第19話 原初の目覚め、揺らぐ意思
住宅街の影をすり抜けるように、
蒼月凛と白音夕奈は走り続けていた。
息が切れ、肺が焼けるように痛い。
けれど白音は凛の手を離さない。
凛も離す気はない。
夜風に混じって、
背後から一定のリズムで“足音”が追ってくる。
カツ……カツ……カツ……
追われているのに急いていない。
その“落ち着きすぎた足音”が、
逆に凛の恐怖を煽った。
白音がふと振り返った瞬間、
その表情が凍りつく。
「蒼月くん……!
だめです……もうすぐ追いつかれます……!」
凛も振り返る。
ユウリがいる。
たった数十メートル後ろを歩いている。
歩いているだけ。
それなのに──
距離は縮まり続ける。
凛の呼吸が浅くなる。
(……逃げられない。
このままじゃ……白音さんが……)
胸の奥の熱が暴れ出す。
白音はすぐにその“異変”を感じ取った。
「蒼月くん……!
だめ……だめです……!
今進化したら……身体が耐えられません……!」
凛は走りながら必死に息を整えた。
「でも……
白音さんが、危ない……
俺のせいで……!」
白音は苦しげに叫ぶ。
「違いますっ!
蒼月くんのせいじゃないっ……
私が……勝手に側にいるだけ……!
だから、お願い……!」
凛の胸が締めつけられた。
走り続ける脚が震え、
胸の奥で何かがぎしりと音を立てた。
(守りたい……白音さんを……
これ以上巻き込みたくない……
逃がしたい……)
その強い感情が──
進化因子を刺激し始める。
白音が苦しそうな声で叫んだ。
「蒼月くん……!
あなたの“進化”は……傷ついたり怒ったりする時より、
“誰かを守りたい時”のほうが強く反応するんです……!」
凛は目を見開く。
(……そうなんだ……
俺は……守りたいって思うと……進化しちまう……)
ユウリの足音が近づく。
カツ……カツ……
白音は凛の前に回り込むように立ち塞がり、
苦しそうに震える声で言った。
「蒼月くん……
あなたを守るのは私の役目です……
だから……進化しなくていいんです……!」
凛の心がまた痛んだ。
(白音さんが……
震えてる……俺を守ろうとして……)
白音は凛の胸に両手を当てた。
その指は冷たくて、震えていて……
それでも諦めていない。
「蒼月くん……
昨日も……今日も……
あなたが苦しむのを見るのが……本当に嫌なんです……」
ユウリの声が近づいてきた。
「……もうすぐ……追いつく……」
その無機質な声が、
白音の肩を震えさせた。
守られようとしている白音を見て──
凛の胸に、強烈な感情が生まれた。
(……守られてるだけじゃ……だめだ……
俺が守らなきゃ……
白音さんを、これ以上……傷つけたくない……!)
その瞬間──
胸の奥で“何か”が音を立てて弾けた。
白音が凛の腕を掴む。
「蒼月くん……っ!
落ち着いて……!
深呼吸して……!」
だが凛は震える声で答えた。
「──守らなきゃ……
白音さんを……俺が……!」
白音の瞳が大きく揺れる。
「ちが……っ……
蒼月くん、それは……!」
しかし、それはもう遅かった。
凛の視界が“赤”に染まる。
心臓の鼓動が、耳の中で爆音のように響く。
指先が熱を帯び、
胸の奥の“原初の核”がドクンと脈打った。
白音が凛の頬を両手で押さえた。
「蒼月くんっ!!
戻って……!
お願い……!
あなたが消えてしまうみたいで……怖い……!」
凛はぎり、と歯を食いしばる。
自分が“何か”に飲まれそうなのに、
それでも心だけは必死に踏みとどまった。
(……消えない……
白音さんを……守るって……
それだけは……意識を……!)
ユウリの足音がすぐ後ろまで近づく。
白音が背中越しに叫ぶ。
「こないでぇっ!!
お願いだから……!!」
その声が、
凛の最後の枷を決定的に外した。
“守りたい”という強烈な感情が、
進化因子に火をつける。
凛の全身から目に見えない“圧”があふれた。
空気が歪む。
街灯の光が揺れる。
影がぶれる。
ユウリが足を止めた。
「……これが……“原初”……」
白音は凛の腕を抱きしめ、
必死に小さく呟く。
「だいじょうぶ……
蒼月くんは……蒼月くんのまま……
絶対に……私が止めますから……」
凛の意識はぎりぎりの縁で踏みとどまっていた。
(……飲まれねぇ……
俺は……俺は……)
そして。
凛は初めて“自分の意思で”力を動かした。
胸元の熱を押し出すように拳を握り──
「白音さんからは……
指一本触れさせない……!!」
大地が震えるほどの圧が周囲に広がった。
ユウリの白髪が揺れ、
彼の身体がわずかに後ろへ押される。
彼は表情のないまま、
初めてゆっくり後退した。
「……すごい……
理解できない……
でも……強い……」
白音は凛を抱きしめたまま震えていた。
「蒼月くん……
あなたは……強いんです……
本当に……」
凛の意識が揺れる。
視界が霞んでいく。
けれど──
ユウリは止まらない。
「……でも……命令……だから」
再び、歩き出す。
その瞬間、
凛の奥で残っていた力が暴れ、
視界が真っ白になった。
白音の叫びだけが、
かろうじて届いていた。
「蒼月くんっ──!!」
夜の住宅街に、
圧と風と恐怖が混ざった衝撃が走った。
そして──
世界が歪む。
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