第5話 悪役令嬢が目覚める日

 エリュシオン魔法騎士学園にある主塔、セレスティア塔には特別な広間が存在する。


 ルクス・オルビスと呼ばれる広間は、かつての王城エリュシオン城の名残を残し、これまで多くの夜会の場として活用されてきた。

 それは学園として再建された後も、行事用の特別な広間として使用されている。


「それでは、入学してまだ日が浅いにも関わらず、闘技祭優勝者となったカリウス・セレスタリア殿下……カリウス君の優勝を祝して乾杯!」


 学園の伝統行事『闘技祭』終了後に開催される夜会もその一つだ。

 身分を問わず全ての学生が参加できる場となっており、特別な作法も、豪奢なドレスや礼服も必要ない。学生服で十分だ。

 とはいえ、夜会と名のつく物に馬鹿正直に学生服で参加する者は金の無い平民くらいだ。基本的にはヴィクトリアを始め、貴族を中心に多くの者が着飾っている。


「カリウス様―!」「最高です殿下!」「やったな!」「おめでとう!!」


 学生たちはグラスを掲げ、自国の第二王子カリウスを拍手で称えた。


(……茶番ね)


 それを見てヴィクトリアは内心で笑った。

 今日の闘技祭は明らかにカリウスの為だけの作られた場でしかなかった。学園内では身分間の平等を謳うが、実際は不正の温床だ。

 金を握らせ、弱みを握り、権力や暴力で黙らせ、あの第二王子を忖度で優勝に導いた。最初から出来レース。何が伝統行事だ。聞いて呆れる。


(気づいていないのはカリウスくらいね)


