第9話
*
時は遡り、アメリアが修練場へ来て怒号を散らす二時間ほど前。アイカは救世主として活躍する為の第一歩として、赤髪の少女—サリア・ルメシスから魔術の座学を受けていた。
彼女は斥候兵であり、基礎的な魔術知識を持ちながらもアイカと年も近く適任だという事で、アメリアから名指しで選ばれたのだ。
尤も、アメリアにとって数少ない気のおける友人であり、こんな直近で頼める相手がサリアしかいなかったというのは、また別の話である。
修練場の一角に机と椅子を広げた臨時教室は、相当な広さを誇る修練場において少し違和感を感じさせ、仮に生徒本人からしたら少しやりづらいような空間ではあるが、そんなこと気にする余裕はなく、アイカは険しい表情でサリアの話に耳を傾けていた。
「…と言うことです、理解できましたか?」
「ま、まぁ、一応はな」
「本当っすか?なんか自信なさげっすよ」
「だったら確認取ってみやがれ!なんでも答えてやるよっ!」
気合いの篭ったアイカに、サリアは揶揄うような視線を向ける。
「ほーう…だったら、問題出すっすよ?」
「かかって来やがれっ!」
「因みに、間違えたら今日の修練場掃除当番はアイカさんってことで、良いっすか?」
「はっ!望む所だ、アタシの記憶力の良さを思い知りやがれっ!」
「おーおー自信たっぷりで何よりっす、それじゃ、出しますよ」
サリアは手元の教科書をペラペラと捲る。因みに、アイカの前にも教科書は置かれているが、勿論、開かれてはいない。アイカには”イグニア語”が読めないからだ。
「第一問、魔術はどうやって発動する?」
「はっ!その程度、簡単に答えられるぜ!」
「はいはい、それで?どうやって発動するんすか」
アイカは胸に手を当て、自信満々に答えた。
「体の内側にある”魔力場”ってところで、魔術式を組んでから発動するんだろう?」
「ほう…第二問—」
「いや、ちょって待て。正解は教えてくれないのか?」
「正解は最後っす。全五問だしますから、そのつもりで」
「そ、そういうタイプか。まぁ良いだろう」
サリアは問題を続ける。
「第二問、魔術式はどうやって組む?」
「えーと…三十種類ある魔術言語を決まったやり方で、魔力場に並べるんじゃなかったか?」
「なるほどなるほど…第三問。イグニア連合王国において、今現在使われている一般的な魔術式の形式は何種類ありますか?全て正式名称で答えなさい」
アイカは唸り、先程受けた授業の内容を思い出す。
「えーと…確か、ゼス式、アマノ式、イグニア式の三種類だ」
「ほうほうほう…」
サリアは意味ありげに目を細め、不敵に口角を上げる。
「な、なんかうぜーな、そのにやけ面。口調も違うし、急にどうしたんだよ…」
「第四問、これからアイカさんが学ぶのは何式?その特徴も併せてお答えください」
「ゼス式だ。ゼスっておっさんが確立した魔術形式で、術式も単純なものが多い。まさに、魔術入門にぴったりの形式だな」
アイカの荒い物言いにサリアは少し呆れた様子になる。
「おっさんって…超偉大な魔術師になんて言い草っすか」
「どんなに偉大でも、おっさんはおっさんだろ」
アイカのざっくばらんな様子に苦笑いを浮かべた後、サリアは最後の問題を出した。
「第五問、今現在イグニアで最も使われている魔術の形式は?その特徴を答えなさい」
「イグニア式だろう?ゼス式の単純さと”アマノ式”の自由さを掛け合わせた新時代の形式で、今を生きる兵士や騎士達の殆どが使ってる」
「なるほど…」
自信満々に答えるアイカに対し、サリアはニンマリと笑った。
「はい罰、はい違うっす!はっはっは、これで掃除当番はアイカさんっすね!」
腰に手を当て、してやったりと誇らしげにするサリアを見て、アイカは意地悪された犬のように騒ぎ出した。
「な、テメェ!ふざけんなっ!近代に開発された新進気鋭の形式で、兵士の間でもゼス式を使ってる奴はいないって、さっき言ったじゃねぇか!ど言うことか説明しやがれ!」
サリアは得意げな表情で答えた。
「確かに、アイカさんの言う通りイグニア式魔術は騎士団や魔術師会に取り入れらているし、エウーロ州において魔術が発動できる者の殆どが用いる形式っす」
「だったらなんで違うんだよ。サリアも、アメリアだって使ってるやつだろう?」
