第2話 屋上のプレゼンテーションと、愛が重たい手作り弁当

 昼休み。俺は指定された通り、屋上への階段を上っていた。


 普段、生徒の出入りが少ない屋上前の踊り場。重い鉄扉の前で、景山茉守は待っていた。

 彼女は壁にもたれかかり、何かブツブツと呟きながら、手にしたスケッチブックをすごい速さでめくっている。


「……想定問答集、パターンC。拒絶された場合……いや、まずはメリットの提示から……感情に訴えるより、論理的整合性で……」


 完全に自分の世界に入っていた。

 俺は声をかけるべきか迷ったが、意を決して近づく。


「景山さん」

「ひぃっ!?」


 彼女は脱兎のごとく飛び退き、スケッチブックを胸に抱きしめた。小動物のような怯えっぷりだ。さっき俺を呼び出したのは彼女のはずなのに。


「き、きき、来てくれたんですね……」

「まあ、大事な話があるって言われたし」

「あ、ありがとうございます。……その、時間、取らせてごめんなさい」


 彼女は深々と頭を下げた。前髪が揺れ、黒縁眼鏡がずり落ちそうになるのを人差し指で押し上げる。その仕草はどこかぎこちない。


「で、話って?」


 俺が促すと、彼女は「はい」と短く答え、深呼吸を一つした。そして、抱えていたスケッチブックを俺に向けた。

 そこには、太いマジックでデカデカとこう書かれていた。


『佐藤遥人氏における、失恋による精神的ダメージの回復、および生活の質QOL向上のための提案』


「……なんだこれ」

「プレゼン資料です」


 彼女は真顔で答えた。


「えっと……佐藤くんは現在、フリーですよね?」

「うっ……まあ、そうだけど」

「現在、佐藤くんの精神状態は著しく低下しています。自己肯定感の欠如、食欲不振、未来への絶望。これを放置するのは危険です」


 彼女はスケッチブックをめくる。次のページには、棒グラフと折れ線グラフが手書きで描かれていた。俺の幸福度指数の推移らしい。ここ最近で急降下している。


「そこで、私からの提案です。……私、景山茉守を、佐藤くんの『リハビリパートナー』として採用してみませんか?」

「リハビリパートナー?」

「はい。期間限定、お試し期間あり、解約自由。……佐藤くんが次の恋に進むまでの間、私が……その、寂しさを埋める係を、担当します」


 彼女の声が、最後の方で少し震えた。前髪の奥の瞳が、不安そうに揺れているのがわかる。


「寂しさを埋めるって……具体的に何するの?」

「……会話の相手、愚痴の聞き役、荷物持ち、課題の手伝い……あと、栄養管理」


 まるで家政婦か何かのような条件だ。俺は呆気にとられた。昨日まで挨拶もしなかったクラスメイトが、なぜここまでしてくれるのか。


「なんで、景山さんがそんなこと……」

「……メリットが、あるからです」

「メリット?」

「わ、私にとっても……人間観察の、いいデータになるので。……ウィンウィン、です」


 彼女は視線を逸らして言った。嘘をついている時の、典型的な反応に見えた。けれど、それを指摘する気にはなれなかった。なぜなら、彼女の耳が真っ赤だったからだ。


「……それで、えっと、手始めに」


 彼女は足元に置いてあった紙袋をガサゴソと漁り、包みを取り出した。可愛らしい猫の柄の風呂敷に包まれた、二段重ねの弁当箱だ。


「お弁当、作ってきました」

「えっ、俺に?」

「購買のパンじゃ、栄養が偏るから。……あの、毒とか入ってないです。味見もしました。……たぶん、美味しいと思います」


 彼女はおずおずと弁当箱を差し出した。

 断る理由はなかった。それに、朝から何も食べていなかったので、腹は正直に鳴っている。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 俺たちは踊り場の隅に並んで座った。

 弁当箱を開ける。その瞬間、俺は息を呑んだ。


「すげぇ……」


 そこには、彩り豊かなおかずが隙間なく詰め込まれていた。卵焼き、唐揚げ、きんぴらごぼう、タコさんウィンナー、そしてブロッコリーやミニトマトの彩り。ご飯の上には、海苔で精巧に切られた『おつかれさま』の文字。男子高校生の弁当というより、料亭の仕出しのような完成度だ。