 挨拶が終わると、学生の為の緩い夜会が始まった。

 ここで教師陣の大半は立ち去り、本格的に学生だけの夜会が始まる。


 蝋燭が揺らめき、空中には豪奢なシャンデリアが浮遊している。

 磨き上げられた白大理石には金箔で描かれた模様が広がり、学生たちは楽士たちの奏でる音楽に合わせて踊る。

 四隅には軽食のスペースが置かれ、踊りに参加しない者たちがカクテル片手に優雅に談笑していた。普段は話さない者も雰囲気に釣られて笑みを零す。


「……さて」


 来るつもりも無かった夜会に参加して、婚約者としての最低限の義理は果たした。

 一杯のカクテルを飲み干し、公爵家に取り入ろうとする子息令嬢たちとの会話を済ませ、同時に明るいテンポの楽曲が終わった頃だった。


「それで、わたくしを呼んでどんな茶番をしようと言うの?」


 カリウス・セレスタリア。この国の第二王子であり、戦争で亡くなった第一王子の代わりにヴィクトリアの婚約者となった黒髪の男だ。

 向かい合うヴィクトリアの声は大きくはないがよく通る。すぐに周囲の者が気づき声を潜めると、自然と広間は静まっていく。


「──ヴィ」


「茶番ではありません、ブラッドベリー嬢。殿下はあなたを断罪したいそうです」


 ヴィクトリアの剣幕に一歩下がるカリウスに代わり、左右にいる取り巻き──リュカス・アストリアとアンドリュー・シルヴァンが庇うように前に出る。


「ここに全学園の生徒はいませんが、下級貴族や平民も含め、有力な上級貴族がいるこの場での断罪こそが最も有効だと判断したまで」


「……断罪ねえ」


 青髪のリュカスは眼鏡を光らせ笑みを浮かべる。

 本人は知的な笑みと思っているのだろうが、媚びることしか能の無い陰湿な男の笑みには知能を欠片も感じられない。


「そうだ。あんたの陰湿さにはうんざりなんだよ! いくら家門が公爵でも、やることがせこいんじゃないのか」


「自分の正義感を振り回して他人を傷つける愚か者よりはマシよ」


「……なんだと」


 赤髪のアンドリューは正義を振りかざして人を叩くのが好きな男だ。

 自分が正義だと信じて敵だと思ったら誰であれ噛みつく猿だ。学園内だから見逃しているだけで、学園外で同じことをすれば一族郎党に処罰を下す。

 それを理解していない勘違い男の声だけは大きく、ルクス・オルビスに響く。不遜な態度に苛立つが、怒りを見せるのも馬鹿馬鹿しい。


 楽士たちは表情を変えない。これまでも多くの夜会で演奏した強者たちだ。

 真摯に楽器と向き合い、この雰囲気に相応しい音楽を奏でる。どこか重厚で嵐の前の静けさを予感させるような曲が始まる。


「あなたがこれまで行ってきた数々の悪行、その証拠が挙げられている。──真実を明確にしなくては。そのうえで罪を認めるべきだ」


 三文役者の如き過剰な動きで陰湿メガネの男は両手を広げる。

 そうしてリュカスはヴィクトリアの罪を口にした。

 自身の気に入らない女子生徒の物を隠し、陰口を周囲にも言わせ、取り巻きに噂を流させて評判を下げ貶める。更には公衆の面前での暴行に、制服を脱がせ、水を掛けて辱めた。


「他にもあります。彼女は家の権力を使い、相手の学生の家にまで押しかけ、圧力を掛けて一族郎党土下座を強いた!」


「更には殺人未遂だ! 階段から突き落として殺そうとしたらしいな」


 何が殺人未遂だとヴィクトリアは鼻で笑った。

 こうやって声を張り上げて下らないことを、カリウスの代弁者のように嬉々として語るから、社交界では第二王子の金魚の糞扱いされているのだ。


「何を笑って──」


「は?」


 赤毛の正義男が睨んでくるが、ヴィクトリアが睥睨すると先に目を逸らしたのはアンドリューだった。

 ……情けない。軽く睨んでこれだ。本当に騎士団長の次男か疑わしくなる。この国の将来は駄目かもしれない。


「しょ、証拠もあるぞ。匿名だが証人もいる。それも複数のだ」


「お前、バカなの? その証拠と証人にどれだけの力があるのかしら? 誰が信じるの?」


 周囲の反応は様々だ。

 小声で品の無い陰口を叩く者。アンドリューたちに感化されて罵声を浴びせる者。

 だが、そんな物は夜会で流れる音楽と一緒だ。喧しく品も無いが、社交界デビューをした頃から慣れたもので、鼻で笑ってダンスに興じることもできるくらいだ。


 そもそも罵倒や陰口で傷つくような、そんな殊勝な心を持ち合わせてはいない。

 見世物になるのも慣れている。

 カクテルのグラスをテーブルに置いて、ゆっくりと視線を上げる。


 夜会と一緒だ。

 ヴィクトリアの一挙手一投足に群衆は黙り込み、物言わぬ背景と化す。そうして少しずつざわめきは収まり、静けさを取り戻そうとしていたところで──


