第3話 腹式呼吸
俺の名はレオナール。
修道騎士団の便利屋にして、聖女リュシエルの護衛を務める男だ。
筋トレによって、
彼女は階段を息切れせずに登れるようになり、
街の巡礼も休憩なしでこなせるようになった。
成果は上々――のはずだった。
だが、どうやら俺はやりすぎたらしい。
ある朝、神殿の食堂で彼女が袖をまくった。
白い腕に、うっすらと筋肉のラインが浮かんでいる。
「……最近、服がぱんぱん」
「それは筋肉がついた証拠です!」
「……聖女に筋肉は不要」
「いや、必要です。あって損はない!」
俺は力説したが、彼女は不満そうに腕を隠した。
だがその目には、ほんの少し妖しい光も宿っていた。
その日も、俺とリュシエルは街へ向かった。
巡礼の一環で、信者の集会に顔を出す予定だったからだ。
街は賑わい、人々が聖女を見ようと集まっていた。
だが突然、暴漢が現れた。
粗末な鎧をまとい、刃物を振りかざしながら群衆をかき分けて突進してくる。
「聖女をさらえば金になる」
俺は即座に盾を構えると前に出た。
だがその瞬間、背後から"聞き覚えの無い?"声が飛んできた。
「ここはあたしにまかせときなっ」
……誰だ?
振り返ると、聖女リュシエルが仁王立ちしていた。
なんか腹から声が出ている……。
彼女は俺を押しのけると暴漢の前に立った。
その姿は落ち着き払い、しかし妙に頼もしい。
「……あんた、信者を傷つけるつもりじゃないだろうね?」
「黙れ聖女!一緒に来てもらおうか!」
暴漢が刃物を振り上げた瞬間、リュシエルは電光石火の動きを見せる。
彼女の手が暴漢の手首を掴み、ぐいっと捻りあげた!
「ぐあぁっ!」
刃物が地面に落ちる。
さらに彼女は膝蹴りを繰り出し、暴漢を吹き飛ばした。
群衆がどよめき、俺は目を疑った。
「……聖女様、今のは?」
「……筋トレの成果」
彼女は涼しい顔で答えた。
だが暴漢は立ち上がり、仲間を呼んだ。
数人の男たちが現れ、聖女に迫る。
俺は剣を抜こうとしたが、リュシエルが手を伸ばして制止した。
「なんべんも言わせんじゃねえ……ここはあたしにまかせときなっ」
再びの、その台詞。
彼女は群衆の前で堂々と構え、男たちを迎え撃った。
一人目の拳をかわし肩を押すと同時に足をかけ転倒させる。
二人目は足を蹴り払って転ばせ、三人目は背負い投げ。
聖女が暴漢を次々となぎ倒す光景に、群衆は唖然とした。
まあそれ以上に俺は唖然としたが――。
「……聖女様、それは武道ですか?」
「……筋トレの応用」
応用ってなんだ……天賦の才でも目覚めた?
暴漢たちは次々と倒れ、最後には逃げ出した。
群衆は拍手喝采だ。
「聖女様、強い!」
「救世主だ!」
「筋肉の聖女!」
最後の筋肉の聖女ってなんだよ。
たしかにうっかり鍛えすぎた感はあるけど……。
リュシエルは少し照れたように頬を染め、しかし胸を張っていた。
「……筋トレ、役に立った」
俺は頭を抱えた。
確かに役に立ったが、方向性が違う気がしないでもない。
事件後、神殿に戻って報告すると、団長は目を剥いた。
「……聖女が暴漢を投げ飛ばした?」
「はい。俺が手を出す前に」
「……お前、筋トレを施しすぎたな」
団長は深いため息をついた。
「聖女は人々を癒す存在だ。暴漢を殴り倒す存在ではない」
「でも、信者を守りました」
「……それは騎士の役目だ」
団長は頭を抱えたが、聖女本人が
「筋トレは信者を守るために必要」と主張したため、結局黙認された。
その夜、彼女は俺に言った。
「……筋トレ、最初は嫌だった。でも、信者を守れた。だから続けたい」
「……でも、暴漢を投げ飛ばす聖女ってどうなんですかね」
「……悪くなかった」
彼女は小さく笑った。
その笑みは、以前の氷の聖女とは違う。自信と誇りを帯びていた。
筋トレは彼女を変えた。体だけでなく、心まで。
だが――どうやら、やりすぎたようだ。
翌日、街では新たな噂が広まっていた。
「聖女様は暴漢を投げ飛ばした」
「聖女様は筋肉で信者を守る」
「聖女様に任せとけば安心安全」
そして、とうとう信者たちは彼女を「筋肉聖女」と呼び始めてしまった。
俺は頭を抱えたが当人はいたって楽しそうだ。
修道騎士の俺は、護衛対象を筋トレで改心させた。
だが今や彼女は騎士を凌駕する存在になりつつある。
やはり筋トレを施しすぎたかもしれない……、
だが――これがきっと後の祭りということなのだろう。
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