサラから貰った鋏と櫛を眺めていた。そして、ヒサラの埋葬が終わると姿を消した。
ウォルター隊長ら第四小隊の生き残りとともに、俺達は王都に帰還することにした。黒示教から解放されたクロセドの街は、異教徒に支配されていたという事実とそれに加担していたという自責の念から、神への贖罪のために命を絶つ人間が後を立たないらしい。
カイは出発の日になっても戻ってこなかった。
二つ目の治安維持任務は、こうして完了した。
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