「可哀そうに。そこまでして注目を集めて殿下の寵愛が欲しかったのね」


 その言葉がヴィクトリアの癪に障った。

 言葉を吐いた令嬢を睨みつける。確かレスティナとか言ったか。レイモンド侯爵家の娘だが……匿名の一人はあの女の気がした。


「そういえば匿名ですって? 男にちょっかいを出して、木陰で腰を振るしかできない相手の出す証拠と証言に意味があると思って?」


「なっ……!?」


 レスティナの顔が朱に染まる。

 同時に、カリウスの腰巾着二人もだ。この反応は当たりだ。貞淑さの無い連中だ。なんて浅慮でみっともない。

 彼らが何かを言おうとした瞬間を突くように声が響く。


「まあ、随分とはしたないですね悪女様。あたくしの友人を虐めないで下さる?」


「……セレナ・ルミナリエ」


「ごきげんよう、ヴィクトリア・ブラッドベリー」


 レスティナを庇うように顔を見せるのはラベンダー色の髪の女だ。

 セレナ・ルミナリエ。白いドレスを着用したルミナリエ公爵の娘は、自身の取り巻きであるレスティナを抱き寄せると、慈愛の籠った笑みを周囲に振り撒く。

 微笑みに恍惚な表情を浮かべる信者や取り巻きの姿にヴィクトリアは鼻で笑う。

 相も変わらず聖女のような振る舞いが好きな腹黒女だ。


「貴族は貴族らしく、聖女は聖女らしく。……品位こそが全てですよ」


 気取った口調、いや本人としては聖女を装った口調と振る舞いでセレナは注目を集める。両手を祈るように合わせる彼女にカリウスが目を向ける。


「……セレナ」


「はい。殿下」


 その瞬間、セレナに向けたカリウスの瞳には熱があった。


「セレナは信じてくれるか?」


「殿下。言葉の真偽は重要ではありません。それよりもよってたかってヴィクトリア・ブラッドベリーを虐めるなんて、可哀そうではありませんか。まるで私刑ですよ。そのようなことは神が許しません」


 ……誰が可哀そうですって?

 憤怒に手を上げそうになるのをヴィクトリアは堪える。

 よく見ろ。あの聖女気取りを見るカリウスの目を。うっとりとしている。仮にも婚約者がいる分際で簡単に他の女になびく様を、どうして見せられなくてはいけないのか。


「……ですが、匿名が来るような淑女らしからぬことをされていたのも事実。それで、どうでしょうか、ヴィクトリア・ブラッドベリー。この場で一つ、謝罪されては? 喧嘩両成敗とも言いますし。この場で水に流して仲良くすれば神も──」


「嫌よ」


 ピクリとセレナの頬が引き攣った。

 誰が、お前の言う事を聞くものか。そもそも謝罪することなど何もない。とりあえず、で頭を下げるほど軽い頭をしてはいないのだ。


「……ヴィクトリア」


「気安く呼ばないでちょうだい」


 カリウスの目には失望が浮かぶ。

 ──何が失望だ。

 そもそもこんな場を用意して先に裏切ったのはお前だろうに。


「も、もういいんじゃないか。ヴィクトリア」


「……は?」


 ほら、この裏切者はいつもそうだ。

 悲し気な顔を作り、取り巻きに攻撃させ、弱ったところを優しくする振る舞いをする。それで何人の心を弄んだのか。そんなところで王族の血を見せなくてもいいものを。


「……ああ、殺人未遂の件ね。思い出したわ」


 そのくせ、ヴィクトリアには出会った時から怯えたような顔ばかりを見せるのだ。


「そ、そうか。なら、その子に謝罪してはどうだ?」


 あくまでこちらを悪者にする。いつも、そういう役を押し付けてくる。

 自分が裁定者であり、我儘で不遜で傲慢な婚約者を諫める。周囲にはそう見えているのだろう。

 ああ、気に入らない。優しいだけの男も、聖女気取りの女も。


「勝手に階段で転んだバカがいたわね。自分のどんくささを棚に上げて人に罪をなすりつけようなんて、どんな頭をしているのか疑問に思うわ」


「なっ──!?」


「そもそもお前に何の関係があるわけ? わたくしの言葉を信じず、つまらない他者の言葉に耳を傾け、仮にも婚約者であるわたくしを平然と悪人扱いするお前に」


「キサマ! 殿下になんて口を!」


「それこそ、わたくしの知ったことではないわ」


 ここにヴィクトリアの味方はいない。

 ヴィクトリアを見る周囲の悪意は膨れ上がる。今にも決闘を申し込まれそうだが臆することはない。


「わたくしを──」


「罪を認めましたね。ヴィクトリア・ブラッドベリー」


 会話の途中、急に身体が重くなり跪く。

 手を、膝をつき、カリウスたちの前に頭を垂れさせられる。尋常ではない力だった。


「ぐ──!?」


「本当はこのようなことをしたくはありません。ですが、やはりあなたのように不遜で、我儘で、殿下に対する不敬の数々を、多くの皆様の目に触れさせる訳にはいきませんもの」


