第10話 憧憬



 始まりがいつどこかなんて憶えていない。


 思い出せる一番古い記憶は、父らしき人物と母らしき人物にそれぞれ手首を持たれ、宙ぶらりんが楽しくて笑いながらどこかの坂道を登る光景。記憶のそこはイヤに眩しくて、人のシルエットと坂道以外はなにも見えない。なんてことはない、ありきたりな、オレが幸せだった最後の記憶。


 何故そうなったのか、幼かったオレにはなにも分からないけど、気付けば親はなく、孤児院で同じ境遇のヤツらと寝泊まりする日々が続いた。


 デルフント・ベルト。誰かがオレにつけた名前。元の名は違うはずだけど、違うと文句を言う気も起きない。だだをこねる相手はもういないと悟っていた。今日一日を、今をどうやって生きるか、食い物はどこか、頭の中はそれだけでいっぱいになって、他のことはどうでもよかった。


 施設の少し先は海。そこに流れ込む大きな川もあって、一年のほとんどは暑いか暖かいここでは身体が痒くなると水浴びしに行き、いつもスッキリしてから施設に足を向けるとハッキリ分からされる。腐ったゴミと糞尿と死体の匂い。ここはスラムだと。


 確か十年くらい前、オレが十歳まではいってないころ、正確な年齢なんて知らないから適当だけど多分そのころ、この国で内乱とかいうものが始まった。

 ある日、施設が燃えた。金目の物なんてあるわけないのに、誰かが押し入って火をつけたらしい。意味が分からない。火をつけたら腹が満たされるのか?


 寝泊まりする場所が消えて、ドロドロのおかゆを毎日くれる大人が消えて、キツイ一日にまだ上があることを思い知らされた。

 施設にいたころ、国から配布された端末。最低限の機能しかないらしいし、同時に埋め込まれたエクステなんて使い途がまったくなさそうだけど、検索によって自習出来るのはありがたい。情弱に限らず知らないって弱さだからな。国ってやつも悪くないじゃん。掲示板はお上の悪口だらけだけど、書き込んでいるヤツを思えば信憑性がねぇんだよ。信憑性、賢い言葉だろ。まぁ内乱が起きてて良い国もクソもねぇか。一応、何かの間違いで奇跡が起きるかもと、国民生活相談窓口とかそんな感じの胡散臭いアドレスに電話してみた。


 ……ヤベぇなコイツら。ぶっちゃけ何しゃべっているのか分からない。国語力に関して、長い文章を簡潔にまとめるトレーニングがあるらしいけど、訓練しないとこうなるのか?


 全部内乱が悪い。内乱が収まったら連絡してね。


 この一言にどんだけ時間を費やせば気がすむんだ? そして何も解決しない。コイツらの存在意義ってなに? コイツらはこれで毎日ご飯が食べられるのか? 全部悪いのはコイツらの頭じゃね?


 分かってはいたつもりだけど、これ以降、国に頼るという選択肢は捨てた。オレはもういいけど、いつか内乱とやらが終わったら、せめて施設を建て直して、スラムから臭い匂いを消して、少しずつでいいから生きやすい世界にしてくれ。それくらいの夢は見たっていいだろ? オレは自力でいつか笑える日々を掴んでやるから、どこかにいるはずの王様お貴族様、お互い頑張ろーぜ。


 スラムの中もだけどスラムの外はもっと野良犬扱いされるから、普通の街のほうは夜コソコソ徘徊してゴミ箱を漁るようにして、日中は魚を狙った。そして、小魚のように弱いから群れを作った。スラムは広く、内乱のせいか、親を亡くした子供が次から次へと流れてきて、そのほとんどはすぐ道端で物言わぬ塊になって水葬された。ソッチ側へ行かないよう、水を濾過する方法や食べられる草やキノコの検索などなど、仲間と無い知恵振り絞ってサバイバルに明け暮れた。


 身体が大きくなると、と言っても発育不良も甚だしいけど、女であることをつきつけられるようになる。オレはガリガリで最初はなからそんなつもりはないけど、女らしい身体つきを使って稼ごう、と考える仲間が増えた。ソッチのほうが楽に思えるもんな。オレには止められない。実際少しは楽になるらしい。春をひさぐソイツらは情夫の家に転がり込んだり、ボロくてもアパートをシェアして暮らすようになった。法的には未成年だろうからアパートも違法だろうけど。まぁ法律なんてココではあってないのと同じ。生き方を変えたヤツは当然オレたちとは離れた。


