第5話 全裸の次は亀甲縛り!? 悪魔との錬金術契約
酒場の明かりはずっと後ろに遠ざかっていた。
周囲は死のような静寂に包まれた荒野。時折、名も知らぬ鳥の不気味な鳴き声が響くだけだ。
雨は止んでいたが、ぬかるんだ地面がこの強制連行をさらに過酷なものにしていた。
俺はテレサに引きずられ――文字通り引きずられ、死体のように泥水を滑りながら、町から離れた森の奥深くへと連れて行かれていた。
「あ、あの……姐さん? 大魔王様?」
俺は最後の抵抗を試みた。寒さと恐怖で歯がカチカチと鳴る。
「もし金が目的なら、懐に全財産が……もし体が目的なら……」
待て、なんで俺は今躊躇した?
相手は変態だぞ! 殺されるぞ!
「もし体が目的なら……再考をお願いしたいんですが。俺みたいなイケメンでもマッチョでもない男なんて……」
前を行く銀色の背中からは返事がない。
彼女は機械のように足を動かし続け、時折意味不明な寝言を漏らすだけだ。
ようやく、枯れた巨木の下で、彼女は足を止めた。
ドサッ。
手が離された。
俺はゴミ袋のように、濡れた草の上に放り出された。
「いってぇ……」
脱臼しかけた手首をさすりながら、俺は隙を見て起き上がり、逃げようとした。
ブンッ!
風を切る音。
俺が立ち上がるよりも早く、その小さな影が飛びかかってきた。
ドンッ!
凄まじい衝撃と共に、俺は地面に押し戻された。
背中が泥水に叩きつけられ、汚い水飛沫が上がる。
「捕まえた……」
テレサは俺の腰の上に馬乗りになり、俺の頭の両側に手をついて、上から見下ろしていた。
雲の切れ間から差し込む青白い月光が、彼女の今の姿を照らし出す。
整えられていたはずの銀髪は完全に爆発し、顔には泥が跳ねている。紅い瞳の焦点は依然として合っていないが、そこに宿る飢餓感はさっきよりも濃厚になっていた。
終わった。
骨までしゃぶられる。
「ま、待って!」
俺は絶望的に目を閉じ、首を後ろに反らせて、迫り来るその小さな口から少しでも距離を取ろうとした。
「せめて洗ってからにして! 俺、汚いから! マジで!」
彼女は俺の悲鳴など意に介さない。
酒臭い息を吐くその小さな顔が、どんどん近づいてくる。
長い睫毛(まつげ)の一本一本が数えられる距離。鼻先が触れそうな距離。
「……ふぅ……」
生温かい吐息が顔にかかる。
俺は全身を硬直させ、喉笛を食い破られる覚悟を決めた。
さようなら、母さん。さようなら、父さん。
来世があるなら、また日本に生まれたいです。
一秒。二秒。三秒。
予想していた激痛は訪れなかった。
ゴチン。
鈍い音がした。
その頭が、突然糸の切れた人形のようにカクンと落ち、俺の胸板に激突したのだ。
「……え?」
俺は呆然とし、恐る恐る片目を開けた。
すると、さっきまで俺を吸い尽くそうとしていた恐るべき幼女が、俺の胸に顔を埋め、スースーと規則正しい寝息を立てていた。
「……すー……すー……」
ね、寝た? この土壇場で? 何これ? 満腹になったから寝たの? それとも単にスイッチが切れた(ブラックアウトした)だけ?
「おい?」
俺はおっかなびっくり彼女の肩を押してみた。
反応がない。死んだ豚のように重く、ぐったりと俺の上に乗っかっている。
「チャンス!」
何が起きたかは知らんが、これは神が与えてくれた二度目のセカンドチャンスだ。
このクソ重いロリをどかせば、逃げられる!
俺は息を吸い込み、彼女の肩を掴んで力を込めようとした。
その時だ。
熟睡していたはずのテレサの眉が、ピクリと動いた。
唇が動き、何か寝言を呟いたようだ。
「……逃がさん……」
次の瞬間。
ブォン――
空気が震え、奇妙な波動が広がった。
数条の淡い青色の光流が虚空から現れ、まるで生きた蛇のように空中で鎌首をもたげた。それらは冷たい光を放ち、漆黒の森を照らし出した。
「な、なんだこれ?」
状況を理解する間もなく、その光の帯が襲いかかってきた。
シュッ! シュッ! シュッ!
