第31話 静かな反撃
五回表。
スコアボードには「0―1」が灯ったまま動かない。
(まだ一点。追いつけない差じゃない)
先頭は七番・村上。
右打席に入った村上は、バットを高めに構え、相手投手のフォームをじっと見つめる。
初球、外角高めのストレート。
村上は思い切り振り抜いた。
快音。
打球は鋭いライナーになってライト方向へ飛んでいく。
「抜けろ!」
ベンチから声が飛んだが、ライトが一歩も動かずにグラブを差し出した。
白いボールは、そのままミットに吸い込まれる。
「ライトフライ、ワンアウト!」
(悪くないスイングなんだけどな……)
村上が悔しそうにベンチへ戻ってくる。
敦は軽くうなずき、「ナイススイングです」と声をかけた。
続いて八番・河合。
小柄な体をわずかに沈め、バットを低く構えて打席に入る。
初球、外角へのスライダー。
しっかり見送り、ボール。
二球目、ストレート。
河合はコンパクトなスイングでバットを出し、ファウル。
カウント1―1からの三球目。
外角高めのストレートを、今度は強く叩いた。
打球はピッチャーの右を抜け、センター前へと転がっていく。
「ナイスバッティング!」
一塁上で、河合が小さくガッツポーズを作った。
一死一塁。
九番・長谷川がバットを握り、打席へ向かう。
「ここは送ってくるな」
相手ベンチからも、内野前進の指示が飛ぶ。
サード、ファーストがじわりと前へ出る。
長谷川は、最初からバントの構えを見せた。
初球、外角高めのストレート。
長谷川はバットを引いて見送り、ボール。
二球目、やや低めのストレート。
今度は迷わずバットを出し、一塁線寄りへ転がす。
一塁手が前に出てボールを拾い、そのままベースを踏んだ。
「アウト! ランナー二塁!」
河合は全力で二塁へ駆け込み、ヘッドスライディングでベースに手を伸ばす。
セーフのコールを確認すると、息を整えながら立ち上がった。
二死二塁。
(ここで一番に回せたのは大きい)
一番・三浦が打席へ向かう。
初球、外角低めのスライダー。
三浦は見送り、ボール。
二球目、内角寄りのストレート。
鋭いスイングで振り抜いた打球は、セカンドの左を襲う。
だが、相手セカンドが一歩目を素早く踏み出し、グラブを伸ばして捕球。
そのまま一塁へ送球し、アウト。
「スリーアウト!」
いい当たりではあったが、あと一歩抜けなかった。
(やっぱり簡単には点をくれないな)
敦は深く息を吐き、グラブをはめ直してマウンドへ向かった。
*
五回裏。
スコアは変わらず「0―1」。相手の攻撃は六番からだった。
右打者の六番打者が打席に入る。
佐伯のミットは外角寄りに構えられていた。
初球、外角へのストレート。
打者はいきなりスイングしてくる。
打球はライト前へのライナーとなって、芝生の上に落ちた。
「ノーアウト一塁!」
(また先頭を出したか……)
七番打者が打席に入る。
最初からバントの構えを見せ、内野陣が前進する。
敦は一度、一塁へ牽制を入れた。
長谷川がしっかりとタッチし、ランナーのリードを縮める。
初球、外角高めのストレート。
バントを試みた打球は、一塁側ファウルゾーンへ転がった。
「ストライク!」
カウント0―1。
(二球目は、どう来るか)
佐伯は、今度は少し低めのストレートを要求した。
敦はうなずき、セットポジションに入る。
投じたボールは、膝元あたりの高さに決まった。
七番打者はバントの構えからスイングに切り替え、やや詰まりながらも二塁方向へ転がす。
「二!」
二塁の河合が前に出てボールを拾い、二塁ベースカバーに入った北村へ送球。
北村がしっかりとベースを踏み、一塁へ転送した。
「アウト! ダブルプレー!」
六番のランナーは、あっという間にベンチへ戻ることになった。
(助かった……)
ツーアウト、走者なし。
八番打者が打席に入る。
敦は気持ちを切り替え、初球からストライクを取りにいくことにした。
外角ストレートで見逃しストライク。
続くカーブでタイミングを外させて、カウント0―2。
(三球目は、外に逃がす)
敦は外角低めへフォークを投げ込んだ。
打者はついていこうとバットを出したが、空振り。
「スリーアウト!」
この回を、わずか十球ほどで切り抜けることができた。
(こういう“短い回”を増やしていければ、終盤まで球威を落とさずに投げられる)
ベンチへ戻りながら、敦は肩の感触を確認するように、そっと腕を回した。
*
六回表。
依然としてスコアは「0―1」。
(ここで追いつけるかどうかで、今日の試合の意味が変わる)
この回の先頭は二番・北村。
右打席に入った北村は、バットを低めに構え、相手投手をにらむ。
初球、外角へのスライダー。
よく見てボール。
二球目、内角寄りのストレート。
今度はスイング。詰まり気味ではあったが、打球はショートの右、センター前へと抜けていった。
「ナイスバッティング!」
ノーアウト一塁。
打席には三番・佐伯。
(送るか、打たせるか)
三塁側ベンチから、大塚主将が腰を浮かせて様子を見る。
サインは「打て」だった。
佐伯は、送りバントの構えは見せず、通常のスタンスでバットを構える。
初球、外角高めのストレート。
見送り、ストライク。
二球目、外角低めのスライダー。
コンパクトに振り抜いたが、打球はライト正面へのライナーになった。
ライトが一歩前に出て、胸の前で確実にキャッチする。
「ワンアウト!」
(惜しい……)
一死一塁。
四番・大塚がゆっくりと打席に入る。
