第6話 それは余興ではなかった

 広間の外、妙な怒号や何かを壊すような音にアンドリューとリュカスが扉に近づく。同時に、蹴りを入れたかのように扉が無理やり外から開けられた。


「全員動くな!」


 怒声が大広間ルクス・オルビスに響いた。

 ヴィクトリアを始め、カリウスも取り巻きも誰もが目を向けた。

 開け放たれた広間の扉。

 そこには黒い衣服で身を包み、外国で使用されている自動小銃を所持した集団がいた。数は十人ほどだろうか。いずれも仮面を着け、その上からフードを被り顔は見えない。


「誰だ、てめえら! 宴会芸ならお断りだ!」


「そもそも道化師の出番はありませんよ。出直して貰いたい」


 声を上げるアンドリューに続き、リュカスの言葉が続く。

 今回の夜会の実行委員を担当していた二人は突然入場してきた部外者を威圧する。

 部外者は冷静に構えた銃を広間の窓に向けて撃った。


 ダダダダッ──!!

 悲鳴が上がる。割れた窓からは雨水が入り込み、強風がカーテンを揺らす。

 外はあいにくの暴風雨だ。

 その雨風がヴィクトリアの頬を撫で、わずかに怒りで荒れ狂う頭を冷やした。


(重力魔法は完全に解除されたわね。でも、この雨に銃なんて……)


 女子生徒を背後にしたアンドリューなどの男子生徒は一歩も引かない。

 寧ろ外の雨を見て、次に部外者が持つ銃を見て、小馬鹿にするように笑う。


「外は雨なのに、そんな玩具を俺たちに向けてどうするんだ? そんな物を持ってきたってことは平民だろ? 学園に忍び込んでテロリストごっこか?」


「……我々は亜人解放連合である。決して子供の遊びではないと言っておこう」


 淡々とした、冷たく感情のない声音だった。

 その雰囲気と構えた銃火器に静寂が広がる。

 唯一、楽士が外の強風と雨音に合わせるような音楽でプロ根性を発揮する。

 その状況下で、最も前にいた仮面の男が冷たい声を発した。


「我々の要求はいくつかある。貴様らの所有する使い魔──魔族と呼んでいる亜人たちの解放と拉致を行った祖国への返還、そして腐敗した教会の解体と現政権の退場だ」


 それは学園の学生ではどうにもならない要求だった。つまり叶える気の無い物だ。

 ここにいる子息令嬢の親ならば不可能ではないかもしれないが──

 案の定、アンドリューは眉を逆立て、自ら銃口に近づいた。


「はあ!? なんで奴隷を──」


 それを見るヴィクトリアは嫌な予感を抱いた。

 王国の雨や霧は魔粒子を含んでいる。魔道具や魔法の威力を上げ、外国の電子機器や銃火器などは性能が低下するのだ。

 その自然現象が王国を守り、侵略者たちを退けてきたことは常識だ。


 更に、この場にいるのは魔法を学ぶ生徒たちだ。

 最低でも下級の防御魔法は習得しているから銃に撃たれても問題ない──


「警告はしたぞ」


 全ての思考を切り裂くような銃声音が響いた。


「要求が叶えられない場合、我々が行うことは貴様らの命を使い、王族と交渉することだ」


 床に背中から倒れ込む赤毛の男、その床に赤い液体が広がる。

 小さく身体を痙攣させるアンドリューは一瞬、ヴィクトリアと目が合い、硬直した。


(……死んだ)


 脈を確認していないが分かった。バカな正義感をかざした男が撃たれて死んだ。

 先ほどまで敵だった男の末路に、しかしヴィクトリアは嬉しくなかった。


(わたくしの復讐相手を……勝手に……殺した……)


 アンドリューが死んだというのに、誰も動こうとはしなかった。

 誰もが凍り付いて、倒れたアンドリューに期待の目を向ける。これは余興だ。恐らくは第二王子を楽しませる為にあの集団を呼んだのだと。

 ……だが、もうそんなことをしている場合ではない。


 あのテロリストは恐らく本物だ。

 戦うよりも逃げた方が良い。ヴィクトリアはゆっくりと後退する。


「アンドリュー……? おい、起きろ。そういうのは良いから。起きろよ!」


 動かなくなったアンドリューを信じられないような表情で見たリュカスは茫然と告げる。


「ここは魔法学園だぞ。銃なんて平民の武器が効く訳が……」


「技術の発展は日進月歩。この国の雨や霧も所詮は自然現象。いずれは突破できる」


「こ、ここは王都だ。こんなことをしても無駄だ。すぐに憲兵が騒ぎを聞いてくる」


「もう来てる。下まで逃げれば助かるかもな。ただ、それまでに何人死ぬんだろうな?」


 リュカスの頭に銃口を突き付けられる。

 悲鳴を上げることも、回避しようとすることもできた筈だ。だがリュカスがしたのは彼の背後で青褪めた顔で強張る第二王子を見ただけだった。


「殿下……お逃げ──」


「そいつが王族か」


 二度目の銃声で広間は大混乱に陥った。

 扉に殺到しようとする下級貴族や平民に連中は銃を向け、引き金を引いた。


「無論、我々に抵抗するなら容赦はしない」


 ダダダダダ!!

