パワブロマイライフ転生:オールS能力でタイムリーブ

あちゅ和尚

第1話 スクリーンの向こう側

フロントガラスの向こうで、白い光が弾けた。


 ブレーキペダルを踏み込む足に、何の手応えもない。積載オーバーぎりぎりのトレーラーが、悲鳴のようなタイヤ音を上げながら前へ進む。雨上がりの高速道路は黒く光り、ライトに照らされた路面が、まるで巨大な川のようにうねって見えた。


(やばい、間に合わない――)


 ハザードを点滅させて停車している乗用車の列。その最後尾が、迫ってくる。バックミラーには、荷台のコンテナがわずかに蛇行しているのが見えた。大型トラック運転手として二十年以上積んできた経験が、「これは完全にアウトだ」と冷静に告げていた。


「くそ……!」


 山下敦、五十歳。

 その人生のブレーキは、今まさに利かなくなろうとしていた。


 衝突の直前、敦の脳裏に浮かんだのは、家族の顔でも、仕事のことでもなかった。

 白球。マウンド。土の匂い。

 そして、スコアボードの下で聞いた、あの言葉。


『――山下、お前、プロ目指さんのか?』


 ぼやけた記憶が、衝撃と共に一気に鮮明になる。


 轟音。

 浮遊感。

 そして、すべてが真っ白に――。


     *


 静寂。


 さっきまで耳をつんざいていたはずの金属音も、ガラスが砕ける音も、何も聞こえない。

 かわりに、一定のリズムで心臓が鼓動している音だけが、やけに大きく響いていた。


(……生きてるのか?)


 目を開けると、そこは運転席ではなかった。


 白い天井。蛍光灯。

 見慣れない、いや、見覚えがありすぎる模様の天井板。鼻にひろがる、ほんの少しカビ臭い空気。夏の終わり特有の、じっとりとした湿気。


「……ここ、どこだ?」


 上体を起こした瞬間、敦は胸の奥に妙な感覚を覚えた。体が軽い。腰も、膝も、肩も痛くない。長距離運転で悲鳴を上げていたはずの腰痛が、跡形もなく消えている。


 それどころか――自分の体に、若い頃よりも「厚み」がある。


 肩幅が広い。胸板も分厚い。上腕には、うっすらとした筋肉の盛り上がりが見える。無駄な脂肪ではなく、使い込まれた筋肉の重さだ。


(……俺、こんな体格だったか?)


 視界の端に、窓が見えた。格子の入った窓ガラスの向こうに、グラウンドが広がっている。白線で区切られたテニスコート。金属音を立ててボールがフェンスに当たる。


 その風景を見た瞬間、敦の喉から、かすれた声が漏れた。


「……武庫工?」


 兵庫県尼崎市にある、県立武庫工業高校。

 かつて自分が通っていた、工業高校のテニスコートと校舎が、そのままの姿でそこにあった。


 信じられない、という思いと同時に、肌が覚えている感覚が蘇る。

 夏の太陽に焼かれたコートの熱さ。ラケットを握りしめた手の汗。部活帰りに飲んだ自販機の缶ジュースの甘さ――。


「そんな、まさか……」


 動揺で喉が乾く。ベッド代わりの長椅子から立ち上がりかけて、敦は違和感に気づいた。


 目の前に、「それ」が浮かんでいた。


 透明な板。

 空中に、何の支えもなく浮かぶガラスのスクリーン。

 ゲームセンターにあったアーケードゲームのモニターを、背景だけ透明にして空中に持ってきたような、不自然な存在感。


 そこには、文字が表示されていた。


――――――――――

  山下 敦 15歳(高校1年)

  ポジション:投手/捕手/外野手

――――――――――

 球速    170km/h

 コントロール S

 スタミナ   S

 変化球

  ストレート S

スライダー S

  フォーク  S

  カーブ   S

 守備力    S

 肩      S

 走力     S

 体格:身長178cm/体重75kg

――――――――――


「……は?」


 言葉にならない声が、勝手に口からこぼれた。


(これ……パワプロ?)


