傷まみれの承認欲求

区隅 憲(クズミケン)

傷まみれの承認欲求

 手首を切った白い腕は、いつも真っ赤な血が流れていた。

私は剃刀を皿の上に乗せると、スマホを起動してすぐに写真を撮影する。


『まみちゃんには、僕がついてるからね』

『大丈夫。病院に行かなくても、まみちゃんはおかしくなんてないよ』


 ブログを見に来るおじさんたちは、いつも私に優しかった。

顔も知らないし、素性も知らない。そもそも「おじさん」かどうかもわからなかった。

 

 床の上には、赤黒いシミがしたたり落ちている。

宅配弁当が散乱して、足の踏み場所がどこにもない。


 ――こんな光景、お母さんが見たらきっと悲鳴をあげるのだろう。

けど、あの家にはもう帰りたくない。

私があそこに帰っても、また入院させられるだけだから。


(あっ、きたきた!)


 私がブログに写真をあげると、いつものおじさんたちがやってきてくれた。

1分、2分と経つと、すぐにメッセージが掲示板に溢れ返る。


『今日も辛かったんだね。でも、まみちゃんがやってることは悪いことじゃないよ』

『身体よりも心が痛いよね。僕もよくリストカットするから、まみちゃんの気持ちすごくわかるよ』


 優しい言葉を目にして、私は小さく画面に微笑む。このブログでは私は姫だった。

私が手首を切れば切るほど、誰かが私を慰めてくれる。


 もうこの部屋からずっと外に出ていない。滑り止めの大学も辞めてしまった。

それでも私には、私の気持ちをちゃんと受け止めてくれる人がいる。

だから私は友達がいなくても、全然寂しくなんてなかった。


『今日もみんな見に来てくれてアリガトー☆ まみちゃんは今日も元気いっぱいに病んでましゅっ(*^_^*)』


 おじさんたちの言葉に励まされ、私は懸命に女の子らしいメッセージを打ち込む。

こうして可愛いアピールをすれば、おじさんたちはみんな喜んでくれる。

もう一度掲示板にメッセージが欲しくて、私は投稿ボタンを指をタップした。


(あれ?)


 けれど、急にスマホの画面が固まった。

ロード画面がくるくる回って、いくら待っても書き込みが完了しない。

私はおかしいと感じて、我慢できずリロードのボタンを操作する。


『このブログは現在ご利用できません』


 目がバツ印の恐竜とともに、そんなメッセージが飛び込んできた。

それ以外のオブジェクトが全くない、怖いぐらい無機質な画面。

色紙のような温かい言葉たちは、一瞬で見えなくなってしまった。 


 ピロンピロン


 ふいに、スマホの通知音が鳴った。耳をつく高音が混乱する私の頭の奥にまで響く。

私は灰色の画面を閉じ、メールアイコンに人差し指を置いた。


『ユーザー様のブログ閉鎖のお知らせ』


 そのタイトルが、太い文字で書かれていた。

中身を確認すると、誰かからの通報により規約違反が判明したため、アカウントを凍結したという内容だった。


(なんで? 今までこんなことなかったのに……)


 無音の部屋の中で、ぐわんぐわんと視界が揺れた。

ブログがなければ、おじさんたちとメッセージを交わせない。

私のことを肯定してくれる人たちとも会えない。


 どうしよう? どうしよう……。

食い入るように画面を操作し、新しいアカウントを作り直そうとする。

けど、「お客様は新規にアカウントを作ることができません」と警告メッセージが出て、もうブログを利用できなかった。


 どうしよう? どうしよう……

傷だらけの手首から腕を伝い、ポタポタと血がしたたり落ちる。

いつの間にか、床には真っ赤な水たまりができていた。

それでも私は止血する時間も惜しんで、新しいサイトを探し求める。



〝誰か、私のことを見て――!〟



 私はSNSでアカウントを作り直した。

今まで他人のキラキラした自慢が嫌で、ずっと避け続けたサイトだった。


 けど、どんなメッセージを送ったらいいのかわからない。

腕を切らなければ、私は誰かとコミュニケーションすることができない。

自分を傷つけなければ、私は誰かと繋がることができない。



〝誰か、私のことを見てッ――!!〟



 投稿する内容がわからなくて、私は自分の血塗れの腕をアップロードした。

いつもなら、おじさんたちがすぐに反応を返してくれる写真。


 けど、あげてもあげても何の返事もかえってこない。

1分、2分、3分、4分……30分経っても、何の反応もかえってこない。


〝誰か、誰か――私のことを見てッ!!!〟


 いくら写真をあげても、優しい言葉が届かない。

私を慰めてくれる人が、もうどこにも見つからない。



〝このぐらいの傷じゃ、みんな見てくれないんだ〟



 押し潰されそうな胸の中、私はひとつの答えを導き出す。

だから私はもう一度、血塗れの剃刀を手に取った。




 数日後、私は病院のベッドで寝かされていた。

眠りに落ちていた瞼を開けると、お母さんが眉をひそめて私を見下ろしていた。


「……まみ」


 そうただ一言だけ呟くと、すぐにお母さんは私から目を逸らした。

怒ってるような、けどどこか同情をにじませたため息。


 頬に手を当てると、ジンジンと痛みと熱が伝わってくる。

窓に目を移すと、そこには顔を包帯まみれにした女が映っていた。



 









 

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