「これ、景山さんが作ったの?」

「……はい。朝、四時に起きて」

「四時!?」

「……どのおかずなら、佐藤くんが一番笑顔になってくれるか、シミュレーションしきれなくて。確実にヒットさせるために、作れるものは全部詰め込みました」


 彼女は膝を抱えて、じっと俺を見つめている。

 俺は箸を取り、まずは卵焼きを口に運んだ。


 ――美味い。

 甘すぎず、しょっぱすぎず、絶妙な出汁の風味。冷めているのに、ふわふわとした食感が残っている。

 彼女の手料理なんて食べたことがなかった俺にとって、それは衝撃的な体験だった。


「……どう、ですか?」


 景山さんが不安そうに聞いてくる。


「美味い。めちゃくちゃ美味いよ、これ」


 俺が正直に感想を言うと、彼女の表情が一変した。パァアアア、と効果音がつきそうなほど、顔色が明るくなったのだ。口元はほころび、頬は緩んでいる。


「……よかった」


 彼女は小さくガッツポーズをした。

 その仕草が、なんというか、すごく可愛らしかった。普段の陰気なイメージとはかけ離れた、年相応の少女の姿。


「唐揚げも、食べてみてください。生姜醤油に一晩漬け込みました。隠し味に、蜂蜜も少々」

「うん、これも最高。店出せるレベルだよ」

「……ふふ。お店、出す予定はないですけど。……佐藤くん専属なら、検討します」

「え?」

「あ、いえっ! なんでもないです! 独り言です!」


 彼女は慌てて手を振って否定した。

 俺は苦笑しながら、弁当を食べ進める。箸が止まらない。胃袋が満たされると同時に、ささくれ立っていた心が、少しずつ凪いでいくのを感じた。


 ふと横を見ると、景山さんは俺を凝視していた。もぐもぐと食べる俺の口元を、瞬きもせずに追っている。その視線は、獲物を狙う肉食獣のようでもあり、飼い主を見上げる忠犬のようでもあった。


「……そんなに見られると、食べにくいんだけど」

「あ、すみません。データ収集に、夢中になってしまって」

「どんなデータだよ」

「……咀嚼回数とか、幸福度の推移とか。……あと、可愛いな、って」

「ん?」

「いえっ! か、かっこむ姿が、男らしいなって!」


 俺は不思議な気持ちになった。昨日はただの「隣の席の陰キャ女子」だった彼女が、今はこんなにも近くに感じる。

 彼女の言動は奇行そのものだけど、その根底にある真っ直ぐな何かが、俺の心に届き始めていた。


「ごちそうさま。本当に美味かった」


 完食して弁当箱を返すと、彼女はそれを宝物のように大事そうに受け取った。


「……明日は、何がいいですか?」

「え? 明日も?」

「リハビリは、継続が重要ですから。ハンバーグ、好きですか?」

「好きだけど……悪いよ、そこまでしてもらうのは」

「悪くないです。……私が、作りたいんです。……佐藤くんに、食べてほしいから」


 彼女は眼鏡越しに、俺の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、冗談や冷やかしの色は一切ない。真剣そのものの熱量。それに気圧されそうになりながらも、俺は彼女の提案を受け入れていた。


「……じゃあ、お願いします」

「! ……はいっ!」


 彼女が弾けるように返事をしたその時、予鈴のチャイムが鳴り響いた。


「あ、戻らないと」

「そうですね。……あの、佐藤くん」

「ん?」


 立ち上がろうとした俺の袖を、彼女がくい、と掴んだ。


「……その、リハビリパートナーの件、仮採用ということで、いいでしょうか?」


 上目遣いで見上げる彼女。その前髪の隙間から、またあの一瞬の美貌が覗く。俺の心臓が、ドクンと跳ねた。


「……ああ、わかった。よろしく頼むよ、景山さん」

「……はいっ! よろしくお願いします、遥人くん!」


 彼女は満面の笑みでそう言った直後、ハッと息を呑んだ。


「あ、あれ!? い、今、私……口が滑って……!」


 顔色が沸騰したように赤くなる。


「ち、違います! 脳内フォルダの名称が漏洩しただけで……! さ、さささ、佐藤くんです! 訂正します! 上書き保存します!」


 彼女はパッと手を離すと、脱兎のごとく教室へと走っていった。

 俺は一人、屋上の踊り場に取り残される。


「……脳内フォルダってなんだ」


 でも、遥人くん。その響きが、妙に耳に残って離れなかった。

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