 けれどある日、離れた一人の仲間が訪ねてきた。確かテレーズとかいうソイツは一目で分かるほど死相が浮かんでいた。顔は青白く、目の下にはくま、肌にも髪にも艶がない。何人も何人も見てきたツラ。そして胸に抱いた、小汚い布にくるまった赤子。


 「デル、お願いがあるの。一日でいいからこの子を預かって。それから……、水葬してちょうだい」


 テレーズは一人でギリギリまで悩んで、悩んで、狂っちまったんだろうな。

 かける言葉が見つからなくて、絶句したまま硬直するオレに、テレーズは血走った目と泣き笑いのような怖い顔でささやいた。


 「この世に生まれて一度も良いことなかったなぁ。この子も同じ思いをするなんて可哀想でしょ?」


 両腕が痺れそうなほど重いものを抱えて、オレはテレーズが去ったほうをずっと、ずっと見続けた。声を大にして否定したい。テレーズ、あんたは全部間違ってる。でもどこが間違っているのか、オレバカだから、答えが分かんねぇんだよ。


 『デル、殺せるの?』


 一番古い付き合い、と言っても二、三年だけど、オレとコンビを組んできたシェファーが声に出さずに口を動かした。


 「なぁシェファー、なにもかも、悔しくて堪んねぇ。なんの病気か知んねーけど、アレ、病院に行けば絶対簡単に治るんだぜ。はした金で。オレらってさ、前世でよっぽどの悪党だったのかな? だとしても関係なくね? 今世のオレらがなにしたんだよ」


 答えが分からなくても認めるのはイヤだ。一度意地を張ると決めたからにはもう目に留まる者を見殺しには出来ない。言っちゃ悪いが足手まといを増やすなら稼ぎも増やさないと。……縄張りを変えよう。マフィアが仕切っている危険地帯がある。銃や刃物をチラつかせてイキがる少年グループが近付いたら水葬されるってもっぱらの噂だけど、丸腰、しかも見た目は微妙だけど女子グループだったら手は出されないのでは?


 とりあえず仲間の反対を押し切ってオレひとりでフラフラして、安全かどうかを試した。結果はイケそう。闇掲示板にはロマン兵器を語る需要が謎なページがあって、暗器の歴史や使い方のレクチャーまで至れり尽くせりだった。管理者はゼッテーイカレ野郎だよなコエー。

 オレはその中でも鋼線に魅力を感じた。必殺ビジネスマン?とやらは胡散臭さの塊だけど、慣れるとナイフくらいの殺傷力はだせそう。近所のスクラップ収集ジジイからパクっただけ、とも言う。


 小綺麗なヨットハーバーの見た目に騙されて安全地帯と勘違いしてスラムに入り込むお坊ちゃんをカツアゲしたら、そんなカモは少ないけど見つけると良い収入になった。

 さらにもっといいカモは、ヨットハーバーに船を停めて外に出てくるバカ。基本あそこは麻薬を運ぶルートを隠すダミーであってまともな利用客はいない。ほんの少しだけいる常連は、そのへんが分かっているマフィア関係者。ただの寄港先に使うだけで、スラムには出て来ない。当たり前だよな。なんの用があるんだよ。つまり外に出るのはそのへんが分かっていない一見いちげんさん。どう扱おうとマフィアに怒られることはない。てかアッチはもっとひどいことして持ち主が消えた船ゲットだからな。


 縄張りを変えてそんな綱渡りの生き方を続けて数年。今日、ヨットハーバーから物語が出てきた。

 一目で只者ではないと分かった。まぁ誰でも分かるか。

 背中辺りで切り揃えた、陽を浴びて青く輝く金髪。こんな汚物と有害ガスが垂れ流されるスラムからでは滅多に見られない、とびっきり透明な時の海と空を合わせたような色。肌はほどほどに日焼けしていて健康的。パッと見お嬢様だけど弱さを感じない。そう、弱さを全く感じない。

 身体もそう。スタイル抜群で肉感的なのに、「イイオンナ」なのに女を武器にしていない。

 軍服や佩剣のせいだろうか? いいや違う。なんなら軍服って気付くまでに時間がかかったし。そんな部分が目につかないくらいあちこちがなんかもう……、凄い。語彙が凄いしか出てこねぇ。

 他に適切な人物が思い浮かばないからおかしな例えになるけど、マフィアの下っ端が頭を下げて怯えている細身のスーツ姿の若頭とか、暴力的には見えないのにヤバいタイプだと一目で感じた。