相手ベンチから、守備位置の指示がひときわ大きく飛ぶ。
初球、内角高めのストレート。
大塚は振らない。ボール。
二球目、外角へのスライダー。
空振り。
カウント1―1。
三球目、再び外角寄りのストレート。
大塚はフルスイングで振りにいったが、わずかにタイミングが遅れた。
ボールはキャッチャーミットの中に収まり、「ストライク!」のコール。
ワンストライク追加。1―2。
(ここから粘りたいところだけど……)
四球目、内角低めへのストレート。
大塚は食らいつくようにバットを出したが、空を切った。
「バッターアウト!」
ツーアウト一塁。
ベンチには一瞬、重い空気が流れる。
そこで、五番・山下――敦自身の打席が回ってきた。
*
ヘルメットをかぶり直し、敦はバットを握りしめる。
(ここで打たなきゃ意味がない)
打席に入ると、相手キャッチャーがマウンドへ歩み寄り、投手と短く言葉を交わした。
明らかに、簡単には真ん中に投げてこない雰囲気だ。
それでも、バッテリーは勝負を選んだらしい。
キャッチャーはベースに戻り、外角寄りにミットを構えた。
初球、外角低めのストレート。
敦は見送る。
「ボール!」
(二球目)
今度はインコース寄りにストレートが来る。
やや厳しいコースだが、完全なボールではない。
(ここで腰が引けたら終わりだ)
敦は、少しだけ踏み込むイメージでスイングした。
フルスイングではなく、強く、しかし軸を保ったスイング。
バットの芯をとらえた感触が、両手に伝わる。
打球は右中間方向へ高く伸びていった。
「行った!」
ベンチから思わず声が上がる。
ライトとセンターの間を真っ二つに割った打球は、そのままフェンスまで転がっていく。
「回れ、北村!」
三塁コーチャーの声に押され、北村が一塁から一気にホームへ向かう。
ライトとセンターが必死に追いかけ、ボールをカットマンに返すが――
北村はすでに三塁を蹴って、本塁へ滑り込んでいた。
「セーフ!」
審判の右手が大きく広がる。
スコアボードの自チームの欄に、「1」の数字が灯った。
(追いついた)
二塁ベース上で、大きく息を吐く。
ベンチから「ナイスバッティング!」の声がいくつも飛んでくる。
ツーアウト二塁。
同点、1―1。
打席には六番・高倉が向かう。
相手投手は、セットポジションから素早く二塁へ牽制を入れた。
敦は冷静に帰塁し、スパイクの裏でベースの感触を確かめる。
(ここで無理にスタートを切る場面じゃない。任せる)
初球、高倉は通常の構え。
外角のスライダーを見送り、ボール。
二球目、ストレートに合わせてスイングする。
しかし、少し差し込まれた打球は、高く舞い上がった。
レフト前方へのフライ。
レフトが前に出てきて、落ち着いてグラブを構える。
ふわりと落ちてきた打球が、その中に収まった。
「バッターアウト、スリーアウト!」
同点には追いついたものの、勝ち越し点までは届かなかった。
(それでもゲームを振り出しに戻した。ここから、もう一度投げ合いだ)
敦は二塁ベースからベンチへ戻りながら、胸の奥に残る悔しさと安堵を同時に飲み込む。
*
六回裏。
スコアは「1―1」。もう一度、最初からの勝負になった。
(点を取ってもらったあとのイニングをどう投げるかで、投手の評価は決まる)
先頭は九番打者。
細身の右打者が打席に入る。
初球、外角高めのストレート。
見逃しストライク。
二球目、カーブでタイミングを外す。
ゆるやかな弧を描いたボールがストライクゾーンの隅に落ちた。
バットは動かない。
「ストライク!」
カウント0―2。
(三球目は、外に逃がす)
敦は外角へフォークを投げる。
打者はついていけず、空振り。
「三振!」
まずひとつ、落ち着いてアウトを重ねる。
打順は一番に戻る。
俊足のリードオフマン。今日三度目の対戦だ。
初球、外角へのストレート。
わずかに外れてボール。
二球目、内角高めのストレート。
打者はバットを振りかけて止める。ボール。
カウント2―0。
(ここで置きにいったら持っていかれる)
三球目、敦は思い切って外角低めのストレートを選んだ。
全力で腕を振る。
ボールは狙いどおりのコースに決まり、見逃しストライク。
四球目、スライダー。
空振り。
カウント2―2。
五球目、再びストレート。
今度はわずかに外れてフルカウントになる。
(ここが勝負)
佐伯のミットは、外角低め。
敦は深呼吸をひとつしてから、フォークを投げ込んだ。
高めからストンと落ちていくボールに、打者は必死にバットを出す。
しかし、空を切った。
「三振!」
ベンチから歓声と安堵の声が上がる。
「ナイスボール!」
ツーアウト、走者なし。
続く二番打者には、初球カーブでストライク、二球目の外角ストレートで追い込む。
(三人で終わらせる)
三球目、内角寄りのストレート。
詰まった打球は三塁線寄りへの弱いゴロになった。
「任せろ!」
三塁の大塚主将が素早く前に出て、片手でボールを拾い上げる。
そのまま体勢を整え、一塁へ送球。
「アウト!」
三者凡退。
六回を終えて、スコアは「1―1」のままだった。
(ここから先は、一球一球がそのまま勝負の重さになる)
マウンドからベンチへ戻りながら、敦は静かに息を吐いた。
(七回、八回、九回。どこで流れをつかむか――)
ベンチでは、すでに次の攻撃へ向けて、仲間たちがバットを握り直していた。
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