まるで意思を持っているかのように、光の帯は俺の手首、足首、そして胴体を瞬時に巻き取った。
自動的に結び目を作り、締め上げる。
「うわああ! な、何だこの変な縛り方は!」
俺は必死に身をよじったが、無駄だった。
わずか二秒。
俺は発光するボンレスハムのように縛り上げられていた。
しかも、一部のマニアが狂喜乱舞しそうな、完璧なまでの「亀甲縛り」で。
そして、その縛られた「ハム」の上には、相変わらず高いびきをかいている銀髪ロリが乗っている。
「……」
これは……科学じゃ説明がつかねぇ。
魔法。
その単語が、ようやく現実味を持って俺の脳裏に叩き込まれた。
魔法は実在する。
しかも、泥酔した幼女が寝ながら無意識にぶっ放せるくらい、カジュアルに。
「……ムニャ……」
胸の上のテレサが口をむにゃむにゃと動かした。どうやらこの「発熱機能付き抱き枕」にご満悦の様子で、俺の胸に頬をすり寄せ、さらに快適なポジションを探っている。
途方もない虚無感が押し寄せてきた。
「一体なんなんだよ、これ……」
俺は頭上に浮かぶ冷たい……月? を見上げ、泣きたくなった。
「俺は非常食か? それとも保温機能付きのダッチワイフ(男)かよ!?」
答える者はいない。
静寂な夜の森に、テレサの酒臭いイビキだけが響き渡っていた。
「助けてくれ……」
もし誰かが、火刑台に縛られるのが人生のどん底だと思っているなら、そいつはまだ泥の中で亀甲縛りにされて一晩過ごしたことがないだけだ。
***
木漏れ日が、俺の顔に降り注ぐ。
鳥のさえずりがうるさい。本当にうるさい。
特に、全身が筋肉痛で手足が痺れ、おまけに胸の上に命を脅かす変態が乗っかっている時はなおさらだ。
「……んぅ」
胸の上の重りが動いた。
一晩中俺の上で高いびきをかいていた幼女が、ようやく覚醒の兆しを見せた。
彼女は目をこすり、大きなあくびをして、ゆっくりと上半身を起こした。
俺はとっくに抵抗を諦め、ただ死んだ魚のような目で彼女を見つめていた。
彼女は寝ぼけ眼を開ける。
視線が交差する。
一秒。
二秒。
突然、彼女の瞳孔がキュッと収縮した。
まるで見てはいけない汚物を見たかのように、彼女は足を上げ――
ドゴッ!
見事な蹴りが、俺のわき腹にクリーンヒットした。
「ぐわぁぁぁぁ!!」
俺は蹴られたボールのように、縄で縛られたまま草地を三回転ほど転がり、木の幹にぶつかってようやく止まった。
「な、何をするっ?!」
テレサは両手で胸を隠し、恐怖に引きつった顔で俺を見ていた。まるで俺が彼女に手を出そうとした変態であるかのように。
「誰だ貴様っ?! なぜ私が貴様の上で寝ている?! 変態! 痴漢! 死刑だ!!」
「はぁぁぁ?!」
俺はわき腹の激痛も忘れ、芋虫のように地面でもがきながら叫び返した。
「そっちのセリフだろ! その目玉かっぽじってよく見やがれ! 今、縛られて簀巻きになってるのはどっちだ?! 昨晩、酒場から無理やり俺を引きずり出したのはどこのどいつだ?!」
テレサは呆気にとられた。
彼女は俺の体を発光しながら締め上げている光のロープを見、自分の泥だらけのローブを見、そして最後に、口元に残った乾いた涎の跡を触った。
彼女の表情は驚愕から気まずさへ、そして瞬時に逆ギレへと変わった。
「コホン……」
彼女はそっぽを向き、口笛を吹くふりをした。
「まあ……とにかく。縛られているということは、貴様が危険人物である証拠だ。これは……その、正当防衛というやつだ」
「それを不当拘束って言うんだよ!」
俺がさらに抗議しようとしたその時、テレサが突然頭を押さえてうずくまった。
「くっ……頭が……割れる……」
彼女はしゃがみ込み、髪をかきむしる。
グゥゥゥ――
同時に、彼女の腹が盛大な音を立てた。
「酒……」
彼女はひび割れた唇を舐めた。
「酒はないか……死ぬ……」
俺は抵抗をやめ、彼女の反応を観察した。
手の激しい震え。冷や汗。異常なまでの焦燥感。
昨晩の奇行と合わせて考えれば、答えは一つだ。
これは悪魔の呪いでも吸血鬼の衝動でもない。
典型的な、重度のアルコール離脱症状だ。
なるほど。昨夜、酒場の男が言っていた「酒乱魔女」とはこういうことか。
その時、一陣の風が吹いた。
テレサの体がビクリと硬直した。
彼女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳の色が、再び変わっていた。
「……いい匂い……」
彼女はふらふらと立ち上がり、ゾンビのように俺に近づいてきた。
「……よこせ……吸わせろ……」
「ストップ!!」
俺は大声を上げ、芋虫のように必死に後ろへ下がった。
「来るな! 噛みついたら……噛みついたら……」
噛みついたらどうする? 今の俺に何ができる?
