叱られ保育士と年下の女王達
七神の月
第1話叱られ保育士の誕生
朝、保育園の職員室。
壁の時計は開園前の静かな時間を刻んでいた。
二十代半ばの若手ばかりが並ぶ中で、
私――良介(りょうすけ)だけが、少し浮いて見えた。
大学卒業後に五年働き、30歳で保育士に転身。
年齢は上でも、ここでは私は“新卒一年目の新人”に過ぎない。
その立場の差は、容赦なかった。
書類にミスをすれば、遠慮のない声が飛んでくる。
「良介先生、またですか? ちょっとしっかりしてください」
休憩中には、笑いを含んだ軽い調子のからかい。
「良介くん、これも間違ってたよ?
私より年上なのに、どーして?」
年下からの叱責は、胸に鋭く刺さる屈辱で、
毎日繰り返されるそれは、心の奥を少しずつ摩耗させていくようだった。
疲れなのか、ストレスなのか――
この時の私は、その感覚の正体をまだよく理解していなかった。
***
唯一の癒やしは、教育係の桐原さくら先生だった。
物腰が柔らかく、誰に対しても穏やかな優しさを持つ人。
叱責で縮こまる私を見ると、必ず声をかけてくれた。
「大丈夫よ良介さん。最初は誰だって失敗するもの」
さくら先生の優しさは、
この園で働き続けるための唯一の灯台のように思えた。
――そしてそれこそが、私がこの園を選んだ理由でもある。
一年目の実習のとき、
皆が冷たい視線を向ける中、
さくら先生だけが庇うように寄り添ってくれた。
あの日の微笑みがなければ、
私は保育士を諦めていたかもしれない。
***
昼休み。
園の裏手にある駐車場へ、車に荷物を取りに行こうとした時だった。
「良介さん、ちょっといい?」
さくら先生が走り寄ってきた。
「昨日、あなたの車で相乗りさせてもらったでしょう?
その時、傘をトランクに置き忘れちゃって……」
「私が取ってきますよ」と申し出たが、
彼女は微笑みながら首を振った。
「いいの。気分転換したいから。鍵だけ貸して?」
いつも通りの優しさ。
私は迷いなくキーホルダーを渡した。
――そして、十分後。
戻ってきた彼女が手にしていたのは、傘ではなかった。
黒い、無地のDVDケース。
見ただけで、全身に冷たい汗が噴き出した。
さくら先生は、そのケースを机に静かに置いた。
タイトル部分は、彼女の親指で完全に隠れている。
ただ、その表情だけで、
中身がなんなのか――彼女にはすべて分かっていると悟った。
「良介さん?」
柔らかな声。
だがどこか、深く沈んでいる。
「これ……あなたの物よね?」
喉がひりつき、声が出ない。
さくら先生は、ゆっくりと指をずらしてタイトルを露わに――
しようとはしなかった。
代わりに、ケースを傾け、
“ジャケットの女性が年下の立場で男性を叱責する構図”だけを
私に見せつけた。
それで十分だった。
彼女は、私の顔をじっと見て言った。
「……なるほどね」
その一言は優しいのに、足元が崩れ落ちるような重みを持っていた。
「ふふ……やっと、わかったわ」
何が“わかった”のかを理解した瞬間、
心臓が跳ね、喉が焼けそうになった。
さくら先生は微笑んだまま、
私の耳元に顔を寄せる。
「良介さん。
これ――私に見つけられたかったんでしょう?」
その声は、今まで私が知っていたどんな彼女よりも優しいのに、
背筋が凍るほど冷たい甘さを帯びていた。
「ねえ……
これからは、私があなたを“指導”してあげる」
二重の意味を持つ“指導”という言葉が、
脳に焼き付くように響いた。
「周りには絶対にバレないように。
あなたが望む通りに――ね?」
私は息すらできなかった。
この瞬間、
私の秘密は暴かれただけでなく、
園で最も優しいはずの彼女に
完全に握られたのだ。
淡く微笑むその目の奥に、
抑えつけられていた欲望の影が
はっきりと、妖しく揺らめいていた。
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