 容赦の無い銃弾の数々がこれまで学んだ術を活かすことなく学生たちを撃ち抜いていく。むわりと漂う死臭と血の匂いは残酷なまでにヴィクトリアの肺を満たした。

 ヴィクトリアはテーブルを倒して身を潜めると、頭を回す。


(下級の魔法では貫通される。最低でも中級か上級が必須ね。……飛び降りるか)


 逃げることは恥ではない。

 中級以上の魔法を習熟していた生徒は小型の使い魔を召喚して魔法で反撃している。知り合いも賢明に戦っている。

 では、ヴィクトリアも戦うか。いや、戦う義理など欠片もない。この隙に逃げるべきだ。


(あとはタイミングね)


 上空にあったシャンデリアや窓ガラスが割れていく。

 大理石は穿たれ、軽食が床に散らばる。

 下級しか使えない劣等生たちはあっけなくテロリスト集団の餌食になっていた。


「俺のッ、右腕……ぁぁッ!!」


 まだ生きていたらしい。運のいい奴め。転がるようにヴィクトリアのテーブルにカリウスが転がり込んでくる。

 そのあまりの無様さに舌打ちする。

 右腕の手首から先がいつの間にか失われており、みっともなく泣いていた。闘技祭では中級魔法を扱っていた筈だが、実際の戦闘ではなんて役立たずなのだろうか。


「うで、うで、うで……」


 元婚約者は無視だ。仮にも王族なら腕一本吹き飛んだくらいで死ぬことはない。

 放置して周囲を見渡す。

 勇ましく戦い射殺される学生たちが床を転がる。撃たれた患部を手で押さえ、恐怖を瞳に浮かべ、父や母の名を叫び、啜り泣いている者もいた。


 その光景に息を止める。

 ヴィクトリアまで助けを求めて泣いてしまう訳にはいかなかった。

 兄のクリストファーは領地で領主代行として仕事に勤しんでいる。父のヴィンセントは今日も王宮勤めだ。国や領地の為に命を捧げることはできても、ヴィクトリアの為に業務を投げ捨てこんなところに助けに来ることはない。

 こういう時に守ってくれた母のジュリアナも、もういない。


「……ッ」


 だからヴィクトリアは一人で近くの窓を目指した。

 割れた窓。

 あそこから地面に降りた方が生存の可能性は高い。幸い着地用の浮遊魔法は習得している。中級の防御魔法を自身にかけた状態で走った。


(銃声が止んだ。弾倉交換? この一瞬なら……!)


「──あたくしもそう思ったところよ」


 突然、脚を地面に縛り付けるような重みが落ちて、転んだ。

 撃たれたのかと思ったが、違う。この感じは重力魔法だ。脚だけに掛けるという技でヴィクトリアを転ばせて、囮にしたのだ。


「あら、ごめんなさい。でも、聖女であるあたくしと違って、悪女であるあなたの最期に相応しいでしょう? 我らが女神カオスは言っていたわ、あなたは犠牲になるべき人だって」


「……ぁ、ぐ」


「死んで。死んで、あたくしを助けなさい」


 窓を抜けて、使い魔に抱えられたセレナは戦うことなく離脱した。

 対してヴィクトリアは無様に転んで、注目を集めてしまった。

 セレナに囮にされ、テロリストの一人に銃口を向けられた。


 隠れていればもう少し生きられただろうに、ともうひとりの己が冷静に語り掛けてくる。自棄になり、遂には運にすら見放されたのだと。

 その所為でヴィクトリア・ブラッドベリーは無駄に命を散らすのだと。


 屈辱を与えられ、公衆の面前で謝罪を強いられ、頭を下げさせられて。

 多分だが、もう助からない。そう思ってしまった。


 嫌だ、と思った。

 復讐もできず、ここで負け犬として死ぬこと以上に、母に助けて貰った命をこんな所で散らすことが、一番嫌だと思った。

 ヴィクトリアはこの状況下で初めて恐怖を覚えた。


(……そういえば)


 走馬灯のように記憶が蘇る。

 あの日、ジュリアナの他に、ヴィクトリアを守ってくれた魔族がいた。あれから調べたがあんな触手を使う魔族は存在しなかった。

 あれはただの偶然だったのか、あるいは何かの意思を伴って行ったのか。

 結局、あれから会うことも無くいつの間にか忘れていた。


(わたくしは──)


 咄嗟に震えを誤魔化すように手のひらを握り、目を閉じる。その時だった。

 銃声を呑み込む雷鳴が轟き、白い光の中で風が吹き荒れる。広間全ての窓が割れた。

 いつの間にか、誰かの腕の中にヴィクトリアは抱かれていた。


「……?」


 最初に目に付いたのは灰色の髪だった。次いで漆黒の衣装。

 魔族特有の露出過多なドレスにヴィクトリアは思わず目を瞬かせる。


『──元気でね』


 雨音に声が聞こえた気がした。

 耳に残っていた声。頭に残った記憶が刺激される。


 ヴィクトリアを抱き上げているのは一人の女性だった。

 神秘的な美貌は人間の物ではない。

 周囲に向けていた顔がゆっくりと下がり、目が合う。


(……魔族)


 無機質な深緑の瞳がヴィクトリアを映し出し、女性は嬉しそうに微笑んだ。

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