「関係ない……よこせ……」
彼女に言葉は通じない。あの小さな口が再び開かれる。
彼女が求めているのは、この匂い? いや、この匂いが象徴する「刺激」だ。
彼女がアル中で、この工業的な合成香料の香りを、何か高級な「美味いもの」と勘違いしているなら……。
「これが飲みたいのか?!」
俺は全身全霊で叫んだ。
「これはただの失敗作だ! これは化学……」
いや、この時代に化学という概念はないか。
「……俺独自の錬金術が生み出した、初歩的な副産物に過ぎない!」
テレサの動きが止まった。
彼女の鼻先は、もう俺の顔の数センチ前まで迫っていた。
「……副産物?」
「そうだ!」
俺は生き残るために、必死で口から出まかせを並べ立てた。
「これでいい匂いだと思ってるのか? こんなのは、実験に失敗して残ったカスみたいな残り香だ!」
「真の完成品は……限りなく透明で、一切の不純物がなく、一口飲めば天国が見える高度数の……いや、『生命の水(アクア・ヴィテ)』は、これとは雲泥の差だぞ!」
「……生命の……水?」
テレサが瞬きをした。
俺は声を低め、悪魔の囁きのように続けた。
「設備さえあれば。専門的な錬金設備さえ用意してくれれば、俺があんたに作ってやる。好きなだけ飲めるぞ。吐くまで、自分の名前を忘れるまで飲ませてやる」
俺は息を殺し、彼女の反応を待った。
テレサは黙り込んだ。
彼女は俺をじっと見つめ、俺の言葉の真偽を値踏みしているようだった。
そして、鼻をひくつかせ、もう一度俺の匂いを嗅いだ。
やがて。
彼女は手を上げ、パチンと指を鳴らした。
シュンッ。
俺を締め上げていた光のロープが、瞬時に光の粒子となって霧散した。
テレサは立ち上がり、ローブについた泥を払った。
この時になって初めて、俺はこの変態の全貌をまともに見ることができた。
目の前に立っているのは、息を呑むほど美しい美少女だった。
銀色の長髪にはまだ草屑がついているが、朝日に照らされて溶けた銀のように輝いている。
背は低く、ローブはブカブカだが、その身に纏う高貴な雰囲気――のようなもの――は隠しきれていない。
ただし、その「美少女」が今、袖で口元の涎を豪快に拭っていなければの話だが。
「……もし嘘だったら」
彼女は俺を見下ろし、冷徹に告げた。
「貴様をオーク樽に詰め込んで、肥料にしてやる」
俺は痺れた手首をさすりながら起き上がり、大きく息を吐いた。
賭けに勝った。
俺は泥を払い、まだ腰が痛むのを堪えて立ち上がった。主導権は俺の手にある。
「だが、あれを作るには道具が必要だ。蒸留フラスコ、冷却管、そして安定した熱源……あんた魔法使いなら、それくらいの錬金設備がどこにあるか知ってるだろ?」
俺はカマをかけた。
テレサは眉をひそめ、少し考え込むような素振りを見せた後、遠くを指差した。
「王都」
彼女は短く言った。その口調には、有無を言わせぬ傲慢さが滲んでいた。
「王立学院に、最高の錬金室がある。そこへ行くぞ」
「王都?」
俺は少し驚いた。
昨日の村長も、俺にそこへ行けと言っていた。
「わかった」
俺は頷き、手を差し出した。
「なら、契約成立だ」
テレサは俺の手を見て、一瞬ためらったが、その氷のように冷たい小さな手で俺の手を握り返してきた。
華奢に見える手だが、この中に人を簡単にへし折る怪力が潜んでいることを、俺は嫌というほど知っている。
「俺は木島・蓮。木島が名字(ファミリーネーム)で、蓮が名前だ」
「キジマ……レン? 変な名前。名前が後ろなのか?」
俺は彼女の疑問をスルーした。
「あんたは? なんて呼べばいい?」
酒場の男たちが呼んでいた名前は知っているが、一応聞いておく。
彼女は手を離し、くるりと背を向けた。銀髪が朝風になびく。
「テレサ」
彼女は背中で答えると、歩き出した。
「ついてこい、レン。王都への道はこっちだ」
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