第20話 揺らぐ意識、その手を離さないで

世界が揺れていた。


蒼月凛の視界はぐにゃりと歪み、

街灯の光が長い糸のように伸び、

歩道の白線は波打って見える。


胸の奥で、何かが“脈動”していた。


鼓動とは違う。

自分の意思とは関係のない“別の心臓”が

身体の奥深くで脈打っているような感覚。


(……だめだ……意識が……)


凛の膝が崩れ、地面に片手をつく。


白音夕奈がすぐに駆け寄り、

凛の肩を支える。


「蒼月くん!!

しっかりして……! 戻ってきて……!」


白音の声は必死だった。

震えているのに、凛を支える腕だけは強かった。


凛は顔を上げようとするが、

視界がぐるりと回転し、また地面へ落ちそうになる。


(……これは……昨日の暴走とは違う……

“自分で力を使った代償”……?)


胸が焼けるように痛い。

血が熱い。

身体が自分のものじゃないみたいだ。


白音は凛の頬を両手で支え、

自分の額を凛の額に押し当てた。


その距離の近さに凛は一瞬だけ胸が跳ねたが、

それよりも白音の声が、ひどく切実だった。


「蒼月くん……聞こえますか……?

あなたは……あなたのままです……

力に飲まれないで……!」


彼女の声が、震えながらも真っ直ぐに届く。


その一言一言が、

揺れかけた凛の意識をつなぎとめる糸のようだった。


白音は続ける。


「蒼月くん……

あなたが“守りたい”と思ったからこそ、この力が動いたんです……

だから……守る心も、忘れないで……!」


凛は白音の肩にしがみつくように息を吐く。


「白音さん……俺……

おかしくなりそうで……

でも、あなたを……守りたくて……」


白音は凛の背に腕を回し、

震える声で言った。


「怖いのは……私だって同じです……

あなたが……消えてしまいそうで……

そのほうが……ずっと……怖い……!」


その言葉が胸の奥に深く突き刺さる。


(……白音さん……こんな顔を……

俺のせいで……)


少しずつ、身体の熱が冷めていく。


白音の言葉と温度が、

暴れる進化因子を押し戻している。


凛の呼吸がようやく整い始めた頃──


足音が止んだ。


白音が凛を抱いたまま、

恐る恐る背後を見る。


九条ユウリが、ほんの数メートル後ろに立っていた。


その顔には相変わらず感情がない。

ただ黙って二人を見つめている。


白音の声が低く震える。


「……これ以上は……絶対に近づかないで……!

蒼月くんは……苦しんでる……!」


ユウリはまばたきひとつせずに答えた。


「……苦しんでるの、わかる。

わかるけど……“捕まえる”ことと矛盾しない」


白音の腕に力が入る。


「あなた……っ……!」


ユウリはゆっくり首を傾けた。


「でも……今は“指示待ち”。

この状態の原初……触っても意味がない。

暴走の後は……効率が悪い」


その言葉に、白音の顔が青ざめた。


(……効率……

人間を“もの”として見てる……)


ユウリはポケットから小型の通信端末を取り出し、

無機質に言った。


「オメガに連絡する。

“原初、第一段階覚醒を確認”。

次の指示を──」


そのとき。


ピリッ、と空気が裂けた。


微弱な電磁のようなものが走り、

白音の背筋を震わせる。


ユウリが端末を耳にあてたまま、

珍しく眉をひそめた。


「……アカリ」


凛と白音もその名に息を呑む。


ユウリの耳に届くアカリの声は、

くぐもっているのに薄く笑っているようだった。


『へぇ……原初くん……やるじゃん。

自分から力を使うなんて……可愛すぎでしょ』


ユウリは静かに問う。


「次の指示は?」


少し沈黙があった。

その後、アカリは楽しそうに囁いた。


『……今は手を引いて。

その子、まだ“半熟”』


ユウリの瞳がわずかに揺れる。


「手を引く……」


『うん。

“取り頃”になるまでは触らないで。

壊れちゃうから』


ユウリは静かに端末を閉じた。


そのまま二人に向き直り、

淡々と告げる。


「……今日は帰る。

命令だから」


白音の肩から力が抜ける。


凛も、辛うじて意識を保ったまま息を吐いた。


ユウリは歩みを止め、

ふと振り返って言った。


「また来る。

あなた……“匂いが濃い”。

隠れても、意味ない」


そして夕闇に溶けるように去っていく。


白音は凛の背を支えながら、

震える声で言った。


「……蒼月くん……

帰りましょう……

もう……限界です……」


凛は白音の肩に体重を預け、

ようやく立ち上がれるほどに落ち着いた。


胸の奥で、まだ力の残滓が疼いている。


(……俺の“力”は……

守りたいって思うほど強く反応する……

でも……それは──)


白音を巻き込む。


白音を苦しませる。


白音を泣かせる。


凛は奥歯を噛んだ。


(……これ以上……

このままじゃ……だめだ……)


白音が優しく凛の手を握る。


「今日は……もう大丈夫。

あなたは……ちゃんと“戻ってきました”」


凛はその手を握り返し、小さく頷いた。


それでも胸の奥に残る痛みは……

力そのものではなく、

白音を苦しませた自分への痛みだった。


──遠く。


高層ビルの屋上で、朱音アカリが夜風に髪を揺らしていた。


彼女の唇は艶やかに笑っている。


「……ねぇ、原初くん。

その“自覚した力”……

もっと見せてよ」


夜風に溶けるように、

アカリの笑いが消えた。

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