元・塩対応聖女の現在地が、わりと幸せな件
茶電子素
第1話 ノンコンタクト
俺の名はレオナール。
修道騎士団に所属し、日々神殿の警護や雑務をこなす、いわゆる「便利屋」だ。
そんな俺に下された新たな任務は――聖女の護衛。
聖女と聞けば、慈愛に満ちた微笑みで人々を癒す存在を想像するだろう。
だが現実は違った。
俺の前に現れた聖女リュシエルは、氷のような眼差しで俺を一瞥し、
吐き捨てるように言った。
「……近寄らないで。あなたの汗臭さで空気が濁る」
初対面でこれだ。
俺は思わず足を止めた。
修道騎士団の仲間から「聖女は塩対応だ」と噂は聞いていたが、ここまでとは。
護衛対象に嫌われるのは慣れている。
だが彼女の場合、嫌悪を隠す気すらない。
俺が歩幅を合わせようとすれば「邪魔」、
食事の席に同席すれば「目障り」、
夜警で廊下に立っていれば「眠気を妨げるマナを感じる」
俺は呪いのアイテムか何かか!?
だが任務は任務。
聖女が神殿の外に出る際は必ず同行し、危険から守らねばならない。
その日も、彼女は信者の集会に顔を出すため街へ向かっていた。
俺は黙々と後ろを歩く。
途中、物乞いの
聖女ならば微笑んで施しを与える――そう思った俺の期待は、見事に裏切られる。
「……触らないで。汚れる」
子供の顔が曇り、俺の拳が震える。
いや、暴力は騎士にあるまじき行為だ。
だが、これは聖女として……いや人としてどうなんだ。
俺は思わず子供に銀貨を渡し頭を撫でた。
するとリュシエルが冷ややかに言う。
「余計なことをしないで。あなたの施しは安っぽい」
安っぽい?
俺の財布は常に空っぽだぞ。
その後も彼女は信者の祈りを
「うるさい」と切り捨て、
花束を差し出す老女に「埃がたつ」と眉をひそめる。
俺の忍耐は限界に近づいていた――。
そして事件は起きた。
街角で、怪しげな男が聖女に近づいた。
俺は即座に間に入り、男を追い払った。
だがリュシエルは俺を睨みつける。
「……勝手に動かないで。あなたの護衛は煩わしい。クビにすることもできる」
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
「聖女様。あなたは人を救う立場でしょう?なのに救いを拒み、言の葉の刃で人の心を切りつける。俺は騎士として、あなたを守る義務がある。だが――人として、あなたを殴りたい」
おもわず本音が口を突いて出てしまう。
周囲の信者がざわめき、リュシエルは目を見開いた。
「……殴る?護衛が聖女を?」
「そう、鉄拳制裁だ」
俺は拳を振り上げ――寸止めした。
彼女の鼻先で拳を止め、風圧だけを与える。
リュシエルは硬直し、やがて小さく震えた。
「……怖い」
その声は初めて聞く弱さを帯びていた。
俺は拳を下ろし、深呼吸した。
「怖いなら、人を傷つけ怖がらせるような言葉を吐くな。拒むばかりでは、誰もあなたを守れない」
沈黙。彼女は視線を落とし、長い睫毛が震える。
やがて、信者の子供が再び近づいた。
先ほど拒絶された子だ。
リュシエルはしばらく迷った末、ぎこちなく手を伸ばした。
「……ごめんなさい。さっきは……」
子供の顔がぱっと明るくなる。
周囲の信者も安堵の笑みを浮かべた。
俺は心の中で快哉を叫んだ。
その後、彼女は少しずつ態度を軟化させた。
花束を受け取り、祈りに耳を傾け、物乞いにパンを渡す。
慈愛に満ちた……とは言い難いが、
少なくとも人を拒絶する氷の壁は崩れ始めていた。
帰路、彼女はぽつりと呟いた。
「……あなたの拳、まだ頬に残っている気がする」
「殴ってません。寸止めです」
「でも、心には響いた……」
その言葉に俺は思わず笑った。
こうして俺の任務は、奇妙な形で成功した。
鉄拳制裁――いや、寸止め制裁によって、
塩対応聖女は少しだけ人間らしくなったのだ。
修道騎士の俺は、
護衛対象を殴らずに改心させることができた。
それは騎士として誉められることではないだろう。
だが、人として伝えるべきは伝えたと胸を張れる。
翌日、団長に報告すると、彼は呆れ顔で言った。
「……お前、聖女に拳を振り上げたのか」
「寸止めです」
「寸止めでも前代未聞だ」
団長は頭を抱えたが、
聖女本人が「彼のおかげで人を受け入れられるようになった」
と証言してくれたため、俺は処罰を免れた。
それどころか、聖女は俺を
「信頼できる護衛」として指名したらしい。
団長はさらに頭を抱えた。
こうして俺は、塩対応聖女の専属護衛となった。
彼女はまだ時折辛辣な言葉を吐くが、
その後に必ず小さく「ごめんなさい」と付け加えるようになった。
とにもかくにも人は変わる。フルコンタクトではなく寸止めで。
いや違う。心からの想いで――だ。
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