キラとキララ

火猫

第1章「崩れたライン、沈んだ心」


 風が、切れていた。


 いや、本当は俺が勝手にそう感じていただけだと思う。


 思い出す最後は…最終戦、最終ラップ。


 カウルのスクリーン越しに見える世界は、ずっと俺だけのものだった。


 十八歳で国際A級。

 このクラスで電動二輪に乗ってる連中なんて、そもそも化け物じみている。


 その中でも俺――小鳥遊キラは、《天才》なんて呼ばれていた。


 呼ばれていただけ、っていうのは今だから言えることだ。


 レース終盤、最終コーナーのほんの一瞬だけ後ろを確認した。

 そのタイミングで、誰かのマシンが突っ込んでくる音がした。


「あ――」


 衝撃、そして視界がスパッと白くなる。

 次の瞬間、アスファルトの冷たさが背中に抜けた。


 そこで、すべてが途切れた。


 ***


 目が覚めたら、白い天井だった……ラノベみたいに、転生してたら良かったのに。


「……病院、か」


 どこかで聞いていた電子音が胸の奥に沈む。


 左脚が…じん、と痺れていた。

 動かせないわけじゃない、全く歩けないわけじゃない。

 けれど、なんというか…思った通りに反応しない。


 祖父に仕込まれた古武術で、身体は鍛えられている自負があった。

 反応速度だって自信があった。

 にもかかわらず、今の脚には《違和感》しかない。


 医者は言った。

「しばらく痺れは残るが、ゆっくり歩くには問題ない」


 つまりは…壊れてない、だけど《完璧じゃない》。


 俺みたいなやつには、それが一番厄介だった。


 ***


 退院しても、世界はやけに薄く見えた。


 チームメイトからのメッセージは優しいけれど…どれも「ゆっくり休めよ」「またすぐ戻ってこい」で埋まっている。


 戻る? 本当に?


 脚を触ると、微妙に痺れている場所がある。

 マシンに跨がる自分が想像できないし、しっかりとした荷重を掛けられる自信がない。


 それどころか、あの最後の瞬間の風景が頭の奥で何度も再生される…トラウマだ。


「……はあ」


 俺は、逃げるようにスマホを開いた。

 深夜二時。

 眠れない。


 You○ubeのおすすめに出てきた動画――それがすべての始まりだった。


《【LIVE】山葉キララ「Starry Dream」》


 アイドル?

 普段なら絶対に見ないカテゴリーだ。

 キララ?俺の名前に似てる。


 でもそのときは、何でもよかった。


 画面の中で、小柄な女の子が真剣な顔で踊っていた。

 バチッ、と切れのある動き。

 歌声は細いのに芯がある。

 真面目で、一つひとつの動きが丁寧なのがすぐ分かった。


「……何だ、これ」


 気づけば最後まで見ていた。

 感情がぐちゃっとしている状態で、一つだけはっきりしていた。


 《すげぇな、この子》


 そう思った。


 そこからは、まあ――自分でも笑うくらい泥のようにハマった、マジで…沼だ。


 ライブ映像、雑誌の切り抜き、バラエティで照れて笑う姿。

 全部が、今の俺には妙に刺さった。


 気がつけば深夜四時、いや明け方だな。


 布団の中からスマホの青白い光だけが浮かび上がる。


「……助けられてる気がするな、俺」


 ぽつりと呟いた直後だった。


 SNSのトレンドに、見たくもない文字が踊った。


《山葉キララ 引退を発表か?》


「……は?」


 開いた記事には、簡素な言葉で《活動終了の可能性》が告げられていた。


 理由は明かされていない。

 だけど、その行間ににじむものがあった。


 完璧を求めすぎて、限界に来ていた――そんな憶測ばかりが並んでいる。


 俺はスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。


 なぜか胸が痛かった。

 俺自身がレースを失って空っぽになったからだ。

 そういう自分と重ねてしまったのだろう。


「……辞めちまうのか」


 まだ会ったこともない、ただのアイドルなのに。


 けれどこの瞬間、はっきり分かった。


 俺はもう、この子が気になって仕方がない。


 推しとか、ファンとか、そんな言葉じゃ足りないくらいに。

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