「その通りっすよ…?でもね、正解は”アマノ式魔術”なんすよ」
思いもよらない回答にアイカは目を丸くした後、不服そうにサリアを睨んだ。
「はぁ?アマノ式魔術の術式はゼス式の比じゃないくらいに難しんだろう?魔術効果をほぼ無限に作れる自由さは売りだが、戦場じゃ術式を組む暇がなくて、今は新しく作られたイグニア式が主流だって、そう言ってたじゃねか」
「仰る通りっす。ですが、アマノ式魔術は未だに多くの”場所”で使われているんす」
「場所って…あっ!」
アイカは気づいたよう修練場を見渡す。そんな彼女を愉快そうに眺めながら、サリアは再び得意げな表情で説明を続けた。
「この修練場の防護魔術然り、壁に掛かった”魔術組み込み結晶石”の灯りも然り。レモラ王宮や街を護る結界術もそうですが…鍛冶屋、浴場、水路、娼館にだってアマノ式魔術は使われてるっす」
サリアの説明を聞き、アイカは感心した様子で頷く。
「その”なんでもできる”特性のおかげで、街の生活に欠かせない基盤になってるってことか…」
理解を深めてもらおうと、サリアは具体的な例を上げた。
「ええ、アマノ式魔術がないと原始生活に逆戻りっす。修練場と王宮を繋ぐ昇降機だって魔晶石が動力だし、私達の”お月のもの”だって、アマノ式魔術が組み込まれた魔道具のお陰で症状が緩和されてるっす。その道具がなければ、兵士や騎士は男だけってことになりかねません。アメリアさんが最強の称号を貰ったのも、言うなれば、アマノ式魔術のお陰ってことっすね」
アマノ式魔術のお陰で生活の質が向上していることにアイカは感心した後、今度は期待感に満ちた眼差しでサリアを見た。
「そ、それでよ…アタシも魔術が使えるようになるか?」
うきうきする彼女に応えるように、サリアは楽しそうに答えた。
「お、とうとうやっちゃいます?魔術、発動しちゃいます?」
「お、おうよ!いっちょやってやるぜ!」
二人は互いに頷き合った後、サリアは改めて魔術の仕様についての説明をするが、アイカはどこか釈然としない様子だった。
「…”魔力場”ってとこで術式を組んでから発動だよな?どうやるんだ」
サリアは不思議そうにする。
「どうって…さっき言ってたじゃないすか。魔力場で魔術言語を…」
「いやさ、理屈は分かったよ?でもよ、魔力場ってのがどうも分からねぇのさ」
「分からない…?」
アイカは胸に手を当て目を瞑り、サリアに尋ねた。
「魔力場ってのは体の内側にあるんだろう?でも、アタシ的には二十年以上生きた体があるだけだし、その魔力場ってのがどこにあるか、皆目見当がつかない」
アイカの言葉は感覚的なものが多く、何を言いたいのか分からずに思案するが、少し経って眉を上げた途端、サリアは何故か修練場の壁へと走っていった。
「お、おい…どこに行くんだ」
彼女は魔術を発動したようで”黄色のオーラ”を体に纏わせると、アイカが依然いた世界では考えられないような速度で走り、あっという間に壁を登って修練場の”灯り”を取ってきた。
「と、とんでもねぇ速さだな…それで、何を持ってきたんだ?」
「”魔術組み込み結晶石”—通称”魔晶石”っすよ」
サリアの手には虹色っぽい色合いの半透明の石が握られていた。
「魔晶石だって!?ファンタジーゲームのアイテムに、そんな物があった気がする…」
「…ふぁんたじぃげぇむ?何か分からないっすけど、アイカさんの世界にも同じ物があったんすね」
そこで、サリアの頭に新たな疑問が湧いてくる。
「でも、アイカさんは魔術の存在を知らないんすね」
「ま、まぁ…その話は置いておこうぜ?それで、その魔晶石ってのはどういった物なんだ?」
「そうっすか…」と、彼女の言う通り先程の話を忘れた後、サリアは先生のように再び説明を始めた。
「名前の通り魔術が組み込まれた”結晶石”っす」
「…結晶石ってなんだ?」
「そもそもっすけど、アイカさんは”魔力”が何か知ってるっすか?」
「知らねぇな。授業でやったか?」
「…いや、やりませんでしたね」
この世界にとって当たり前のこと過ぎて、魔力の説明をすっかり忘れていた彼女は、改めて”魔力”についての説明を始めた。