 オレとつるむカモ探しとカツアゲ要因の仲間たちも雰囲気に呑まれて固まってしまった。オレだって手を出したらヤバい相手だと感じたけど、しょーがねぇんだよ。ここ最近実入りが少なくてオレらも、なによりチビどもも腹を空かせてる。金だけ貰えたら傷付けるつもりもないし、多分大丈夫。そう自分に言い聞かせてオレは声をかけた。にしてもとんでもない美女だな。次元が違いすぎて嫉妬も湧かねー。


 そこからは圧巻だった。「ジャンプしろよジャンプ」って小銭を確認する前に札束詰まったジェラルミンケース渡されてギックリ腰になりかけた。 端末の数字の桁を数える暇もなく若頭が下向く軍服マッチョが現れた。この美女って軍が欲しがるほどの有名人なのか? って気にする前に蚊が正面から殴りかかるレベルで煽り始めた。オレの伊達鋼線を奪った美女が必殺ビジネスマンだった。何を言ってるか分からねーだろうけどオレも分からねー。ただ……。


 「あらあら急に女のコ扱いでマウント? 笑止。このコたちに飢えない環境も作れない国が私に満足する環境を用意できるわけもない。昏君が私を跪かせようなどと身の程を知りなさい」


 溜め込んでいた不快なナニかを言葉にされてスカッとした。一度でいいから言ってみたい台詞。不敬罪が空耳と勘違いして見逃しそうなほど王に上から目線。権力、貧困、暴力、孤立。オレが怯える全てのモノが、この女性ひとには些事だと見せつけられた。


 さらに圧巻が止まらない。オレの仲間に入りたいと言われる経験は何度もあったから、アニメみたいなバトルシーンに興奮した勢いでつい舎弟にしてと頼んだら逡巡もなく受け入れられた。オレらの在り方をカッコイイって言ってくれた。スラムの住人からすら蔑まれてきたのに。それで気付いたけどこの人、初めからオレを対等の人間として扱ってた。だから頭がおかしくなりそうなほど胸が熱いのか。初めて肯定された。こんなにもカッコイイ人が、オレらをカッコイイって。


 アジトに行ってみんなを連れてヨットハーバーへ行くと、マフィアが全滅していた。紹介された兄二人も平常運転な態度でヤバかった。

 初めて口にした美味しそうな料理は……、ピンとこなかった。酒やタバコみたいなもんか? でも身体が求めていて止まらなくて不思議だった。じゃあやっぱり酒やタバコと同じか。コワ。


 今日一日感情の波が荒れすぎて、電池切れのように眠ってしまった。端末なんかにも使われている電池は百年保つとか言われてて、電池切れは酷使しすぎの言い回しになる。ホント今日は酷使しすぎだった。


 でもまだ一日が終わらない。いっぱい食べて気絶したように深く寝るなんて初めてだから、起きた時に三兄妹の誰もいなくて不安になった。いなくなった、とかならまだいい。他人がどんなに残酷かなんて思い知っている。初めからいなかった、夢オチだった、それが一番怖い。とっくに壊れたオレならありえそうで。


 よく探すまでもなく三人は食堂にいて安心した。でも聞こえた話はどんな悪夢よりおぞましかった。

 スラムを砲撃? 爆撃? スラムだから問題ない? 内乱はオレらのせい? オレらだってその内乱のせいで今までどれだけ……。燃え落ちた施設が脳裏に蘇り、血が沸騰しそう。恨んだだけで人が殺せるなら今オレは人類を滅ぼせる。でも現実ってヤツは。このガリガリに痩せ細った腕が憎くて堪らない。

 

 「その悔しさは一生忘れちゃダメよ? この先貴女は私の背中を見て強くなる。今貴女が悔しいのは弱いから。無力だから。なんのために強くなるのか、原点は今のその想い、忘れないでね」

 「……強い姐さんは悔しくないんスか?」

 「全然。むしろ哀れね。だって、明朝8:00に出撃だから…、その前にスパイスホエールを地図から消せばいいだけじゃない」

 「は?」

 「自国民を守る軍人が攻撃するならもう軍人ではない。害虫ね。害虫呼ばわりしてまとめてぶっ壊してスッキリするのはこの私、ブルーエンプレスのほうよ」


 ひとりで軍を? そんなこと出来るのか? ブルーエンプレス、青い女帝? 

 半信半疑のオレにお構いなく、姐さんはひとりで出かけて行った。「プー兄さん、近くに戦闘機は」「隣りのエリアに航空基地があるから」「オッケー」て。あれっ、戦闘機がストッキングに、航空基地がコンビニに聞こえた。宇宙船もチューハイに聞こえたけど、オレの耳どっかおかしい?