 セレナを守るように突然出現した天使のような光の羽を生やした男がヴィクトリアに手をかざしている。

 あれは、セレナの使い魔だ。

 あの使い魔に重力魔法で無理やり床に伏せさせている。そこまでは理解できた。


「こんな、真似を──」


「誰も見ていないですよ? そうですよね、皆様!」


 大仰に両手を広げて、セレナは周囲を見渡す。

 上級、下級の貴族。そして平民。いずれも彼女の言葉に目を逸らす。中には薄っすらと笑う者もいた。数人ほど残っていた教師は楽士を見て、知らない振りを行う。


「可哀そうに。普段からもっと淑女らしくしていれば良かったのに」


「せ、セレナ。これ以上は……」


「あら? あたくしが何か悪い事をしましたか? 悪い事をしたら罰を受ける。ふふっ……間違っているのも、罰を受けるのも、ヴィクトリア・ブラッドベリー。そこの悪女ですわよ?」


 僅かに止めようという素振りもセレナの微笑で封殺される。

 そうして、カリウスに身を寄せて、何かを囁く。仄かに顔を赤らめたカリウスは覚悟を決めたように声を張り上げた。


「もういい。分かった。今まで我慢していたが今日までだ。君のような悪女とは付き合いきれない。カリウス・セレスタリアの名をもって、この婚約を破棄する──!」


 身体が重い。骨が軋む。

 見下ろされて、蔑まれて、断罪される。なんて屈辱だ。


「罪を認め、謝りなさい、ヴィクトリア・ブラッドベリー。あたくし達にこそ正しき光が寄り添い、あなたのような悪女は、あたくしの前で悔い改めなさい」


 身体中の熱で頭が沸騰しそうだった。

 言われずとも、この優しいだけの男とはいずれ婚約を解消するつもりだった。

 だが、この衆目の場で、無理やり頭を下げさせられ、辱められようとは。


「誠意のある謝罪を。そうしたら赦してあげる」


 カリウス。周囲に流されやすい愚かなお前は、きっと今回も誰かにそそのかされたのだろう。でも駄目だ。幼少から面倒を見てあげたというのに、とんだ裏切りだ。

 ──お前は許さない。その取り巻きもだ。

 魔法で動けないヴィクトリアの耳元で、セレナは囁く。


「それとも、薄汚れた平民の血を引くあなたは謝罪もできないの? いやだわ。どういう育てられ方をしたのかしら?」


 そして、侮蔑の言葉を母であるジュリアナにも向けたセレナ。お前は特によ。

 そして今、嘲笑った貴族も平民も教師もだ。


「……皆に謝りなさい。あなたが赦されるには神に祈るしかないのよ」


 両手を祈るように握り、そして醜悪な笑みをセレナはヴィクトリアにのみ見せる。


「たった6文字よ? ご・め・ん・な・さ・い、よ? あなた、前の夜会で一度も謝罪したことが無いとか言っていたそうねえ。良かったわね、今の内に謝ることができて」


 返答を求めるように重力魔法が弱まる。

 ゆっくりと身体を起こすと、嘲笑い、侮蔑するような視線が突き刺さる。


「……婚約の件、承知しました」


 拳を握る。溢れ出る憎悪と殺意を呑み込む。

 今は駄目だ。力任せに魔法を振るっても数の暴力で抑え込まれかねない。


「……ほ、本当に?」


 身体が重い。重力魔法も継続している。返答次第でまた床に沈めるつもりだろう。

 対してこちらは使い魔を所持していない。

 ……まさか、こんな場で堂々と使い魔の力を振るうとは。

 この状況を想定できなかった時点で詰みに近い。


「もちろんです。バカ殿下」


「バ……」


 だが、それがどうした。

 少しは女々しく怯み、捨てるなと媚びると思っていたのか。泣くと思ったか。

 それともいじらしく嫉妬を見せて優越感にでも浸らせると思ったのか。独占欲でも見せると思ったか。

 こんな痛み如きで、わたくしをバカにするな。


「わたくしは、許さない」


 これは誰も助けてはくれない世界への誓いで、呪いで、宣言だ。

 王族も貴族も平民も、腐りきった全員がヴィクトリアの敵だ。


「お前たち全員に復讐するわ──!!」


 高々と声を張り上げた。この場にいる全員に聞こえるように。

 そんな時、大広間ルクス・オルビスの外が騒がしくなった。

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