カンヴァセーション

亜君

会話

私は会話が苦手です。


私は子どもが苦手です。



私の中で、この2つはほとんど同じことで、精々蜜柑とオレンジくらいの違いしかありません。結構違うでしょうか。


両者とも人間の間に生み落とされ、人間によって育てられます。育ってもらうのは大変結構なことですが、一方で抑えが効かないことがままあります。およそ人々が予想だにしない振る舞いをすることがあります。かと言って結局単純だと思わされることもあります。このいい加減さに振り回されるのが良いと言う人も中にはいますが、私には正直よく分かりません。



私は会話が苦手です。


嫌いではないのです。苦手なのです。


私の他にも、そのようなことを言う人は割といます。例えばこのような理由で。


「おはよう」この言葉を発するのに一体どれほどのリソースを消費しているかを考えたことはあるでしょうか。

まず相手は挨拶するに値する相手かを判断します。喧嘩した後だったら、関わりたくない相手だったら、そもそも赤の他人だったら、挨拶なんてしないこともあるわけです。では挨拶をすると判断した後、どんな言葉で挨拶をするかを決めることになります。「おはよう」「おはようございます」「おっす」「うぃっす」「うぃーっす」「ねえ」「Good morning」あらゆる選択肢から一つを選び取ります。

そしてここまでなんとか進めることができたとして、次は実際に声に出すという一大イベントが待っています。選択した言葉をもとに脳が指令を出し、各器官が刺激を受けて準備を始めます。息を吸い、お腹に力を入れ、声帯を震わせ、顎を動かし、舌の位置を微妙に変えながら、正確に発音する必要があります。ここで少しでも調整を誤ると、意味の取れないただの呻き声が出力される可能性があるので注意が必要です。

その後も発された言葉は振動として空気中を伝播し、何を振動させているかといえば空気中の分子であって、相手の鼓膜というぽつんと佇む絶海の孤島に向けて大海原を旅していくのです。乗組員は同心円状に広がり、限られたクルーだけが手紙を入れた小瓶を片手に上陸することが叶うわけです。当然船の勢いが小さすぎると、途中で波にさらわれ消えていくこともあります。こうして一方的ではありますが、「おはよう」をやっと相手の鼓膜に届けることができます。相手がそれを認識するか、返事を寄こそうと判断するかはまた別の問題です。


与えられた体を上手く使っているのだと言われれば聞こえはいいですが、非常に回りくどく七面倒くさい段階を無闇に踏んでいる感は否めない印象です。


しかしこんなことを考えている人間は実際どこにもいないらしく、そこにいつも驚かされます。人間の行動原理を紐解くと、必ず巨大なブラックボックスが立ち現れるのでした。



「阿吽の呼吸」という言葉を知ってから、人々がみなそうできればいいのにと考えていました。自分の思考をそのまま相手が受け取れるに越したことはないと考えてきました。

なぜわざわざ自分の気持ちを一度言葉に焼き直さなければならないのか、さらに場合によっては婉曲表現とかいうギフトラッピングを施し配送しなければならないのか、私はそれを非効率的なコミュニケーションツールだと判断しています。



そんな中で、会話が減りつつあります。これは別に冷え切った家庭とかそういった類いのものではなく、世界規模で起こっていることです。人々は徐々に必要最低限以外の会話を交わさなくなってきています。私にとってはとてもありがたいことですけど。


「おはよう」なんて勿体ないと言って、いつしか人間はどこか本能のようなもので挨拶をしなくなりました。厳密に言えば会釈や握手で済ませています。ボディランゲージや文章によるメッセージはむしろ増えつつあるのが不思議なところです。


日に日に人間は会話をしなくなっていきました。なので必然的に言葉を発さなくなっていきました。全く話さないわけではもちろんありませんが、会話は精々多くて一日に一回か二回が関の山といったところでしょうか。



私にとっては夢のようなことですが、多くの人はこれを由々しき事態と捉えているようです。会話という一番身近なコミュニケーションが消えかけていることに恐怖を抱いている者も少なくありません。私もそういう気持ちが無いわけではないのですよ。そもそもこうなってしまった原因もよく分からないので、対策のしようがないのです。


しかし人間はしぶとい生き物です。人類という種として、害虫なんかよりよほどたちが悪い。会話ができないのであれば、他の手段で代替すれば良いとするのは自然な流れですが、会話の担っていた「意思伝達の速さ」「伝達する情報の量と種類の多さ」は、今残っているどのコミュニケーション方法でも代替は難しいことが分かっています。そうなればどうするか。



人間は、新たなコミュニケーションを作り出そうとしています。


いえ、人間は新たなコミュニケーションを作り出しました。



そして私は「そうですか、頑張ってください」と踵を返して家に帰ることができない立場に置かれました。


というのも私は、新たなコミュニケーションを作り出す役割を仰せつかったのです。当然私だけでやり遂げられるものではないので、数えきれない方々の援助を受けて。



結果生まれたのがこれです。


今この場にいるあなたたちの身に起きているその現象こそが、その結果なのです。


先ほども申し上げましたが、これが新たなコミュニケーションです。この先の未来を照らす希望の光です。会話と同じ要請を満たし、さらに会話よりも正確で、曖昧さを回避したつくりになっています。



無駄話をしすぎましたね。そろそろ本題に入ります。

では、これからそのコミュニケーションの内容を、その手法を通して説明させていただきます。




 そういった旨の思考が、概念が、その場にいる人々の頭の中へ流れて行った。

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