 頭の中で、二十年以上前の記憶とつながる。

 コンビニで買った野球ゲーム、『実況パワフルプロ野球』。徹夜でサクセスモードを回し続けて、ようやく作り上げた「チート選手」。球速170キロ、能力オールS。現実には絶対に存在しない、画面の中だけの怪物。


 そのステータスが、目の前のスクリーンに、ほとんどそのままの形で表示されている。


「いやいやいや、待て待て待て……」


 自分で自分にツッコミながら、敦は額に手を当てた。

 熱はない。むしろ、驚きすぎて少し寒いくらいだ。

 腕をつねる。普通に痛い。夢にしてはリアルすぎる。


 すがるような気持ちで、もう一度スクリーンを見つめる。

 よく見ると、右上に小さな文字で「高校時能力上限:球速160km/hまで解放」と書かれていた。


「高校までは160キロまで、ってことか……?」


 呟いた瞬間、スクリーンの表面に波紋のような揺れが広がった。

 次に表示されたのは、シンプルなメッセージだった。


――タイムリープ完了。

 現在日時:1990年4月10日

 現在地点:兵庫県立武庫工業高等学校 1年教室棟


「……1990年?」


 敦の脳が、一瞬現実を拒否しようとした。

 しかし、手のひらを見れば、その拒否も虚しくなる。


 しわがない。

 日焼けはしているが、五十歳のそれではない。

 指はまっすぐで、節も太くない。数えきれないほどギアチェンジを繰り返してきたトラック運転手の手ではなく、部活と遊びと、少しの受験勉強しかしていない高校一年生の手だ。


 しかも、高校時代の自分より、明らかに「出来上がった体」をしている。

 伊丹の花里カープで鍛え、中学ではサッカーで走り込み、高校でテニスをやって――それを全部、一段階上に底上げしたような、無駄のない体つき。


「マジかよ……本当に、戻ってるのか……こんなオマケ付きで」


 思わず、椅子にへたり込んだ。


 昭和五十年一月十七日生まれ。

 伊丹市立花里小学校出身。少年野球チーム「花里カープ」に所属し、毎週土日はグラウンドの赤土まみれになっていた。

 その後、松崎中学に進み、なぜかサッカー部に入部。

 そして、なんとなくの流れで武庫工業高校に進学し、本格的な野球からは離れてしまった。


 あのときもし、本気で野球を続けていたら――。


 何百回も頭の中で繰り返してきた「もしも」が、今、目の前に現実として立ち上がろうとしている。


     *


「おーい、敦!」


 突然、教室のドアがバーンと開き、短髪の男子が顔を突っ込んできた。

 体操服姿。胸には「武庫工」と書かれた文字。

 どこか懐かしいその顔を見て、敦は思わず名前を口にした。


「……中村?」


「お、起きてたか。さっき保健室行ったって聞いたからさ。顔色どうだ? さっき、廊下で思いっきり転んでたぞ、お前」


「あ、ああ……大丈夫。たぶん」


 どうやら、今の自分は「保健室で寝かされていた」ということになっているらしい。

 現に、自分が寝ていたのは、保健室のベッドではなく、教室の片隅に置かれた長椅子だった。


「ん? どうした、その顔。なんか別人みたいだぞ。それに――」


 中村は、じろじろと敦を眺める。


「お前、こんなガタイ良かったか? 入学式のとき、もっとヒョロかった気がするんだけど」


「……一晩で成長したんだろ」


「どんな思春期だよ」


 中村は呆れたように笑う。その笑い方が、記憶の中の「三十年後の中村」とまったく同じで、敦の胸に妙な切なさがこみあげてきた。


(こいつ、今はまだ、あの事故のことも知らないんだよな……)


