音無家⑭
たった一つのその音で美空だけではなくその場の全員が凍り付く。
ずっと不遜な態度を貫いていた麗美でさえ顔を強張らせ何も言葉を発せずにいる。
一行は息を呑んで様子を窺っていたが、外から聞こえる虫とアオバズクの聲以外には、何も物音は聞こえなかった。
「動物かな……? ネズミとか……」
黒野が押し殺した声でつぶやいた。
「だよね? 神経質になってるんだよ」
みやびが無理やり明るい声を出した。けれどその声は明るいと言うよりは上ずっている。
黒崎は美空と闇の間に身体を割り込ませて後ろをじっと睨みつけていたが、その肩が小さく震えているのが美空には分かった。
そんな中、麗美が一人歩き出す。
「ちょっと……麗美……?」
怖い顔で近づいてくる妹に、美空はたじろぎ後退した。
その背中が黒崎にぶつかり、二人の肩がびくりと跳ね上がる。
その隙に麗美は姉の手から懐中電灯をひたっくり、後方に満ちる闇の方へと向けた。
「きゃぁあああああ……!」
みやびの悲鳴が廃墟の闇に共鳴する。
しかし照らし出された空間には誰もいなかった。
「馬鹿! いきなり叫ぶな! 見つかったらどうすんだよ⁉」
黒野がみやびの頭をはたいて言うと、みやびは手を合わせて謝った。
「ごめんって……だって怖かったんだもん」
美空は小さくため息をつく妹を見てわなわなと身体が震えるのを感じた。
麗美の手から懐中電灯をひったくり返して怒気を滲ませた声で言う。
「あんた何考えてんの⁉ 返して‼ 二度と勝手なことしないで‼」
妹は舌打ちして、俯き加減に美空を睨み上げた。
その目に籠る敵意に気付いて、美空はまたしても息を呑むことになる。
それでもなんとか妹を睨み返すと、妹はボソボソと聞き取りづらい声でつぶやいた。
「お姉ちゃんのせいじゃん……」
「何それ……? どういう意味⁉」
「さあ……」
そう言って麗美はみやびの方に戻っていった。
「早く行こうよ」
そう言ってみやびと歩き出す妹を見て、美空は分からなくなる。妹という存在が理解らなくなる。
「俺たちも行こう……ここにずっといない方がいい気がする……」
黒崎の言葉に諭されて、美空もまた歩き出した。
足音はもう数えない。
意味がないから。
ぞろぞろ、ぞろぞろと増え続ける足音を数えることに、もはや意味がないから。
誰も声に出すことはなかったが、全員がそのことに気付いているのは明白だった。
俯き、周りを見ないようにしながら、ただただ地下室へ続く道を歩き続ける。
無数の足音を引き連れて歩き続ける。
もう引き返すことは出来ない……
美空がそう思った時、突然右側の壁が途切れて新たな暗闇が産声をあげた。
「ひょぉおおおお……お……お……お……」
地下から吹きあがってくる冷たい風が頬を撫でる。
ちらりと顔を上げると、みやびと麗美、そして黒野が階段の下を見つめていた。
美空と黒崎も地下への穴を覗き込む。
壁から染み出した水でわずかに光る階段は、そのまま冥界に繋がっているように思えてならなかった。
「ここを行くの……?」
「うん……」
信じられない愚行だと美空は思う。
それでも周囲にこびりつく無数の気配の前では、愚行と知りつつも待っていることなど出来なかった。
三人が階段を進み始め、美空と黒崎もあと追う。
恐ろしいことに、足音の群れは地下へと付いてくることはなかった。
なぜ……?
その疑問が、恐ろしい想像を幾重にも引き出して止まない。
カビ臭い暗闇を懐中電灯の光で振り払いながら進むと、地下室の奥に五枚の白いお札が立てかけてあるのが見えた。
「あった……よかったあ……」
そう言ってみやびが自分の名前が書かれたお札を握りしめる。
美空と黒崎、麗美も同様に自分のお札を手に取り、ポケットの中に詰め込んだ。
「なあ……昼間来た時、こんなのあったか……?」
振り返ると、黒野がペンライトで床を照らしている。
そこにはスポットライトを浴びる小さな木箱が転がっていた。
「知らないよ……お札回収したんだしもういいじゃん⁉」
みやびがそう言って黒野のお札に手を伸ばした時、突然全ての明かりが消えた。
「きゃああああ!」
「うわっ⁉」
「おい‼ 悪ふざけも大概にせえや⁉」
みやびと黒野の驚く声と、黒崎の怒声が響き渡った。
けれど美空は思う。
これは悪ふざけではないと。
なぜなら、しっかりと握りしめていた自分の懐中電灯も消えているのだから。
「悪ふざけじゃねえよ……! うわっ……なんか足に当たった」
カラカラと何かがコンクリートの床を転がる音がした。
その音に紛れて、板バネが鳴るような高い金属音が、それも音階を伴って聞こえてくる。
同時に明かりが回復した。
一同が安堵すると同時に、薄暗がりの中で、キリキリ……キリキリ……と奇妙な音が聞こえてくる。
美空はその音に覚えがあった。
葬儀の夜に聞こえてきた、ゼンマイを巻く音……
その時、まるで導かれるようにして、黒野が音の方に光を向ける。
それに応えるように、ぽろん……ぽろんと曲を奏でて、錆びたオルゴールが回り始めた。
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