【摩放浪婆】
卜部一行⑮
石畳の路地に隠れるようにして佇む小さなカフェ。
古びた外灯の支柱にはブリキの看板が貼られ『répétition』と店の名が掲げられていた。
ブリキとくすんだ水色のペンキが味を出していて、石積みの壁は
海の町に相応しい佇まいにかなめは思わずときめいた。
夕暮れと同じオレンジの明かりが、ひび割れがたくさん入ったアンティークガラスを通して外に漏れだす様に翡翠はカメラを向けてシャッターを切る。
「可愛い!」
「でしょ⁉ 気に入ると思った!」
和気あいあいとはしゃぐ女性陣を前に水鏡は店の看板を睨んで顔を顰める。
「フランス語だね。なんて意味だったかなあ?」
「どうせ分かりませんよ。知識人のフリをしたブタの戯言です。さっさと入りましょ?」
そう言って翡翠は悪戯っぽく微笑みかなめの手を引いた。
カラン……とベルの音が落ち着いた店内に響き渡る。
店主らしき年配の女性が手振りで窓辺のソファ席に二人を促した。
カウンターとテーブル席が二つ。ソファ席が一つだけの小さな店内には、観葉植物とタモ材の本棚があり、全ての調度品がアンティークや古材で作られたものだった。
「中もすっごく可愛い!」
「ほんと! 私の家もこんなテイストにしようかな?」
後から入ってきた水鏡がやれやれとため息をつきながらメニューを開いて言う。
「食べ物屋さんなんだから味が本質だよ? そこを見誤っちゃいけない」
「うわー水鏡先生ってこういうお洒落は分からない人だったんですね……」
「所詮は成金のブタですので人間様のセンスは難しいんです」
「ちょっと⁉ かなめちゃんまで⁉」
そんな話をしながら、かなめと翡翠はメニューに目を通す。
現像した写真のスクラップに手書きで商品名と説明、そして値段が描かれた手作りのメニュー表。
二人は悩んだ挙句、藻塩のキャラメルパフェと自家製檸檬ソースのバニラカフェをシェアすることに決めた。
「すみません」
そう言って翡翠が声を掛けると、店主の女性がにこりと笑ってやってくる。
「藻塩のキャラメルパフェと自家製檸檬ソースのバニラカフェを」
「あとお勧めのコーヒーをホットで三つおねがいします」
翡翠の注文の後に水鏡が付け加える。
こういうところなんだろうな……とかなめは密かに思った。
しばらくするとコーヒーのいい香りが漂ってきて、パフェがテーブルにやってきた。
背の高い少しだけ華奢な――そしてほんの少しだけ青い色味がついたグラスにはとろけるようなキャラメルとチョコ、そしてレモンとバニラマーブルがよく映える。
上に乗った繊細な焼き菓子を壊さぬように、長い銀のスプーンでアイスとソースの境を掬えば、たちまち二人の悲鳴にも似た歓喜の声があがった。
「美味しい⁉ キャラメルがしっかりほろ苦くて、藻塩とそのほろ苦さがアイスの優しい甘さを引き立てて完璧です!」
「かなめちゃん! こっちも食べてみて⁉ この檸檬のソース、酸味と香りのバランスが最高なの! それとバニラアイスにも藻塩が入ってると思う!」
水鏡はコーヒーに口をつけ「おっ?」と目を見開いた。
「これはなかなか……都会でも上位に入るいいコーヒーだね」
甘露とコーヒーを堪能し、三人は店をあとにした。
辺りはすっかり暗くなっていて夜空には白い星の瞬きが見え始めている。
「次は卜部先生誘って二人で行かなきゃね?」
耳元で囁く翡翠に、かなめは顔を赤らめつつも鼻を鳴らす。
「いいんです! また一人で行っちゃうし……! 先生には教えてあげません!」
「いいのかなー? そんなこと言って」
翡翠がまたしても意味深に笑った時、ちょうど三人は旅館の前に到着した。
向こうの薄闇の中にも同じように人影が立っている。
白檀の匂いが、夜風にのってかなめの鼻先をくすぐった。
「先生……」
その手には小さな包みが握られている。
男はそれをさっと袖の中に仕舞い、草履を鳴らしながら近づいて言った。
「藻塩とキャラメルの匂いがする……それに美味いコーヒーの匂いも」
「な、なんで分かるんですか⁉」
卜部はじっとりとした目でかなめを見下ろすと、ふいと顔を逸らして旅館の方に歩いて行った。
「飯だ。明日こそ情報を手に入れるぞ」
不機嫌そうな声が闇に溶けていく。
オルゴールの歪んだ音が、その声でなぜか、ほんの一瞬止まったような気がしてかなめは思わず闇を振り返る。
「思い出した!」
水鏡が声をあげて言った。
「〝répétition〟繰り返しだ!」
その声で再びオルゴールが歪んだメロディーを奏で始める。
最初から繰り返さるメロディーに、なぜかかなめは酷い不気味さを感じて身震いした。
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