 高校時代、バイク事故で入院した中村。

 仕事中の事故で右手を痛め、夢だった整備士を諦めざるを得なかった、と居酒屋で聞いた夜のこと。

そのすべてが、「まだ起きていない未来」へと押し戻されている。


「なあ、敦」


「ん?」


「お前さ、野球やる気あんの?」


 唐突な質問。

 しかし、その問いかけは、敦の記憶の中で確かに聞いたことがあった。


『お前、中学まで結構投げてたんだろ? なんで工業来てテニス部なんだよ。もったいねえって』


 あのときは、適当に笑ってごまかした。


『もう、そんな歳ちゃうし。プロとか無理やし』


 そう言って、自分の可能性にふたをしたのは、自分自身だ。


 だが、今目の前には、空中に浮かぶステータス画面がある。

 170キロ。オールS。

 現実離れした「もしも」が、具体的な数値として提示されている。


 敦は、スクリーンと中村の顔を交互に見て、ゆっくりと息を吸った。


「……野球、やる」


「え?」


「本気でやる。野球部に入る」


 中村の目が丸くなる。


「マジかよ! テニス部見学行くって言ってたじゃん!」


「気が変わった。というか、思い出した」


「何を?」


 敦は、自嘲気味に笑う。


「夢を」


 その一言は、かつての自分には、絶対に言えなかった言葉だった。


     *


 野球部の部室棟は、グラウンドの一番奥にある。

 土のグラウンドと芝生の境界。フェンス越しに見えるピッチャーマウンド。

 その光景を前に、敦は立ち尽くした。


 スクリーンは、まだ目の前に浮かんだままだ。

 ただ、さっきと違うのは、下の方に新しい項目が追加されていることだった。


――特殊能力(高校時点での潜在)

 対ピンチ S

 ノビ   S

 キレ   S

 送球   S

 二刀流適性:あり

 ※プロ到達後、打者能力解放可能


「二刀流……」


 その言葉を見た瞬間、敦の胸に、テレビで見たある光景がよぎった。

 大谷翔平。投げては160キロ台後半のストレート、打ってはホームランを量産する令和の怪物。


(あいつが出てくるのは、まだずっと先だ……)


 自分がプロに行けるかどうかなんて、まだ何も決まっていない。

 だが、この数値が本物なら――少なくとも、「届かない夢」ではなくなった。


 スクリーンの隅に、小さく「目標チーム:阪神タイガース」と表示されていることに気づき、思わず噴き出してしまう。


「……お前、俺の心の中まで覗いてんのかよ」


 小学生の頃から、阪神一筋だった。

 花里小の教室で、優勝セールのチラシを回し読みしたあの日。

 1985年の日本一を、テレビの前で父親と一緒に叫びながら観ていたあの日。

 それらすべてが、このスクリーンに「前提条件」として組み込まれている気がした。


 そのときだった。


「――お前ら、何しに来た?」


 低く、よく通る声が、背後から飛んできた。


 振り返ると、そこにはジャージ姿の男が腕を組んで立っていた。

 日焼けした顔に刻まれた深いしわ。目つきは鋭いが、どこか温かさを感じさせる。胸の名札には、「野球部顧問 村井」と書かれている。


「あ、先生。新入生です。野球部の見学に――」


「見学はいらん」


 その一言で、中村が固まる。


「え?」


「うちは“見学”だけして帰るやつは要らん。入るか、入らんかだ。見学する暇があったら、走れ。グラウンドは逃げん」


 村井の口調はぶっきらぼうだが、妙に胸に響くものがあった。

 かつての敦は、この言葉に気圧されて、「やっぱりテニス部にします」と逃げた。

 ――その瞬間、野球人生の扉は閉じたのだ。


(でも、今は違う)


 目の前には、スクリーンがある。

 過去をやり直すための、チートじみた能力値。

 そして何より、五十年分の後悔と、積み重ねた人生がある。


「先生」


 敦は一歩前に出た。

 胸が高鳴る。

 震えそうになる足を、ぐっと踏ん張る。


「入部希望です。野球部に入れてください」


 村井の視線が、じろりと敦を舐め回す。

 その目は、まるで人間ではなく“素材”を見る職人のようだった。


「ポジションは?」


 敦は、一瞬だけスクリーンを見やる。

 ピッチャー/キャッチャー/外野手――そこに並ぶ文字。

 だが、今ここで「全部できます」と言えば、ただの生意気な新入生だろう。


「ピッチャー志望です」


 そう答えながら、心の中で付け加える。


(キャッチャーも外野も、やるけどな。どうせプロに行く頃には、バットも握って二刀流になってやる)


「ふん。身長は?」


「百七十八センチです」


「……でかいな。体重は?」


「七十五キロくらいです」


「高校一年にしちゃ、よく出来た体してるじゃねえか」


 村井の視線が、敦の肩や腕、脚の筋肉をじっくりと確認していく。

 その目は、先ほどよりも明らかに興味を帯びていた。


「投げてみろ」


「今、ですか?」


「今以外、いつ投げる。マウンドはそこだ。ボールは自分で取りに行け」


 村井が顎で示した先には、誰もいないマウンドがあった。

 部員たちが遠巻きにこちらを見ている。笑っている者もいれば、興味深そうに見つめてくる者もいる。


 敦は、グラウンドに足を踏み入れた。

 靴の裏で、土の感触を確かめる。

 花里カープの頃に慣れ親しんだ、あの赤土とは少し違うが、それでも確かに「野球の土」の匂いがした。


 ベースの近くに置かれたボールを拾い上げる。

 手の中に収まる硬球の重さが、懐かしく、そして新鮮だった。


(落ち着け。いきなり全力で投げる必要はない。スクリーンによると、高校の間は160キロまでしか出せないらしいし、最初からそんな球を投げても、逆に怪しまれる)