 

 深夜、万が一に備えて全員姐さん所有の船に乗って潜水して、オレたちは初体験にはしゃいでしまった。定員オーバーだけどそれはそれ。プライベートスペース横綱が普通のお貴族様の数え方だから、オレたちにとっては今まで寝泊まりしていた廃墟よりずっと広い。モニターに映る夜の海中にチビどもも喜び、まぁすぐ寝ちゃった。そりゃ疲れるよな。もっとイベントは分けよーぜ。

 

 もちろんまだ圧巻が続いてオレたちは眠れない。しばらくしたら連絡がきて、初めてだから寡黙な長男さんに使い方を教わりながら端末経由でエクステに繋ぐと。


 「「「うわぁ」」」


 一緒に教わって繋いだ仲間たちが歓声を上げた。いやオレもか。

 軍用の暗視カメラってこんなにも夜を弾けるのか。緑がかった白黒モノクロだけど輪郭がくっきり見える。

 これが姐さんの見ている景色。街の明かりが眼下に小さく映り、すぐに通り過ぎる。そして一面夜の海。天上の銀河と星雲を受けてうっすら濡れて、波間にうねる。なんて、なんて━━。


 「ねぇデル……、シーバ、世界って果てが見えなくて、透明だったのね」


 隣りに座るシェファーを見ると、彼女はよりはっきり脳内の映像に没入するためにまぶたを閉じていて、目尻から涙が溢れていた。コイツの涙、初めて見たなぁ。


 姐さんは本当にひとりで基地に攻撃を開始した。オレたちには何がどうなっているのか理解出来ない。上下左右が目まぐるしく動いて今どこを向いているのかも分からない。

 ただ、通信を聞くと姐さんが圧倒しているのは感じて、見ているだけのオレたちももう熱狂してどうにかなってしまいそう。

 そしてついに敵から降伏を言わせて却下してバッサリ斬り捨てた。

 

 「権利と義務はセットなの。庶民の権利は王侯貴族に庇護されること。ここに軍人も含まれる。その権利を受けるための条件、義務は、まっとうに生きること。庶民は生きてるだけで偉いのよ。一方貴族の権利は庶民よりあらゆる点で優遇されること。その権利を振りかざすための義務は、庶民がまっとうに生きられる環境を作ること。おつむの出来が悪そうだからもっと噛み砕いて言ってあげると、そもそもスラムなんてない国を作ること。親のない子供が罪を犯さなくても笑って暮らせる国を作ること。侯爵のくせに最低限の義務も果たしてないから主張出来る権利なんて持ってないわよ無能」

 

 惚れた。オレの語彙じゃこれしか言えない、でも恋愛感情とは違うような、この気持ちがなんなのか、やっと分かった気がする。

 彼女こそが王だ。オレが夢見るだけで意地を張って追いかける理想を、当たり前のこととして受け入れる大海のような器量。姐さんの元でオレは、庇護されるだけの庶民を止めて、笑って暮らせる世を作るために頑張る貴族になれる。やっと全部報われる。


 オレの膝枕で寝息をたてる幼子、テレジアの輪郭がぐにゃぐにゃ歪んだ。天国のテレーズ、お前が見てるのか?


 「なぁシェファー、みんな、オレたち、生きてて良かったなぁ」


 そして痛快なトラップ。コリアンテ中から届く罵詈雑言。そっか。スラムが攻撃対象と知って怒る人がこんなにいたのかぁ。本当に……、世界は広かったんだな。

 

 「毎日毎日今日一日歯ぁ食いしばって生きてる全ての国民へ、ブルーエンプレスが命じます。……、あなたたちっ、折角のお祭りに立ち会っていつまで傍観しているつもり? さっさと参加しなさい!」


   『イエス・マイ・フェアレディ!』


 なんか男にしか分からないロマンみたいな含みを持つフレーズだから声は揃わなかったけど、オレたちもそう叫んで軍人お貴族様の顔になった。


 『こちらイェジュー沿岸防衛航空基地、シルド一等兵。航空部隊五機、いつでもいけます』

 『こちらゼコンティ国際貿易センター守備大隊、アヒム軍曹。クズ隊長を拘束ぶちのめして実権握った。近所だから人手が欲しければ使ってくれ』

 『こちら王都防衛軍ノイマン大将。グラニート中将以下スパイスホエールにいる貴族籍の者共っ、恥を知るなら今すぐ全員自決しろ。他にこの腐った作戦に関わった者も、例え王族だろうとただでは済まさんぞ』



 こちらシーバ・フォン・ベルト。貴女の騎士となり、永遠の忠誠を誓います。私の愛しい御主人様。


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