「”魔力”というのは、ありふれた物質の一つであり、空気や水に近いものです。この修練場の中だってあるし、私達の体にもあります。魔力にも種類があって何個かに分けられるのですが、ここでは省かせていただくっすね。知っておいて欲しいことは、魔力はどこにでもあって、私たちは魔力を用いて魔術を発動してるってことっす」
サリアの説明に納得した後、アイカは再び疑問をぶつける。
「それで、その結晶石と今の話には何の関係が?」
疑問に応えるように、サリアは”結晶石”の断面を見せるよう近づけた。
「この結晶石は、何にも染まっていない魔力の源である”無色魔素”が鉱物に溶け込んでます。所謂”結晶石”と言う名の鉱物ですね。その構造は我々生物しか持っていないとされる”魔力場”と”同じ”だとされ、これに触れると…」
サリアに結晶石を渡され、なんとなく受け取った次の瞬間、
「えっ!?おい、これって…」
彼女は新たな感覚を知覚した。
「も、もしかして、これが魔力って奴か…?」
体の内側を包む力の奔流。尿意や眠気と似たような感覚であり、第六感を詳細に知覚したような、そんな感覚が彼女の中に芽生えた。
「分かりますか?それが”魔力”であり、それら全ての感覚を、総じて”魔力場”といいます。本来なら半成人の儀式で正式に魔術が使える体になるんすけど、アイカさんが元いた世界は魔術が発展してなさそうだから、必然的に結晶石と触れる機会も無かったんでしょう。だから、こうして擬似的な儀式を行ったと言うことっす」
アイカは不思議な感覚に陥る。初めての感覚にも関わらず、慣れ親しんだような落ち着きさえも感じさせる。まるで、自分は初めから魔力を持っていたように。
「これで、魔術を発動できる準備は整ったと言うことっす!」
「なるほどな…よしっ、ちょっと試してみるわ」
待っていられないと言わんばかりに、アイカは餌を待つ子犬のように目を輝かせながら魔力場に意識を向けてみる。
「あ、先ずは”魔力場”を頭の中で意識してみてください。それから”魔術言語”を描いて…」
アイカを補助するように、サリアも助言を付け加える。
こうして、アイカは魔術を発動する為の訓練を始めたのだが…一回で発動できるほど、魔術の道は甘く無かった。
「で、できねぇ…」
アイカは魔力場に意識を向け、先程教えてもらった魔術言語を描こうとするのだが、縦線一本も描くことがままならない。
まるで、文字の形に並んだ針の全てに糸を通すような感覚に、アイカは次第に体がざわつき始める。
「もっと落ち着くっすアイカさん!呼吸をして、心身ともに落ち着いた状況を作り出すっす」
「心身共に落ち着いた状況ね?分かった、分かったぜ…?」
サリアの助言通りに深呼吸をし、再び魔術言語を描こうとするアイカだったが、元来突破者として生きていたアイカにとっては苦行でしかなかった。
「うぎゃぁッ!」
彼女は我慢できずに叫び声を上げ、立ち上がると周囲を回り始める。
「え、ちょっとっ、アイカさん!今のアイカさんじゃ、走りまっても魔術は発動できないっすよ!先ずは立ち止まり、楽な姿勢で魔術を発動したないと—」
「ウルセぇ!」
アイカは息を切らしながらサリアの前にやってくると、犬のように荒い息を立ててサリアを睨む。
「悪いんだけどよ、ちょっと離れててくれねぇか?無性に腹が立って、誰かを折檻してぇ気分になっちまうんだ…っ」
「せ、折檻って…え、ちょっとっ」
騒めく体を抑えられず、アイカは凶暴な犬のようにサリアの胸に飛びかかってしまった。そのまま押し倒し、苛立ちをぶつけるようにサリアを襲いそうになるアイカだったが、
「い、痛いっす…」
初めてできた友達の困惑した表情が視界に映り、アイカは自身の頬をぶん殴って正気に戻る。そのまま横に倒れたアイカは、抑えられない不快な気分を発散するようにその場に転がり始めた。
「えぇ…」
急に押し倒されるも、その強引さとアイカの綺麗な顔が間近に迫り、まんざらでもなかったサリアであったが、転げまわるアイカにトキメキもへったくれも無く、直ぐに起き上がった。
「だ、大丈夫っすかアイカさん?」
その後、アイカの体が落ち着いたのは五分程経った時であり、それらの経験から特訓の仕方を考えさせるサリアであった。
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