 心の中で、自分に言い聞かせる。


(まずは、フォームの確認だ。五十歳までの体の感覚と、十五歳の体をすり合わせる)


 マウンドに立つ。

 ホームベースの向こうに、簡易ネットが設置されている。

 キャッチャーはいない。代わりに、ネットの中心に黒い的がぶら下がっていた。


 敦は、ゆっくりと右足を上げた。

 ステップ。

 腰の回転。

 腕のしなり。


(ああ、そうだ。こういう感覚だった――)


 五十歳の自分が、テレビの前でプロのピッチャーのフォームを真似しながら、「もしも」を夢見ていたあの夜。

 そのイメージが、今、実際の身体の動きとして再現される。


 リリース。

 指先からボールが離れた瞬間、スクリーンの隅に小さな数字が浮かび上がった。


「……143キロ」


 それは、高校一年生の「初投球」としては、あまりにも異常な数字だった。


 ネットが、乾いた音を立てて揺れる。

 グラウンドにざわめきが広がる。

 誰かが小さく「嘘だろ」とつぶやいた。


 敦自身も、正直驚いていた。

 もっと出ているかと思っていたからではない。

 たった一球で、ここまで全身の感覚が研ぎ澄まされるとは思っていなかったからだ。


(これが……170キロの“片鱗”か)


 スクリーンに目をやると、球速の横に小さく「高校時現在の安全最大値:155km/h」と表示されていた。


(なるほど。いきなり上限まで出すな、ってことか。少しずつ慣らしていけ、ってことだな)


「もう一球だ」


 村井の声が飛ぶ。

 敦はうなずき、再びセットポジションに入る。


 今度は、さっきより少しだけ力を込めて――。

 全身のバネを、一本の線にまとめるように意識して、投げ込む。


 ボールは、音を置き去りにするような勢いでネットへ吸い込まれた。


「……148キロ」


 スクリーンの数字を見て、敦は小さく息を吐いた。

 まだだ。まだ全然、本気じゃない。

 それでも、周囲の反応は十分すぎるほどだった。


「お、おい……今、何キロだって?」


「いや、そんなバカな。うちのエースでも140出てねえぞ」


「新入生だろ? あいつ。本当に?」


 村井はしばし無言で敦を見つめていたが、やがて興味深そうに口の端を上げた。


「名前は?」


「山下敦です」


「山下……。ちょうどいい」


「え?」


「今日からお前は、投手だ。うちのエースを引きずり下ろす気で来い。遠慮はいらん」


 その言葉に、敦の胸が熱くなる。

 あの日、聞きたかった言葉。

 あの日、自分自身に言ってやりたかった言葉。


「はい。必ず、そうします」


 スクリーンの表示が、ふっと変わった。


――目標設定:

 高校編ミッション

 ・公式戦初登板:未達成

 ・甲子園出場:未達成

 ・最速更新(高校時):160km/h以上:未達成


 その下に、小さく新たな項目が浮かび上がる。


――プロ編予告

 ・阪神タイガース入団

 ・世界初二刀流投手としての挑戦


(世界初、ね……)


 敦は、空に浮かぶスクリーンを見上げて、苦笑した。


「大きく出たな、お前」


 だが、その誇大な目標が、不思議と嫌ではなかった。

 むしろ、心の奥底で、炎が静かに燃え始めるのを感じていた。


 七回裏、二死満塁。

 甲子園のマウンド。

 虎のユニフォームに袖を通し、満員のスタンドを見上げる自分。


 ――そのイメージが、これまでで一番、現実味を帯びて頭の中に浮かんだ。


 五十歳の大型トラック運転手は、こうして再び、十五歳の投手としての人生を歩き始めた。


 過去をやり直すために。

 そして、スクリーンの向こう側にある未来――世界初の二刀流投手として、阪神タイガースのマウンドに立つために。


 彼の物語は、まだ始まったばかりだった。

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