第1話 神経の共鳴
雨の匂いと、甘い香水の香りが、狭い診察室に充満していた。
午前2時。
違法な「記憶潜行(メモリー・ダイブ)」を請け負う久我(くが)の元に、その女は現れた。
名前は、エリス。
彼女は、ずぶ濡れのトレンチコートを床に落とすと、診察台の上に無造作に腰掛けた。薄いシルクのブラウスが肌に張り付き、身体のラインを露骨に浮き上がらせている。
「……寒いわ。早くして」
彼女の声は震えていた。恐怖からか、それとも興奮からか。
久我は無言で空調の温度を上げ、ラテックスの手袋を外した。記憶の同調には、素手による接触が必要不可欠だ。
「場所は?」
「首筋。……動脈のすぐ横よ」
エリスが長い髪をかき上げる。
白くなめらかなうなじが、闇の中で鈍く光った。そこに埋め込まれた銀色の接続端子(ポート)が、久我を誘うように口を開けている。
久我は彼女の背後に回り、指先を這わせた。
冷え切った雨の冷たさと、その下にある火傷しそうな皮膚の熱さ。相反する感触が、久我の指先を痺れさせる。
「入れるぞ」
「……んっ……」
久我が接続ケーブルのプラグを押し込むと、エリスの喉から、くぐもった喘ぎ声が漏れた。
記憶潜行は、脳神経を直接レイプするようなものだ。異物が侵入する違和感と、電流が走るような快楽が、同時に彼女を襲う。
久我の視界が歪む。
彼女の視覚、聴覚、そして触覚が、濁流のように流れ込んでくる。
(……熱い)
彼女の体内は、灼熱だった。
アルコールと、何らかのドラッグ、そして逃亡の緊張感。それらが混ざり合い、ドロドロとした熱となって、久我の神経を侵食する。
「……あぁ、いいっ……」
現実世界で、エリスが身体をのけ反らせ、久我の胸元に背中を預けてきた。
彼女の汗ばんだ首筋が、久我の頬に触れる。乱れた呼吸が、耳元にかかる。心臓の早鐘が、背中越しに痛いほど伝わってくる。
同調率、八十パーセント。
二人の境界線が溶けていく。
彼女が感じている「快楽に近い痛み」を、久我も同時に味わっていた。
脳髄が痺れるような甘い感覚。理性を溶かす神経伝達物質の暴走。
久我は、溺れそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。
「力を抜け。……俺を受け入れろ」
耳元で囁くと、エリスはビクリと身体を震わせ、さらに深く久我に密着した。彼女の太ももが、シーツを強く握りしめるように擦れ合う。
「……見て。……私の、一番奥を……」
彼女の瞳が潤み、焦点が合わなくなる。
久我は、彼女という迷宮の奥底へ、深く、ゆっくりと沈んでいった。
そこにあるのは、暴きたい秘密か、それとも触れてはいけない蜜の味か。
夜の雨音だけが、二人の荒い呼吸を隠すように、激しく窓を叩いていた。
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