【螺子巻島】
音無家⑦
にわかに活気づく島の日常に新参者の美空も気がついていた。
軽トラックが何度も山を行き来し、あちらこちらで威勢のいい声が聞こえる。
家々は軒先に小さな祠とオルゴールを出し、オルゴールの隣には鮮魚を乗せた黒い皿が並んだ。
祠の細いしめ縄には紙垂が揺れ、不思議なことに皿の鮮魚には猫はおろか蝿も寄り付かない。
「ねえみやびちゃん、あれって何?」
バスの中から軒先を指さして尋ねると、みやびは「ああ」と気の無い返事をして説明を始めた。
「あれはね、ダガンポ様へのお供えだよ」
「ダガンポ様?」
聞きなれない名前に美空が顔をしかめると、やはりみやびは「そうそう」と何でもないことのように言った。
「もうすぐゼンマイ巻きのお祭りだからね。その準備。美空の家はやらないの?」
「やらない……ていうか、初めて聞いたかも……」
「そうなの? お祭りとかあるでしょ? 都会でも」
「あるけど、こういうのは無いかな……」
「ふーん」
都会に憧れているはずのみやびが示したその反応が意外で、美空はそれ以上話を聞くことが出来なくなった。
商店街では屋台の準備が進められている。
露店用と思しきの杉の丸太が至る所に積まれていた。
娯楽の少ない島にとって、ゼンマイ巻きのお祭りなるものは、きっと特別な日なのだろう。
その日一日、美空はぼんやりとそんなことを考えていた。
帰ったらうちはお供えを出さなくていいのか両親に聞いてみよう。
そう思って帰宅した美空を待っていたのは意外な光景だった。
「お父さん、お母さん、どうしたの……? その恰好」
未だ片付いていない引っ越しの荷物の中から喪服を引っ張り出してきて慌てる両親に美空が問う。
すると母は真珠を探して引き出しを漁りながら早口に言った。
「二軒隣のおばあちゃんが亡くなったんだって。大して付き合いはないんだけど、島じゃ葬儀は大事らしくて、みんなで通夜の準備から火葬まで手伝うらしいの」
「二人は制服で大丈夫だから、すぐ出られるようにしててくれ。父さんと秋美さんの準備が出来たら家を出るから」
そう言ってバタバタと準備を済ませ、二軒隣と言っても、少し離れた場所に建つ故人の家へと音無家は連れ立った。
行灯が五つ並び、それぞれに違う五色の光が灯っている。
それだけとっても本土の葬儀とは異質な空気が漂っていた。
鯨幕は黒と白の割合が異様で、まるで白鍵と黒鍵が逆になったピアノの鍵盤のようで気味が悪い。
塀を覆い尽くす鯨幕の傍を通り過ぎると、キリキリと不気味な音がして、次いでオルゴールの旋律が聞こえた。
ゼンマイを巻いてたんだ……
美空がそのことに気付いたの同時に、塀が途切れて玄関口が露わになる。
開け放たれた戸の前には名簿が置かれていた。人はいない。
一言も言葉を発さずに手早く記名して中に入ると、近所のおばさんが近付いてきて小声で言った。
「来てくれたのね。ありがとね。分からないことばかりだろうから、式が始まるまでそこで座っててくれたらいいからね」
襖を取り払った和室には黒い座布団が並んでおり、その奥には五色の布が垂れ下がる祭壇が設けられていた。
棺の横には見慣れない銀の水盆が鎮座している。
わずかに見えた気がした医療器具めいた刃物に、美空はぞくりと背筋が粟立ったが、気づかなかったことにして座布団に正座した。
さすがの麗美も故人の前では減らず口を封印しているらしく俯き加減で黙っている。前髪に隠れて表情はよく見えない。
やがて参列者で座布団が埋め尽くされ粛々と葬儀は始まった。
火鉢のような金属の鉢を僧侶とも神主ともつかない黒衣の男が叩くと、まるで深い穴の底から響くような重たく粘着質な音がごぉん……と響いて、参列者たちは一斉に手を合わせた。
周囲に倣い慌てて美空も手を合わす。しかしそこから始まった儀式は想像を超えるものだった。
お経? なのかどうかも怪しい呪文のようなナニカを唱えながら、最前列の参列者たちが順々に立ち上がっては座り、跪いてを繰り返す。
それは一定の回を終えると次の列に移り変わって、どんどん音無家が座る列へと迫ってきた。
「ミチビキヤミチビキヤデースマホロバアイヤアイヤクロスケダカンポウ」
ごうん……ごうん……と繰り返す鉢の音と繰り返される呪文のような経。
そしてジャリジャリと耳障りな音をたてる数珠に、オルゴールが重なる。
見よう見まねで立っては座り、跪きを繰り返しながら、美空は先ほどから自身を苛む頭痛に耐えていた。
音が、気配が、声が、三半規管を蝕み入り込んでくる。
そんな姉にいち早く気付いた麗美が小声で囁いた。
「お姉ちゃん大丈夫……?」
返事もままならず、とうとう酷い吐き気に見舞われ席を立とうかと思ったその時、ピタリと音が止み、会場は水を打ったような静けさに包まれた。
「それでは、儀式に移る前に、個人へのお別れとご焼香を賜りたく存じます」
その言葉で会場の空気が変わる。
先ほどまでの真剣さとは打って変わり、啜り泣く声や、歓談する声が広がった。
オルゴールもいつのまにか式に相応しくショパンの別れの曲に変わっている。
一人、また一人と祭壇に出向き、お焼香をあげて故人に花を手向けていく。
「さあ、僕らも行こうか」
そう言って父が立ち上がり、美空達はその後に従った。
「ありがとうね。あんまりお話したことはないと思うけど、お顔を見てあげてね?」
そう言って喪主の女性が涙を流す。
美空は会釈して促されるままに棺を覗き込み、思わず叫びそうになった。
「ひゅっ……」
短い息を呑み込んだきり、酸素が入って来ない。
眩暈がした。
ゲラゲラと嘲笑うような声が聞こえる。
天井が回転している、渦を巻いている。
その奥に得体の知れない何かの影が見える。
真っ赤な目が、渦の奥から自分を見据えている。
その記憶を最後に、美空は床に倒れ込み、意識を失った。
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